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第4話:死霊使いの地下室は「麹」の宝庫です ~腐敗魔法で時短熟成!? 悪魔的香りの「焦がし醤油ステーキ」~

魔王城の台所事情は、劇的に改善されていた。

 衛生管理は徹底され、私の精製した「白い粉(グルタミン酸ナトリウム)」のおかげで、兵士たちの士気は右肩上がりだ。

 しかし、私――味野あじのリカは、完成したスープを前に深い溜息をついていた。

「……足りない」

 私はスプーンを置いた。

 目の前にあるのは、魔界野菜とオーク肉のスープ。

 白い粉を入れたので、旨味はある。塩で味も整っている。

 だが、決定的に何かが欠けているのだ。

「香りよ……。鼻孔をくすぐり、唾液腺を崩壊させるような、あの芳醇で複雑な香りが……!」

 私は頭を抱えた。

 日本人として転生した私のDNAが叫んでいる。

 **醤油ソイソース味噌ミソ**が恋しい、と。

塩味エンミだけじゃ、味の構成が平坦すぎるのよ。料理には立体感が必要なの。大豆タンパクが分解され、アミノ酸と糖が反応して生まれる、あの黒褐色の奇跡……発酵調味料が!!」

「おいリカ、また奇声を上げているのか?」

 呆れ顔で厨房に入ってきたのは、相棒の狼男・ヴォルクだ。

「兵士たちは満足しているぞ? 『最近のメシは美味すぎて、故郷の母親の料理が泥に思える』と泣いていた」

「それはお袋さんが可哀想ね。……でもヴォルク、貴方も思うでしょう? そろそろ『焼きおにぎり』の焦げた匂いや、『豚汁』の安心感が欲しいと!」

「何だそれは。呪文か?」

 ヴォルクには通じない。当然だ。魔界には「発酵文化」が存在しないのだから。

 ここでは、食材が古くなれば「腐敗」として廃棄される。

 微生物の力を借りて、腐敗を「熟成」に変える知恵がないのだ。

「……作るしかないわね」

 私は決意した。

 醤油や味噌を作るには、大豆と小麦、塩、そして何より重要な主役が必要だ。

 **「麹菌コウジカビ」**である。

「ねえヴォルク。この城で一番ジメジメしていて、空気が淀んでいて、カビが生えやすそうな場所はどこ?」

「は? カビ? ……掃除が行き届いていない場所なら、地下のダンジョンエリアだが……」

「地下ね! 採用!」

 私は白衣を翻し、採取キットを掴んだ。

「ちょ、待てリカ! 地下は危険だ! あそこは『死霊使い(ネクロマンサー)』の実験場だぞ!」

「死霊? 最高じゃない。死体があるなら、分解者キノコ・カビもいるはずよ!」


 魔王城の地下深層。

 そこは、ひんやりとした冷気と、ホルマリンのような刺激臭、そして濃厚な「死」の気配に満ちていた。

 石造りの廊下には蜘蛛の巣が張り、時折、呻き声のような風切り音が響く。

「……帰ろうぜ、リカ。ここは生者が来る場所じゃない」

 ヴォルクが尻尾を丸めて震えている。狼男のくせに、オバケが苦手らしい。

「静かにして。……クンクン。感じるわ、この湿り気。胞子の気配よ」

 私は鼻を利かせながら、最奥の重厚な扉を開け放った。

 ギィィィ……。

 中は広大な実験室だった。

 天井まで届く本棚には怪しげな魔導書が並び、部屋の中央には、縫合跡のある巨大な肉塊フランケンシュタインが横たわっている。

 そして、部屋の隅で、一人の男が背中を丸めて何かを呟いていた。

「……腐れ、腐れ……。肉よ、土に還る喜びを謳え……」

 ガリガリに痩せこけた体躯。漆黒のローブ。肌は死人のように青白く、目の下には深い隈がある。

 魔王軍「不死身アンデッド軍団長」、死霊使いのゼストだ。

「……ん? 生者の匂い……」

 ゼストがゆっくりと振り返る。その瞳は虚ろで、生気がない。

「何用だ……? 私の研究を邪魔する者は、実験体の餌にするぞ……」

「ヒィッ! ゼスト殿! 違うんです、こいつが勝手に!」

 ヴォルクが悲鳴を上げる。

 しかし、私はゼストを見ていなかった。

 私の目は、ゼストの足元にある「腐りかけた木箱」に釘付けになっていた。

 そこには、ふわふわとした、美しい**「緑色のカビ」**がびっしりと生えていたのだ。

「……あった!!」

 私は叫び、ゼストの足元へスライディングした。

「こ、これよ! この鮮やかな黄緑色! 胞子の形状! 間違いない、**ニホンコウジカビ**の亜種だわ!!」

「……は?」

