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ツマにもなりゃしない小噺集  作者: 麻戸 槊來
過去を読み解く蛇
33/132

欺く人


むしむしと暑苦しい中、内心の苛立ちを隠したまま微笑を浮かべる。


「君が一番好きだよ」


お金を貢いでくれる人間の中では。

そんな言葉を心のなかで付け足したが、とろけそうな表情を浮かべている彼女には気づかれなかったようだ。このクソ暑い中、歯の浮くようなセリフを吐き続けた分の元を取らなければやっていられない。


「みんなにそういうこと言っているんでしょう?」


「そんなことないよ」


金を積んでくれそうな人間以外にこんなことを言っても何の得もない。

なんだかこの女と会っていると、心の中で色々な言葉が巡って忙しい。大した特技も家柄もなく、会社も一般的なところという至って普通な彼女だが貯蓄だけはしていたようだ。

まさかこんな男にそれを貢ぐことになるとは思っていなかったろうが、まっとうな教育を施した彼女の両親にはお礼を言いたいくらいだ。


「君を生み育ててくれたご両親に、心の底から感謝したいよ」


「ふふっ、もうすぐ貴方の親にもなるのよ」


目の前の女は、やけに赤く塗られた唇をゆがめてそう笑った。






✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  






息子を保育園へ迎えに来て、早々に帰ろうと焦って用意している時に後ろから声をかけられ驚いた。


「あら、今日はお迎え早いんですね」


突然声をかけられたのとはまた違う理由もあり、びくりと肩を震わせる。

どうやら今日も、逃げることがかなわなかったようだと肩を落とした。


「えぇ、たまには莉玖りくと遊んでやらなければと思いましてね。

 早めに切り上げてきたんです」


「いつもご苦労様です」


内心を隠してにこやかに振り返り答えた俺に、彼女も柔らかく微笑んで返した。

この人は息子の先生で、まだ新米だというのにズケズケと人の痛い所を指摘するので苦手だった。片親でコミュニケーションがうまく取れていないことや、好き嫌いを容認してしまうことは認める。こちらの都合で、夜型と言われてもしょうがない生活をしているのも、よくないだろうというのは理解できる。しかし―――。


「お父さんあのね、先生すごいんだよ。

 先生はサンタさんと会ったことがあるんだって!」


「莉玖……」


何を教えてくれるのかと、きっと睨みつける。相手が子どもだと思って、嘘を教えられては困る。俺がこんな生き方をしているから、なおのこと息子にはまっとうに生きてほしいと願っているのに。

仮にも教育者がこんなことでいいのかと、噛みつきたい衝動を抑えられなかった。


「すみませんが、先生…」


「あっ、リクくん。

 今日は上履きをもって帰らないといけないのに、忘れちゃったの?」


そんな声を頼りに息子を見れば、上履きを靴箱に戻そうとしているところだった。

週末はいつも持ち帰り洗っているのに、忘れてしまったらしい。

きょとんとした顔の後に「わっ、お父さんちょっと待ってて」と、ぱたぱた靴下のままクラスの教室に戻っていく。


「それで?何か私にご用でしょうか」


改めて先生へ向き合うと、先ほどと変わらない表情で、にこにこと笑みを浮かべている。いくら仕事だとしても、息子に対するものとまったく表情が変わらないことに違和感を覚える。

子どもが好きで、この職に就いているにしても、そうでないにしても。多少ながら大人と子どもでは接し方が変わるものだ。相手の反応を必要以上に窺ってしまうのは悪い癖だが、他の先生と比べてもこの人は異質だ。


何か裏があるのではないかと勘繰ってしまう。


「いつも…お世話していただいているのには感謝しています」


「いえいえ、私の方こそ。

 リク君は他の子の手助けをしてくれる、面倒見のいい子で助かっています」


莉玖に聞いても、この先生は『笑顔を絶やさずに優しく接してくれるから好き』だという。時々会う他の親御さんたちの反応もよい。いくら自分が苦手な存在だからと言っても、こんなことを言うのは正直憚られる。だが、うやむやにしておく事もできずに重い口を開いた。


