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「王様――、私をクビにしてくださいよぉ」
情けない声を無視されつつ、ルタが読み終わった本を棚に戻す。そして、ルタが好きそうな本を選んで積み重ねて持っていく。ルタ、読むの早いな。さすが出来のいい子! 可愛い!
「王様、ずっと一人で寂しくないですか?」
ルタの座っている向かいに椅子を引きずってきて座る。
クビを覚悟していると、怖いものは何もない。いや、掃除人までクビになって神殿から叩き出されると、ルタと会えなくなるので怖いけど。後、住む場所がない。
昔は、出来の良い弟子に恥ずかしくない師であろうといろいろ取り繕っていたけれど、今はそんな努力する必要がないので、勢いだけで生きていける。こういう形でルタと関わるのは、これはこれで凄く楽しい。
「ねえ、王様、伴侶と二人で悠久の時を生きるのって素敵だと思いません? 二人でなら、寂しくっても平気だってなりません?」
「うるさい」
今日もルタが私と会話をしてくれた。幸せだ。
「やっぱり王様くらい美人さんじゃないと駄目ですかねぇ。それとも、その量の本をぺろりと平らげてしまうくらいの才女さんですか?」
「じゃあ、お前」
「私ですか? 嫌ですよ!」
ばんばん机を叩いて抗議する。ルタはようやく本から視線を外して私を見た。
「自分が嫌なものを他者に押し付けようとするな」
「だって、王様みたいな美人さんの横にこんな枯れ箒を立て掛けるなんて、それこそ冒涜ですよ! 王様を掃除道具箱扱いですよ! 許されませんよ!」
私の渾身の抗議を聞いたルタは、ぽかんと口を開けた。
ぽかんと。
ルタがぽかんとしてる。可愛い。ルタ、可愛い、嬉しい。
あの頃見られなかったルタの感情が零れるのがとても嬉しいと同時に、ちょっと寂しい。やっぱりルタは、私に気を許していてはくれなかったのだと再確認してしまう。それはそうだろう。だって、憎まれていたのだから。
私はちらりと後ろに視線を向けて声を潜めた。
「それに、冗談でもそんなこと言ったらまずいですよ。私以外にも王様に伴侶をと切望している人は大量にいるんですから。ほら、みんな何か書きとめ出したじゃないですか! 私みたいなのが好みだと思われて、困るのは王様ですよ!」
ねえ、ルタ。私みたいなのがずらりと並べられたお見合い会場を思い浮かべてみなさい。最悪でしょう!?
思わず涙ぐんでしまった私に、ルタは変なものを見るような瞳を向けた。
「お前、変な奴だな……」
変なものを見るような瞳じゃなくて、変なものを見ていたようだ。
ルタが私をお前と呼んでいるのに、未だに慣れない。昔はずっと「師匠」だったからだ。でも、他の人に弟子入りすると私は元師匠になるから、名前で呼んでと言い続けて十年。それが叶ったことは終ぞなかった。そりゃあ、呼びたくもないだろう。親の仇の名なんて。
だから、お前呼びが実は楽しい。なんだか対等になれた気分だ。師弟ではなく、ただのルタと私。こんな出会い方もあったんだなと、ちょっと面白い。
ずっと遠巻きにされていたルタは、実はこんなに喋りやすいんだと、みんな早く気が付かないかな。そうして、皆の中で楽しそうに笑っているルタを見られる日が来るといいな。
私は、まるで昔食卓で向かい合っていたような気分になって、肘をついた手に顎を乗せてうっとりとルタを眺めた。
ちなみに、ルタってとっても会話上手で喋りやすいですよね、みんな気軽に話しかけるといいですよねと老臣にうきうき自慢したら、目を逸らされた。何故。
困った。クビにならない。
かなりうるさくしている自覚があるだけに、クビにならずに首を傾げる。あまりにクビにならないので、側近の一人を掴まえて聞いてみた。
「そりゃ、なりませんよ。あなたから辞めたいと言い出さない限り」
「言ってますよ?」
「だって許可していませんから」
「そこはしてくださいよ!?」
何でも、今までルタの側付になって辞めていった美しい女性達は、ルタに恋をして、焦がれて、叶わぬ恋に自ら暇を頂きたいと申し出てきたらしい。つまり、ルタからクビを言い渡したことは一度もないのだそうだ。
「何故ですか?」
「王はとてもお優しい方ですから。ご自分が暇を出したと知られれば、その女性達が後々生きづらくなると」
ルタって優しい。人間には、とても優しい。
こんなに優しいルタだ。そりゃあ、女性達の胸を貫いてきたことだろう。
私の胸も貫いた。私はきゅんとした胸を押さえてよろめく。そういえば、ルタがあまりに素晴らしいからしょっちゅう胸を貫かれているけど、物理的にも貫かれたことがある女は私だけだろう。
私は胸の布がずれてないか確認して拳を握った。
「よし、この手でいこう」
「どの手ですか。やめときましょうよ。どうせ無駄ですから」
「やる前から諦める姿勢はよくありません! 王様に悪影響を及ぼすといけませんから改めてください!」
モンスター師匠と呼ばれても、弟子の精神に悪影響を及ぼす事態は見過ごせない。
私は側近を叱り飛ばし、そのままくるりと振り向いた。
「王様!」
「いらっしゃったのですか!?」
廊下の角からゆっくりと出てきたルタに、側近の青年は飛び上がって跪く。側近を飛び越えてルタの前に走り寄ると、私は両拳を握って力説した。
「王様! あなたに惚れました! あなたの傍にいると胸を貫かれてよろめきます! このまま叶わぬ恋に身を焦がすと、私は灰になってしまいます! 早くちりとりで掃かないと、もしも水を含んでしまうとこびりつくわ重くなるわで大変なので、暇をください!」
「……………………うるさい」
そうして今日もクビにしてもらえなかった。どうやら、私の渾身の告白は見破られてしまったようだ。
その慧眼、さすがルタ!