 ゼストがポカンとする。

「おい人間。何をしている? それは私の可愛い『死のデス・モス』だ。死体を効率よく腐らせ、土に還すための聖なる菌だぞ」

「死の苔? バカね! これは『命の素』よ!」

 私はカビをピンセットで採取し、シャーレに入れた。

「これがあれば、デンプンを糖に、タンパク質をアミノ酸に分解できる! つまり、ただの豆が『黄金の調味料』に化けるのよ!」

 ゼストの眉がピクリと動いた。

「……分解? 貴様、調理人風情が、高尚な『腐敗のプロセス』を理解しているとでも?」

「当たり前でしょ。料理と腐敗は紙一重。人間にとって有益なら『発酵』、有害なら『腐敗』。呼び方が違うだけで、やってることは同じ**『酵素による高分子の分解』**よ!」

 私は立ち上がり、ゼストに詰め寄った。

「あんた、死体を腐らせるのが専門でしょ? なら話が早いわ。このカビの培養、手伝ってちょうだい!」

「……ククッ」

 ゼストの喉の奥から、乾いた笑い声が漏れた。

「面白い……。私の『死の研究』を、料理と同じだと言い切った人間は初めてだ」

 ゼストが、興味深そうに私を見下ろす。

「いいだろう。貴様の言う『発酵』とやらが、どれほどの魔力を秘めているのか……見せてもらおうか」


 交渉成立。

 私は地下室の一角を借り、即席の醸造所を作った。

 材料は揃っている。

 兵站局から横流しさせた「魔界大豆」と「小麦」。そして「岩塩」と「水」。

 種麹たねこうじとなるのは、さっき採取した緑色のカビだ。

「まず、蒸した大豆と炒った小麦を砕き、種麹を撒きます」

 私は手早く作業を進める。

「これを温かい場所で保温し、カビを繁殖させて『こうじ』を作ります」

「ふむ……。死体に菌を植え付け、苗床にする工程と同じだな」

 ゼストが不吉な納得の仕方をしている。

「次に、出来上がった麹を塩水と混ぜて、樽に仕込みます。これが『諸味もろみ』です」

 ドロドロとした茶色い液体が、樽の中に満たされる。

「さて。ここからが問題よ」

 私は腕組みをした。

「通常、醤油を作るには、ここから半年~1年の熟成期間が必要なの。夏場と冬場の温度変化を経て、ゆっくりと発酵させる必要があるわ」

「1年だと? 待てるか! 俺の胃袋が干からびるわ!」

 見学していたヴォルクが叫ぶ。

「そう、待てないのよ。明日の夕食には使いたいの」

 私はゼストを振り返った。

「そこで、死霊使い(あなた)の出番よ。……あんた、**『時間を操る魔法』**とか使えない?」

 ゼストは目を細めた。

「……ほう。腐敗を早めるための『老化の呪い』ならば使えるが?」

「それよ! その呪いを、この樽にかけて!」

「……食材にかけるのか? 敵をミイラにするための禁呪だぞ?」

「細胞レベルでの経年劣化を促進するなら、原理は熟成と同じはず。……やって!」

 私の無茶振りに、ゼストはニヤリと笑った。

 彼は杖を掲げ、ドス黒い魔力を練り上げる。

「よかろう……。唸れ、悠久の時よ。刹那の中に永遠を刻め……『腐敗促進タイム・アクセラレーション』!!」

 ドォォォォン!!

 黒い稲妻が樽を直撃した。

 ボコッ、ボコボコボコ……!!

 樽の中身が、猛烈な勢いで泡立ち始めた。

 酵母菌と乳酸菌が、魔法で加速された時間の中で、数億回の世代交代を繰り返しているのだ。

 部屋の中に、甘酸っぱく、そして芳ばしい香りが充満し始める。

「……なんだ、この匂いは?」

 ヴォルクが鼻をひくつかせる。

「腐った匂いじゃない……。なんか、懐かしくて、お腹が減る匂いだ……」

 数分後。泡立ちが収まった。

 私は樽の中を覗き込んだ。

 そこには、艶やかな黒褐色の液体――完全に熟成された**「醤油もろみ」**が出来上がっていた。

「成功よ……! 科学と黒魔術のハイブリッド醸造!」

 私は布袋でもろみを絞った。

 ポタ、ポタ……と垂れてくる、黒い雫。

 舐めてみる。

 塩辛さの中に、濃厚な旨味と、華やかな香り、そして微かな酸味。

 完璧な醤油だ。

「リカ、俺にも舐めさせろ!」

「待って。このままじゃまだ未完成。……火を入れて、香りを爆発させるわよ。


 私は持ってきたカセットコンロの上にフライパンを熱した。

 用意したのは、厚切りの**「コカトリスのモモ肉」**。

 表面に切り込みを入れ、脂身から焼いていく。

 ジューッ……!

