Act03:心の傷
神の御業ならぬ髪の御業の指使いでシャンプーをしてもらったケセラスは、上機嫌でウサピィに身を任せていた。
ケセラスは夫に髪を切ってもらっているので、自分で髪を切りたがる普通の魔法使い達に比べて全体的に整った髪型をしている。
もっとも、それも素人レベルでは、の話であるが。
「それでは、どんな感じにいたしましょうか?」
「そうねぇ……。洗うの大変だし、肩のラインくらいまでばっさりやっちゃって。あ、でも近々魔法使いの仕事もちょこっとやる予定だから、魔力は強化する方向でお任せするわ」
「わかりました」
てるてる坊主みたいな布を巻かれ、スタイリングチェアに深々と腰掛ける。
軽快なハサミの音が、ハイテンポで流れてくる。さっきの洗髪の時も思ったが、ウサピィは髪の職人なんだとケセラスは改めて思った。
こんなスムーズな手つきで髪を切る人なんて見た事ないし、動きにも迷いがない。
教えてくれたファイちゃんに、後でお礼しないと。
その直後、ケセラスはある事を思い出した。
「あ、そうだ。ウサピィさん、お伺いしたい事があるのですが、よろしいでしょうか?」
「えぇ、答えられる事でしたら」
一つだけ。この場所に来るなら、どうしても聞かなければならない事がある。
「ファイちゃんが言ってた、相談を受けてくれた人って、ウサピィさんですよね?」
今週の半ばくらいから、ファイの態度が変わったのだ。
注意深く観察していなければわからないほど小さなものだが、確かに前とは違う何かを感じたのである。
ちなみに真っ先に気付いたのはラグトゥダで、良い傾向だ、と色々ぼかして呟いていた。
「確かに、相談は受けましたね。他に受けている人もいるかもしれませんけど」
それを聞いたケセラスは、やっぱり、と小さく頷く。
あの奥手なファイが仲良くなった相手なのだから、悪い人ではないと思っていたが、なかなか良い人に巡り会えたらしい。
今のファイの心を理解し、背中を支えてくれる人が。
もっとも、その相手が髪を切るなんて変わり種の仕事をしている人だとは思わなかったけど。
「あれからかなり吹っ切れたみたいで、ありがとうございます」
「相談ってほどのもんじゃないですけどね。俺は、自分の経験談をちょこっと語っただけですよ」
ウサピィはすきバサミでケセラスの髪をすいていきながら、苦笑を浮かべる。
今のファイと同じく、ウサピィも壁にぶち当たった事がある。その時に何を思い、どうしたかをありのままに語っただけ。
相談に対する解決策なんて一つも答えてやってない。しかもその壁ですら、ファイと比べればちっぽけなものだ。
そんな話でも、少しは役に立ったらしい。
「って事は、ケセラスさんも、ファイからあの話は聞いてるんですか?」
「えぇ。一通りは」
ケセラスもファイから聞かされた話を思い出して、ちょっぴり表情を曇らせる。
あの小さな肩にのしかかっていた重圧がそこまでの物だったなんて、思いもよらなかった。
「リファイド・シュネーヴァイスったら、気にしすぎなのよ。私もその話聞いたけど、本人はどこも悪くないじゃない」
すると我慢できないとばかりに、ユーディは声を荒げて吐き捨てた。
そう、まるで自分の事みたいに。
「ユーディ、ファイちゃんをあなたみたいなガサツで粗野で下品な魔法使いと一緒にしないでちょうだい。みんながみんな、あなたみたいに図太い神経してるわけじゃないんだから」
「…………先輩だからって、それは言い過ぎでしょ、ケセラス・テラローザ。さすがの私も傷付くわよ」
いくらか思い当たる節のあるユーディはいつものような反撃もできず、だがおかげで高ぶっていた感情も少しは抑える事ができた。
とはいえ、胸の内でうごめくもどかしさだけはなくならない。
「でも、だってそうでしょ。何の下準備もなく、いきなりドラゴンに襲われたら、普通なら対処すらできずに終わりよ? リファイド・シュネーヴァイスがいなかったら、今頃どうなっていた事か」
多くを語らないファイの心を代弁するかのように、ユーディは吐露する。
擁護するように、たしなめるように、そして自責の念から自分自身を縛り付けるファイを怒るように……。
ぶつける場所のない激情が、言葉となって耳を打つ。
「保養地を訪れていたお姫様の護衛をしてた、だっけ?」
「えぇ。ファイちゃん、前は王女殿下お付きの専属護衛騎士だったから」
