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ツマにもなりゃしない小噺集  作者: 麻戸 槊來
素直さを忘れた馬
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さようならの代わりに  後編

2014/04/04に目録を作りました。

一度に全話を確認することができるため、よろしければご利用ください。



彼の手をにぎり、まるで神に祈るように目をつぶる。


まだ彼は、私にとっても家族にとっても必要な存在なのだ。

新婚旅行だって行ってないし、結婚式だって簡易なもので済ませたから体調がよくなったらきちんとしようと約束している。「その時は、好きなだけドレスを選べ」と言っていたから、七回はお色直しをしてやるのだ。

出来たばかりのカフェへ行く予定もあるし、隣の家で飼い始めた犬だって彼に会いたがっていた。私には懐かない癖に数度しか会っていない彼に懐くのだから可愛くないと思っていたが、今なら許す。


まだ、たくさんの約束をかなえられていないし、いろいろ彼と見たい景色もやってみたいことも多くあるのだ。―――だから、どうかお願い。まだ彼を連れて行かないで。


「なぁ、前にお前が言っていたことおぼえているか?」


「どのこと?」


「ほら、伴侶を失くした場合、男女では圧倒的に女性の方が長生きするっていう…」


「―――嗚呼、涙がストレスを軽減するってあれね」


唐突にいわれた言葉に眉をひそめたが、彼の手をなでながら話に付き合う。

常なら照れくさくてしないささやかな触れ合いも、不安になった時ばかりは進んでしてしまう。するりと撫でては、きゅっと掴み。一人彼の手をつかってあそぶ私を、気にした様子もなく話を続ける。


「泣くという行為自体が、人を癒すことにつながるらしい。だから、」


嫌な予感がして、おもわず彼の手を見つめたまま眉間にしわを寄せた。

本当はようやく目覚めた癖に、どうしてテレビを見ていた時の雑談など持ち出すのかと問いただしたい。

けれど彼がこんな風に回りくどい言い方をした時は、決まってろくでもない事を言い出すのだ。何度となく重ねた会話のなかで、一番不快だった記憶がよみがえってくる。


「俺が死んだら、思いっきり泣いてくれ」


言われた言葉の意味を理解すると共に、私はその懇願とも取れる言葉を切って捨てる。


「いやよ」


まえに、伴侶を亡くした男性より女性の方が長生きしやすいのは涙を流すからだと聞いた時に、それならば泣かないと彼に宣言していたのだ。あの時の彼はたんなる軽口だと思い、「好きにしてくれ」などと呆れていたのだ。

今更あの宣言を覆す気はないし、いっそ呪いの言葉とも取れるこれは…不器用な私なりの愛情表現なのだ。言質は取ってあるし、私の本気を見くびっていた彼が悪い。



それをこの期に及んで返却するなんて許さない。


「クーリングオフは、行っておりません」


溢れそうな涙をこらえ茶化すと、彼は「それは困る」とやけに真面目くさって眉間にしわを寄せた。顔をそむけた拍子に片目からこぼれた頬の水滴を、軽く拭う。


「お前には長生きしてほしいんだよ」


「そんなこと勝手に押し付けないで。

 大体心配なら、ずっと傍で見張っていればいいじゃない」


夫の後を追い自害するなんて事をするつもりはないけれど、不必要なほど健康志向になるつもりもない。くだらないと笑いたければ笑えばいい。

どんな些細なことでも、それを糧にして何とかこのへこたれそうな現状のなか踏ん張っているのだ。


「強情女」


「うるさい、馬鹿男」


小さなころからよく行っていた子どものような掛け合いに、お互いに目を合わせて微笑み合った。彼がこの世を去ったのは、それから数時間たった後のことだった。






お世話になった医師や看護師にあいさつし、あわただしく病室を片付けた。

彼へ宣言した通り、彼が息を引き取ってからも涙を流すことはなかった。周囲は痛々しいものを見るような目でこちらを気遣うが、忙しく動き回っているとそれはさほど難しいことではなかった。