 肉の焼ける音が地下室に響く。

 死の研究室には似つかわしくない、生命力溢れる音だ。

「いい? これから起きるのは**『メイラード反応』**よ。アミノ酸と糖が加熱されて結合し、褐色物資と、数百種類の香気成分を生み出す化学反応……!」

 肉に火が通ったところで、私は完成したばかりの醤油に、砂糖、酒、そして**「白い粉」**を混ぜた特製ダレを、一気に回し入れた。

 ジュワアアアアアアアアアッ!!!!

 爆音と共に、白い蒸気が立ち上る。

 その瞬間。

 世界が変わった。

 醤油が焦げる、あの暴力的なまでの芳ばしさ。

 甘辛いタレが肉の脂と混ざり合い、キャラメル化していく甘美な香り。

 それは、日本人のDNAだけでなく、異世界の魔族の本能すらも鷲掴みにする「食欲の塊」だった。

「ッ……!!??」

 ゼストが目を見開いた。

 死んだ魚のような目に、生気が宿る。

「な、なんだこの匂いは……!? 死臭とは真逆の……生き物がよだれを垂らして群がるような、圧倒的な『生』の匂い……!!」

「ぐぅぅぅぅぅ!!」

 ヴォルクのお腹が、雷鳴のような音を立てた。

「た、たまらん! 匂いだけで飯が食える! 早く! 早くくれぇぇ!」

「はい、お待たせ。**『コカトリスの焦がし醤油ガーリックステーキ』**よ」

 私は皿に盛り付けたステーキを、二人の前に差し出した。

 テラテラと黒光りするタレを纏った肉。

 刻んだ薬草をトッピング。

 ゼストは、震える手でフォークを持った。

「……私は、食事など興味がない。生きるために栄養を摂るだけの行為など、無意味だと思っていたが……」

 肉を一切れ、口に運ぶ。

 モグッ。

 ……沈黙。

 次の瞬間、ゼストの頬から、一筋の涙がツーッと流れ落ちた。

「……う、まい……」

 ガタンッ!

 ゼストが椅子から崩れ落ちた。

「なんだこれはぁぁぁ! 塩辛いだけではない、甘いだけでもない! 口の中で無限に広がる、この黒い液体の魔力は!?」

「それが発酵の深みよ。微生物たちが1年かけて作り出した、時間の味」

「そしてこの粉! 脳髄が痺れるような旨味!」

 ゼストは狂ったように肉を頬張った。

「生きている……! 私の死んだような舌が、今、生きていることを実感しているぞぉぉぉ!」

 横ではヴォルクが、すでに皿まで舐め回していた。

「リカ! 醤油だ! この黒い汁を瓶詰めにしてくれ! 携帯用にして腰にぶら下げる! これさえあれば、干し草でも美味しく食えるぞ!」

 地下室は、醤油の香りと魔族たちの絶叫で満たされた。

 

 食事が終わり、ゼストは満足げにナプキンで口を拭った。

 その顔色は、以前よりも血色が良く、人間らしくなっていた。

「……味野リカと言ったな」

 ゼストが私を見る。その目には、研究者としての敬意が宿っていた。

「見事だ。腐敗を、これほどの芸術あじに昇華させるとは。……認めよう。貴様の錬金術りょうりは、私の死霊術に匹敵する」

「どうも。じゃあ、今後も協力してくれる?」

「もちろんだ。この地下室の菌類は、貴様に提供しよう。……その代わり」

 ゼストがニヤリと笑う。

「新作ができたら、最初に私に試食させろ。特に、この『醤油』を使った料理をな」

「ええ。次は『豚骨醤油ラーメン』を作る予定だから、期待してて。骨のエキスを抽出するの、得意でしょ?」

「骨か……。ククク、専門分野だ」

 こうして、私は新たな協力者パトロンを得た。

 食料庫の番人・ヴォルク。

 魔導師団長・カーミラ。

 そして、不死身軍団長・ゼスト。

 魔王軍の主要幹部たちが、次々と私の「白い粉」と「科学調理」の軍門に下っていく。

 私の目的は、あくまで「美味しいご飯を食べること」だけなのだが、結果として魔王軍の結束と戦力は、かつてないほど高まっていた。

「さて、醤油は確保したわ。次は……」

 私は手帳を開いた。

 日本の食卓に欠かせない、もう一つの発酵食品。

 そう、**『納豆』**だ。

「この地下室の環境なら、最強の納豆菌も培養できそうね……」

「おいリカ、その不穏な独り言はやめろ。また変な匂いのものを作る気か?」

 ヴォルクが警戒するが、もう遅い。

 私の科学の暴走は、誰にも止められないのだ。

 魔王城が「世界一の発酵工場」と呼ばれる日も、そう遠くないかもしれない。

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