「女王直属護衛竜騎士団の中でも、王族や国の重要人物の警護を拝命された側近騎士団所属。構成員は実力派揃いの武闘派集団で、上の連中になれば一騎当千を地で行く連中ばっかりよ。よくもまあ、そんな場所にいたもんだって思うわ」
ケセラスの言葉尻をぶんどるようにして、ユーディは悠々と語る。
しかしウサピィには、端々に現れる物々しい単語とファイがまるで結び付かない。
ファイをよく知るケセラスとユーディの口から語られた今でさえ、まるで現実味がわかない。
「でも、相手はドラゴン。しかも縄張り争いでもしてたのか、手負いで興奮した状態だったみたい。いくら側近騎士団を中心にした護衛部隊が付いていても、そうやすやすといなせる相手じゃないわ」
しかし、それは紛れもない事実なのだろう。
ユーディがこんな風に感情を荒げるなんて事は、めったにないのだから。
「そんな普通なら手を出せる相手じゃなかったから、慌てちまったんだろうな。自分がどうにかしなきゃって」
その時、ファイはどんな気持ちだったのだろう。ウサピィは言いながら、想像してみる。
「そりゃそうよ。準備万端でもどうなるかわからないドラゴン相手に、姫様守りながら戦うなんて無茶が過ぎるわ。とてもじゃないけど、他の連中を見てる余裕なんてないっての。私もドラゴン討伐はした事あるけど、同じ状況なら迷わず逃げるわ」
ウサピィの知っている魔法使いの中でもトップクラスのユーディですら逃げたくなる相手、それがドラゴンという存在。
万全の準備を以てしてなお、勝てるかわからないモンスターに何の準備もしていないまま襲いかかられ、しかも近くには護衛しなければならない人がいる。
相当な重圧だったに違いない。それを、自分と幾分も歳の違わない女の子が……。
「その結果、死者こそ出なかったけど、護衛部隊には負傷者を多数出てしまった……。ファイちゃんの魔法の巻き添えになった人数も、少なくないそうよ」
突然のドラゴンとの遭遇戦は、姫様の護衛団にどんな顛末をもたらしたのか。
ろくな陣形もとれず、護衛団は手負いのドラゴン相手に乱戦状態。統制のとれないまま始まった戦いは、多数の同士討ちが起きてしまった。
ケセラスは、淡々とその結果を口にした。
「もし私がファイちゃんと同じ立場だったら、以前と同じように振る舞える自信はないわね。ユーディと違って」
「だから、私を引き合いに出すな。ケセラス・テラローザ」
「必死で戦ったのに、気付けば仲間を巻き込んじまって……。そりゃ、魔法を使うのも怖くなっちまうよ」
ウサピィは作業の手を取め、その手を見つめた。
そんな深い傷があるとも知らず、髪型一つで自信を取り戻させようだなんて、思い上がりもいいところだ。
美容師は、魔法使いみたいに万能じゃない。ましてや、神様のように全能でなどあるはずがない。
この手にできるのは、髪のケア、カット、そしてセットする事だけ。心の傷を埋めるなんて技能は、備わっちゃいない。
「でも、そこで止まってちゃ、いつまで経っても先に進めないじゃない」
「だから、今その一歩をどうにかして踏み出そうと頑張ってるんじゃねぇか。もうちょっと長い目で見てやれよ、ユーディ」
でも、もしできるならば、その手助けくらいは、やっぱりしてやりたいよな。男として。
「そうよ、ユーディ。そういうせっかちな性格、改めた方がいいんじゃないかしら」
「仕方ないでしょ、じれったいんだから」
まったく、とユーディは肩を落とす。
そんな様子に、ウサピィとケセラスは小さくほくそ笑んだ。口は悪いが、ファイが心配でたまらないらしい。
本当に、ファイはいい後輩を持ったものだ。
すると突然、店の扉が勢いよく開いた。ドアベルが甲高い音を上げ、三人分の視線が集まった。
「やぁ、こんな所にいたのか、ケセラスくん」
「支部長こそ、今日は非番なのにどうして?」
扉の前には、少しばかりお腹の目立つ中年男性が胡散臭い笑顔で立っていた。
そしてそのわきからひょっこりと頭を出したのが、
「調度良いわ、ユーディさんも一緒に来てください!」
シディア達と一緒にいるはずのルチルだ。
「おや、見ない顔がいるね。初めまして、僕はラグトゥダ・マルセライ。魔法ギルドルベール支部の支部長をやっている者だ」
中年男性──ラグトゥダ──はウサピィに一言挨拶をすると、すぐさま二人の魔法使いに視線を移す。
「今日はケセラスくんとユーディくんに仕事の話を持ってきた。特別ボーナスが付くんだが、どうかね?」




