Act08:沈黙の空を超えて Ⅱ
────ズドォっ…………!!
赤褐色の壁が悲鳴のように軋んだ。同時に、ファイの額からドッと脂汗が吹き出す。
先ほどのような重量物ではない。魔法を破壊するアンティークの拳が、足が、立て続けに突き刺さってくるのである。
いくら砲弾すらはじき返す壁でも、魔法を壊してしまうアンティークの前では長時間の維持はできない。
せめて二人が逃げるまでは、持たせなければ。引きちぎられそうになる魔力を繋ぎ止め、ファイはただただ耐え続ける。
「シディア、起きてよ! はやく逃げないと!」
ルビィは襟首をつかんでシディアを揺さぶるのだが、
「……しゅぼって、ルビィちゃん、しゅぼって。えへへへ……」
のんきによだれなんか垂らして、ルビィのしゅぼっ事件の夢を見ていた。
「こんな時になんで夢なんて見てるんだよ! しかもボクの恥ずかしいやつ! 見るんなら他にもあるだろ!」
「ルビィちゃん! 早く!!」
だんだんと、壁を殴りつける間隔が短くなっていた。一打毎に壁の軋む音は鮮明になり、ファイの額から流れる汗が加速度的に増えてゆく。
シディアを起こすのを諦め、ルビィはどうにかしておんぶする。腕を自分の首に回し、スカートの上から足を探して手を差し込む。
寝ているからなのか、なんとなく重いような気がする。
「ファイ! 準備できたよ!」
横目にルビィがシディアを背負ったのを確認し、ファイも後退の準備を始める。
魔法が崩れかけている場所以外の制御を放棄、アンティーク正面の壁にだけ全魔力を注ぎつつ、距離をとってゆく。
よし、どうにか二人が逃げられるだけの時間は稼げた。
極限の緊張感の中、わずかに訪れた安堵。しかし、それが命取りとなってしまった。
「ッ!?」
それは、ほんのわずかな時間だった。心の隙間へできた緊張の空白。その一瞬をついて、アンティークは赤褐色の壁を突き破ってきたのである。
大技を使っていた直後で、すぐには反撃できない。そしてシディアを背負っているルビィも同じく。
破壊した壁の岩石を鷲掴み、アンティークは高々と腕を掲げる。
ここまで何度も窮地を脱してきたが、今回ばかりは無理だ。
無慈悲に振り下ろされる巨大な腕は、数秒もしない内にファイ達を押し潰す事だろう。
ゆっくりと、ゆっくりと。麻痺した時間感覚のせいか、迫り来る腕が鮮明に見て取れる。
しかし、その時間感覚に体は全く付いて来ない。
やったと思ったのに……。今度こそ、守りきれると思ったのに……。
胸の内に浮かんだのは、悲しさではなく悔しさ。無力な自分に対する憤りであった。
でもせめて、あの二人だけは……。
じれったいほどゆっくりと、ファイは背後を振り返る。
そこには自分に向かって手を伸ばす、ルビィの姿が見えた。
そんな、悲しそうな顔をしないで。でも、この距離なら、二人は大丈夫かな。
どうか、無事に逃げ切ってね。いよいよかと、ファイは覚悟を決める。
二人を守れたなら、騎士としては本望だ。心残りは山ほどあるし、後悔だってし足りないけど。でも、これも運命なのだろう。
最期に、姫様との約束、思い出せて良かった。
だが、しかし、
「……………………」
ファイの運命はまだ、こんな場所で終わりではないらしい。
遙か後方から一閃、限りなく白に近い雷光がアンティークの旨に突き刺さった。
「永久の聖剣!!」
その雷光に続いて、ペールイエローの雷光でできた光剣が、次々とアンティークの腕に突き刺る。手に持っていた大岩ごと、指の関節を破壊した。
「シディアさん! ルビィさん!」
ルビィの隣にバシィッと、雷音が轟く。
それは間違いなく、応援を呼びに街へと向かったはずのルチルだった。
そして、
「何を腑抜けた面をしている。この愚妹め」
アンティークに強烈な一撃を叩き込んだ側近騎士が一人、ファイを正面から見下ろしていた。
「…………お兄様」
「今一瞬、満足そうな顔をしていたな」
ペリアルト・シュネーヴァイス。側近騎士団の中で早くも頭角を現わしている、新進気鋭のエースにして、ファイの実の兄である。
「そうか。こんな、たかが旧世代の骨董品に叩き潰されるのが、貴様の望みか」
だがしかし、なぜペリアルトがこんな場所に……?
