シュガーの責め苦
今年もお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いします。
確認が甘い状態ですが、今は時間がなかなか取れないので後程直させていただきます。
カシャカシャ音を立てながら、キッチンで一人作業をする。
今日は年末ということもあり大学の講義も午前のみで、珍しくバイトも入れてなかった。それでは彼女とデートでもしようと思ったのだが、どうやら彼女の方は講義があるらしく夕方近くに逢うことになっている。
それまで仕上げなければならないレポートもなかった俺は、余った数時間を実家へ戻って作業することを数日前に決意したのだ。
彼女とはあちらが高校生で、俺が大学に入りたての頃に出逢った。
サークルの合宿でたまたま泊まりに行った先で、どうやら彼女の方も合宿していたらしい。宿泊先のホテルが同じで、お互いに男女に分かれて雑魚寝なのが不満だの、車がないとどこにも行けないだのいろいろ共通の話題も多かった。彼女はしっかりしていて、子どもっぽく思える言動もなく好印象。
話しているうちに、俺の実家が彼女の狙っている大学から近いと知り、さらに話が弾んだ。
みんなが思い思いに過ごすなか、大広間の端へ腰かける。
もう少し一緒にいたくて、出来れば連絡先をゲットできればという出来心も確かにあった。
「俺、友達があそこに行ったし、何度も文化祭なんかで中にも入っているよ」
「えっ、本当ですか?」
「うん。興味あるなら案内してあげようか?」
どちらかと言えばきつそうな印象の彼女が、思わず身を乗り出して話を聞いてくれるのが嬉しくて調子に乗った。今思い起こしてみれば、雪が降りつくられたかのようなロマンスあふれる状況に、俺自身酔わされていたのだろう。口にしてからすぐに、引かれて表情が変わることも覚悟していたのだが、彼女は予想外に微笑みを返してきた。
「よろしくお願いします」
「えっ……」
連絡先を交換しても信じられず、何度も本当にいいのかと聞いたが、はにかみ笑う彼女の表情が曇ることは最後までなかった。それから実際に大学へ一緒に行き、「どうせなら、俺の大学も近いし見に行く?」なんて、誘い文句で約束を取り付け今に至る。結局彼女は志望通りの大学へ進み、俺は彼氏の座に収まることができた。
付き合いだしたばかりの頃は、まさかこんな事になるとは思いもしなかった。
「あら、まぁたデザート作っているの?」
目の端に、嬉しそうに笑いをかみ殺している母親をみながら無言を貫く。
こちらは甘ったるい匂いに包まれている状態から、一刻でも早く逃れたいのだ。手は作業の途中でついた砂糖でべたべたしているし、完成までにしなければいけないことは山ほどあって、思わず眉間にしわを寄せる。
マスクをしているのに、まだ甘ったるい香りがキッチンを満たす。
数年前に改装したばかりのキッチンは、オープン式のものだというのに、換気扇を回しても菓子の香りを防げそうもない。口に入れたミントタブレットは、さわやかな気持ちになる所か、鼻の通りをよくしてしまい逆効果だった。
「美味しそうにできているのに、どうしてそんなに眉間に皺寄せてるのよ」
あっ、毎度のことか!なんて、ころころ笑いながら母親は部屋を出ていく。
まったく、こちらはどんな気持ちで作っていると思っているんだと、文句の一つも言いたくなるが。いろいろな道具がそろっている実家のキッチンを追い出されるわけにはいかないので、気休めにかけた伊達メガネを押し上げる。
少しでも甘いものと距離を持とうとかけ始めたのだが、ふとした拍子に生地やクリームをかき混ぜていると跳ねたりするので、菓子を作るときは手放せなくなった。
「自分からはキッチンへ寄りつかなかったのに、相当│朱音ちゃんの事が好きなのね」
「うるさいなっ。後で持っていくから、出来るまで集中させてくれよ」
照れ交じりに、声を荒げた。
だが、マスク越しに喚いたところで迫力など出る訳もなく、母親はくすくす笑いながら部屋を出ていく。俺の甘いもの嫌いを憂いていた母親は、彼女が甘党だと知ったとき│殊の外喜んだ。以前たまたま近くのショッピングセンターで出くわした時のはしゃぎようは、それこそこちらが驚くほどだった。別にキャーキャー年甲斐もなく騒ぎ立てていた訳ではないのだが……その眼は輝き、頬は紅潮し。顔は喜色を隠せていなかった。
何せ、俺が嫌いで近寄ることすらしなかった有名なチョコレート専門店で、買い物する列に並んでいたのだ。―――あの時は、彼女と付き合ってしばらく経った頃だった。
