53ストーカー
「ということで、お勉強がしんどくて頭が爆発しそうなこの頃だけど、家庭環境はいい感じにまとまってきてるよ」
話し終えたわたしは、両手でもったグラスをかたむける。
テーブルを挟んだ目の前に座っているのはカイン。
定例の、週一飲み会の真っ最中に、近況を話しているところだ。
今日用意してくれたのは大麦酒。
つまりウイスキーで、香りもアルコール度も強めだ。
燻製チーズと燻製ナッツがおともで、スモーキーな香りが鼻から抜けていく。
「嬉しそうだな」
私の、酔いだけではないご機嫌具合に気づいたらしい。
「そりゃあね」
抑えようとしても、このにやにやと口元が緩むのはとめられないよ。
私は家族仲良しな光景が見られる毎日が、嬉しくて仕方がないのだ。
「上手くいったならよかった」
「うん。……それでね? お願いというか、サラサさんに頼まれたんだけど」
「私に?」
「うーん……カインにってわけじゃないけど、カインに頼むのが早いかなって思って……」
「言ってみろ」
「サラサさんが、ダンさんに会いたいって言うの。ちゃんと話をして終わらせたいって。面会依頼出すけれど、基本的に家族しかだめなんでしょう?」
ダンさんの家族は遠方に住んでいて、面会するような相手は今の所いないらしい。
なのでこう…、王子のひと声でどうにかならないかと考えたのだけど、やっぱり規則違反になってしまうのだろうか。
カインに悪いことをさせたいわけではないので、無理を通すつもりはない。
「やっぱり難しいかな」
「いや、実はこちらから、ダンの収容場所に来てもらうように頼もうと思っていたんだ」
「え、そうなの?」
「あぁ、シンシアも一緒にな」
「私も?」
サラサさんはともかく、私はダンさんとはなんの関係もないのに。
どうしてかと訊ねると、カインは真剣な目になって教えてくれた。
「どうやらダンには悪霊のたぐいが憑いているようだ」
「は? 悪霊? ……が、ダンさんについてるの?」
「あぁ。なかなか手ごわい奴のようで、並みの光魔法では浄化できなくてな。ダンの憎悪の心を養分にしているようなので、まずダンの体と悪霊を引き剥がしてから浄化か封印を施さなくては、まともな尋問もままならない」
「ほ、ほーう。なるほどなるほど」
あまりに当たり前のように話しているから、この世界で『悪霊』というものは一般的なのだろう。
みんなが知っているのに私だけが知らないという無知っぷりをさらすのはちょっと悔しいので、とりあえずここは相づちをうっておく。完全なる知ったかぶりだ。
魔法ばかりでなく悪霊まで存在しているなんて、まったくこの世界はファンタジーだなぁ。
「そこでだ。サラサに悪霊に飲み込まれそうになっているダンの意識に呼びかけてほしい。引き剥がしやすくするんだ」
「確かに、それはサラサさんが適役だね」
悪霊を引きはがすとかはよく分からないけれど、とにかくダンさんの心を動かして、取り憑いてる悪霊から引きはがすためにはその方がいいらしい。
ダンさんに会いたいと言うサラサさんのお願いも叶う。
「それで、どうして私も一緒にということになるの?」
「その悪霊が……ダンを通してだが、シンシアを寄こせと言いつづけているからだ」
「っ……」
ひゅっと、喉が鳴った。
「正しくは竜妃の名を呼び続けているが、あの時の子竜をとも同時に言っているから、シンシアを指しているのだと思って間違いない」
「それって……」
私と同じ人になる能力を持った、竜妃と呼ばれた竜を探してるらしい悪霊。
その悪霊は私と竜妃をどうやら間違えているらしい。
彼女を探す人として思い当たるのは、竜妃に執着して監禁していた古の王のこと。
私は夢の中で見た、鎖でつながれた額に竜石をもった女性の姿を思い出して、胸の奥が重くなった。
あの涙を思い出すときゅうっと切なくて息が苦しくなる。
カインも苦々しい顔をしているから、間違いなく、ダンさんについている悪霊は歴史から抹殺されて存在さえ秘されていると言う古の王のことなのだろう。
「書物を調べて、墓を探して調べてきたんだ。……大昔の人間だ。すでに成仏してくれていたなら本当に何もないはずだった。だが……つい最近までそこに巣くっていたのだろう悪しき魂の禍々しい魂の残痕だけがそこにはあった」
「うわぁ」
つまり竜妃のストーカーだった大昔の王様の霊が、私を彼女だと勘違いして狙っているってわけか。
ダンさんがこの間私を浚おうとしたのも、悪霊が彼の身体を動かしてのことというわけのようだ。
どこの世界も粘着質な人間のしつこさは気持ち悪くて怖い。
近付きたくない部類の人が、自分を探して彷徨っているって……嫌だなぁ。
私にはなんの力もない。
魔法も使えなかったし、腕力もなく、誰かからの暴力に対抗できる術がないのだ。
「シンシア」
「……」
大きなソファに座っている私の足は床に届いていない。
ぶらぶら足を揺らしつつ、グラスを手にご機嫌だったが、いつの間にかそれも止まって身を縮めてしまっていたらしい。
「シンシア、平気か?」
気づくと、いつの間にかテーブルを挟んでいたはずのカインがすぐ傍に立っていた。
「カイン……?」
首をかしげる私の前で彼は膝をつき、私の顔を覗き込んでくる。
さらりと前髪をはらわれた。
「平気かと聞いている」
「……平気だよ」
平気だよ。大丈夫。
だからそんなに心配そうな顔をしないで。
カインの手が私の頭を撫でていく。
カインに安心して欲しくて思いっきり笑顔をつくった。……なのに、どうしてか余計に心配そうな表情が深まってしまった。
「牢には悪霊対策の結界が幾重にも張り巡らされている。もちろん私も傍についている。他にも何人も闇に対抗できる光の祝福をもつ神官たちを配置する。必ず守ると約束する……どうか手を貸して貰えないか」
「……もちろん」
真剣な目で見つめられて「必ず守る」なんて格好いいことを言ってくれるカインは、本当に困っているのだろう。
きっと王子として、今回のことを解決するための役割と責務をもたされている。
そして人を動かす立場の彼は、適した人材がいれば使わなければならない。
見知らぬストーカーな悪霊に、竜違いで執着されて怖い思いももちろんあるけれど、それでもこの世界で唯一の対等な友人に手を貸したいから。
断わるなんてないよ。大丈夫。平気だよ。
……なんだか少し昏い空気になっちゃったので、私は空気を変えるためにことさら明るい声をだす。
「まぁそれはそれとして。ところでカインに聞きたかったんだけど、この間、夜中にうちに来た?」
「なんのことだ?」
「うーん……夢だったのかも?」
「そうだな、夢だな」
真実は良く分からないけれど、そういう事にしておこう。