「ならば、そこで見ていろ。目障りだ」
「あら、随分とご大層な口上ですこと」
すると今度は、ファイがよく知る人物の声が聞こえてきた。
「定型すぎて反吐が出るわ。ペリアルト・シュネーヴァイス」
「オペラモーヴの小娘か。目障りだ、引っ込んでいろ。戦闘の邪魔だ」
ユーディ・オペラモーヴ。魔法学校時代のファイの後輩にして、今や高名な魔法使いである。
だがユーディには、昨日の夜遅くからクエストがあったはずなのだが。
「黙れ、この腐れシスコン騎士が。金に汚いごうつくマシュマロから声もかけられてないのに、勝手に付いて来るとかどんだけ妹好きなのよ? 気持ち悪すぎて引くわよ、ペリアルト・シュネーヴァイス」
「…………。民草のために戦うのは、貴族として、そして女王直属護衛竜騎士団としての義務だ。金で動く魔法使いと同列に扱うな」
「あー、はいはい。ご大層な大義名分なんて並べちゃってまぁ……。いい性格してるわ」
「それはお互い様だ」
ファイ本人を置いてけぼりにして、互いに毒を飛ばし合うユーディとペリアルト。
以前の武器屋の時もそうであったが、この二人の仲の悪さと言えば、ファイとペリアルトの比較にならなかったりするくらいで、見ている方が不安になってくるほどである。
そのままにしておけば、アンティークをほっぽりだして魔法ありの壮絶な喧嘩までしてしまいそうな雰囲気だ。
しかし、ユーディはふんっと顔をそらすと、意外なほどあっさりアンティークに向かっていった。
その場所には再び、ペリアルトとファイだけが残される。
「今一度聞く。こんな骨董品に潰されるのが、貴様の願いか?」
今度は、大丈夫だった。ユーディから、元気をもらえたからかもしれない。この前のように、臆する自分はもういない。
なぜか?
魔法を取り戻したからか。否。
自分の原点を思い出したからだ。誰かに敷かれたわけではない、ファイが自分自身の意志で魔法使いを志すと決意した、その理由を。
「潰させません」
自分は弱い人間だ。大切にしていたはずの最初の思いすら忘れ、ただただ怯えていた。
約束を果たせなくなるからではなく、魔法が使えないという事実に抗いもせず、逃げようとしていた。
しかし、ファイはその間もずっと見てきた。見せられてきた。
例え魔法が使えなくても、濁髪であっても、気高い魂をもつ人々に。
「もう誰も、誰一人だって……」
魔法が使えないのを理由にしてはならない。
髪の色を理由にしてはならない。
己の信念を決められるのは、己でしかないのである。
「シュネーヴァイスの名に誓い、ここにいる全ての人を守り、アンティークを討伐します」
ファイは力強く宣言した。
もう振り返らない、後悔もしない。
思いも、願いも、意志も、その全てを己が魂に刻みつける。
あの時魔法使いに正面から言い返した、そしてどんな逆境にも全力で立ち向かう、シディアのように。自分も、全力で立ち向かおう。
自分の言葉を嘘にしないために、ファイはアンティークへと向かって歩き出した。
「おや、君も来ていたんだね。ペリアルト君」
「妹が世話になりました。ラグトゥダ・マルセライ団長補佐」
「なに、気にする事はない。彼女も魔法を取り戻したみたいだし、僕としては大満足だ」
ペリアルトの隣まで歩み出たラグトゥダは、そろってファイの方を見る。
指先からはまばゆいばかりの青白い雷光が、バチバチと火花を散らしていた。
それはまぎれもなく、それはファイが自らの魔法を取り戻した証左であった。
「そういえば、ルベールには見合いで来たそうだね。どこのご令嬢とだったのかな?」
「シュネーヴァイスは雷光魔法の名門です、と申せばお察しいただけるかと」
こんな時に世間話をしてくるラグトゥダに、ペリアルトは律儀に答える。
いや、二人にはもう結果が見えているのかもしれない。この戦いの行く末の。
「なるほど。深くは追求しないよ。ところで、噂によれば彼女、シュネーヴァイス家の中では冷遇されていたそうだね」
「愚昧の扱う魔法は、あのようなものですので。シュネーヴァイスの雷光魔法に、あのようなものはありません」
