暴君彼氏 前編
いつもお付き合いいただき、有難うございます。
私の幼馴染は暴君と呼ばれている。
けれど、特別暴力をふるったりいけない友達がいる訳でもない。ただ、ちょぉーっと目つきや態度が悪くて、喧嘩を売られると「上等だ、ごぉらぁ!」なんて言いながら校舎裏に消えてしまうだけだ。旺聖という名前は、彼の今は亡きお父様が『旺盛』という熟語から「光を放って美しく輝く人生になる様に」という願いを込めてつけたのだという。
それを小学生の頃に聞いた時は、本当に羨ましかった。
私の優衣という名前は、「人を衣で包めるような優しい子になる様に」という意味でつけたと聞いても、いまひとつピンとこなかったのだ。「コロモって、から揚げとかてんぷらのこと?」なんて友だちにはからかわれるし、私自身も意味が分からず反論できず。
意外なことに、旺聖くんが「人の名前にケチつけんなっ!」なんて、当時から発揮していた口の悪さで応対してくれなかったら、あやうくクラスメイトの前で号泣するところだった。
あの時から、彼をずっと好きで一緒にいるのだから、我ながら一途なものだと思う。ちょっとしかめっ面よりの凛々しい眉も、鋭い黒目も全部素敵に見える。体格に恵まれた彼は、私の頭一個半分高い。同級生の小柄な子なんかは、踏みつぶされそうで怖いなんて言う。けれど、うちのお母さんなんかは「電球を脚立なしで変えられるなんて」と感動すらしていたから問題ない。
口の悪い彼は、大人しい一般の生徒には例えからかわれたり、絡まれようとも手を上げたりなんてしない。
そんな旺くんは、可愛い彼女である私に時々つれないけれど、いつも優しい最高の男だ。
「……なんて、いっつも愛を囁いているのに、酷い」
「酷いのは、どっちだ阿呆」
軽く頭を小突かれて、本気で痛がるふりをする。
幸い、家の近所の公立高校に二人そろって受かったため、私たちは小中高と同じ学校に通えることになった。
今日だって最後の授業が終わるまでは、一緒に帰れるとウキウキしていたのに……。これくらいしたって、罰は当たらないと思う。
なにせ今日は、前々からコンビニで新発売されたイチゴのアイスを食べに行こうと約束していたのに、突然彼が先生に呼ばれたと思えば、英語の小テストの結果が悪かったからと放課後の貴重な時間を奪われ。おまけに、さぁここからコンビニへ乗り込もうという所で、「もう帰る」なんて言われてしまえば、恋人として愛を疑ったってしょうがないと思う。
「おまえがずっと教室の廊下でふらふらしているから、松田のババアに英語の課題増やされた挙句、ずっと嫌味言われてたんだぞ」
「うわっ、それはごめん」
あのおばさんは、いい年して独り身の上に英語の発音が悪くてしょっちゅうネイティブの生徒たちに馬鹿にされたりしている。それだけなら多少同情の余地もあるけれど、根が陰険でネチネチと嫌味な奴なのだ。そんな奴だから生徒の評判も悪く、呼び出された旺くんを心配していたつもりが、逆効果だったらしい。
「えー。じゃあお詫びに、今日の晩御飯好きなもの作ってあげるよ」
「いや、いい」
「そんなこと言わないでさー。せっかくだから、アイス買って帰ろうよ」
出来ればコンビニのイートインスペースですぐに食べたかったけれど、彼のお母さんを楽にするためにもお邪魔させてもらおう。これはいい案だと我ながらうなずいたところで、想わぬ言葉に目を見張る。
「おい、今日は来んな」
「えっ?」
「今日は……給料日だ」
その言葉だけでこれから彼を待ち受けているであろうことを察し、唇をかむ。彼の家は母子家庭で、お父さんが背負わされた借金を細々返している。数年前にお父さんは、過労のために亡くなったから、今は彼とお母さんしかいないのだ。
「旺聖くんは、何も悪くないのに……」
「親父やお袋だって、悪かねぇよ」
間髪入れずに発せられた否定に、軽率だったと謝罪する。
