第2話 領地視察ですわ!
ごきげんよう!
マルグリット・フォン・ローゼンベルクですわ。
今日は、お父様の名代で領地視察ですの。
初めての遠出、わくわくしますわ。
お父様ったら、地図にわざわざ印までつけてくださって、「ここの村人とよくお話しなさい」って、お忙しいのに何度も念を押してくださったの。
それから、「ついでに、いくつか聞いてきてほしいことがある」って、小さな覚え書きを一枚、私の手帳に挟んでくださって。
本当にお優しいわ。
お忙しいから、ご自分で確かめにいらっしゃれないのね。私がお役に立てるなら、嬉しい。
馬車に揺られて、街道を北へ。
窓の外は、王都ではなかなか見られない、なだらかな麦畑が続いておりますの。
麦の穂が風になびくたびに、銀色のさざ波みたい。お祖父様にお見せしたら、きっと喜ばれますわ。
アンナは私の向かいで、ずっと膝の上に乗せた包みを抱きしめるようにしておりますの。
あの中には、お母様が「念のため」と持たせてくださったお薬が入っているはずですわ。
「アンナ、緊張しているの?」
「……いいえ、お嬢様。お嬢様こそ、お疲れになりませんか」
「まあ、まだ着いてもおりませんわ」
ふふ、と笑いましたら、アンナも少しだけお顔の力を抜いてくださいましたの。
◇◇
お昼前に、最初の村に到着いたしましたわ。
村のはずれで、代官のバルトロ様という方がお出迎えくださいましたの。
ふくよかな体つきで、お顔はにこやか。両手をすり合わせるようにして、何度も腰を折られて。
「お、お待ちしておりました、マルグリット様。ようこそ我が領へ……いえ、お預かりしている領へ」
まあ、ずいぶんとご丁寧な方。
きっと、領民にも好かれていらっしゃるのね。お父様が、わざわざこちらの代官に任じたくらいですもの、きっとお人柄が認められたのですわ。
「お父様の名代として参りましたの。よろしくお願いいたしますわ」
バルトロ様は、最初の村に私をご案内くださいましたの。
石を積み上げた塀のある、こぢんまりとした村。井戸のまわりで、子どもたちが数人、こちらをじっと見ておりましたわ。
「ごきげんよう」
声をかけましたら、一番小さな男の子が、ぴゃっと塀の陰に隠れてしまわれて。
あら、私、そんなに怖い顔をしていたかしら。
でも、年かさの少女が、おずおずと前に出てきて、膝を折ってくださいましたわ。
きっとお母様に習ったのね、ずいぶんと丁寧なお辞儀。
そういえば、お父様から預かった覚え書きを思い出しましたわ。
「ねえ、ちょっと伺ってもよろしいかしら。お父様に、村のみなさんのことを聞いてきてほしいって頼まれましたの」
しゃがんで目線を合わせると、少女はこくり、と頷きましたの。
「お父様――公爵が、税はこのくらいが適正だとおっしゃっていたのだけれど、皆様、そのくらい払ってらっしゃるのかしら」
その額を、そっと伝えましたら、少女、きょとんとしたお顔で、隣の男の子と顔を見合わせて。
「……うちが、払ってるのは、その倍です」
「倍?」
「うん。父ちゃんが、いつもそう言ってる」
あら。
お父様の計算が、間違っていらしたのかしら。
お父様はいつも、夜中までお書類とにらめっこなさっているのに、お疲れだったのね。
後でお伝えしなくては。
「教えてくださってありがとう。お父様にきちんとお伝えしておくわね」
立ち上がって振り返りましたら、バルトロ様のお顔から、すうっと血の気が引いておりましたわ。
まあ、顔色がよろしくない。
長旅のお迎え、お疲れになったのね。
◇◇
村の集会所のような場所で、簡単なお食事を振る舞ってくださいましたの。
木のお椀によそわれた、温かい汁物。
具は、麦と、細かく刻んだ蕪。湯気がふわりと立って、いい匂い。
ひと口、いただきましたわ。
……あら?
