さようならの代わりに 前編
この作品では、人の死に関する話を扱っております。
全体的にシリアスです。
木枯らしが吹き、窓をがたがたと鳴らしていく。
冷たい風にさらされた木には、数えられるほどしか葉が残っていない。その枯葉すらも強い風にあおられて、寒々しい。これからどんどん秋が深まり、本格的に寒くなる。今からこんなことでは、早々に冬支度をしなければ彼にはつらいだろうと眉を寄せる。
だが、まずは目の前の問題を解決するのが先だろう。
中々食が進まない彼をどうしたものかと悩み、ため息を吐く。妊娠経験すらないというのに、毎日『どうすればご飯を食べてくれるか』と悩んでいると子持ちにでもなった気分だ。ふっと、ひとつ零した息を責められていると感じたのか、彼がおもむろに口を開いた。
「―――ごめんな」
自宅のベッドに寝そべり、弱弱しく謝ってくる彼に顔をあげ視線をやる。冷たい空気がはいるのを嫌って閉めきられた部屋は、どこか辛気臭い空気に満たされているような気がしてくる。この季節に自室の窓を開け放つなんて自殺行為であろうが、彼の行為に納得のいかない私は意地悪く再びため息をおとす。
見える訳がないのに、どこか空気も重苦しく感じる。
そんななか彼はさらに重苦しくなるような言葉を口走るのだから、望むような甘さが訪れることはない。
夏が去り、秋もそろそろ過ぎていくというのに、窓際に飾られたコスモスの花だけが妙に鮮やかで空々しく思える。ベッドから起き上がる事も難しくなった彼のために用意されたものだというのは理解しているが、どうしても受け入れがたく感じるのは性格が捻じ曲がっているからかもしれない。
しばらく黙り込んだ末に、私は彼のそんな言葉を受けて何も言うことなく微笑みを浮かべた。
「君をおいていく俺を、怒っているのだろう?」
「何をいまさら」
言っているのだろうかこの男は。
本当にそんな事はいまさらだと、鼻で笑うしかないような事なのだ。
この男はしょせん私の幼馴染で、幼いころから彼が長くないことなど分かり切っていた。体の弱い彼が孤立しないよう、外の世界をいろいろ教えたのは誰だと思っているのだ。
「誰より貴方の傍にいたのは、私よ?」
だから、人より別れが早いことなんてわかっていたに決まっているでしょう。
彼が嫌う皮肉じみた笑い方をして、ふんっと意味のない謝罪を切り捨てる。謝ってどうにかなるのなら、いくらでも許しを乞えばいいし。泣いて済むならいくらでも泣いてやる。
「けれど、それじゃあ駄目なのでしょう?」
そんな事をしても現実は何も変わらなくて、唯一欲しいと。
大切にしていた者は今まさに失われようとしている。ならば、そんな非生産的な事を議論するよりも、私の手に握られたスプーンを取って、おかゆを一口でも食べてくれた方がよっぽど嬉しい。
「ねぇ…たべて?」
さもないと無理やり口にねじ込むわよ?言外にそう伝えて笑うと、彼はしぶしぶ粥をかみ砕いた。
「どうせなら、一緒にコスモスを見に行けなくてごめんって謝ればいいのに」
彼は私の言葉を聞いて、苦々しい表情をした。
今日、本当は一緒に近くの公園までコスモスを見に行くはずだったのに、彼は昨晩遅くまで本を読んでいたとかで体調を崩したのだ。
別に本を読むのは彼の勝手だし、体が弱いこともしょうがないのだと、これまでの二十年弱で理解した。……でも、何も約束のまえの晩にそんな理由で無理をしないでもいいではないかと、憤りを覚えているのだ。
私同様、素直じゃない彼はそんなことを改めて謝ることはできない。だから、わざと遠回しな言い方で許しを乞うのだ。
私はふっとコスモスに視線をやり、口を開いた。
「あれ、わざわざお義母さんへ頼み摘んでこさせたのでしょう?」
そんな問いに対し何か答えることはなかったけれど、反らされた視線で私の考えが正しいのだと確信する。あのオレンジ色のコスモスは赤やピンクなどとは違い店頭に並ぶことが少なく、ここら辺では公園にしか生えていなかったはずだ。コスモスは増えるからあの公園では珍しくないが、他ではあまり見たことがない。
