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師弟失格  作者: 守野伊音
師匠失格
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 私は本当に至らない師だ。他の人に託す前に、私に教えられることは全て教えたつもりだったけれど、とても大切なことを教え忘れていた。

「ルタ……あのね」

「はい、師匠」

 顔を覆っていた骨のような両手を外すと、色の変わった朝焼け色の髪が見える。その向こうに、殊勝な顔をした可愛いルタがいた。こんな事態なのにきゅんきゅんする。

「確かに、天人の羽は人間を持ち主と同じ生の中に包み込むことが可能よ?」

「はい、師匠」

「だけど、それはね?」

「はい、師匠」

 殊勝に頷くルタに、にこりと微笑む。

「相手と同意の上に成り立つものなのよ!」

 私は、広く大きなベッドに寝かされながら、ベッドの持ち主であるルタの頬っぺたを抓りあげた。



 無理矢理ルタの生の中に組み込まれた私は、死んだほうがましだと思う痛みを味わった。二度目の生涯を終えたと思うほどの激痛だった。最後に聞こえたのがルタの絶叫だったのは、私は激痛のあまり声すら出せなかったからである。

「誰か伴侶を得て、悠久の時を共に生きろと仰ったのは師匠ではありませんか」

「誰がこんなややこしい関係の相手を選びなさいと言ったの!」

 ルタの羽を得た私は、魂の作用かルタの中の記憶か、髪が昔に戻っていた。どうせなら身体も戻ればいいのに、そこはやせっぽっちのままだ。

 がりがりに痩せて骨と皮だけになった指で、傷口があったはずの場所に触れる。

「大体あなた、こんな傷を今生に残すほど私を恨んでいたんじゃなかったの!?」

「申し訳ありません。あの傷は、恐らく俺の執着が形になったのだと……この千年、世界のどこかに師匠の魂が生まれ変わっているのかもしれないと考えることがありました。その度、俺のことも何もかもを忘れて、幸せに生きてほしいと思いました。それと同時に、俺の知らない男の傍で笑っているのかと思うと、死にたくなりました」

「死にかけたのは私ですけど!? 致命傷を執着の形にする子がありますか!」

 私は片手で顔を覆って、がっくりと項垂れた。疲れた。死にかけただけじゃなくて、それ以外の理由でとても疲れた。

「命を救ってくれたことには感謝します。が、いいからあなたは誰か素敵な伴侶を見つけなさい。この羽のおかげで、私は遠く離れてもあなたが生きていることが分かりますし、あなたもそうでしょう。色々と予想外のことが重なりましたが、私はこれで、生きてあなたの幸せを祈ることができます。だから」

「師匠、一つ質問しても宜しいでしょうか」

「礼儀正しく師匠の言葉を遮らないでもらえると嬉しいのだけど、何かしら」

「今までの師匠と今の師匠、どうやって切り替えておられるのですか?」

「うぐっ」

 それ聞く? 聞いちゃう?

「どちらが本当の師匠ですか? どちらもですか?」

 それ追及する? 追求しちゃう?


 どっちも私だけど、アセビは素で、師匠はちょっといいとこ見せたくて虚勢が入っている。言うならば、内面と外面。外ではきりっとした人で通っていた人が、家族の前でごろにゃんと甘えている所を見られたような気恥しさがある。

 どう答えたものか、もうしれっと誤魔化してしまうのがいいかもしれない。

「俺はどちらも好きですが」

「うぐっ」

 誤魔化そうとしたところにこれである。もういいから、ルタは黙ってくれないだろうか。あれほど会話したいと願っていたのに、今はとにかく黙ってほしい。欲望とは果てがなく、また、女とは我儘なものなのだ。



「師匠は、まさか神殿を出ていくおつもりですか?」

「私が傍にいるとやりづらいでしょう? 大丈夫、あなたのおかげで身体も健康になったし、寿命は転々としながらならばれやしないもの」

「俺は、貴女を愛していると言いました」

「私も愛しているわ、ルタ。だから、幸せになってね」

 あの時は死ぬと思っていたからつい白状してしまったけれど、さすがにそこまで師匠失格になりたくない。まだ師弟愛、家族愛と誤魔化せる範囲内だったはずだ。おそらく、願望を多大に含んでいる予想では。

 それに、ルタは私を憎んでいなかった。私を師匠と呼んでくれる。私を、師と、認めてくれているのだ。その期待に応えられなくて、何が師匠だ。

 だから私は、師匠らしくにこりと笑顔を浮かべた。

「私はあなたの幸せを祈っているわ」

 祈る神はもうないけれど、私達がいた空に祈っている。なんだったら、あなたが千年間大切に持ち続けてくれた懐中時計の空に祈ってもいい。空が繋がり、あなたと同じ時を生きていく幸せを感じられる。あの終わりだけでは得られなかった答えをもらったいま、怖いものは何もない。

