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最終話 逆転の赤面そして未来へ

 死に場所などどこでも良かったのだが、元の世界で一人暮らしをしていたアパートがもしもあるならそこが一番落ち着くかなと思い、渋谷方面へよたよたと歩いた。

 頭上を、闇が覆った。

 見上げれば空に人喰イの群れが押し寄せていた。乳白色の目が無数に見えた。

 僕に気付いていないのか無視しているのか、群れは新宿コロニーを目指しているようだ。

 その空の遥か彼方には乳白色の満月が不気味に浮かんでいた。

 いったいいつの時代からそうやって地球を見下ろしていたのだろうか。


 それを僕は、崩壊した地上からひとりぼんやり眺めた。

 もはや恐いとも、気持ち悪いとも思わなかった。

 この並行世界に来る以前から、絶望なんてものは身近にあったじゃないか。僕はそいつを受け入れて暮らしていたはずだ。今さら震えるようなものじゃない。


 しばらく歩くと、景色に見覚えのあることに気付いた。

 シャフトを切断され、いびつに折れ曲がった軽トラックが横転したままそこにあった。

 僕がこの世界に転移してきたあの場所であり、(れん)との出会いの場所でもあった。


 記憶が鮮明に噴出した。


 軽トラからキレながら降りてきた恋。しかし怒りながらも僕の怪我を心配しているのは明らかだった。

 初めてのビームを僕は全身で受けた。

 それはとても温かかった。

 屋上でハトと戯れる恋を見て可愛いと思った。


 思い出せば思い出すほど、胸の中に穴が開いているのを感じた。

 穴の暗さが毒のように全身に広がった。


 立っていられない。

 思わず膝をついた。

 なんだ?

 どういう感情だこれは。


「……恋」


 名前をつぶやいた途端、溢れ出た。


「うわああああ……!」


 泣いた。親を亡くしても泣かなかった僕が、たがが外れたように泣いた。

 記憶の中の恋が次々頭に浮かんだ。

 どの恋も笑っている。

春人(はると)! 踊ろ!」声まで聞こえてきた。

 そのたびに涙があふれ、声を大きくしてまた泣いた。

 嫌われたから、出ていけと言われたから、なにより、人喰イの女王を倒せないとわかったから、皆殺しにされるのが時間の問題だとわかったから、心が乱れるのは当然といえば当然だ。


 だが、それにしても悲しすぎるのである。

 なぜだ。

 答えは明白だった。


 胸の奥に何かが灯った。

 いや、ずっと前から灯っていたそれに今やっと気付いたのだ。


 目をそらしていた感情が血流に乗った。


「恋!」


 新宿を振り返って叫び、地面を蹴った。


 だが。僕の身体は外傷や打撲、捻挫でぼろぼろだった。

 もう脚がいうことをきかない。

 上空を進軍する人喰イの方が断然速いじゃないか。


 バカか!

 なんで恋から離れた!

 あのままそばにいるべきだった!


「くっそおおおおお!」


 後悔の念に思わず叫んだ。

 そのとき、正面に灯りがひとつ見えた。

 まっすぐこっちに向かってくる。

 こんな時に人喰イかと思ったら、なんと玉虫だった。

 光っていたのはバイクのヘッドライトだ。


「よう春人」


 玉虫は僕の横で後輪だけを滑らせて器用に向きを反転させると、排気量1000㎤、直列4気筒の重厚なエンジン音を響かせながらドヤ顔で笑った。


「本当は恋ちゃんと二ケツ予定だったんだけどな。おまえで我慢しといてやるよ」


 まさかこいつがこんなに格好良く見えてしまうとは。「誰なんだよ」と笑いながら後ろに跨がると玉虫は「(こい)のキューピッドじゃい!」と叫んでアクセルを全開にした。

 この世界に速度規制などない。加えて玉虫の運転技術は相当なものだった。瓦礫だらけの道をときにすり抜け、ときに飛び越え、爆音を轟かせてあっというまに新宿コロニーに到着した。

 見上げれば、空は人喰イの群れによって完全に覆い尽くされたところだった。

 そして地上には、なんと、300人ほどの居住者全員が勢揃いしていた。

 夏村さんが腹を叩きながら笑った。


「いやあ、避難するよりここで見たいって、みんなが言うんだよ」

「見たい? 何を」


 小学生トリオの将、明、未来が口を揃えて答えた。


「あいつらをやっつけるところを、だよ!」


 監視員の名倉さんも双眼鏡を手に持って微笑んだ。ギターの名手奥野さんもいる。焼き鳥大好きの阿久津さんも。

 そして自称17歳の伝野さんがにやにやしながら言った。「(れん)ちゃんは屋上よ」


「はい!」


 僕はそう返事をして、階段を駆け上がった。

 バイクのエンジンの熱で身体が暖まったおかげだろうか、それともみんなの応援のおかげだろうか、あるいは、これを上がれば恋に会えるという嬉しさのせいだろうか、役立たずだった脚が蘇った。

 