確かに、彼のお父さんもお母さんも悪くなんてない。……それどころか、とってもいい人たちだと思う。ただ、どうしても彼が苦しめられている現状が歯がゆくて納得できなくて、嘆かずにはいられないのだ。
「……本当に、ごめんね。私が無神経だった」
「いや、考えてみれば、親父は悪くはねぇけど、救いようのないお人よしではある」
ん?よく考えれば、親父は悪いのか??なんておどけた様子でこちらに目くばせする旺くんに心底感謝した。もうっ本当に、彼のこういうところが大好きなのだ。
「もう、旺くんだいっすき!」
「あー、今日もいい天気そうだな。お前の頭の中は」
「遠回しに、能天気だと言われたっ」
「うるっせ、黙って歩け」
第一、彼がこんな風に喧嘩っ早くなったのは、取り立てに来る人相の悪い男たちから、お母さんを守るためなのだ。お母さんが暴力を振るわれないように庇っているうちに打たれ強くなり、次第に自分の腕まで上がっていたのだと以前に話してくれた。
それを何となく察しているであろう先生たちは、多少の乱暴な振る舞いを見逃して見せるが、周囲は違った。まだ幼い同級生たちはそれを差別だと反発し、「貧乏だ」などと言って彼をからかう。それに彼が暴力で応対してさらに、状況は悪くなり今では暴君と言われるようにまで成長してしまった。
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彼は中学生のころから、ちいさな修理工場で働かせてもらっている。本当はいけないようだけれど、「親戚の子どもに駄賃をやるようなもんだ」と細々した手伝いをさせてくれていたらしい。私も何度か彼を助けたくて内緒で乗り込んだこともあるのだけれど、おじさんたちではなく彼に邪魔だと言って追い出されてしまった。だから私は、一度も彼のことを手伝えたことはない。その代わりに何かできることはないかと母親に相談したところ、料理の腕を磨いて『味見』と称して彼にお弁当を渡すようになっていた。
彼は、お客様の前ではとても礼儀正しく、好青年だ。
だからうちのお父さんは、彼が学校で『暴君』などと呼ばれていることを知らない。正直、誰かが学校での様子を教えても、お父さんは気づかないだろう。その逆に、お父さんがいくら旺くんの好青年っぷりを伝えても、悪い冗談だと軽くかわされて終わるだろう。高校だって本当は、整備士としての腕を磨くため専門学校に進むか、夜間学校に通いながら稼ごうとしていたらしい。でも、お母さんから「少しでも色々な道を選べるように、一般校に通うことがバイトを続ける条件よ」なんて言われて、今の形に落ち着いたらしい。
元々旺くんに今の場所で働かせるのを、お母さんは反対していたらしい。その気持ちをくんだのか、彼のバイト先の社長さんにも「視野が狭い従業員は使えない」と説得されたらしい。
そんな彼だけど、社長の言いつけどおり、お客様を大事にする。だから、たまたまうちの校長と教頭が彼のバイト先に修理をお願いして以降、対応が柔らかくなった。そんな彼の真意な姿勢と生い立ちに感銘を受けたのか、この学校のほとんどの先生が彼のお得意様になった。一部の先生など、「あの暴君がどんな働きぶりをしているのか確かめたい」という野次馬的な思考回路だったのにもかかわらず、彼は普段の姿からは考えられないような忍耐を要し、無事お得意様を得た。
もちろん私の父もそんなお得意様のうちの一人で、彼のところで車を見てもらうたびに「彼は素晴らしい青年だ」なんてご機嫌だ。何とか車のことについて学ぼうとしているものの、一向に詳しくならない私だけど、よく聞く噂をもとにすれば彼は腕もいいらしい。
実は好青年で、仕事もできるなんてどんな理想的な恋人なのか。おまけに彼は家族も大切にするし、いろいろな苦労をしているせいか頼りにもなる。これ以上素晴らしい相手がいるかと、家族には毎日のように聞かせている。
