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ツマにもなりゃしない小噺集  作者: 麻戸 槊來
盲目的なハイカラ猪
92/132

カフェの常連さん


カランコロンと昔ながらのベルが鳴り、この喫茶店のマスターが帰ってきた。

お客様は少なく、一人のご老人と女子大生くらいしかいない。平日の昼過ぎなどいつもこんなもので、何ら珍しくない光景だ。ここのマスターのコーヒーに惚れ込んで雇ってもらえたはいいが、有名チェーン店をやめた二年前は、早まったかと焦ったものだ。今では、味にうるさい常連客にも、自信を持ってお出しできるコーヒーを淹れられるようになったと自負している。


まぁ、そうはいっても都内とはいえ大通りからは離れているし、休日の昼間ですら満席になることはまばらという喫茶店だ。こぽこぽと静かな店内に響くコーヒーを淹れる音や、控えめに聞こえるジャズは俺も選ばせてもらえて、微かな楽しみになっている。


家の店では、トーストなどの軽食やケーキから紅茶、バナナミルクジュースに至るまで色々なものを扱っているが、一番のおすすめはもちろんコーヒーだ。


値段も、チェーン店に比べると割高だが、本物の味を求める紳士淑女には「少し安すぎるんじゃないか?」なんて言われる良心的な店だ。それもこれも、この店のマスターが趣味で開いた金儲けは度外視した点と、「本当の味を知ってほしい」という考えからだろう。


「今、帰ったよ。一人で任せてすまなかったね」


「お帰りなさい、マスター」


俺は内心ホッとしつつ、グラスを拭く手を止めた。

必要以上に熱中していたのか、手元にはいくつもの磨かれたグラスが並んでいた。それを見たマスターが一瞬目を見開いた気がしたが、気のせいだろうか。次の瞬間には黒いエプロンをつけ、窓際近くの常連客まで挨拶へ行く。


「何時もの席には、座らなかったのかい?」


マスターがそんな声をかけると、今までの愛想のなさが嘘のようにはにかんだ笑みを浮かべる。彼女は常連客の一人であり、ここでアルバイトとして雇っているレイという女子大生の同級生だ。葵は定期的に店へ訪れては、コーヒーを味わい帰っていく。


ーーー俺はどうやら、彼女に嫌われているらしい。

綺麗な瞳に、黒いストレートの髪。高い位置で一つに縛られたそれは、まるで彼女のまっすぐな心根を表しているようで、自らのこれまでを思い出して「あんなに綺麗な子なのだから、嫌われてもしょうがないかぁ」と即納得した。


なにせ、今でこそ真面目にやっているつもりだが、彼女と同じくらいの年齢の頃はそりゃあ酷いものだった。名前も知らない他校の女の子と付き合ったこともあるし、興味本位で年上のお姉さまに相手してもらったこともある。きちんと告白されて短い交際をしていたのはまだマシな方で、そのほとんどは遊びともいえない一時の関係だった。



決して人様に誇れる生活をしてこなかった俺だが、ここのバリスタとしてはそれなりに真面目にやってきた。だからこそ、彼女も俺しかいないと分かって尚、席についてくれるのだろうが。正直、マスターにはかなわないことは分かっているが、ここまで顕著に嫌がられると自信もなくなるというものだ。結局その日も、俺がいれたバナナジュースを一気に飲みほした後、マスターのコーヒーを味わい帰った。




本音を言えば、マスターのお気に入りであり、五歳以上年下相手に悪意を持って接した記憶もない。だから何が、彼女にここまでさせるのかわからない。


普段なら「俺のことが苦手なら、すぐにドアを開けて出て行けばいいのに」とでも思っていた。それなのに、さすがに同僚の友だちであり、可愛らしい娘さんに嫌われるのはつらいのか。何時も彼女が来るたびに、こっそりドキドキしている自分がいる。何より、葵はマスターも認める舌を持つ少女だ。バリスタとしても、彼女に認められたい気持ちはある。

