十四章
十四章
私たちが速水蘭の家に向かうため警察署を出ると、多くのマスコミが警察署の前に屯していた。そして私たちの姿を見るや、マスコミは周りを取り囲んでくる。どうやら江上透が任意同行されたことがマスコミに漏れたらしい。それでこんなにマスコミがいるのだろう。しかも隼人のことを知っているマスコミもいて質問攻めがはじまった。
「江上透が任意同行されたということですが、やはり彼が犯人なのでしょうか」
「あなたは朝倉探偵ですよね。一言コメントをお願いします」
「事件解決の目処はたっているんでしょうか」
次々とマスコミが私たちに質問攻めをしてくる。
……まったく、うっとおしい。私が「ノーコメント」と大きな声で叫ぼうとしたとき、隼人が先に「静粛に!」と大きな声で叫んだ。隼人の方を振り返るとギョッとした。さっきまで速水蘭に会いに行くとニヤけていた顔は何処へやら、帽子を被り、キリッとした顔でテレビカメラに向けて笑顔で軽くポーズまでとっている。
「皆さん、残念ながら今回の事件はまだ解決には至っておりません。しかし、この迷宮無しの名探偵。現代のシャーロック・ホームズ二世。世界一の美男子探偵。そして探偵の中の貴公子と呼ばれたこの朝倉隼人がこの事件に関わっている以上、事件解決は時間の問題です」
「では事件はもうほとんど解決していると見ていいんでしょうか?」
「やはり江上透が犯人なんですか?」
また質問攻めが始まった。しかし、隼人の奴、自分を褒めすぎだ。なにが美男子探偵で探偵の中の貴公子だ。そんなこと初めて聞いた。現代のシャーロック・ホームズ二世とは新聞記事で書かれたことはあったが……
「静粛に、静粛に!」
隼人はマスコミを静めた。
「犯人に関しては残念ながら今は話すことが出来ません。飽くまで江上透氏の任意同行も捜査の過程で必要だったということしか今は言えません。しかし、日本中の、いや世界中のこの朝倉隼人のファンの女性の方々、心配なさらないでください。この迷宮無しの名探偵、現代のシャーロック・ホー……」
「はいはいはい!」
私は無理やり、隼人が話している最中に割って入った。キリがない。私はマスコミに対して叫んだ。
「事件に関しては捜査本部がいずれ記者会見の場を設けると思います。その席でご質問ください」
それだけ言うと私は無理やり隼人を連れてその場を離れた。マスコミはまだ騒いでいたが「これ以上はノーコメント」と私は言い続け、駐車場に置いてある車に乗り込んだ。そして逃げるように車を走らせ警察署を後にする。バックミラーで確認すると名残惜しそうにマスコミが私たちの車を見ているのが見える。全く……つきあっていられない。
* * *
「まだ話し足りなかったのに……」
しばらくすると隼人がそう呟いた。
「あんたねえ、あんなマスコミ相手にしていたら夜まであそこで足止めよ」
「まあいいや、これから俺のファンの速水ちゃんに会いに行くから」
(速水ちゃんって……、)
そしてふと思いだした。私は懐から本部長に手渡されたメモを取り出し、隼人に渡す。
「これは?」
「今日江上透を聴取した際に彼から得られた情報のメモ書きよ。江上透はいつ速水蘭の部屋に着いたのか、そしてその部屋を出たのがいつなのか、そして速水蘭との会話の内容。それらの情報が書き込んであるわ」
「なるほど、これらの情報を、速水蘭との証言と照らし合わせて、矛盾を見つけたいわけか」
「ええそう。だからあなたも一応目を通しておいて」
「いや、俺はいい。この件に関してはお前に任すよ」
そう言って隼人はメモを私に返してきた。
「……どういうこと、必要無いってこと?」
「ああ、これは俺の予想だが、おそらく彼女の証言には矛盾が見つからないはずだ」
「!……矛盾が見つからないって、それはどういう意味?」
「そのまんまの意味さ。とにかく行ってみればわかるよ」