今日も、うちにお招きして手作りクッキーを振る舞って、必死に出来る彼女アピールにいそしむ。ちょっと焦げてしまった部分はお父さんように残して、彼と彼のお母さんに食べてもらう分はきちんと別に用意していた。彼のお母さんに悪い印象を持たれないよう、可愛らしくラッピングしていた私の耳に、思いがけないセリフが降ってきた。
「おい、何か俺にしてほしいことはないか?」
唐突な言葉だったけれど、口数の多くないな彼には特別珍しいことではないため、疑問はすぐに打ち消す。いろいろな事が頭をめぐる。むやみやたらに喧嘩するのは心配になるし、怪我を放置するのもやめてほしい。
どれから口にしようかと悩んでいる私の耳に「金のかかるものはやれないから、何か一つだけ叶えてやる」と聞こえ思考が止まった。どうやら、彼は今年も律儀に私の誕生日を祝ってくれるつもりでいるらしい。意外と彼はこういったことにはマメなたちで、必ずと言って記念日などを忘れたことがない。
毎年、短いながらも手作りの誕生日カードをくれるし、忙しくても二人っきりの時間をくれる。彼の現状は知っているし、これ以上わがままを言ったら罰が当たる。
いっそ普段忙しい彼と一緒に過ごせるだけでも私は全然嬉しいのだけれど、それじゃあ彼は納得しそうにない。それならば、彼の迷惑にならなくて普段じゃ言えないお願いをしてみたい。
考えて考えた末、先週偶々見かけた映画のワンシーンを思い出した。
「お嬢様だっこをして、歩いてほしい」
ぽつりと思わず零れた言葉に、我ながら焦る。
どうして、こんな時だけ私の口は軽くなるのか。あわあわと、「今のは嘘!嘘だから気にしないで」なんて否定してみせたけれど、彼にはばっちり聞かれてしまったらしい。
こんな、目立つのが嫌いな彼にしてみれば「そんなこっぱずかしい事、やってられっか」なんて鼻で笑われるのがオチだと思っていた。もう少し違うバージョンも一瞬浮かんだけれど、もっとひどい断られ方をしたら、私が立ち直れない。
どうか気にしないでくれと拝み倒そうとしたところで、彼からはとっても意外なことに了承の返事が返ってきて私がひっくり返るかと思った。
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ところ変わって、誕生日の放課後。
今日は運よくお仕事を休めたらしく、彼は約束通り私の前にいる。
「おい、本当にやるのか?」
真っ赤な顔に、満面の笑みを向けた。
ここまで来て逃げようとするなんて普段の彼では考えられないことだけど、これは想像以上に彼に苦行を強いているらしい。
「もちろん」
期待のまなざしを、彼にそそぐ。
こんなこと、一生に一度叶えてもらえるか分からないのだ。その大切な機会をむざむざ捨てるつもりはない。
「やっぱ、やめ」
「確か、男に二言はないんだったよね?」
以前に彼が口にした言葉を、そのまま言って返す。
一日中ニコニコ笑顔で過ごしちゃうくらいには、すっごく楽しみにしていた。
周囲に茶化されたって、かまわない。お姫様抱っこをしてもらえるほど彼のアパートは広くないし、私の家でやればお母さんのテンションがあがり、お父さんの雷が落ちるだろう。じゃあ、どこなら大丈夫かと考えた結果、放課後の人が居なくなった廊下だった。
「きゃー!やっぱり旺くんにかかると、私を抱っこするなんて余裕だねっ」
「バカッあんまり騒ぐと、だれか来るだろうが!」
「えー、せっかくの誕生日プレゼントなのに~」
「降ろすか」
「やだやだっ。端から端まで歩いてよぉ」
「端までって……軽く、100メートル以上ないか?」
「大―丈夫、大丈夫!もうみんな部活か、委員会に行ってるって!」
「大丈夫かな、俺の腰……」
きゃーきゃー言いながら、廊下を歩いてもらう。
結局、満足する前に「もうそろそろ、疲れてきた……」勘弁してくれなんて、珍しく弱音を吐いた旺くんに「しょうがないから、もう許してあげよう」と言ったら、文句言われることもなく「……おう」とだけ言われた。