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事情も知らない人

「貴女、婚約者であるニール様の顔面を殴ったそうですわね。お可哀想なニール様は鼻を骨折し、治療に大変苦労なさったそうですわよ? あんなに繊細でお優しい方にそんなことができるなんて、私たちとても信じられませんわ」


「繊細」は見た印象かもしれないけど、「優しい」は第三者が知ることじゃないでしょう。そう口にしたいのを押さえながら、私は淑女として穏やかな笑みを浮かべ続ける。


 ニール様は(見た目だけは)清らかでどこか遠い世界からやってきたような、キラキラした雰囲気を持つ美青年だった。本人もそんな見た目の評価を嫌がりつつ、女性から関心を向けられること自体は嬉しいらしく愉悦を感じていたようだ。おかげで婚約者である私は同性の嫉妬を買っていたものだが、そんな私がニール様を傷つけた、それもよりによって顔面を殴ったのが彼女たちは気にくわないらしい。妙な正義感に燃えた令嬢たちは悪役令嬢である私を、打ち倒し断罪すべきだと考えているようだ。


 ――先に私とヘレンを傷つけたのがニール様だってことは忘れてるみたいだけどなっ!


「その件に関しましては、私も申し訳ないと思っております。ですが、あまりに咄嗟の出来事でしたので……大切な義妹に手を上げられそうになってつい、かっとなってしまったのです」

 反省してますわ、と私は口先だけしおらしく語ってみせる。あっ、「大切な義妹」と言ったところでヘレンがぽっと頬を赤く染めた。照れてる! 可愛い! ……そんな私の胸の内など露知らず、苛立ちを隠そうともしない令嬢の声が私の耳に響いてくる。


「まぁ、意外ですわ。サリア様は物語に出てくる悪役令嬢のように自ら手を汚さず、素知らぬ顔で人を傷つけるような方だと思っていましたが。でも、私たちはやっぱりサリア様のようなことはできませんわ。このように非力な腕では、殿方に手を上げるなど到底できませんもの。それどころか自分の手にしているものすら、うっかり零してしまいそうですわ」


 しれっと私への罵倒を混ぜると一瞬、私の隣にいる令嬢たちへ目配せをする。あ、だいたい何をしようとしてるか想像がついたぞ。そう思った私は素早くヘレンを、抱きかかえるようにして庇う。


 両隣にいる猿みたいな令嬢たちが、揃ってワイングラスを私たち姉妹に向けようとしているのが見えた。あぁ、「『うっかり』零してしまいました」なんて言って私たちのドレスを汚すつもりなんだろうな。ワイングラスに入ってる液体の色、明らかにワインじゃないけど。なんか汚い色してるけど。給仕やメイドのせいにしてごまかすつもりかしら、汚いのはその性根の方なのにね。避けようのないその攻撃を前に、あれこれ考えながら私は覚悟を決めたように目を瞑る。


 だけど私の身に起きたのは、思いもがけない衝撃だった。


「大丈夫ですか? お義姉様」


 ドサッという音と背中の痛みに、しばらく動くことができない私。そんな私の上に覆い被さるような形のヘレンが、心配そうな眼差しでそう、尋ねてくる。


 ヘレンが抱きしめられた私の腕から身をよじり、私を汚水から守ったのだ。汚いものをかけられたという事実に打ち震え、涙目になっているヘレンを見て私はやっとそれを理解する。だけどヘレンはそんな私から目を逸らし、意外な展開に驚いているらしい猿令嬢たちをぐるりと見回すと大声で叫んだ。


「しゅ、すいませぇんっ! この人たちが、零しちゃったみたいですっ!」


 会場の注目が一気に、私たちへと集まる。我に返った令嬢たちが慌ててその場を逃げ出そうとしたり、グラスを隠そうとしたりしたがそれはもう遅かった。こちらを見てヒソヒソ言う声がさざ波のように広がり、私たちを囲んでいた令嬢に非難の目が向けられる。そこから先は早かった。


 パーティーの警備をしていた騎士や給仕、さらに会場にいた上流貴族たちが私たち姉妹と猿令嬢を取り囲む。囲まれる側に立った猿令嬢はあわあわとしていたが、私はなんとか冷静さを取り戻すと自分たちの身に何が起こったかを話した。私はヘレンを連れてすぐに、パーティー会場を離れたがその後は結構な大騒ぎになったらしい。


 ある人は「婚約解消され傷心の令嬢を虐めるとは何事か」と猿令嬢たちを咎め、またある人は「身を挺して義姉を庇ったヘレンは素晴らしい」とその行為を讃え。このパーティーの件はしばらく、社交界を賑わせることになった。もちろん今回もお父様とお母様が怒ってくださり、猿令嬢たちはそれなりの処罰を受け「反省」をさせられたようだ。また慰謝料も受け取れたしね。


 でも、私が1番驚いたのはやっぱりヘレンの行動で……


「事情も知らない人がお義姉様に酷いことをしようとしてるのが許せなくって、その。とにかく困ったら大声を出せばいいって、この家に引き取られる前に聞いたことがあったので……」

 あの後、すぐに会場から屋敷に戻り急いで体中を念入りに洗ったヘレンはオドオドとした様子で、私にそう言った。


 大声で自分に何があったかを知らせるのは、護身術の基本の一つだ。それを見事に実行したヘレンは勇気があって大変素晴らしいが、私が驚いたのはそこではない。


 あの綺麗好きのヘレンが、自分が汚れるのも構わず私のことを守ってくれた。


 それは本来、心配して怒るべきなのだろう。現にヘレンは何度も私とお父様、お母様に頭を下げドレスを汚してしまったについても謝罪を繰り返している。私はそんなヘレンの頭をそっと撫で、ゆっくりと——淑女として貼り付けたそれではなく本心から、大切な「家族」に向けての微笑みを浮かべる。


「ありがとう、ヘレン。ドレスのことは気にしないで。でも、危ないことはしちゃダメよ?私も、お父様もお母様も。貴女が無事なら、それでいいから」


 そう話せばヘレンも華やかな笑みを浮かべ、「はい」と答える。


 ヘレン。私の大切な義妹。綺麗好きの、大事な義妹。私はそんな彼女が愛おしくて堪らず、「手洗い大事」と繰り返す彼女に言われて今日もしっかり手を洗うのだった。


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