 一気に屋上に出た。そこには。


 恋がいた。


 無数の人喰イが蠢く暗い空の下でひとり、両腕で抱えた膝に顔を埋めていた。


「恋」


 そっと声をかけた。


 恋は僕を見ると、よろよろと立ち上がりながら情けない顔で泣き出した。「えぐ……うぐ……春人ぉ~」おずおずと両手を広げた。


 僕は走り込んで恋を力一杯抱きしめた。

 片手は恋の細い腰を、もう片手は小さめの頭を引き寄せた。恋は両腕を僕の背中に回してしがみついてきた。

 暖かさと柔らかさ、心臓の鼓動すら感じながら、僕は叫んだ。


「恋! 好きだ!」


 自分の頬が赤く染まるのを自覚した。そして異変が起きた。

 身体の中で何かが音を立てて起動した。

 顔から明るい緑色の炎が燃え上がり、集束して目映い輝きとなった。

 実は恋に人工呼吸をしたとき、設計図が体内に流れ込んでくる感触があった。赤面ビームの素養が僕にもあったのだ。だから先生は僕にキスしようとしたのだ。

 赤面の炎の色はてっきりピンクしかないと思っていたが、どうやら個人差があるらしい。


「私も! 春人大好き!」


 恋も赤面し、こちらはいつものようにピンク色に輝いた。いや、色こそいつもどおりだがとてつもなく明るい。

 互いに同じ気持ちだった。たくさん謝りたかったし、感謝もしたかった。いろんな思いが胸の中にあったが、今はただ最大の気持ちを伝えることに精一杯だった。


「好きだ恋! 大好きだ!」


 恋もかぶせてきた。


「春人好き! 私も大好き! 好き好き好きーッ!」


 ふたりが放つダブル赤面ビームが渦を巻き、輝きをどんどん増していくのがわかる。

 だが足りない。何度言っても伝えきれない。

 上空の人喰イを次々撃破してもいたが、とにかくやつらの数が多すぎて押し返すには至っていない。逆に人喰イが襲撃の圧力を上げて、殺意そのもののような形状の超巨大触腕を無数に構え、全方位から突進してきた。


 決着の瞬間だ。


 伝えきれないもどかしさに、僕と恋は言葉をあきらめて見つめ合った。

 恋の長い髪が光の中で踊っていた。

 睫毛を濡らしたまま恋が微笑んだ。

 そして。


 どちらからともなく唇を重ねた。


 大地を揺るがして光が爆発した。爆発は関東全域を呑み込んだ。


 突進してきた人喰イの大群が瞬時に蒸発し、空が金色の火花で埋め尽くされた。


 だが、まだだ。まだ終われない。月の裏側に女王が潜んでいる。撃破不可能だと一度は思ったが。


「僕にアイデアがある」

「私も」


 見つめ合ってふたり同時に叫んだ。


「結婚しよう!」


 キスして固く抱きしめ合った。


 頭の中で何かが弾けた。

 意識が空間と同調し、脳が直接世界を俯瞰した。

 新宿を中心にした球状の光が膨張し、すべてを呑み込んでいった。西は中国、東はアメリカを超え、あっというまに地球をまるごと輝きの内側にした。まるで小さな太陽だ。世界各地を横行闊歩していた無数の人喰イはこの瞬間にすべて灰と化した。

 やがて光はふたりが狙いを定めたその一点に向けて集束し、輝度を高めていった。


 宇宙を照らすほどの輝きとなった光の弾丸が、次の瞬間。


 38万キロ彼方の月を撃ち抜いた。


 月の裏側にいた女王人喰イの乳白色の目が愕然と見開かれ、絶望に震えて激しく痙攣している。そして断末魔の絶叫とともに大爆発を起こした。超巨大な花火が月を中心に咲き、宇宙を彩った。


 未来が見えた。


 遮光カーテンは取り外され、薄いレースのカーテンが風に揺れていた。


 夜でも室内を明るく照らすことができた。


 自由に散歩できたし、外でパーティーを開くこともできた。


 音楽も存分に楽しめた。


 庭の樹に鳩が巣を作っていた。


 恋は赤ちゃんを胸に抱き、優しく笑っていた。


 すべてが終わっても僕と恋はまだ見つめ合っていた。


 夜が明けようとしていた。

 真っ白な灰が雪のように降り積もってゆく。


 僕と恋は無言のまま微笑んで、もう一度優しくキスをした。


 手をつないで地上に下りると、朝の光を浴びながら、300人の居住者が小躍りしながら待ち構えていた。

 大歓声と大きな拍手でもみくちゃにされた。


「いいぞ!」

「よくやってくれた!」

「おまえらふたりとも救世主だ!」


 お祭り騒ぎの集団の中にひとりだけ、まっすぐ静かに立って僕らを見つめる人がいた。

 神崎先生だった。

 白衣を着たその姿はいつもどおりで、もう眼帯はつけていない。


 美しかった。


 僕を見て嬉しそうに微笑むと、先生は消えてしまった。


 心の中で「ありがとうございました」とお礼を伝えたとき、玉虫の体当たりを食らってよろめいた。


「ちくしょう眩しくて全然見えなかったぞこの野郎! 何してやがったんだ屋上で!」


 ちくしょうと言いながらも満面の笑みだ。恋が少し照れながら「何もしてないわよ」と言い返した。僕は黙って笑うだけにしておいた。

 玉虫の後ろから、自称17歳の伝野さんがやってきた。

 上から目線で謎の微笑を浮かべている。


「恋ちゃんさあ」


 アナウンサーばりの美声で指摘してきた。


「ジーパン、うらおもて逆よ」


 特大の赤面ビームが、いつまでも世界を輝かせた。

ありがとうございました。

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