神殿で働き始めてもう半年。
そろそろ次の段階に進みたいと思う。
「王様、王様。いい天気なんで、どこか出掛けませんか? 今日は街のほうでお祭りがあるそうですよ!」
「うるさい」
今日もルタが会話をしてくれた。大変幸せだ。九割くらい同じ言葉だけど、返してくれる回数が増えてきて凄く幸せである。
じぃんと幸せを噛み締めていると、向こうの通路から若い女の子が四人固まって声を張り上げた。
「王様――! おはようございます――!」
「ああ、おはよう」
穏やかな声に、きゃああ! と黄色い悲鳴が上がって両手がぶんぶん振られている。
最近、若い者を筆頭に、勢いで挨拶をしてくれる人が増えてきた。何より凄いのは、ルタがそれに返事を返すことだ。流石に全員に返すのは大変だから、視線を向けるだけだったり軽く片手を上げるだけだったりするけれど、ちゃんと反応している。
ルタがご近所付き合いを身につけた! 師匠嬉しい!
あれ? でも待って?
「王様、おはようございます!」
「うるさい」
「本日も美しいですね!」
「うるさい」
私への九割は揺るがないようだ。つまり、私は特別ですか? ルタ、師匠嬉しい!
でも、私以外の誰か特別な人を作ってね!
私は、両手に積み上げて山積みになった本で遮られた視界から、首をひねってルタを見る。ルタ、今日も読書家ですね。
ルタは、いつもいつも本を読んでいる。本は次から次へと補充されるから、読む物には事欠かないだろうけど、やっぱりお出かけもしたらいいと思うのだ。天気のいい日は外で読むから、今日もこうやって外に運んでいるけれど、やっぱりお出かけもいいものだと思うのだ。
「別に出入り禁止って訳じゃないのに、どうして出掛けないんですか?」
「うるさい」
「一年に一回のお祭りですよ――? あ、それとも行き飽きちゃいました? あれ、でも、行ったことないってお爺ちゃんが言ってましたよ?」
老臣から教えてもらった情報を思いだした私に、ルタは舌打ちした。
「余計なことを……」
ルタが舌打ち。やだ、不良! 可愛い!
聞き分けも出来も良い弟子から、反抗期どころか憎悪が飛んできた身としては、新鮮すぎてときめく。
もう一回舌打ちしないかなとうきうき見つめていたら、心底嫌そうな視線を向けられた。あの感情の見えない瞳で貫いてきた時に比べたら、ルタの気持ちが分かって嬉しい。
「やだぁ、王様ったら、そんな嫌そうな顔してもお美しいですね!」
「……凄いな、お前」
「え!? 何がですか!?」
「俺は、長く生きてきて、今ほどいらついたことはない」
「王様の初めてありがとうございます! 大変光栄です!」
生まれ変わってくるまでに千年かかってスタートダッシュに出遅れまくったけど、誰も頂いたことのないルタの初めてを頂いてしまった。こんな光栄はなことはない。
思わぬ名誉を頂いた嬉しさに飛び跳ねてしまった私から本を奪ったルタは、なんともいえない瞳で見下ろしてくる。
「…………もう、やめろ」
「何がですか?」
「俺は、お前に気にかけてもらえるような存在じゃない」
不自然な風が吹いて、ルタの長い髪がふわりと舞う。黒なのに光を弾いて色を放つ様があまりに美しくて、思わず見惚れそうになるのを慌てて戒める。だって、ルタが私と話しているのに、余所事を気にするのは駄目だ。
「俺は、幸福を感じてはいけない」
「何故ですか?」
「天界を、滅ぼした」
思いもよらない言葉が出てきて、反応が遅れる。それをどう受け取ったのか、ルタは赤い瞳を少しだけ伏せた。どうしたの、ルタ。悲しいの? 寂しいの? ルタ?
