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第3話:枯渇した「白い粉」を再結晶せよ! マンドラゴラの悲鳴は「抽出」と「乳化」のエネルギー源

 魔王城の地下、第3厨房。

 かつては汚泥と腐臭にまみれていたこの場所も、私――味野あじのリカの着任から数週間で、劇的な変化を遂げていた。

 床は磨き上げられ、ステンレスの調理台が輝き、換気ダクトが唸りを上げている。

 衛生管理区分「レベル4」。

 そこはもう、魔物の餌場ではなく、近代的な「食品加工ラボ」だった。

 しかし、そのラボの中心で、私は絶望に打ちひしがれていた。

「……ない。……ないわ」

 私は、震える手で小さなガラス瓶を逆さまにし、振った。

 カチャ、カチャ。

 乾いた音が虚しく響く。

 てのひらに落ちてきたのは、わずか数粒の白い結晶だけ。

「……グルタミン酸ナトリウムが……尽きた」

 それは、私にとって「死」と同義だった。

 私が作る料理の核心。魔族たちを虜にし、兵士を強化してきた魔法の調味料。

 通称「白い粉」。

 転生時に持っていたストックが、ついに底をついてしまったのだ。

「おいリカ、どうした? 顔色が悪いぞ」

 背後から声をかけてきたのは、私の相棒兼・実験動物モルモットである狼男のヴォルクだ。

 彼は最近、私の料理のおかげで毛並みがツヤツヤになり、持病の胃潰瘍も完治している。

「……ヴォルク。緊急事態よ」

 私は血走った目で彼を振り返った。

旨味ウマミがないの。このままじゃ、味の奥行きが作れない。画竜点睛を欠くどころか、魂の抜けた肉体を作るようなものよ……!」

「お、落ち着け! 味なら塩とか砂糖があるだろ? ほら、この赤い実とか」

「元素記号から出直してらっしゃい!!」

 私は机をバン!と叩いた。

「私が求めているのは、C5H8NO4Na(グルタミン酸ナトリウム)よ! 塩化ナトリウムやスクロースで代用できるわけないでしょう! アミノ酸の結晶構造が違うのよ!!」

「ひいぃッ! すまん、俺が悪かった!」

 ヴォルクが耳を伏せて後ずさる。

 私は頭を抱えた。

 魔法が使えない私にとって、「白い粉」は唯一無二の武器だ。

 これがなければ、ただの「ちょっと料理が上手い人間」に戻ってしまう。それじゃあ、この過酷な魔界で生き残れない。

「……探さなきゃ。新たな供給源ソースを」

 私の脳内検索エンジンがフル回転する。

 グルタミン酸を多く含む食材。

 トマト、チーズ、キノコ……いや、抽出効率が悪い。

 もっと、爆発的に含有量が多い素材。

 やはり、王道の「昆布コンブ」しかない。

「でも、ここは内陸の魔王城。海なんて……」

 その時だった。

 厨房の外が、にわかに騒がしくなった。

 勇ましいラッパの音と、地響きのような足音。

「おっ、帰ってきたか」

 ヴォルクが窓から外を覗く。

「北方遠征部隊の帰還だ。お前の作った『魔薬ジャーキー』のおかげで、大勝利だったらしいぞ」

「……北方?」

 私はピクリと反応した。

 北。

 北といえば、寒流。豊かな海。

 私は白衣を翻し、厨房を飛び出した。

           

 城の中庭には、凱旋した魔王軍の兵士たちが整列していた。

 彼らは皆、以前の貧相な体つきとは別人のように筋肉が隆起し、肌ツヤも良く、殺気立っていた。


 その荷台に、山のように積まれている「戦利品」があった。

 金銀財宝? 違う。

 敵の武器? 興味ない。

 私の目は、荷台の隅に無造作に放り出されていた、「黒くて長い物体」に釘付けになった。

「……あれは」

 私は警備のゴブリンを突き飛ばし、荷台に駆け寄った。

 それは、長さ数メートルはある、漆黒の帯状の植物。

 表面はヌルヌルとしており、乾燥した部分には白い粉が吹いている。

 周囲の魔族たちは鼻をつまんでいた。

「うわ、臭せぇ……。北の海に生えてる『デモン・ケルプ』じゃねえか」

「燃やすと変な匂いがするし、食うと硬いし、ただのゴミだろ」

 ゴミ?