「ふむ。まあ僕も、よその家の事情に首を突っ込むような真似はしないさ」
さてと、とラグトゥダは懐から分厚い手帳を取り出した。
書き込まれているのは、ルベール支部所属の補佐騎士達の討伐系クエストの派遣予定だ。その中に、リファイド・シュネーヴァイスの名前が加わった。
ラグトゥダにとっては、もうこの戦いは終わった事になっているのかもしれない。まだ消化していない予定を組み換え、どんどんファイの項目へと追加していく。
「ところで話は変わるが、最近は雷光魔法の研究が進んでいてねぇ。色々と新しい事がわかってきたんだ」
「雷光魔法を使った照明の事でしょうか。その件はシュネーヴァイス家のなかでも意見が分かれましたが、最終的には国策に沿って協力していく事になりましたが」
「あぁ、それもあるんだが。実はそれ以外にも、面白い性質がわかってきてね」
無論、雷光魔法の照明の事ならば、ラグトゥダがあえて口にするほどではない。持っているかどうかはともかくとして、その存在は庶民にまで広く知れ渡っているのだから。
「特定の金属を牽引したり、あるいは遠ざける効力があると判明したんだよ。つまりは、磁石と似たような効力だ」
ペリアルトは頷かず、目も合わせず、直立不動のまま、ただ耳だけは傾ける。
ラグトゥダとは別の意味で、その胸の内を推しはかる事はできない。
「この辺りの森は磁石となるような金属が多くてね。コンパスを持っていても迷ってしまうから、一般には非公開になっている。ファイくんのような、磁力への適性が高い一部の雷光魔法使いにとっては、むしろ目印になるらしいんだがね」
「つまり。あれも雷光魔法の一種だと、そう言いたいわけですか」
「いいや、僕は客観的事実を述べただけだ。シュネーヴァイス家に『彼女を認めろ』なんて言うつもりは毛頭ない。ただ、不当な評価が気にくわないだけさ」
ようやく予定の修正が終わったのか、ラグトゥダは分厚いメモ帳をしまった。
そしてふと思い出したかのように、ペリアルトを見上げた。
「ところで、君は行かなくてもいいのかね?」
「えぇ。愚妹もようやく大人になったようなので、今回は譲ります。それに」
と、ペリアルトは自らの足元を見やり、
「やつの胸をえぐったのと引き換えに、足を痛めてしまいましたので」
そう、淡々と告げた。
骨は大丈夫そうだが、足首の内側に有刺鉄線でもつっこんでいるように、鮮烈な痛みが走り回る。
「なんだよ、もう始まってんのかよ。俺の出番はちゃんとあるんだろうな?」
そこへ、ラグトゥダの率いてきた魔法使いや補佐騎士達が次々と到着した。
大半は既に始まっている戦闘に戸惑っているようだが、中にはいつも通りの者も混じっているようで、
「ちっ。なんでアンティークみたいな超高難易度に、ほとんど濁髪の第六次彩髪が混じってんだよ」
髪の色を見ては侮蔑の言葉を撒き散らす輩も混じっていた。
「おや、また君かい? いいかげんに言動を改めないと、本当に出禁にするが、かまわないかね?」
ギルドの支部長にそう言われてはどうしようもなく、威勢のよかった一部の魔法使い達は見違えるように沈まりかえる。
やれやれとかぶりを振ると、ラグトゥダはやってきた魔法使いや補佐騎士達に背中を向けた。
「何度も言うが、僕は差別主義者ではない。髪の色でどうこう言うつもりなんて、毛頭無いさ。濁髪だろうと彩髪だろうと、使える人間は使えるし、使える人間は使えないからね」
誰に向けるでもなく、まるで独り言でもつぶやくかのように、ラグトゥダは語り始める。事あるごとに繰り返してきたフレーズが、全員の耳を打った。
それは常日頃から、ラグトゥダの口にしている言葉である。
濁髪にも関わらず今の地位まで上り詰めた人間の言葉だけに、その言動には妙な説得力があった。
「そんな僕だからこそ、君達魔法使いには、この光景を心に刻んで欲しいと思う」
一呼吸の間を置き、ラグトゥダはその景色を見渡す。
そこには魔法使いが、補佐騎士が、彩髪が、濁髪が、互いを補い、助け合い、同じ敵に立ち向かう姿が広がっていた。
「あれが、僕の思い描く、魔法使いの理想の姿だ」