公園の花をわけてもらうときに、お義母さんがどんな気持ちで理由を説明したのかと考えると胸がいたい。ほんの気分展開になればいいと誘った私の言葉により、お義母さんがどんな気持ちで理由を説明したのだろうか?もしかしたら、自身の息子について説明したかもしれない。
「第一どうしてもコスモスが見たかったなら、また今度行けばよかっただけなのに」
「そう言うと思ったから、お前には頼まなかったんだよ」
ふてぶてしく呟く彼のこけた頬を摘み上げ、睨みつけた。
両親を誰より大切にしている癖に、素直じゃないこの人はよく冷たい言葉を吐いては後悔する。今回は普段と異なるが、不用意だったとしか言いようがない。私が現場に立ち会っていたら、間違いなくそんな思いはさせなかったのに。
多分、お義母さんがコスモスを持ってきたときの表情で、傷つけてしまったことは気が付いたのだろう。体調を崩すたびに家族が苦しむ事も分かっているはずだが、そんなことで体調を崩した彼は馬鹿だ。
「花なんて別に興味ないくせに」
「うるさいよ、見たくなったんだからしょうがないだろっ」
大体、早くしないと枯れるって脅したのはお前だぞ。そう言われたことで、自分の言葉も大概不注意だったのだと知る。
明日すら恐れる彼にしてみれば「花が枯れる」など言われてしまえば、二度と見られないかもしれないと焦ってしまったのだろう。
きっとごめんといえば傷つけてしまうから、私は謝るかわりにほほ笑んだ。
それから一週間後に彼の容態は急変し、私と彼の両親は病院を往復する日々を重ねた。入院した彼は相変わらず素直じゃなくて、「そんなに毎日来なくても簡単には死なない」なんて憎まれ口をたたいている。
「私たちまだ新婚なのに、色気がないね」
「入院しているのに、色気があった方が困るだろう」
何を馬鹿なことを言っているのだと呆れた様子の彼に、くすっと笑って返した。
わざとリップ音を響かせ頬へキスすると、僅かに頬を染めて絶句する姿が愛しくてしょうがない。一人部屋であるからできる行為だが、外には人が行きかうから彼は目を白黒させる。
「おまっ…これで心臓が止まったらどうするんだよ」
「今更これくらいで止まるわけないでしょう」
なにせ私も彼も、すべて互いが初めてなのだ。私を女にしたのが彼であれば、彼を男にしたのは私なのだから今更こんな程度で死なれてはたまらない。
高校卒業と同時に働き出した私は、彼が結婚できる年齢になってすぐ籍を入れたかった。―――しかし、彼が成人するまで待ってくれというから、しぶしぶ引いて去年の暮れに入籍した。
二十歳まで生きられないと言われていた彼が今ここにいるのだから、神様は私たちをまだ引き離すつもりがないのだろう。
「神様が私を幸せにしてやれって言っているんだから、黙って従っていればいいのよ」
「何で上から目線なんだ。
大体、お前を幸せにするために俺は生かされているのか?」
「そうよ」
ベッドに横たわっている彼の枕元に椅子を引き寄せ、上体を楽なようにかがめた。
近くで見るその顔は少しやつれて見えるけれど、昔の病弱な姿を知っている私からすればまだ男前に見える。
「わがままなお前を満足させるほど幸せにするなんて、何年あればいいんだよ」
ケラケラと笑う横顔を見つめ、医者から『覚悟するように』といわれた言葉が大袈裟であったのだと確信した。彼の傍にずっといることを決意してから、何度となくその言葉を聞かされてきた。でも、そのたびに彼は周囲の不安を払拭してきたのだ。
―――こんなに明るく笑っている奴が死ぬわけがない。
根拠もないことを考えながら、私は彼に言葉を重ねた。
病院からの帰り道。私は彼の両親に呼び止められた。
常より重苦しい雰囲気は、医者の言葉を真に受けているからなのだろう。
「だいじょうぶ。彼はまた、医者の診断なんて覆しますよ」