 愚かな。

 私は震える手で、その「悪魔の藻」をちぎり、口に含んだ。

 硬い繊維質。強烈な磯の香り。

 そして、噛みしめた奥から染み出してくる、淡い、しかし確かな……。

「……グルタミン酸……!!」

 間違いない。

 これは昆布だ。しかも、寒冷地で育った肉厚の最高級羅臼ラウス昆布に匹敵する、旨味の塊だ!

 表面の白い粉は、カビではなくマンニット

 宝の山だ。ここにあるだけで、数年分の「白い粉」が精製できる!

「ヴォルク! 運搬係を呼んで! この黒いゴミ……いえ、宝石を全て第3厨房へ運び込むのよ!」

「はぁ!? こんな海草、何に使うんだ!?」

「決まってるでしょ! 『抽出エクストラクション』と『再結晶化』よ!」

 私が指示を飛ばそうとした、その時。

 頭上から、ヒステリックな女の声が降ってきた。

「――お待ちなさい! 騒々しいわね!」

 バサァッ!

 コウモリの羽音と共に、一人の女性が空から舞い降りてきた。

 燃えるような赤髪。青白い肌。背中には漆黒の翼。

 その妖艶な美貌は、不機嫌そうに歪んでいた。

「ゲッ……カーミラ様……」

 ヴォルクが小声で呻く。

「誰?」

「魔導師団長だ。高位の吸血鬼ヴァンパイアで、性格は……見ての通りだ」

 カーミラは、私とヴォルクをねめつけた。

「兵站局長。貴方、最近『美食』にうつつを抜かしているそうじゃない?」

「い、いえ、あれは軍の士気向上のために……」

「言い訳はいいわ! 私、イライラしてるのよ!」

 カーミラが指を鳴らすと、近くの石像が魔法で爆散した。

 ドガァァン!

 うわ、情緒不安定。カルシウム足りてないんじゃないの?

「魔界のスイーツはどれもこれもザラザラしてて不味いのよ! 舌触りが悪くて、甘ったるいだけで……! 私が求めているのは、もっとこう、絹のように滑らかで、血のように濃厚な甘味なの!」

 彼女は私を指差した。

「そこの人間! お前が噂の料理人ね? 私を満足させるお菓子を作りなさい! 今すぐに!」

「……はぁ」

 私はため息をついた。

 今はそれどころじゃない。目の前に宝の山があるのに、スイーツ作りなんて遊んでいる暇はないのだ。

「お断りします。私は今から、重要な化学実験に入りますので」

「なっ……!? 魔導師団長の命令を断る気!?」

「甘いものが欲しければ、砂糖でも舐めてればいいじゃないですか。……ヴォルク、この海藻を運んで。急がないと鮮度が落ちるわ」

 私はカーミラを無視して、荷台を押した。

 カーミラの顔が真っ赤になる。

「き、きぃぃぃ!! 無礼者! 殺してやる!」

 彼女の手のひらに、ドス黒い魔力の球体が膨れ上がる。

「ちょ、待ってくださいカーミラ様!」

 ヴォルクが割って入る。

「リカ! お前も煽るな! 殺されるぞ!」

「……チッ。わかったわよ」

 私は足を止めた。

 このままでは、せっかく手に入れた昆布ごと消し飛ばされかねない。

 私は思考を切り替えた。

 ……待てよ?

 スイーツ作りと、グルタミン酸の抽出。

 一見、無関係に見えるこの二つの工程だが、ある「物理的エネルギー」を利用すれば、同時に進行できるかもしれない。

 私は厨房の奥にある「食材保管庫」のラインナップを思い出した。

 そこには、先日入荷したばかりの、「非常にうるさい野菜」が眠っていたはずだ。

「……いいわ。カーミラ様、貴方の望む『究極に滑らかなスイーツ』、作って差し上げましょう」

「ふん、口だけは達者ね。もし不味かったら、その首から血を啜ってやるわ」

「その代わり、私の実験にも付き合ってもらいますよ。……ヴォルク、準備して。『マンドラゴラ』を叩き起こすわよ」

           