買い物の合間に少し休憩を取ろうという話になって、俺は珈琲チェーン店を指定したというのに「じゃあ、私はチョコレートドリンクを買っていきたい」なんて言葉にうなずいたが最後。店の前を通るのも勘弁してほしいのに、わざわざ長い列に並ぶことになってしまった。
「さっきまで寒いと言ってなかったか」
皆がこの寒いなか買おうとしているのは、氷の入った甘ったるい飲み物だと思うと、他人事ながらうんざりする。彼女と付き合い始めてからかかせなくなった、ミントタブレットを思わず噛み砕く。そんな複雑な心境を知る由もなく、朱音はかわいらしく小首をかしげる。
「飲みたくなったから、いいの」
「……そもそも、チョコレートを飲んで喉は潤うのか?」
「これはアイスとかと同じくくりで、味を楽しむために買うの」
そんな風に微笑まれてしまったら、常備しているマスクで顔を覆うしかない。
何とか厳しくなる眉間のしわをのばそうとするが、俺の甘味嫌いを知っている彼女は「わざわざ、私に付き合って並ばなくてもいいのに」なんて、くすくす笑いっぱなしだった。
甘い物は嫌いでも、普段は澄ました朱音が嬉しそうに菓子をほおばるのを見るのは好きなのだ。そんな彼女を笑顔にするのが俺の嫌いなものだというのは気に入らないが、好きなものは仕方がない。彼女の好みを少しでも知って、『自分で作った菓子で同じ顔を見られればいい』と涙を飲んで列へ並んでいた。
今となっては、見るだけで胸焼けしそうなレシピ集が、勝手におすすめ検索で出てくる。自分で登録した今後作る予定のレシピをみるのは作る時と、買い物する時だけでも、こういう不意打ちには対処のしようもない。
そんな気持ちも、今となっては母親にバレてしまいばつが悪くてしょうがない。
普段ならしない癖に、どうして菓子を相手取ると朱音はあんなに可愛い表情を見せるのかと、意味もなく悔しくなる。
嬉しそうな母親には悪いが、付き合うなら甘味なんて目も向けないような女にしようと思っていた。
―――それなのに俺が好きになったのは、朱音のような女で。
彼女は間違っても、香りを嗅ぐだけでもうんざりするような甘い菓子を好むタイプではなかったはずなのに。なんてことはない。ふたを開ければ、見た目に反して可愛らしい物や甘いものが好きな、母のような可愛らしいタイプの女だった。
「そもそも、俺が甘いもの嫌いになったのは誰のせいだと思ってるんだ」
思わず、マスク越しにぼそぼそ呟く。
俺が甘いもの嫌いになったのは、間違いなく母親の所為なのだ。
元より菓子作りが趣味だった母親は、妊娠している時にこれでもかというほど菓子を食べまくっていたらしい。「深夜のもう寝ようかという時間帯に、どこそこのケーキが食べたいと言われた時は、本当にどうしようかと思ったよ」なんていうのは、父親の体験談だ。
お気に入りのケーキ屋の菓子を手に入れられなかった父親は、代わりにコンビニをはしごして母親の好みに合う菓子を探し回っていたのだという。何せ、深夜ともなればケーキなどの生ものは品切れしており、数個残っていればラッキーだ。その上、近場のコンビニではケーキが美味しくないから、車を走らせて倍以上の距離があるコンビニへ行けなんて、よく言う事を聞いたものだとわが親ながら呆れてしまう。
そして、出産して味の好みが変わるかと思われた周囲の期待は、見事裏切られることになる。どうやら、慣れない育児と長く好きな菓子作りをできなかった母親は、俺の保育園入園を境に、狂ったように菓子を作り出したのだという。母親本人が食べたいという気持ちはもちろんあるのだが、作る量はそれを軽く上回り。毎日さまざまな形で甘いものを食べさせられた俺は、すっかり甘いものが嫌いになった。
叔母である、甘いもの好きの母の妹だけは「おやつ代が浮いて助かる!」なんて一人喜んでいたようだが。父親は「ストレス発散しているのが分かったから、止めるに止められなかった……」なんて、苦い顔で笑うのだ。朝昼晩とさまざまな形で甘いものを食べさせられそうになり、半年経過したころにようやく、「さすがに勘弁してくれ」と弱音を吐いてひと月のなかで菓子を作ってよい日を決めたのだという。
俺はと言えば、味見をしないで良いかわりに、作業を手伝うように言い渡されていた。
だから、嫌でも作り方は覚えてしまったし、分量や工程を少し確認できれば容易に何種類ものレシピが浮かぶ。初めは手間のかかる泡立てなどを手伝うだけだったのだけれど、次第にそれは型抜きや飾りつけなど多岐にわたった。