 ルタには、私よりその隣が似合う子が必ずいる。幾ら和解できたとしても、ここまでこじれきった魂の相手じゃなくて、お互いの欠けた部分をかちりと合わせ、互いを温め合えるような関係の人がきっと。私はきっと今なら、その二人が寄り添う姿を穏やかな気持ちで見送れる。

「だから、ルタも私との関係を他の人に言ってはいけませんよ? 特に老身には衝撃が強すぎて、昇天してしまうかもしれませんからね!」

 今までの分も含めて師匠らしさを発揮する私の手を握り、ルタは悲しげに目を伏せた。

「せめて、もう少しだけ、いては頂けませんか? 俺は、貴女に話したいことがたくさんあるのです。あの頃言えなかったことを、聞いては頂けませんか?」

「ルタ……」

 ルタが悲しそうだと私も悲しい。ルタが苦しそうだと私も苦しい。

「俺は、貴女に手を引いてもらえて嬉しかったのです。ただ一人の王の子として厳格に育てられていた俺にとって、初めて子ども扱いしてくださった貴女に、どんな顔をすればいいのか分からず失礼な態度ばかりでした……こんな俺の傍には、一秒だっていたくないのも当然ですが」

 私は、慌ててその手に自分の手を重ねた。

「そんなことはないわ! 私はあなたとこうやって話せる日を夢見ていましたからね。分かりました、ルタ。出発はもう少し後にします。でも、他の皆には内緒ですよ? 後、私を掃除の仕事に戻しなさい」

「はい、分かりました。師匠」

 そう言って顔を上げたルタが浮かべていた微笑みに私は、神に、世界に、運命に、命の全てに感謝した。






 昨日と何も変わらない世界は、それでも何もかもが違って見える。

 青空は輝いているし、通り抜ける風すらもきらめいていた。ああ、生きているって素晴らしい!

 私は、タイルを擦りながら満面の笑顔を浮かべた。そんな私に、引き攣った笑顔を返してくれるローリヤ。

「……アセビ」

「今日もいい天気ね! ローリヤ!」

「……アセビ」

「あ、ローリヤ、そこのブラシ取ってもらっていい?」

 目の前に所望したブラシが現れる。

「はい、師匠」

「ローリヤ、ブラシ取ってもらっていい?」

「師匠、このブラシではありませんか?」

「ローリヤさ――ん?」

 無理やり視線をずらして見つめたローリヤは、次の瞬間には私に詰め寄っていた。

「王様の手からブラシを奪い取って渡せって言うの!?」

「アハハハ、オウサマナンテドコニ――」

「いやぁあああ! アセビが壊れたぁ!」

 駄目だ、現実逃避したって目の前の弟子は消えない。いや、ルタが消えたら泣く。号泣する。今は亡き神の胸倉を掴みに特攻するくらい泣き叫ぶ。

 大好きなルタが、目の前でにこっと笑ってくれる幸せの為ならば、円滑な職場関係が崩れ去るくらいなんだ。名残惜しいにも程があるけれど、弟子の幸せの為に師匠が犠牲になるくらい、なんだ!

 たとえ、約束通り周りへの説明一切なしに私を師匠と呼び、師匠と立て、師匠の仕事を手伝って一緒に掃除をしていても、それは真面目なルタの心からの行動ならば、受け入れるのが師匠の役目!

 涙を飲んで顔を上げた私の視界で、引き攣ったローリヤが目に入る。私は、ルタと同じようににこっと笑顔を返した。

「王様」

「どうぞ今までのようにルタとお呼びください、師匠」

「……王様」

「ルタ、と。別にルタ・ミソギハギとフルネームでお呼び頂いても結構ですが、師匠の良しなに」

「……ルタ」

「はい、師匠」

「………………ここは人手が足りていますから、他の場所をお願いします」

 ローリヤは絶叫した。

「アセビ、たぶんそれじゃない!」

「違う! そうじゃない!」

 遠巻きというには近い距離で近巻きにしていた人達も絶叫した。

 猛反対を食らった私も涙目だ。弟子の行動を受け入れたいけれど、友達の涙目もどうにかしたい。そう考えた末の渾身の策だったのに。

 どうすりゃよかったんだと頭を抱えていると、ルタは少し考えて頷いてくれた。

「分かりました。では、また後ほど」

 軽く礼をして去っていったルタに、慌てて随身達がついていく。


 そうして、私の仕事場にしばしの平穏が訪れた。いや、いつもの平穏だ。この平穏がしばしであって堪るか。

 室内なのになぜか吹き抜けていった木枯らしを受けながら、ローリヤがぽつりと言った。

「……アセビ?」

「……はい」

「……私、あなたに言っておかなきゃいけないことがあるの」

「……はい」

 私達は、ルタが去っていった方角を見つめながら立ち尽くしている。周りにいる人達も、今ばかりはサボるなとは言わなかった。

「昨日いきなりアセビの髪が伸びて色が変わったことも、王様の様子が激変したことも、アセビが師匠って呼ばれていて、王様の名前を知っていて呼び捨てにしていることも、一先ずおいておくとして」

「ん?」

 突っ込まれると思っていた箇所全部置いた上で伝えられること。私は、知らず緊張してきてごくりとつばを飲み込んだ。

「わ、私ね? その……あ、あいつと、その……け、結婚が、決まりました」

「ええ!? お、おめでとう! うわぁ! おめでとうローリヤ!」

「あ、ありがとう!」

 耳まで真っ赤になったローリヤの両手を握って飛び跳ねてしまう。なんて素敵でおめでたい!