 第3厨房。

 そこは今、異様な光景になっていた。

 中央には、デモン・ケルプを山盛りに詰め込んだ巨大な寸胴鍋。水を入れて煮出し中だ。

 その隣には、コカトリスの卵と牛乳、砂糖を混ぜた「プリン液」が入ったボウル。

 そして、作業台の上には、土のついた植木鉢が5つ並んでいる。

 そこから生えているのは、人の顔のような根っこを持つ植物――マンドラゴラだ。

「……おい、リカ。本当にやるのか?」

 ヴォルクが、分厚いヘッドホンと防音イヤーマフを装着しながら、震える声で尋ねる。

「当然よ。耳栓のチェックはいい?」

「ああ……。だが、カーミラ様は……」

 カーミラは、部屋の隅のパイプ椅子で足を組んでいる。

「何なのこの汚い根っこは。早くお菓子を出しなさいよ」

「今から作ります。……音響効果が凄いので、少し耳を塞いでいた方がいいですよ」

「は? 吸血鬼の聴覚を舐めないで。雑音なんて……」

「始めます!」

 私は防音ヘルメットを被り、合図をした。

「第一段階! 細胞壁破壊および、超音波乳化エマルション!」

 私は両手に耐熱手袋をはめ、両端の植木鉢のマンドラゴラを鷲掴みにした。

 そして、一気に引き抜く!

 『キエエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!!!!』

 鼓膜をつんざく絶叫。

 マンドラゴラの断末魔。

 それは単なる「大きな声」ではない。可聴域を超えた高周波――すなわち「超音波」の塊だ。

「ぐわあああ!!??」

 カーミラが椅子から転げ落ち、耳を押さえてのたうち回る。

「な、なにこれぇぇぇ!! 頭が割れるぅぅぅ!!」

 しかし、私の狙いは彼女への攻撃ではない。

 私は悲鳴を上げるマンドラゴラを、寸胴鍋の昆布とボウルに入ったプリン液に交互に近づけた。

 ビリビリビリ……!!

 超音波振動により、鍋の水面が激しく波打つ。

 これぞ、「キャビテーション」。

 マンドラゴラの放つ強力な音波エネルギーが、デモン・ケルプの強固な細胞壁を破壊し、内部の旨味成分(グルタミン酸)を強制的に溶出させるのだ。普通に煮出すより、抽出効率は数十倍に跳ね上がる。

 そして、プリン液の方では――。

 音波振動が、卵黄と牛乳の脂肪球をミクロレベルで粉砕・撹拌していく。

 手作業やミキサーでは不可能な、分子レベルの均質化。

 プリン液はみるみるうちに、白濁した液体から、シルクのような光沢を放つ黄金色の流体へと変わっていく。

「ふふふ……! いい悲鳴! 最高の周波数だわ!」

 私は次々とマンドラゴラを引き抜き、音波を浴びせ続けた。

 阿鼻叫喚の厨房。

 泡立つ鍋。輝くプリン液。

 これは料理ではない。音響兵器実験だ。

 数分後。

 全てのマンドラゴラが気絶し、静寂が訪れた。

「……はぁ、はぁ。抽出完了」

 私はヘルメットを脱いだ。

 寸胴鍋の中には、黄金色に輝く濃厚な出汁(グルタミン酸溶液)ができている。

 これを煮詰めて再結晶化させれば、数キログラムの「白い粉」が手に入るだろう。

 第一目標、クリア。

 そして、ボウルの中には、極限まで滑らかになったプリン液。

 私はそれを耐熱容器に流し込み、蒸し器に入れた。

「……待って」

 蒸す直前、私はあることを思いついた。

 懐から、最後の数粒だけ残っていた「白い粉」を小瓶から取り出す。

「ヴォルク。スイーツに『塩』を入れるとどうなる?」

「え? 甘さが引き立つ……『対比効果』か?」

「正解。じゃあ、スイーツに『うま味』を入れると?」

「……は? 気持ち悪い味になるんじゃないか?」

 ノンノン。

 私は人差し指を振った。

「甘味に、微量の塩分と、さらに微量のうま味(グルタミン酸)を加える。すると、味の厚み、持続性、そして広がりが増強される。これを食品科学では『コク』と呼ぶのよ」

 私は最後の一振り――白い粉を、プリン液にパラパラと投入した。

 これは賭けだ。

 でも、吸血鬼を黙らせるには、ただ「甘い」だけじゃ足りない。

 脳髄に刻まれるような「重み」が必要なのだ。

「美味しくなぁれ、萌え萌えキュン…!」

          