今日だって、「そろそろ葵が来る時間だ」と考えていた所にベルが鳴り、びくりと体を震わせた。


「いらっしゃいませ」


「あら。マスター、お久しぶりですね」


「おや、卯月きさらぎさん。一人でいらっしゃるなんて、珍しいですね」


「えぇ。今日は友だちとこの近くで観劇でもしましょうって、待ち合わせしているの」


思わず、その声と苗字に反応する。

まるで葵が年を重ねたかのような声に、つい要らぬ想像を働かせてしまう。落ち着いた物腰や、ストレートの髪質が余計彼女を思い出させる。


「ほら、一弥(かずや)くん。葵ちゃんのお母さんだよ」


「えっ……?」


「あら、やっぱり貴女が例の一弥さんだったのね」


……やっぱり?

『例の』とは、何のことだろうか。


ひたすら疑問符を並べる俺をおいて、二人の会話は続けられる。正直、お客様との会話に割り込むなんて失礼極まりないし、仮にも商売人の端くれ。そんな無礼は働けない。ジリジリと焦れながら、二人の話に割り込む瞬間を待つ。


「マスター。卯月さんにも新作のコーヒー豆を、味わって頂いてはどうですか?」


「ん?ああ、そうだね。葵ちゃんと似た素晴らしい舌を持つお母さんなら、ぜひ頼みたいね。女性向けに好まれるコーヒーになったと思うので、試飲していただけますかな?」


「まぁ、嬉しい。マスターのコーヒーを飲めると、楽しみにしていたから喜んで」


「では、失礼して」と、奥へ豆を取りに行ったマスターの目を盗んで、葵の母親に近寄る。葵に嫌われていいるだろう俺が、どんな風に語られているのか気になった。すぐに俺の視線に気づいた母親は、愛想よく笑いかけてくる。


「毎回、あの子がうるさく騒ぎ立てたりしませんか?もしお手を煩わすようでしたら、私から釘を刺すので行ってくださいね」


「いえいえ。他の常連と比べると、遠慮しすぎるほどですよ」


「まぁ。家では何かと騒がしいのに、こんな格好いい人を前にするとさすがに大人しくなっちゃうのかしら」


「ははっ、だったら嬉しいんですけどね」


「あら、他になにか?」


「……葵ちゃんには贔屓にしてもらっているんですが、いまいち彼女の好みの味を出せないようで、マスターがいないとあからさまにがっかりされてしまうんですよ」


それを着た葵の母親は、一瞬目を丸くきょとんとした後に、コロコロと笑いだした。

その笑い方に葵を刹那重ねて、直接向けられたことのない笑顔を見た気がして変な動悸を覚える。彼女には一度だって、こんな風に笑いかけてもらったことはない。いつも『誰かに』向けられた顔を、横目でみるだけで。俺相手にするつんっと子猫がお澄まししているような表情も嫌いではないのだが、やっぱり笑顔には叶わなくてつい目が追ってしまう。


「あの子、何時も貴方のこと話しているんですよ」


「―――へっ?」


正直、一瞬何を言われたのか、理解できないでいた。

だって、彼女が俺のことを家族に話していることも意外なら、褒めてくれているだなんて想像もつかなかった。

いっそ、確かな舌を持った彼女に褒められたくて、意地になっていたと言ってもいいくらいなのに、にわかには信じがたい。


「いや、だって、彼女は……」


何時だって俺の前には座ってくれなくて、自慢の腕を披露させてもくれない。

いつもニコニコ、機嫌よくしているおしゃべりだって鳴りを潜め、ゆったり本を読んでいるだけ。彼女のお母さんが嘘を吐いたとは考えられないが、何かの間違いだろうと忘れることにした。






梅雨が明け、一気に日差しが強くなってきた。

あまりの暑さにぐったりし、マスターも体調が思わしくないらしい。常連客はホットコーヒー派が多いのに、アイスコーヒーの注文が途端に増えた。


マスターは豆はもちろん、コーヒーの種類に合わせて水の産地も返る本格派で、使う氷にも厳しい決まりがある。いつもお茶のおともに一口サイズの茶うけを、お客様にお出ししている。それはクッキーだったり、小さなラスクだったりするのだが、暑くなってくると塩気の強いクラッカーなんかをお出しすることもある。マスターの気分や、仕入れ状況で変更したりするのだが、今日は早々に「レイちゃんと君に任せるよ」なんて引っ込んでしまった。


