王太子
「入ってもいいわよ」
ノックの音を聞き、弟だと判断したデイジーは砕けた様子で返事をした。
「失礼します、えーと今回の件は……」
「ああ、レナとヴィータ? 前から知ってたわ」
「ええ……? 僕、全然気が付きませんでした」
デイジーはやや不調そうにも見える白皙の美貌を傾け、愁いを帯びた眼差しでジューダスを射た。
蛇に睨まれた蛙のように固まるジューダス。
やがてデイジーは飽きたようにふいっと視線を外し、窓辺を向いた。
「もう、レナとヴィータにアンブロッサム家をあげちゃってもいいんだけど……」
「国王陛下が飛んできちゃいますよ、姉上。アンブロッサムの聖女は唯一無二、今代の姉上がそんなこと言ったら……」
「聖女って言ったってちょっと治癒魔法が使えるだけなのに」
「その『ちょっと』も姉上以外、使えませんから。だからこそ──」
デイジーのたおやかな手が上がり、嫡男であるジューダスは屈強な侍女につまみ出された。
「これは……もしかして姉上は怒……」
父親は当てにならない。
ヴィータの親の伯父は国王だし、先触れもなく訪ねていってホイホイと会えるものでもない。
王太子である従兄弟なら、会えるかもしれない。
ジューダスはため息をついて、馬車の用意を言いつけた。
そしてとぼとぼと王宮の廊下を歩き、王太子が引きこもっている中庭の温室へと向かった。
「おお、ジューダス。今日は浮かない顔をしているなぁ」
大きな葉っぱの影にしゃがみ込んでいる王太子が、まあ入れよと言わんばかりに隣の葉っぱを指さした。
「いつまで葉っぱの下で暮らす気なんですか。もうあなたを毒殺しようとする輩は居ないというのに……」
「だってデイジーがこの葉っぱの下は安全だって……」
「確かにこの葉っぱには聖女の加護がありますけど……あなたが危なかったのは、十年も前の話でしょう」
「政務はやってるぞ。このピンキーの葉っぱの下が落ち着くんだよ、休憩くらい葉っぱの下だっていいだろ」
金髪碧眼、見目麗しい王太子はしゃがみ込んだままそう言った。
「まあいいです……話があって来たんですよ」
「そうか? どうしたんだい」
ジューダスはしゃがんだまま王太子ににじり寄った。
「ヴィータ様が姉上に婚約破棄を突き付けてきまして」
「…………」
「義妹のレナと結婚してアンブロッサムを継ぐ気のようです」
「…………」
「殿下、耳聞こえてます?」
「…………なんで?」
「それは僕の台詞ですよ、殿下」
少年二人は肩を寄せ合い、ひそひそと話始めた。
少し離れたところからメイドが二人をスケッチしていたが、見慣れた光景なので誰も咎めない。
「なんで?」
「いや、僕はそれを聞きに来たんですよ」
「だって、レナはアンブロッサム公爵の娘じゃないよな?」
「はい。連れ子ですし、養子縁組すらしてないので平民です」
「じゃあ、なんで?」
「……ヴィータ様は娘どちらかと結婚すればいいんだろって。姉上は真水だから魚が住めなくて嫌だって」
「……? 真水だから魚が住めない」
「そう言ってました」
「妹は真水じゃないんだな?」
「知りませんよそんなの」
「ふむ」
王太子は葉っぱの下で少し姿勢を変え、呟いた。
「ヴィータは思い込みが激しいんだよな。一昨日父上に叱られたばかりなのに」
「伯父上に」
「ほら、ヴィータって俺より二ヶ月早く生まれてるだろう」
「はい」
「先月まで自分が王太子だと思ってたっぽい」
「はい?」
「生まれた時から俺が王太子なんだけどな?」
「知ってますよそんなの」
「…………」
「…………」
紅茶のいい香りとともに、お菓子の用意が整い少年二人はいそいそと簡易テーブルへ向かった。
何故か向かい合わせではなく隣に座らされたが、これはメイドがスケッチするための構図なので文句は言えない。
幼い頃からこうなので、もう好きにしてくれというのが少年二人の見解である。
「ヴィータの母親がそう言って育ててたみたいでさ」
「あー……偽ピンキーの君が」
「ブフッ、ジューダス不敬だぞ」
ヴィータの母親は桃色の髪をしており、学生時代にピンクの君と呼ばれていた。
が、いつの間にかピンキーの君と呼ばれていたらしい。
男爵家の庶子で、正妃にはなれなかったし側室資格にも引っかからず。
愛妾として王宮の離れに住んでいたが男児をいち早く産んだので、例外で側妃に昇格した。
つまり、その息子のヴィータの王位継承権は限りなく低いはずだ。
王太子とジューダスが偽ピンキーと呼んでいるのは、ピンキーと深い関わりがある初代聖女の目と髪の色は黒かったと知っているからだ。
と言うか、絵本でも黒髪であるから国民なら知っているはずなのだ。
「初代聖女は確かに──聖女がピンキーと呼んでた精霊と懇意だったけど……なぁ?」
「まさか偽ピンキーと髪色が似てるからレナを聖女だと思ってるとか?」
二人は顔を見合わせ、首を振った。
「まさか」
「いや、でもヴィータだしな……王子って俺とヴィータだけだし」
王太子が政務に戻っていったあと、ジューダスは一人スコーンを頬張りながら考え込んだ。
(結局、何もわかっていないじゃないか)
そもそも、名前が良くなかった。
偽ピンキーが産んだ第一王子をヴィータと名付けた国王は、二ヶ月後に正妃が産んだのも男児という事実に焦ったらしい。
正妃の実家は大国の王家。
その後ろ盾は強く、王は絶対に正妃の機嫌を損ねたくなかったのだろう。
この国では風のことをヴィータと発音する。
強い風はゼヴィータ、もっと強い風はゼルヴィータ。
国王はその法則に則り、第二王子をゼルヴィータと名付け王太子とした。
似た名前は混乱を呼ぶというのに。