その後、私が問いただしても隼人は何も答えなかった。矛盾が見つからないとはどういうことだ。隼人は江上透が供述した内容は正しいと思っているのか。でも隼人は江上透と関わりのある暴力団に襲われた経緯がある。隼人も言っていたではないか。江上透が事件と関わりがあるのは確実だと。なら今日、江上透が自供したアリバイも十分疑わしい事は自明の理だろう。それとも隼人は何か別の考えがあるのだろうか。
* * *
警察署を出てから約1時間後、速水蘭の住んでいるマンションに着いた。まだ午後2時だ。この時間ではまだ彼女の働いているキャバクラは営業していない。ゆえに今日は彼女の住んでいるマンションを直接訪ねたわけだ。ただ、この時間では彼女はまだ寝ているかもしれない。
私は呼び鈴を押す。速水蘭は直ぐに出てきた。どうやら寝てなかったようだ。しかも速水蘭は、私たちの突然の来訪に驚きもせずに私と隼人を出迎えた。どうやら私たちが来る事を予想していたようだ。隼人といえは彼女に会うと、また手を取ってナンパしようとしたので軽く引っ叩いてやった。
ちなみに、事件から一カ月以上経つが、私も彼女の部屋に入るのは初めてだ。彼女はアリバイがあるということで早期に捜査対象から外されていた事もあって、彼女の部屋にお邪魔する機会は1度も無かった。
彼女に招き入れられ、部屋に入ってみると部屋の中は意外に殺風景だった。必要最小限のものしか置いていない。キャバクラ嬢でナンバー1なのだからもっと豪勢で優雅な部屋を予想していた私としては意外だった。
私はとりあえず1つ疑問に思った事を聞いてみた。何故私たちがここへ来ることが予想できたのかということだ。私たちが訪ねた際に、何も驚く様子がなく招き入れた彼女の態度が気になったからだ。すると彼女はこう答えた。
「ええ、多分来るんじゃないかと思っていました。お昼のニュースで透さんが警察に任意同行されたと言っていましたから」
「―――ということは、私たちが何故ここに来たのか、その理由もお分かりですね」
「想像はつきます。彼が事件当日、ここに来たと警察に話したんですね」
「そうです。それで確認をとるために来たんです。単刀直入にお聞きします。江上透は事件当日、ここに来ましたか?」
「来ました」
「間違いありませんか?」
「間違いありません」
「それは何時頃?」
「詳しい時間はわかりません。私が帰ったときには彼はもう部屋に来ていましたから。でも私が帰宅するより少し前だと言っていました。私が帰ったのは午前1時50分くらいでしたからその5分くらい前なんじゃないでしょうか」
江上透が自供した事とほぼ同じ内容だ。
「ではなぜ、江上透が事件当日、ここに来た事を、警察に話してくださらなかったのですか」
「以前、警察が私に聞いてきたことは、私のアリバイと透さんとの関係だけでした。事件当日に私の家に透さんが来た事に対して質問された事は一度もありません。だから答えなかったのです」
確かにそれはそうだが……
「でも不倫相手とはいえ、自分の恋人が疑われているんですよ。自分から話しても良かったんじゃないですか」
「それはそうですが……、でもそれは透さんに止められていました。透さんは私を事件に巻き込みたくなかったようです。だからホテルに泊まったということで、それで済むならそれに越したことはないと言っていました。つまり無理に本当の事を言わなくてもいいと言われていたんです」
これも江上透の自供と一致する。
「では彼が帰ったのは?」
「5時ごろだったと記憶しています」
「彼はどんな服を着てここに来ましたか?」
「赤いスーツとコートを着ていました。彼は私と会う時はいつも赤い服を着て来るんです。私の好きな色が赤だと前に話した事があるので、それで毎回着て来るんでしょう。それで私も赤いドレスなどを着て彼に会う事にしているんです。そうやってお互い会う時は着飾って、赤い服で会うのが当たり前になっていました」
その後も私は、メモに書いてある内容について色々と質問をしてみたが、どれも江上透が供述した内容と一致するものだった。結果、隼人の言った通り、矛盾は何1つ見つからなかった。隼人はこうなることを予想していたのか、いったい何故……?