甘いもの嫌いの息子と台所に並んで何が楽しいのかと疑問に思うが、「味見すらしてもらえないのだから、少しは参加してよ」なんて言われてしまえばどうしようもない。何せ、菓子作りの好きな母親には散々困らされてきて、時には暴言を吐いた記憶などもある。その時ばかりは習慣となった菓子作りをしない母に疑問を覚え、めずらしく父親に思いっきり怒られたのは苦い記憶として残っている。
あれだけ好きな甘い菓子類を作らなくなったどころか、「さすがにやり過ぎだったわよね」なんて怒りもせず愁傷な様子だったことが、親父の拳よりも堪えた。
「少し余分に、作っておいてよかった」
俺は、味見と罪悪感を紛らわせる目的で、彼女に渡すのとは別に用意するようにしていた。
まぁ、そもそも彼女が甘い物好きでなければ、台所に立つことすらしなかったのだが。菓子作りをサポートする役目を嫌がると、次第に「おこづかいが欲しければ手伝いなさい」なんて、言われるようになって長いこと手伝っていた。
そんな機会が長かったからか、何時しか料理は作れないのに菓子を作る腕はぐんぐん伸びたのだから皮肉なことだ。なぜ料理を作ろうとしなかったのかと言えば、実家の台所は何時でも甘ったるい匂いがしていたからだし。
いざ一人暮らしを始め自炊をしようとしても、大して美味くない野菜炒めくらいしか作ることができないでいる。どうも、自分一人のためにわざわざ料理の腕を磨こうと言う気が起きないのだからしょうがない。ふと、彼女とした会話を思い出す。
「お菓子はこーんなに美味しく作れるのに、変なの」
「いいんだよ、俺は」
飯は、おまえに作ってもらいたいんだから。……なんて、かゆくなる言葉を口で転がした。
世間で言われている通り、男の舌なんて大抵は子どもの頃に食べた味に慣らされているのだ。家で言えば、間違いなくおふくろの味がそれにあたる。だということは、所詮おふくろの味が一番安心するというのは変えようのない事実だ。
だからと言って、彼女の料理は決してまずい訳ではなく。
多少の味付けや肉をはじめとする食材の選択、具材の切り方などに違いこそあれどさしたる不満はない。むしろ母親に作ってもらう時よりも、プレミアム感があるから嬉しいもので。時間のかかる煮込み料理などを作ってもらうことは少なくとも、下手なファミレスよりもよっぽど魅力的だ。
そもそも、俺が苦手な菓子を自ら作って彼女へ食べさせようとしたのは、ほんの些細な喧嘩がきっかけだった。俺はもともとマメなたちではなく、連絡をこちらからはせず、返信もそっけないことがほとんどだ。彼女も携帯依存症というようなたちではないから大丈夫だろうと高をくくっていたのだが、俺はあまりに無頓着過ぎたらしい。
しまいには、他に好きな人間がいるんじゃないか、彼女と別れたいと思っているんじゃないかと疑われてしまった。「しばらく冷静になりたい」なんて連絡のつかなくなった朱音の様子に焦り、片っ端から彼女の周囲へ連絡をかけ、重要なものから眉唾物までのアドバイスをもらったのも記憶に新しい。
「……これ」
はじめは、突然渡した菓子を不審気に見ていたのだが、謝罪の気持ちだと言うとようやく表情を和らげてくれた。
「嫌いって言っていたのに」
「甘いものが嫌いなのは本当だけど、一応食えるはずだから」
気まずく、ぎこちない様子がほんの少し和らいだのを肌で感じる。
正直、自分一人で菓子を作ったのは初めてだから、出来上がったものが喜ばれる品なのか自信がなかった。味見をしようにも、甘いということや舌触り程度しかわからず。見た目だけでもきれいにしようと、何回も作り直した。
「これ、買ったんじゃなくて作ったの!こんなに綺麗に作れるなんて、うそみたいっ」
驚き、喜んでくれている様子に思いがけず心が震え、あれ以降癖になってしまった。
いつも何をすれば喜んでくれるか全く分からなかったのに、あんな心から嬉しそうな顔をさせたのは俺が作ったものだということにどうしようもなく自尊心を満足させた。
どうやら、俺が嫌いなものを朱音のために作るという行動も喜ばせるポイントらしく、幾度作ろうとも変わらず喜んで見せてくれる。ましてや、「美味しい」ととろけそうな表情で笑う姿を見てしまったが最後。ネットでレシピを検索するだけには飽き足らず、自ら菓子の料理本を買いあさるまでになってしまった。
彼女の幸せそうな顔見たさに、今日も俺はキッチンへ立つ。
何せ、あんなに嬉しそうな顔で笑い、褒めてもらえる機会はそうないのだから、思わず気合も入るという物だ。真剣な表情且つ重装備で戦いに挑む俺の姿が、母親を介して彼女の元へ写メで送られていると知るのは……今からほんの少し後のこと。