片づけからお葬式までは、やることが多すぎてまともに落ち着く暇もなかった。

そんな私へお義母さんもお義父さんも、必要以上に優しく接してくれた。自分たちだって辛いだろうにと、悲しみよりも申し訳なさが心を占めていた。




ようやく落ち着いたかと思ったところで、私は二人に呼ばれた。

もしかしたら、家から出ていくように言われるのかもしれないと緊張しながら二人の前に座る。

夫が亡くなった今、私と一緒に暮らすのがつらいと思われてもしょうがない。

最悪の場合、時々様子を見に来る形になってもしょうがないと心構えはしていた。


「これを…」


「あの子から預かっていたものなの」


そう渡されたものは、そっけない封筒だ。

茶封筒は少し厚みあるが、封はしているくせに宛名などないそれに彼らしいと目を細める。どんな物が出てくるかわからないから、後でゆっくり開こうと思ったが、二人に勧められその場で封を切った。




手紙と一緒にでてきた物に、私は絶句する。この茶色い線の入った薄い紙は、現在ここにあってはいけないはずだ。一年ほどまえに書いたそれは若干薄汚れており、その間の年月を思わせる。私にとって残酷なその紙は、出したと思っていた婚姻届だった。






✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾






お前がこれを読んでいるということは、きっと怒りで肩を震わせているだろう。

怒らないでくれとはとても言えないが、すまないとだけ言わせてくれ。そんな言葉より早く一緒に封をした紙の理由を説明しろと怒るかもしれないが、先にいろいろなことに対する言い訳と別れの言葉を伝えさせてくれ。



俺は、君と出逢うまで今よりも卑屈で消極的だった。

そんな俺が学校へ通い、少ないながら収入を得られるようになったのはお前と両親のおかげだろう。きっと出逢わなければ、そんな当たり前のことにすら気づかずにいた。


これまで両親に愛されるのは当たり前だと、傲慢なことさえ考えていたと告げたらお前は怒るだろうな。

それが間違いだと気づかせてくれたのも君だったから、どうか目くじらを立てるのはやめてくれ。


とても……立派な人間に成れたなんて誇れる性格でも身の振りでもなかったが、君と過ごした日々は俺を成長させてくれた。劣等感に苛まれる日々に光をさしてくれたのは、医師でも最新医療でもなくお前だった。




君と出逢ってから、この世は酷く美しかったよ

季節の移り変わりを節々の痛みで知るのではなく、お前が持ってくる見舞いの品や豊富な話題で実感することができた。―――それはとても幸せなことで、嬉しいことだった。素直じゃないお前は否定するかもしれないが、俺はお前の細かい気遣いに何度救われたかしれない。


美しい世界を見せてくれてありがとう。

これから死に逝く俺にこんな世界を教えた君を憎んだことさえあったけど。今ではとても感謝している。




そんな君に何を残せるだろうと考えた時、呆れるくらいなにも浮かばなかった。

だからこれは―――多分、俺が唯一できることなのだと勝手に確信している。きっと怒られ罵倒されるのを承知で白状します。一年前にかいた婚姻届をだすことは、俺にはできなかった。いずれ、将来添い遂げたいと思う相手が見つかるだろう。

お前のことだから、「その相手に振り向いてもらえるとは限らないじゃないっ」と鼻で笑う姿が浮かぶよ。


だが、お前も若いのだし大丈夫だ。

これまで言ったことはないけれど…お前は充分、可愛くて魅力的だから。ただ、鼻で笑う時は本当に小憎たらしい表情だから、封印することをお勧めする。


一緒に過ごした日々も、俺の人生に巻き込む決断を下したのも…お前の勢いに圧倒された感じはあったが、確かに愛はあったんだ。

君の人生を背負う覚悟も、涙を見る覚悟もないのに卑怯なことをしてごめん。




こんな俺に付き合ってくれて、本当にありがとう。

親たちのことも…ありがとう。君の両親には、以前に見舞いへ来てくれた時に真実を話しておいたから、安心して実家へ戻ってくれ。間違っても無茶を通して、縁を切ろうなどと思わないように。

感謝の言葉と謝罪の言葉しかもう浮かばないから、余計なことを書かないうちに、終わりにしておく。最後にお前のそばにいられて、俺は幸せだった。痛みや苦しみを忘れるほどの、木漏れ日のような幸福を抱いたまま俺は行きます。






✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾






文末まで読んで、あふれて視界を邪魔する涙をぬぐう。

くしゃりと力を込めすぎてよれてしまった紙を伸ばすと共に、水を零したような跡にそっと触れた。日付は、以前コスモスを見に行こうと約束していた前日のものになっていて笑ってしまう。


