49 侍女のアメリア その1
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ふぅ、さすがに荷物を詰めすぎたみたい」
服の袖で額の汗をぐいと拭う。
持っていけるものすべてを鞄に詰めたら、あまりにも重くなってしまい、乗り合い馬車の停車場までひとりで運ぶのが大変だった。
「でも、コンラートさんに買ってもらった服は、置いていきたくない……」
このままローズウッド家に居れば、今日にも父に医者へ連れていかれ、お腹の子は居なくなってしまう。だから、なるべく遠くへ行こうと朝一番の乗り合い馬車に乗った。それなのに……。
「行き先を調べなかったけど、まさか……グレイグルーシュ行きじゃないかしら……?」
夕暮れ時に馬車が到着したのは、やはりグレイグルーシュ辺境領の領主邸に程近い停車場だった。乗車賃を支払って馬車を降り、当ても無く彷徨うと不審者と思われることを避け、元カルダス家の屋敷を目指す。
周りのお屋敷も、元カルダス家の屋敷も相変わらず庭は手入れの行き届かない藪のままで、何とはなくほっとする。軒下で雨風さえ凌げればとも思ったが、裏庭に面した窓は建付けが悪く、少し押しただけで開いてしまうのだという祖父のぼやきを今更ながら思い出した。
裏庭に回ってみると、庭の隅に墓石に見立てた石がある。
(あれが、私の本当のお母様の……いやいや、今はそれどころじゃなくて、侵入できる窓を探してるのよ!)
窓は板と釘で打ち止められていたが、リリアナの力でも引っ張ると、板が外れた。窓を押すとギイィと動くので、祖父の言っていた窓はここのことだと見当がつく。リリアナが通れる広さまで板を引き剥がし、何とか外が真っ暗になる前に家屋に侵入することができた。
屋敷に入るのは2年振りだ。それまで殆ど王宮暮らしだったが、リリアナは2階に自室をもらっていた。きっと埃が凄いのだろうと思っていたが、入ってみると寝られないこともない。ほっと安心したらお腹がく~っと鳴った。
鞄の中を漁り、お菓子をいろいろ取り出すと、本格的にお腹が空いてきた。片っ端からお菓子を口に運んで美味しさを堪能するけれど、きちんとした食事を摂りたくなる。
「こんな時は寝るに限るわ!」
リリアナはベッドに身体を横たえると、寝息をたてて眠ってしまった。
外が明るくなってくると、自然に目覚める。
「昨日は暗くて見えなかった、お母様のお墓の周りの雑草を抜こうかしら」
そうと決めると、軒下に置かれた道具箱から草刈り鎌を取り出し、墓の周りの雑草を刈り始めた。雑草は枯れ草だったが、根がよく張っており根元は丈夫で、一筋縄ではいかなかった。時間を掛けて雑草を除去していくと、完璧とまではいかなくても、見映えはよくなった。
「お母様、喜んでくれているかしら? よし! そのままお祖母ちゃんたちのお墓も綺麗にしにいこう」
鞄を屋敷の中に入れたまま、手には草刈り鎌を持って、歩いて共同墓地までやってきた。誰が墓地を管理してくれているかは分からないが、コンラートさんたちと来た時よりもこざっぱりとしている。
「……あら? 草刈りの必要がなさそうね」
リリアナは刈り残しの細かな雑草を引き抜くことにした。
暫くすると、お腹に鈍痛があった。この痛みは今までにもよくあり、大したことはない、すぐに治まると高を括っていた。だが、治まるどころか痛みはズキンズキンと益々酷くなり、しゃがんでいることも辛くなり、その場で横に倒れてしまう。リリアナは何とか保っていた意識すらも手放してしまった。
次にリリアナが目を覚ますと、何処か分からないベッドに寝かされていた。
「ここは……?」
カルダス家でないことは明らかだった。
ゆっくりと身体を起こすと「リリアナ様!」と声を掛けられる。声のする方を見ると、アルヴィンのお屋敷の侍女たちだった。
(ここは、アルヴィンのお屋敷……!?)
「あ、あの! 倒れていたところを助けてくださり、ありがとうございます!」
「いえいえ、リリアナ様は私どもにも丁寧にお礼をしてくださいますから、当然のことをしたまでです」
墓地で倒れていたリリアナを見つけたのは、アルヴィンのお屋敷の庭師だった。屋敷の庭の手入れを済ますと、空いた時間で共同墓地の草刈りをしていたそう。
(お父様たちから見つからずに身を隠すには、このお屋敷は最適かもしれない)
「私をこのお屋敷の侍女として置いてもらえませんか? ただ、私がここにいることはアルヴィンには知らせないで欲しいのです……お願いします」
侍女たちは顔を見合わせ、了承してくれた。
「坊っちゃんと何かございましたか?」
侍女長がリリアナに訊くと、自分が優柔不断だったせいでアルヴィンを傷つけ怒らせてしまったと説明した。
「気まずいから、アルヴィンには逢わずにいたいのです」
「逢わずにいるのは難しいと思いますよ」
この屋敷に帰省してくるアルヴィンに逢わずにというのは、さすがに都合が良すぎるというものだ。それはリリアナもよく分かっている。
「リリアナ様、髪の色を染料で変えることで別人に成り済ますというのはどうでしょう? 例えば、瞳の色に合わせて髪色も赤にするとか……」
「出来るの!? やってみたいわ!」
リリアナは髪の色を変えるという提案に食い気味になる。この世界でのカラーリングに興味津々だった。
「このお屋敷の裏山に冬になると赤い実をたくさんつける木があるのです。その実から種を抜き、潰しながら少量の水と一緒にとろ火にかけて混ぜていくと赤色の染料の完成です!」
「ふーん、砂糖を入れたらジャムができる過程と同じなのね」
「「……ジャム?」」
「───っいえ、何でもありません! 今後は私の名前は……そう、『アメリア』とお呼びください」
かくして、赤い髪色になったリリアナは、実の母の名前である『アメリア』と呼ばれることとなった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
───7ヶ月後。
「アメリア、もうすぐ出産ね」
「私、その子が生まれてきたらたくさんお世話したいわ」
「名前はもう決めたの?」
「実は、まだなの」
「みんな! 坊っちゃんが本日こちらへ帰省するようですよ!」
侍女長がアルヴィンの帰省を報せる。
前回、アルヴィンが帰省した時には、アメリアとして挨拶をしてもまるで聞いていないようだった。髪の色を変えただけでリリアナだと気づかれていないのなら、変えた甲斐があったというものだ。しかし、同じ女性であるアルヴィンの母君にはひと目で見破られた。だから、このお屋敷の中でアメリアがリリアナだと知らない者は、アルヴィンとアルヴィンの父親である辺境伯だけなのである。
「おかえりなさいませ、アルヴァード様」
「「おかえりなさいませ!」」
「……ああ、ただいま」
日没前にお屋敷に帰省したアルヴィンを、玄関ホールで侍従たちが並ぶ後方でリリアナも出迎える。相変わらずアルヴィンとは目が合わないので、リリアナは安心していた。
今のリリアナは国内で行方不明扱いになっている。ローズウッド家から姿を消した数日後に、グレイグルーシュ家で読まれている新聞にリリアナの顔の模写と名前と特徴が掲載されていた。しかし、出産するまでは家に戻るわけにはいかなかった。国内だけではなく、きっとコンラートもリリアナの手掛かりがないか必死になって探し回っているだろうことは容易に想像はついた。
リリアナには、心の中でコンラートに向けてごめんなさい、と謝ることしか出来なかった。
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