「けれど、あまり事実と異なることは教えないでほしいんです」


己より、子どもの世話にたけている人にこんな事を言うのはどうかと思う。しかし莉玖の親は今となっては俺だけで、今後も育て守り続けるのは俺なのだ。俺自身、親父と二人きりの生活を送っていたからその大変さはわかっているが、莉玖のためにも頑張るしかない。


「あの年から、サンタがいないなど教えろとは言いません。

 ただ……サンタに会ったことがあるとかは、ちょっと」


「いけませんか?」


「はい」


俺自身、子ども相手だと説明を適当に誤魔化すこともあった。

しかし、この前参加した育児セミナーによるとそれは正しい対応ではないという。説明が難しいことや理解させられないようなことは、自分で調べ考えさせるようにするとよいと言われた。最近はその教えを守るようにしている。




廊下へ佇み、きゃっきゃっとよその子がはしゃぐ声を聴きながら、莉玖もあんな小さい頃があったと懐かしく思い出す。まだおぼつかない足取りの子が、扉に設置された柵越しにこちらを眺めてくる。何もあんな風に純粋なまま育てとは言わない。多少の嘘や、疑う心を持つのは大切なことだ。

事実、俺の親父は少し抜けている所があったから何時もひやひやさせられた。

自分の嫁さんが男を作って出て行っても文句ひとつ言わずにいた親父は、お人よしともいえる部類の人間だが。あんな風になってほしいなどとは言わない。



いざという時の自己防衛のためにも、そこまで過保護にしてもいけないだろう。

何せ、そういった事をできない人間を食い物にしてこちらは荒稼ぎしているのだ。わざわざ息子をカモにさせたいわけでは勿論ない。―――だけれども。


「莉玖には、嘘をつかない真っ直ぐな子に育ってほしいんです」


俺がこんな稼ぎ方をしているからこそ、それは譲れないこだわりだった。

妻との離婚が決定的になったのも、こんな教育方針の違いからだ。もともと、意見の食い違いや擦れ違いの生活に終わりが近かったという面もある。だが判を押すまでに至ったのは息子のことだ。もちろん子どもの教育上、それで本当にいいのかと悩んだし、何度も話し合った。けれど結局選んだのは、自分一人で育てるという道だった。




妻も薄情なものだ。

若い頃にできた息子と妻を食わせていくために、汚い仕事と分かりながらも詐欺師なんてことをやっているのに。結局は長く持たず破局してしまった。

今思えば、彼女も疑うことを知らないような人だった。最後まで、俺がどんなことをして稼いでいるのか知らなかっただろう。


別のことに思いを寄せていると、突然声をかけられて肩を揺らす。


「お天道様に顔向けできないような嘘はつかないので、安心してください」


俺が詐欺師だということは知るはずがないのに。

時々かけられる言葉は、まるですべてを見透かされているようで、もぞもぞと尻のすわりが悪いような心地がする。そんな気持ち悪い気分を振り切るように、言葉をつなぐ。


「嘘は嘘、ですよ…」


どんなに人のためを考えて発した言葉でも、嘘であることにかわりはない。どちらかといえば『真黒な嘘』と揶揄されることを日常的に吐き、金をせしめている身としては白かろうが黒かろうが、嘘は嘘だ。


そこにあるものが悪意か善意かの違いでしかない。


「そうですね。

 でも、子どもには夢を見るということを忘れずにいてほしいんです」


「いい年しても、夢を見続ける人間はいますがね」


皮肉った表現で、片頬をゆがめる。

結婚詐欺に投資詐欺。足のつきにくいと判断したことはたいてい手を出した。何の因果か、親父と同じシングルファザーなんて物になってしまったが、真面目にこつこつ働いて俺をここまで育ててくれた親父のことは尊敬している。


俺が今、人様に言えないような事で金を稼いでいると知れば、公務員なんて真っ当な職に就いていた親父には怒鳴られてしまいそうだが。成人を迎える前に空で輝く星となった親父には、叱り飛ばしてもらうこともできない。