「もしかして、お塩が足りていらっしゃらないのかしら?」
お伺いしましたら、給仕してくださった村のおかみさんが、お玉を持ったままぴたりと動きを止められて。
「去年お父様が、塩税を免除なさったはずですのに。なにか、配給の手違いでもあったのかしら」
「……塩税の、免除?」
おかみさんが、お隣のおじいさんと、顔を見合わせて。
「初めて、聞きました」
あら。
あらあら。
お父様のお話、村まで届いていらっしゃらないのね。お手紙でも書きそびれていらしたのかしら。
お父様、本当にお忙しいから……。
帰ったら、お父様にお伝えして、ちゃんと村まで届くようにお願いしなくては。
ふと、バルトロ様のほうを見ましたら、すごい速さで額をハンカチで押さえていらしたの。
汗をかかれているのかしら。集会所のお部屋、たしかに少し暑うございますわね。
◇◇
お食事の後、バルトロ様が、にこにこと別の地図を広げられましたわ。
「マルグリット様、次は、東の村などはいかがでしょう。あちらは、麦の刈り入れの時期で、賑やかな祭りが――」
まあ、お祭り。楽しそう。
……でも。
私、馬車に積んできた、お父様の地図をそっと取り出しましたの。
羊皮紙の表面に、お父様の几帳面な字で、いくつかの村のお名前。そのうちの一つに、丸い、はっきりとした印。
「お祭りも素敵ですけれど、私、こちらの村に伺いたいの」
指で、印のついた村を指しましたわ。
「お父様が、ここを見てきなさいって、印をつけてくださったのよ」
バルトロ様が、地図の上で、私の指先のあたりを、じいっとご覧になって。
それから、お口を半分開けて、何かおっしゃろうとして、また閉じて。
「……あ、あちらは、その、道が、たいへん悪く」
「あら、馬車で参りますもの、大丈夫ですわ」
「と、と、途中の橋が壊れてまして」
「道は一つではないでしょう?少しくらい遠回りになってしまっても問題なくてよ」
「………道中で盗賊が出ますので!」
「あら、公爵家の護衛なら盗賊ごとき敵ではなくてよ」
バルトロ様、なにやらとても心配してくださるのね。
でも、お父様がおっしゃったことですもの。
「お父様の指示ですもの、見学しないわけにはまいりませんでしょう?」
にっこり申し上げましたら、バルトロ様、何度か瞬きをなさって、それから、深々と一礼なさいましたわ。
「……かしこまりました」
◇◇
お父様の印の村は、道を一刻ほど走った先にありましたの。
馬車を降りた瞬間に、最初の村との違いがわかりましたわ。
石塀は崩れたまま、草が伸びるに任されていて、井戸の桶は底が抜けたままになっておりますの。
集まってくださった村人の方々は、皆様、頬がこけて、お顔の色も悪い。
子どもたちも、最初の村のように駆け回るのではなく、母親の影に隠れるようにしてこちらを見ておりましたわ。
「みなさま、ごきげんよう」
声をかけても、なかなかお返事がかえってこなくて。
ようやく、一番年配の白髪の女の方が、震える手で膝を折ってくださいましたわ。
「みなさん、お顔の色が優れませんわね」
思わず申し上げましたの。
「お薬が、足りていらっしゃらないのかしら?お父様が去年、たくさん送ってくださったはずですけれど……」
白髪の女の方が、顔を上げて、私をじっと見られて。
しばらく、声が出ていらっしゃらない様子で。やがて、しわがれた声で、こうおっしゃいましたわ。
「お薬――そんなものは、一度も」
あら。
あらあらあら。
お父様、お忙しくて、送りそびれていらっしゃったのかしら。
それとも、運んでくださる方の手違いで、別の村にいってしまったのかしら。