しかし私は落胆の色を隠せなかった。本部長が言った通り、この事件で最もあやしいのはやはり江上透だ。隼人を含めて行った現場検証の結果、江上佐知子は犯行当日に誰かと会う約束をしており、その人物、つまり江上透以外の外部犯の犯行の線は出てきたが、結果として江上佐知子を殺害する動機があり、そしてホテルに泊まっていたという嘘のアリバイを証言した江上透が今最も容疑者として疑わしい人物だ。しかも、江上透と関わりのある暴力団によって隼人は襲われた経緯まである。これで江上透が犯人じゃないと考える方が無理がある。だから当然、犯行当日に江上透がここに来たというアリバイも、当然嘘のアリバイだと考えるのが妥当だ。しかも速水蘭、彼女以外にこのアリバイに対する証言者がいない。ゆえにこのアリバイもはっきり言えば不確実で不確かなアリバイだ。しかし江上透、速水蘭、双方の供述に矛盾が見つからない。アリバイは確実ではないのに、それが崩す事ができない……。
1時間くらい話しただろうか。彼女は一旦話を切り上げるとコーヒーを出すのを忘れたと言ってキッチンに向かった。普段なら「お構いなく」と言って断るところだが、そんな元気すら私には無かった。
「難儀しているようだな」
聞いているばかりで、話に参加していなかった隼人が私に声をかけてきた。
「だから言ったろ、矛盾なんか見つからないって」
「あなた、さっき車で私にそう言ったわね。どうしてそう思ったの」
「それはな……」
隼人がそう言いかけたとき、ドアが開き、コーヒーの入ったカップを持って速水蘭が部屋に入ってきた。隼人が彼女に話しかける。
「いやあ、キャバクラで見たドレス姿もいいけど、私服姿もなかなか似合いますね。ドレスにはない色気があるというか」
「ありがとう。この服私のお気に入りなんです。朝倉探偵が来るかもしれないと思って着たんですよ」
「うんうん。似合ってる似合ってる」
隼人ははしゃいでいる。全くこっちの気も知らないで。
「それじゃあ少しだけコーヒータイムにして休憩にしましょう。刑事さんもそんな暗い顔してないで、コーヒーでも飲んでください」
気落ちしているのがやはり顔に出ていたらしく心配されてしまった。我ながら情けない。私は気合を入れ直すためにコーヒーをぐっと飲んだ。負けるものか、迷宮入りになりそうな事件はこれまでだって何度もあったじゃないか。
「ちょっとテレビを点けてもいいですか。私、夜の仕事なのでこの時間くらいしかニュースが見れませんので」
「どうぞ」
「それじゃあ失礼して」
彼女はテレビを点けた。ニュースではちょうど江上佐知子の殺人事件のことが流れていて、江上透が警察の取り調べを受けたことを報道している。聞いているとまあテレビは勝手な憶測を並べ立てている。その後、警察署の前で先ほど隼人がコメントした姿も少しだけ映った。
「あははは、朝倉探偵、テレビ映りがいいですよ」
「当然さ、テレビは何の曇りも無くその人の姿を映し出すからな。映りが良くて当然」
その後、江上透が昼過ぎに釈放されたことも報道した。
(やっぱり釈放されたか、結局、取り調べではあれから有力な供述は得られなかったみたいね……)
警察署から出てきた江上透をマスコミが質問攻めにしている。私は犯人ではないと、江上透は叫びながら、迎えに来た車に乗り込んで走り去って行った。
「透さんは無事に釈放されたみたいですね」
「……そうですね」
私はその時、ふと速水蘭を見て不思議な感覚に陥った。彼女がテレビに映る江上透を見つめる目には、何の感情も映っていないように見える。いや、むしろ冷酷な印象さえ受ける。自分の恋人なのだから、その目には愛情が感じられて然るべきだと私は思うのだが、その目は冷ややかで冷淡な印象を受ける。私の気のせいだろうか……。
「どうしました。私の顔に何か付いています?」
「あ、いえ、何でもありません」
「?……」
少しの間彼女の顔を凝視していたんで不思議に思ったのだろう。彼女は怪訝な顔で聞いてきた。
そして彼女は一通りニュースを見たあとテレビを切った。
「他に大したニュースはありませんでしたね」
私にしてみれば、江上透の件だけで十分大した事件だ。
「ところで、パーティに来ていたという人達の事は調べたんですか。前に彼らの事を私に聞いてきましたよね。彼らにも容疑がかかっているんでしょ」
「他の捜査員が調べています」
「でも、進展がないと」
「残念ながら捜査の状況に関しては申し上げられません。守秘義務がありますので」
「そうですか」
「速水さんは彼らの中に犯人がいると思っているんですか」
「そうです」
「なぜ?」
「女の勘です」
「……」
そうはっきり言い切られては突っ込もうにも突っ込めない。