 我がことのように、否、我がことより嬉しくなって祝福の言葉を連ねる私に、恥ずかしそうに身を捩っていたローリヤは、すぅっと真面目な顔になった。

「仕事は続けるけど、部屋は家族用の宿舎に移動になるの。だから、残念だけど、あなたとの同室が解消されてしまうのよ」

「あ、そうか……うん、残念だけど、おめでたいことだもんね!」

 仕方がないことだ。でも、それだったら、もう新しい人と同室になる前に神殿を出たほうがいいかもしれない。これからの予定を尋ねようとした私は、未だ真面目な顔をしているローリヤに首を傾げる。

「あのね、アセビ」

「うん?」

「私、それを昨日室長に報告に行ったの。そしたら……その……王様の寝室の隣が大改装されることになったんだけど…………何か聞いてる?」

 木枯らし再び。室内だというのに、木枯らし達は頑張り屋さんだ。



 両手で顔を覆って項垂れた私の肩に、ローリヤが恐る恐る触れた。

「老臣様方がアセビのこと、往生際が悪いわいって言ってたけど……その、なんで駄目なの?」

「……ローリヤ、私ね、ルタのこと愛してるの。もう、目が合うだけできゅんきゅんするくらい大好き」

 がたがたがたと周り中から音がした。誰かが走り出す前に慌てて続ける。

「でも、私、これ以上師匠失格になりたくないの!」

「え!? 師弟でも恋人になれるわよ!?」

「え!?」

「私の両親師弟よ!? 別に立場乱用して強要とかしないんであれば、師匠失格だなんてならないわよ!?」

「ええ!?」

 ちょ、待って、今の無し。いま正に走り去っていた人待って! どこに何しに行っているか教えて! それ伝えるのはほんと待って!

 慌てて追いかけようとしたけれど、はっと気づく。いま走り去っていった人が向かった方向は私達の宿舎がある方角だ。なんであっち行った?

 そして、その方向からローリヤの婚約者ガラムが走ってくる。廊下を走るなんて彼らしくない気がするし、髪を振り乱して走るほど慌てる何があったのだろう。ローリヤも首を傾げた。

「ローリヤ、アセビ! 王様が師匠の寝室を整えるのは弟子の務めと仰って君達の寝室に特攻かけていらっしゃるんだけど、どうしたらいい!?」

「ルタ――!」

 最後まで聞かずに猛然と走り出した私の後ろで、老臣達の感涙に咽び泣く声が聞こえてくる。

「歴代側近の方々の墓前に報告だ! 王様の孤独をお救いするという長年の悲願が、ついに、ついに果たされた!? と!」

「疑問形ありがとうございます――!」

 走り去りながら、心からの感謝の気持ちを込めて叫んだ私に、早く感嘆符だけにさせろという怒号が老臣以外からも飛んできた。彼らの願いを叶えようと、思いっきり息を吸い込む。

「!!!!!!!!!!!!!!!!」

「ちょ、お前それどうやった!?」

 感嘆符だけを固形にして周囲に散らばらせて、今度こそ止まらずに走り去った。

 出来の良い弟子は、私に埋め込んだ羽の出来までいいらしい。

 私は、懐かしい感覚に包まれながら、自分の羽を開いて飛び上がり、一目散に宿舎へと急いだ。



 弟子より弱い。

 弟子の力で命を繋いで空を飛ぶ。

 弟子に惚れる。



 それのどれもが師匠失格だ。弟子に惚れるに関してはどうやら失格ではないようだけど、まあ保留にしておこう。

 そんな中で、師匠失格暫定一位は、私の力の波動に驚いて宙に飛び上がったルタの美しい顔向けて、久しぶりでうまく飛べないままに頭突きを食らわせたことだと思うのだ……。


 ここから先、どんな師匠失格をやらかすのかは自分でも分からない。これまで以上の失格はない気もするけれど、何があるかは分からないのが運命だ。

 それでも、ルタが私を師匠と呼んでくれる限り、私は彼の師で、彼は私の弟子なのである。

仮令その関係に、別の関係が加わったとしても。







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[良い点] 感嘆符のくだり好きすぎる
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