 数十分後。

 厨房のテーブルには、プルプルと震える美しいプリンが置かれていた。

 『超音波乳化・コク旨シルキープリン』の完成だ。

 カーミラは、乱れた髪を直しながら、恨めしそうに席に着いた。

「……ひどい目にあったわ。耳鳴りが止まらない」

「その分、味は保証しますよ」

 私はスプーンを渡した。

 カーミラは疑わしげにプリンを掬う。

 スプーンが入った瞬間、抵抗なく吸い込まれる柔らかさ。

 口に運ぶ。

 パクッ。

 その瞬間、時が止まった。

 カーミラの赤い瞳が、カッと見開かれる。

「――っ……!!??」

 彼女の舌の上で、プリンが「消えた」。

 噛む必要がない。分子レベルで微細化された粒子が、体温で解け、舌の味蕾みらいの一つ一つに浸透していく。

 そして、その後に押し寄せる波。

 卵の濃厚な甘み。牛乳の香り。

 そして、奥底から湧き上がってくる、得体の知れない「深み」。

 白い粉がもたらす「コク」が、甘味を立体的にし、いつまでも口の中に幸福感を留まらせる。

「……な、なによこれ……」

 カーミラの手が震える。

「滑らか……なんて言葉じゃ足りないわ。まるで、極上の処女の生き血を飲んだ時のような……いいえ、それ以上の『濃さ』……!」

 カチャカチャカチャ!

 カーミラの理性が崩壊した。

 猛烈な勢いでスプーンを動かし、プリンを貪り始めたのだ。

「んんっ♡ 美味しい! 濃厚! 頭が痺れるぅぅぅ!」

 背中のコウモリの翼がバタバタと羽ばたき、歓喜のあまり魔力が漏れ出して、厨房の窓ガラスがビシビシと割れていく。

「……おいリカ、またヤバいもん作ったな」

 ヴォルクが冷や汗をかいている。

「成功ね。『コク』によるドーパミン分泌。吸血鬼の嗜好にもヒットしたみたい」

 完食したカーミラは、恍惚の表情で頬を染め、私の方へ這い寄ってきた。

「……ハァ、ハァ。凄いわ、貴方……」

 彼女は私の手を取り、その甲にキスをした。

「気に入ったわ。貴方を私の『専属パティシエ』に任命してあげる。城の宝物庫の鍵をあげるから、好きなだけ材料を買いなさい!」

「……パティシエは断りますが、スポンサーなら歓迎します」

 私はニッコリと笑った。

「ちょうど、新しい遠心分離機が欲しかったところなんです。予算、期待してますね?」

          

 こうして、騒動は収束した。

 カーミラは上機嫌で去っていき、私は念願の「白い粉」の大量生産に成功した。

 厨房の片隅には、出汁を取り終わった後の大量の「デモン・ケルプ」と、気絶した「マンドラゴラ」が山積みになっている。

「さて、この残骸どうしようかしら」

 私は腕組みをした。

「出汁殻昆布は、醤油で煮付けて『佃煮』にしましょう。保存食になるわ」

「マンドラゴラは?」

 ヴォルクが嫌そうな顔で聞く。

「皮を剥いて揚げれば『フライド・マンドラゴラ』よ。滋養強壮にいいわ」

「……俺、もう野菜を見るのも嫌なんだけど」

 ヴォルクの嘆きを無視して、私はキラキラと輝く白い粉の瓶を棚に並べた。

 これで、しばらくは安泰だ。

 旨味さえあれば、どんな魔界の食材も屈服させられる。

「次は……『発酵』ね」

 私は新たな野望を呟いた。

「魔界には『味噌』も『醤油』もない。菌類カビを使った調味料開発に着手するわよ、ヴォルク!」

「ひぃッ! 今度はカビを食わせる気か!?」

 魔王城の食卓革命は、加速度的にカオスを極めていく。

 私の科学マッドなクッキングは、まだ始まったばかりだ。

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