人が楽しみにしていた約束を破ってまで、こんなことが伝えたかったのかと思うと悲しくて哀れで涙が出た。


こんな意地の悪い騙され方をするよりも、所々に散らばったインクが滲んだ跡の方がよっぽど嬉しい。少なくとも彼がこんなひどいことを、何の考えもなく書いたのではないとわかるから。


「どうか…あの子を怒らないでやってね」


「親馬鹿だと言われてもしょうがないが…。

 あいつの意思を、尊重してやりたかったんだ」


えぇ、分かりますよ。口に出すことはなく、顔を覆ったまま体を震わせる。

わななく唇からは嗚咽しかもれず、申し訳なさそうに謝罪する二人を慰めることすらできない。数か月前に彼らが真実を知らされていたとはいえ、怒る気にはなれないのだから不思議だ。


今は頭が混乱して「どうして、なぜ?」を繰り返しているというのに…。

憎たらしくて堪らない手紙なのに、離すことはできず。むしろたった数枚の紙切れにすがるように、ぐしゃぐしゃになったそれを握りしめていた。


「今の貴女にこんなことを言うのは酷かもしれないけれど…忘れていいのよ?」


お義母さんのそんな言葉に無言で首を振る。

私はたしかに彼の妻で、この人たちは親であり家族だった。いまさら紙一つでその関係が変わるのも、なかったことにされるのも冗談じゃない。


「―――だが、君のご両親はあいつとのことを反対していたのだし」


言いづらそうに言葉を重ねるお義父さんにも首を振った。

うちの親が彼とのことを反対していたのは性格などではなく、ただ病弱という面においてだけだった。『そんな理由だけで、あの人を諦めろなんて冗談じゃない』と心配する彼を置いて我を通したのは私なのだ。

家が近所ということで時々顔を見せに行くが、最近はろくな会話もない。あちらが彼のお見舞いに来ていたなど、手紙を読んで驚いたほどだ。


どんなに反対していたこととはいえ、彼の死を悼むことのない親であれば今度こそ縁を切ってやる。そう考えて、普段は軽快に言い返してくる彼の珍しく困った顔を思い出して、最低だった気分がほんの少し浮上した。




散々泣いて、ないてないて…。

もう、これはいっそ泣かないと意地を張っていた私に対する、当てつけなのではないかと思考がから回ったところで、ようやく涙が止まった。私に気を使ったのか、二人は途中で席を立って部屋には一人きりだ。


ずっと我慢していた涙を一気に流したことで、頭は痛いし若干気持ち悪くなった。

それでも不思議と気分は落ち着き、ここまでひどい事をした彼を忘れてやるものかとくすりと笑った。




こんな事をされて何故気持ちが変わらないのかは分からないけれど、やっぱり私は彼が好きなのだ。

決してこの気持ちを過去の物になんて出来なくて、周囲が言うように他の人をみつけて子どもを生んで…なんてことが幸せだとは到底思うことが出来ない。愚かだと、不毛だと罵られてもいい。この気持ちが守れない時こそ、私は本当に大泣きしてしまうだろうから。


今回よりも大泣きするとしたら、相当なものだと思う。

記憶が正しければ、人体の三分の一が水分でできており、その三分の一を失うと死に至ると番組で言っていた気がする。彼と一緒に見たテレビの知識で、そんな事を考えているのだからさらに少しおかしくなって涙がこぼれた。


楽しいわけがないのに、笑う私はおかしいのだろうか?


「まぁ、ここから有言実行をするということで」


下手すると一生分泣いてしまったかもしれないけれど、それはそれで好都合だ。

悔しいから、思うとおりになんてしてあげない。宣言通り私は泣かないし、法的な効力はゼロだが、ここまで私は彼の妻でいたし妻なのだ。貴方が、どんなに私から離れたくて「さようなら」という言葉を浴びせてきても、代わりに私は愛の言葉を囁くよ。


「憎たらしいほど、愛してる」


いっそ嫌いになれたら楽なのに……。

意味をなさないそんな言葉を打ち消して、私はひとり前を向く。




ねぇ、どう言ったら…どう願ったら

ずっと傍にいたいという一番の我が儘を

叶えてもらえましたか?


ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。

次話は、尊敬する総長のために不良たちが頑張る話?です。

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