私、駄目な師匠だったけど、話を聞くくらいなら出来るよ?
「それが願いだったのでは、ないのですか?」
人間は、天界を滅ぼしたかった。上空から落とされる気紛れな雷を、理不尽に奪われる愛しい人を無くすために戦った。
そしてルタは、両親を殺した仇、私を殺すために、一度死んでまで復讐を果たしにきたのだ。
「王様の願いは、叶ったのではないのですか?」
だからそんな悲しい顔をするの? 何が叶わなかったの?
私は思わず伸ばしかけた手を必死に押さえる。駄目だ。今の私には、その頬に触れる権利はない。いや、きっと、昔にだってなかった。一度だって、私は、この子に触れる権利はなかったのだ。
ルタは、悲しい瞳を更に伏せた。
「天界は、俺達と同じだった」
「え?」
「ただ滅ぼすべき悪だと断じるほどの何かだったとは思えない。人間と同じように、働き、子を育み、明日の約束をして眠る。同じだったんだ。だが、俺はそれを滅ぼした。最早人間は止まらぬと、それを言い訳にして、乳飲み子まで全てを殺し尽くした。その罪が何故許される。誰かに愛されるを許されるはずもない。だから俺は、この身が朽ちるまで誰かと温度を交わし合うつもりはない」
「誰がそんな馬鹿野郎なことを!」
「…………は?」
私は思わずルタに掴みかかっていた。ルタが抱えていた本がばらばらと床に落ちる。
胸倉を掴み上げて、自分よりかなり背の高いルタに大きくなったなぁと感動する余裕もなくてがくがく揺さぶった。
「一体全体、誰がそんな大馬鹿野郎なことをあなたに言ったのですか! 私に教えなさい! 今すぐぶん殴ってきますから!」
「何を……やめろ! 俺が、自分でそう思ったんだ!」
「あなたですか! 分かりました! ぶん殴ります!」
ぐわっと拳を振り上げて、はたと気づく。え? ルタ?
危うく可愛いルタをぶん殴りかけた拳を解く。勢いを殺しきれずにルタの胸に突っ込んだけれど、殴らなくてよかったとほっとした。しかし、慌てて胸倉を掴み直す。
「いいですか!? 基本的に、滅ぼされたほうはあなたが何したって恨みますよ! あなたが誰かと愛し合って幸せに暮らせば『きぃい! 何よ! 私達を滅ぼした癖に!』って恨みます。逆に、あなたが一人孤独に生きて死んでも『きぃい! 何よ! 私達を滅ぼした癖に人生投げ出したわ!』って恨みますよ! だったら幸せでいいじゃないですか! どうせあのままいったら、いつか戦争がめんどくさくなった天人に人間が滅ぼされていましたよ! いいですか、王様。天人は生存競争に負けたんです。ただ、それだけのことです」
人型をした生き物の同士の生存競争で負けた。食物連鎖のようなものの結果を、ルタが一人で背負うのはそれこそ傲慢というものだ。
「それに、もう千年です。天界が滅びて、千年です。千年間を天人への贖いに使ったのなら、今度は人間の願いを叶えてあげたらいいんじゃないですか? ほら、みんな王様が好きな人と幸せになる未来を願ってますよ!」
私は胸倉を握ったまま、さっき女の子達がいた場所を向く。
「手始めに、さっきいた女の子の中では誰が好みですか! さあさあ、私と恋バナしちゃいましょう! 何でしたら、休憩所をちょっと覗いてみて、好みの子がいれば私に耳打ちなんてしてくれちゃいましたら、私張り切ってあなたとその子の縁を繋いでいったぁ!」
脳天に落とされた手刀は、足の先まで衝撃を放ってきた。涙目で見上げると、鬱陶しい物を見る紅い瞳と、未だ掲げられたままの手刀がある。
ぴしりと揃えられた指先まで美しいなんて、さすがルタ!
「大丈夫です、王様! 王様ならどんな子も一瞬で好きになります! あっという間に両想いです! だからフラれるとか心配しないで、どんどんいきましょいったぁあああ!」
繰り出された二発目も、それはそれは大層美しい手刀でした。