「そういえば小耳に挟んだ程度ですが、警察は江上佐知子さんの身辺捜査も行っているとか」
「良く知っていますね」
「キャバクラの友達が私用で市役所に行った際に、警察の人を見かけたと言っていました。江上佐知子さんのことを色々と聞いて回っていたそうです」
「……」
「彼女の事を知りたいなら、幼馴染あたりにも聞いてみたらいかがですか。例えば青柳響子さんとか」
「もちろん学生時代の交友関係も当たっていますよ」
「でも、有力な手掛かりは無いと」
「それは捜査の内部情報ですので話す事はできません」
なんかこちらが質問しに来たのに、逆にこちらが質問されている。立場が逆だ。それにもう聞くことも無いし、そろそろお暇しようか。
「それじゃあそろそろ私たちは帰ります」
「もういいのですか」
「ええ」
私は立ち上がった。すると突然隼人が彼女の前にひざまずいた。
「速水さん」
「はい?」
「どうか警察を悪く思わないでください。彼らも仕事でこのような聴取を行っているのです。でも心配しなくていい。私はあなたの味方です。あなたの言葉を私は信じますよ」
そして隼人はキャバクラでしたように彼女の手にキスをした。
「もちろん。朝倉探偵の事は信じていますよ」
「ありがとう」
隼人の行動は相変わらずだが、結果、私たちは何の有益な情報も得ることもなく、彼女のマンションを後にした。
* * *
私と隼人はそのまま警察署への帰路に着く。結局証言に矛盾は見つからなかった。本部長に報告しなければならないが気が重い。
本部では今頃、江上透の足取りを全力で追っている事だろう。証言で犯行の立証が無理となれば、なんとかして他で証拠を挙げなければならない。昨日のお爺さんのよう江上透を見たという目撃者でも見つかればいいのだが……
「あんまり思いつめるな、難しい顔していると美人が台無しだぜ」
隼人が気楽な様子で話しかけてきた。
「うるさいわね。少し黙ってて!」
私は怒鳴った。自分でも言っていてよくわかる。これは八つ当たりだ。
「おー怖、だから言ったんだよ、彼女の証言からは矛盾なんて見つからないって」
「さっきもそう言っていたわね。根拠を教えて」
「簡単さ、彼女が正しく、警察の方が間違っているからさ」
「え……」
私は隼人の言った言葉に驚いてブレーキをかけて車を止める。
「警察が間違っている……?」
「そうだ。間違っているのは警察なんだ。警察の捜査は誘導されているんだよ。つまり踊らされているんだ、犯人に」
私は隼人が何を言っているのか分からなかった。私がその間違っているという内容について詳しく聞こうとしたら、また隼人は秘密主義を持ち出して話さない。いいかげん頭にきた。こちらもカリカリしているんだ。
「あなたは一体事件の何を掴んでいるの」
「事件の全貌は大体掴めてきた」
「だったらそれを話して。悔しいけど私では分からない」
「それは駄目だ。俺だってまだ裏付けは取れてないんだ。ところで話の腰を折って悪いが、このまま駅に向かってくれないか」
「駅に?」
「ああ」
「どこかに行くの?」
「東京に帰る」
「はぁ?」
わたしはびっくりして隼人を怒鳴りつけた。
「まさかあんた、逃げる気じゃないでしょうね!」
「心配するな、ちょっと調べたいことがあるだけさ。さっき言った裏付け捜査の一環だよ。おそらく一週間ほど留守にするだろうが、その間、水上は本部の仕事でも手伝っていてくれ」
「……本当に逃げないのね」
「疑い深いなあ、俺が今まで途中で事件を放り出したことがあったか」
「……」
「わかったろ。何も心配はいらない。帰ってきたらまた連絡する」
「……わかったわ」
そうして私たちは駅に向かった。
* * *
駅に着くと隼人は車を降りる。
「隼人!」
「ん、なんだ」
「隼人は最初に出席した捜査会議の時に本部長に対してこう言ったわよね。もう江上佐知子を殺した犯人は分かっているって」
「ああ、確かに言った」
「その言葉、信じていいのね。さっき事件の全貌は掴めてきたという話も」
「もちろんだ」
「……そう、じゃあ一週間後にまた会いましょう」
「ああ、またな」
そう言って隼人は改札口に向かった。すると何か忘れ物でもしたのか、また戻ってきた。
「どうしたの隼人」
「ただ、これだけは話しておいた方がいいんじゃないかと思ってな。ちょっと地図はあるかい」
「地図?」
「ああ、簡単なものでいい」
「たしかダッシュボードに地図があったと思ったけど……、あ、あったわ」
私は地図を取り出す。
「で、地図がどうしたの」
「確実ではないがな、事件当日の江上透の足取りを知りたいのなら、ここを調べればその足取りがつかめるかもしれない」
そう言って隼人は地図を開いた。