そもそも、一緒に暮らしているのだからこんな話は家ですればいいのに。そう笑う私に、お義母さんはこらえきれないと言った様子で泣き崩れた。横にいるお義父さんがささえ、ちかくのイスに座らせる。これまで何度こんな風景を眺めてきたことだろう。彼はやはり、どこか親不孝なのかもしれないと心の端で思った。
寒空の下震えるお義母さんは、とても小さく見える。
数年前に買った上着はぴったりだったはずなのに、大分余裕ができていて悲しくなる。黙って見つめるしかないこちらを向いて、お義父さんは口を開いた。
「―――君も知ってのとおり、息子は先が短い。若い君がいつまでも傍にいなくてもいいんだよ。そんな義務はないのだから」
「何言っているんですか。私は妻ですよ?」
「そのことが君の重りになっているなら、いっそ……」
「っじゃあ!お義父さんは、責任感から彼の傍にいるんですか?」
カッとした私は、それこそ意味がないと分かりながらも、静かな声でお義父さんを責めた。
次に続く言葉など、聞きたくないし知りたくもない。
そんな失礼な態度をとる私へ怒りをあらわにすることもせず、どことなく夫を思わせる顔で困ったように微笑んだ。多分何を言っても受け止めるつもりでお義父さんは、こんなことを言ってきたのだろう。
お義母さんも鼻をすするだけで、私のことを叱ろうともしない。
目の下にはくっきりと隈ができており、やつれた体はそれだけで彼女を儚く見せている。
もう身内になったというのに…こんな他人行儀なところが嫌いで、不器用な優しさは彼を思いださせる。この家族はなんて不器用で愛おしいのだろうか。
「っごめん、なさい…」
「いや…君が本気だと知っているのに、言葉を選ばなかったこちらが悪かった。
すまないね」
そう頭をなでてくれた顔は、いつかコスモスを見ていた彼と重なってみえた。何か隠している時の彼と似たその姿に、なぜか胸のざわつきを覚える。
「あの……」
「大変です!
すぐ病室にいらしてくださいっ」
後ろから大きな声が聞こえたと思った途端、お義父さんとお義母さんは目を見開き走りだした。
今さっきまでくだらないことを話していた彼が、荒い息で苦しそうに呻いている。バタバタとベッドの周りを医師や看護師が動きまわり、彼の両親が医師によばれて病室を出ていった。
「少しお話を聞いてくるから、貴女はここにいてやって?」
「いえ!あのっ、でも……」
「あいつの目が覚めた時に、一人にしておきたくないんだ」
彼の両親に再三お願いされた事で、しかたなく私はただベッドの横に座り込むしかなかった。看護師さんもそのうちに出ていき、枕元で腕をくむ。彼に見られてしまえば「真面目な信者ではないくせに、こんな時ばかり神に頼るのか」と、馬鹿にされそうだ。
―――どれくらいの時間、そうしていただろうか?絡めた指が白くなり、強く握りすぎて感覚も鈍くなってきた。「彼は大丈夫だ」そう、ひたすら呟きながら、どうかまだ連れて行かないでくれと相反する想いを抱いていた。こんなにも混乱した状態で祈られても、きっと神様は困ってしまうだろう。
そんな事を自嘲交じりに考えはするが、もう何度嗅いだかしれない薬品のにおいが煩わしいほど鼻につく。
無意識にぎゅっと目をつぶり、眉をしかめた私に声をかけてきたのは、聞きなれた少しかすれた声だった。
「目ぇなんかつぶって、…眠いのか?」
「っ!な、に…他人ごとみたいに、いってるのよぉ」
人をさんざん心配させておいて、彼からでてきた間抜けな言葉に脱力する。
必死に気を張っていたというのに、馬鹿男の言葉により涙が止まらなくなった。
「ばっかじゃないのっ!」
「ははっごめん」
横たわっているだけでも辛いだろうに、けらけらと笑い声をあげた。普段と変わらないはずの声や表情に、どうしようもなく心が騒ぐ。覚悟なんてしたくもないし、出来るはずがない。ナースコールを押し、急いで連絡した後には力が抜けた。
長いので前、後編に分けます。