帰ったら、お父様にお伝えしなくては。
……いえ、その前に。
「アンナ。お母様が持たせてくださったお薬、こちらの村に置いていきましょう」
「……お嬢様、よろしいのですか」
「あら、だってお母様、『念のため』っておっしゃっていたんですもの。お困りの方がいらっしゃるなら、そちらに差し上げたほうが、お母様もきっと喜ばれますわ」
アンナは、しばらく包みを見つめたあと、深く一礼して、白髪の女の方の前にそっと進み出ましたの。
包みの結び目を解いて、中身を改めていくアンナの手つきは、ずいぶんと丁寧。
お薬の名前を一つひとつ口にしながら、用途と、お飲みになる量を、ゆっくり、ゆっくり伝えてくださって。
そういえばアンナ、お屋敷の薬草室で、お母様の手ほどきを受けていたのね。
お母様が、いつかこうした日のためにと、教えていらしたのかしら。
白髪の女の方が、震える両手で包みを受け取られて、深々と頭を下げられましたわ。
「あら、顔をお上げになって」
私、慌てて申し上げましたの。
「お父様の名前で送られるべきだったものですもの。私が差し上げたわけではありませんわ。むしろ、こんなに遅れてしまって、ごめんなさい」
白髪の女の方は、それでも、しばらくお顔を上げてくださいませんでしたわ。
◇◇
日が傾く頃、私たちは村を辞することにいたしましたの。
村のはずれまで、白髪の女の方と、何人かの方々が見送りに出てくださって。
皆様、いらしたときよりも、ほんの少しだけお顔の力が抜けていらしたような気がいたしますわ。
お薬が、すぐ効くわけでもないのに、ふしぎ。
私、手を振りながら馬車に乗り込みましたわ。
ふと、村の入り口の木陰のほうで、見慣れない方が二、三人、バルトロ様を取り囲んでいらしたの。
お一人は、王都を出るときにお父様のお屋敷で見かけた気がしますわ。お父様のお遣いの方かしら。
バルトロ様、ずいぶんと熱心にお話なさっていらしたけれど、両腕を後ろに引かれて、なんだか窮屈そう。
もしかして肩を痛めてしまわれたのかしら。
お疲れのところ、お引き止めしてしまうのもなんですし、私、馬車の窓から軽く会釈だけして、行ってもらうようお願いいたしましたわ。
◇◇
帰りの馬車。
夕陽が、麦畑を、金色に染めておりますの。
行きに見た銀色のさざ波が、すっかり色を変えておりますわ。
お祖父様にお見せできなくて、本当に残念。
「楽しかったわ。また来たいわね」
膝の上で手を組みながら、申しましたの。
「村のみなさん、お優しい方ばかりだったわね。最初の村の女の子も、最後の村のおばあさまも、ちゃんとお話を聞いてくださって」
アンナは、向かいの席で、何度かゆっくり頷いてくださって。それから、ぽつりと、
「……お疲れさまでした、お嬢様」
あら。
お疲れだなんて、馬車に揺られていただけですもの、ちっとも疲れておりませんのに。
アンナのほうこそ、ずっと包みを抱えて、緊張のお顔のままでしたわ。
お屋敷に戻ったら、ほかの侍女に、アンナへ温かいお茶を出すよう言いつけなくては。
……そういえば、バルトロ様にきちんとご挨拶できなかったわね。
次に伺うときには、お礼にお祖父様の薔薇をひと枝、お持ちしようかしら。
お父様、塩税のことと、お薬のこと、忘れないようにお伝えしなくては。
お手紙を書きそびれていらっしゃるなら、私が代わりにお書きしたっていいんですもの。
今夜、お帰りになるのを待って、お話しいたしましょう。
今日も、楽しい一日でしたわ。
領地のみなさま、お優しい方ばかりで。
またお会いしたいですわ。
世の中、優しい方ばかりで。
私、しあわせ者ですのね。




