公爵位
「……お嬢様、ヴィータ様がお帰りになるようですが」
「放っておきなさい」
デイジーはため息をつき、ふわふわした羽扇子をパチリと閉じた。
前公爵であった母はジューダスを産んだ時に体調を崩し、数年後に亡くなった。
当時まだ未成年であったデイジーの後見人として、父親が特例で公爵位を継いでいる。
──それも明日までの話。
今夜0時をもって、父親の公爵位はデイジーへと自動的に委譲される。
かなり前から書類が整備されていたので抜かりはない。
(あの二人は裏付けという言葉を知らないのかしら)
父親は元々王弟であるから、アンブロッサム公爵位を委譲してもなんら待遇にかわりはない。
母の死後に再婚したのも違法ではないし、公爵位を譲ったあとは準王族として扱われる。
セーラ夫人も一応貴族として扱われるはずだ。
箱入り息子で世間知らずな父親が唯一良い仕事をしたのはレナを養子にしなかったことだ。
これはデイジーが許さないと言ったからであるが、どうもセーラ夫人には伝わっていないようだ。
本気でレナがアンブロッサムを継げると思っているように見受けられる。
(レナ……来た当初から意味不明なことを言う娘ではあったわね)
セーラ夫人とレナが屋敷で暮らし始めたのは、デイジーが十四歳でジューダスが十二歳の時だ。
レナは確かその時、十三歳だったと思う。
レナはデイジーを見るなり、失礼にも指をさして『悪役令嬢!』と叫んだのだ。
全くもって、意味がわからない。
令嬢なのは事実だが、悪役とは何を指しての悪役だというのか。
悪役令嬢なる単語もその時初めて耳にしたくらいだ。
当然ながら、デイジーは警戒してレナを監視させた。
独り言も多く、暗号文をノートにびっしり書き連ねているレナの行動はデイジーから見たら珍獣そのもの。
王立学園の入学試験に落ちた時も、そんなはずはないと大騒ぎしていたが……勉強もしないで何故入れると思っていたのか、未だに謎のままだ。
結局補欠で入学出来たのだが、不思議なことばかりしている。
何もないところで転ぶ、噴水に落ちる、階段から転がり落ちる……が怪我一つしない。
特に二階から長い階段を落ちた時は圧巻だった。
途中のカーブで止まることなく、最後まで落ちきって無傷。
前年度に数段踏み外した令嬢は骨折したというのに。
運動神経が良いんだか悪いんだか、測りかねる。
無意識に魅了を放っているようだったので、学園と屋敷に魅了無効の置物を置き、出入りの商人経由で魅了封じのアクセサリーを着けさせている。
それはレナが持っているアクセサリーより数段格の良い宝石なので、手放すことは無いだろう。
「やっと帰ったようです」
「そう。ご苦労様」
「それが……次期国王の自分がアンブロッサムに婿入りしてやるんだからと息巻いてらっしゃいまして……」
「ふうん?」
「国王って婿養子になれるのですか」
「なれないわね……」
「あとは、お嬢様がレナ様の教科書を破いたとか制服を破いたとか……」
「そんな悠長で面倒なことするわけないでしょう」
「ですよね……」
ある日突然レナが姿を消す方が手間がないのに、わざわざそんなことをする意味があるのだろうか?
「殿下は坊ちゃまが王城から呼んだ第三騎士団長が連れて帰るようです」
「そのまま結婚させてしまいましょう。教会と伯父様に手紙を書くわ」
デイジーは窓辺を離れ、手紙を書くべく書斎に移動した。
窓辺から見える中庭には、デイジーとジューダスの生母の墓がある。
脳天気な父親が墓石に土下座していたが、きっと母は怒ってはいない。
良くも悪くも父親は無邪気な人なのだ。
侍女が書簡を届けに退室したあと、公爵がデイジーの書斎にやって来た。
「いや、なんか済まんね……?」
「ふふっ、大丈夫よお父様。苦手なお貴族仕事はもうおしまいです」
「ああ、嬉しい……これでマグちゃんとの約束が守れる……」
公爵はぐったりとソファーに座り込み、両手で顔を覆った。
マグちゃんというのは、デイジーとジューダスの生母マグノリアのことである。
魅了でハニトラに引っかかったとはいえ、公爵はマグノリアを間違いなく愛しており貴族としては珍しく恋愛結婚だった。
「セーラ夫人はどうされるんですか」
「うっ」
「先送りにしたから面倒なことになってるんですよ。それに何か盛大な勘違いをさせたまま放置してましたね?」
「うう……」
「憎からず思ってらっしゃる?」
「いや……それが何とも思えんのだよ。嫌いでもないが、好きでもない」
「……魅了が無効になっているので、興味がなくなっていると」
「面目ない……」
デイジーは扇のように広がった睫毛をパチパチとさせ、優雅に微笑んだ。
「明日以降、魅了行使による婚姻無効の手続きを行いますけれど……セーラ夫人に目立った瑕疵はないので、婚姻無効の際は多少お包みしようと思います。お任せいただけますか?」
「任せたい……お願いします……」
公爵はポケットから胃薬を取り出し、屈強なメイドから水を貰って飲み下した。
父親の胃袋は結構限界なのかもしれない。
デイジーは夕飯は消化にいいものを出すよう、料理長に伝言を送った。