今日はバイトのレイが来ると分かっていたから、端からその気だったのだろう。

レイが顔を見せた途端に、最近仲良くしている未亡人のマダムと連絡を取り合っていた。


「あーあ、今日は葵がマスターのアイスコーヒー飲みに来るんだって、楽しみにしていたのに」


「―――それは、俺の作るコーヒーは飲めないってことかな?」


思わず低くなった声は、この暑さのせいだけじゃなかった。

正直、以前に葵の母親がいった言葉を、心のどこかで期待していた。……とても、期待していた。


何せ、初めてこの店を訪れた時から、その笑顔や話し方に好感を持っていた。

それが徐々に、レイやマスターとする会話の端々で好感が、好意に変わりつつある。そんな中で、あのセリフだ。「きっと半人前の俺を、認めたくないんだろう」と思っていたから、実は俺に気があって、意識していた結果かもしれないなんて嬉しかった。


「もしかしたらって、……期待した俺が馬鹿だった」


葵の母親が来た翌日こそ雰囲気がおかしかったが、それだけだった。

振る舞いは何時もと変わらないし、時々こちらを窺ってくる瞳は何も語らなかった。


「やだ。一弥さんのコーヒーを、どれだけの人が飲みに来ていると思っているんですか」


「常連客はみんな、マスターの味と俺の味を見分けるから」


「そんなこと言っても、みんな『少し若いけど、いい味だ』って、喜んで飲んでいるじゃないですか」


「でも葵ちゃんは、一度も俺のコーヒーを飲んでくれたことない」


「えー、自信持っていいと思いますよ?」


「レイちゃんは、紅茶派だからね」


「えぇ。一弥さんの砂糖たっぷりミルクティーは、高級感があって好きです」


胸を張って語られた内容は、何ら慰めにならなかった。

コーヒーを売りにした喫茶店で、紅茶を褒められている俺は何なのだろうかと肩を落とす。


「あっ、いらっしゃーい」


カラコロとベルが鳴り、思い浮かべていた人が訪れ息を飲む。


「ごめんね、葵。今日はマスター、マダムとかき氷デートだって」


「えっ、そうなの?」


「うん、だから今日はバナナジュースでいいよね?」


「あーどうしよう。今日はアイスコーヒーの気分だったのに」


「じゃあ、願掛け止めて一弥さんのコーヒー飲んじゃう?」


「願掛け……?」


「あっ、馬鹿レイっ!」


みるみる内に赤く染まる顔を、不思議な気持ちで見つめていた。

俺の考えが古くなければ、『願掛け』とは何か叶えたい願いがある人間が、何かを続けて行ったり、好きなものを断つという認識だ。ますます意味が分からなくなった俺を、あざ笑うかのようにレイは腹を抱え笑っている。


「葵ったら、マスターのコーヒーが大好きで、一弥さんが働き始める前からこの店に通いこんで、『弟子にしてくれっ』てお願いしてたんですよ」


「へっ?」


まさかの言葉に混乱して、葵の顔を見るが否定する様子はない。


「それなのに、一弥さんが先にマスターに弟子入りしちゃったから、『自分もマスターに雇ってもらえるまで、一弥さんのコーヒーは飲まないっ』て言ってるんです」


「……だって、私の方がマスターの味に惚れ込んでいるのに」


「碧の場合は、自分が淹れるコーヒーより、一弥さんが淹れた物の方が美味しかったらいやだからって言うのもあるでしょう?」


くすくす笑うレイと、仏頂面の葵を見比べて唖然とする。

どうやら俺は、気になる女の子にライバル認定されているらしい。思ってもみなかった展開に、こっそり頭を抱えた俺は、決して悪くないと思う。





次話は、鬼と恐れられる男と、その家族が幸せに暮らす話です。

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