せめて、莉玖くらいはまともに育て上げなければ、それこそ顔向けできないというものだ。


「いつまでも俺が傍にいてやることはできないから、せめて正しい事を子どもの頃から教えていきたいんです」


「……そう、ですか。出過ぎたことを言って、すみませんでした」


以後気を付けます。そういった彼女は、それから嘘をいう事はなかったようだ。






✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  ✾  






―――十三年後。

小さな事務所で、私服姿の若い男女がひたすら電話をかけている。割のいいバイトを探しているときに声をかけられたため、ここに知り合いなどはいない。

時々スーツに身を包んだ小奇麗な人間もいるが、そういった者は指示を出すばかりで自ら電話を取ることは少ないようだ。


「安心してください、振り込み方法はこちらで指示しますので」


「ちょっと待ってください。相手の弁護士さんに変わりますから」


「はい、お電話変わりました。弁護士の内藤と申します」


「おら、くそばばぁ!四の五の言ってねぇで、金用意すればいいんだよっ」


丁寧な口調で丸め込む者や、入れ代わり立ち代わり数人で電話の応対をしている者。果ては唾を飛ばしながら電話越しに恐喝している者までいる。

それぞれに与えられた机には、リストと電話。それにセリフの言い回しや応対する上での注意が記されている紙が用意されているだけの、小ざっぱりした空間が広がっている。


だがよく見れば、その机の端には小さなティッシュと広告が箱に入れられ用意してあり、他人がこの事務所へ立ち入っても大丈夫なようにされている。いざという時の口裏合わせも、ばっちりだ。


それぞれ電話に向かう中、一人の若者が声をかけられ振り向いた。


「おいっ莉玖!お前もうノルマ果たしたんだってな?」


「あっ、はい」


「若ぇのに、よくやるな」


「親父が死んだんで、こっちは食っていくのに精いっぱいっすよ」


にこりと笑ってまとめ役と言葉を交わした。高校を卒業したはいいがまともな職に就けず。未成年で職歴のない俺がこんなに儲けられるものは他にはまずない。

だから愛想は良くしようと決めている。



先ほど声をかけてきたのはこの事務所を仕切っている男なのだが、この男の上にはさらに上司がおり、そこから細かい指示が下りてくるらしい。こういったように、上司の上にはさらに上の者がおり、取り分もその都度跳ね上がる。いつかは自分も指示を出す側の人間になることを目標に、働いている者もここにはたくさんいる。


「お前の親父さんは公務員だったんだろ?

 その息子がこんなことをしてるなんて知ったら、上の方で怒ってそうだな」


ゲラゲラ笑う男を見て、眉を下げつつ答える。


「はい。爺ちゃんも公務員だったみたいなんで、おっかない二人が睨み利かせてそうですよ」


言った途端に、数人がにやりと笑ったのが視界に入る。

ここにいる人間が天国など信じているとは思えないが、どうせ皮肉った表現を馬鹿にしているのだろう。どんな理由で、他の奴がこんなことに手を染めたのか分からないが、金を必要としているのは間違いない。



そんな俺たちが抱く目下の望みと言えば、この事務所よりもワンランク上にあがることだ。

こんな一人を相手取る詐欺だけではなく、大きい仕事を任されるようになれば一生食うに困らない金が簡単に手のうちに転がり込んでくる。架空会社で融資を募るなど手広くやっているようだから、早く頑張って上に行きたくてしょうがない。


「バリバリ稼いで、その内ビッグになって見せますよ!

 先輩だって、すぐに追い抜いて見せますっ」


「お前は変なところで素直だな…」


呆れつつも、まぁ頑張れと声をかけてくれたまとめ役に、無邪気だと評判の笑みを向けた。




鳶は鷹を産めないし、子は親の背中を見て育つといいますしね。他人にいろいろ言う前に、己の身の振りを改めろと言いたいモンスターペアレントがいるものです。


次話は、OLさんが様々な災難に遭う話です。

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