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無能で役立たずの俺が「お前との婚約は破棄だ!」と言われたら、竜王の娘に「今すぐ結婚してください」と迫られた!? ~俺、そんなに大したことしてないんですけど?~

作者: しろ
掲載日:2026/05/21

 「レイン・ノクス。貴様と令嬢との婚約を、今ここで破棄する」


 カイル第二王子殿下が、全校生徒の前でそう宣言した。


 俺の返答はシンプルだった。


 「あ、そっすか。じゃ、昼飯行っていいですか」


 中庭が、凍りついた。


---


 王立アルカディア学園。昼休み。数百人が見守る中庭の真ん中で、俺は欠伸をこらえながら立っていた。


 事の発端は俺の婚約者、リリアーナ令嬢の一言だ。「無能な死神紋章持ちとの婚約が恥ずかしい」という言葉が殿下の耳に入り、殿下が「俺が代わりに婚約破棄してやろう」と買って出た

——らしい。


 正直、なんともお節介な話だなあと思った。リリアーナ本人が俺に直接言えばよかっただけの話で。


 でもまあいいか。俺もあんまり乗り気じゃなかったし。


 「……"そっすか"だと?」カイル殿下の目が据わった。


「この場がどういう場かわかっているのか! お前は今、公開で恥をかかされているんだぞ!」


 「あー……」俺は頬をかいた。「なんか、すみません。怒らせてしまいましたか」


 「怒って当然だろう!!」


 「いや、俺じゃなくて殿下が怒るのが不思議で」


 「貴様が怒らないことに俺が怒っているんだ!!」


 「そういうもんなのか」


 「そういうもんだ!!!」


 わからん。貴族って難しい。


 俺がぽりぽりと後頭部を掻いていると、周囲がざわざわし始めた。同情の目、嘲笑の目、好奇の目。いろんな視線が刺さってくる。


 正直、全部どうでもいい。


 昼飯のほうが気になる。今日は食堂に新メニューが入るって聞いてたんだよな。


 「あの」俺はおそるおそる手を挙げた。「もう行っていいですか」


 「よくない!!」


 「そっかー……」


 困ったな、と思ったその瞬間だった。


 ざわめきが変わった。


 さっきまでの「嘲笑と同情」のざわめきとは、明らかに質が違う。人込みが、左右にさっと割れていく。まるで水が引くみたいにだ。


 「——少し、よろしいですか」


 声がした。凛とした、静かな声だった。


 銀色の長い髪を後ろで緩く束ね、制服のリボンをきちんと結んだ少女が、人込みの中をゆっくりと歩いてくる。早足ではあったものの、走ってはいない。けれどその歩幅は大きく、迷いがなく——ひどく、急いでいた。


 見覚えがある。三ヶ月前に入学してきた転入してきた——竜王国の第一王女、セレフィーナ・ドラグニス。


 学年トップの成績。魔力測定では計測不能の数値を叩き出し、先月の剣術大会では教官を相手に軽々と五本取って「もう教えることがない」と言わしめた、この学園で知らない者のいない存在だ。


 その彼女が今、まっすぐに——俺のほうへ向かってきていた。


 俺とは一度も話したことがない。


 なんでこっちに来るんだろう。そんな疑問が頭の中を支配していたとき......


 セレフィーナは俺の前で立ち止まった。いつもの涼やかな顔に、今日だけは少し血の気が上っている。胸に手を当てて、短く息を整えてから、口を開いた。


 「失礼を承知で割り込みます。——レイン・ノクスさん。三年前のことを、覚えていらっしゃいますか」


 「いきなりなんなんだ、というか三年前……?」


 「密林の中で、銀色の子竜が罠にかかっていたことがあったかと思います。助けてくださったのは、あなたでしょうか」


 ——あ。


 思い出した。


 三年前、冒険者の仕事を手伝いに行った密林で、でっかい罠に前足を挟まれてぎゃんぎゃん鳴いている子竜がいた気がする。かわいそうだったので罠を外して、近くの集落の入り口まで送ってやったのだが......あの子か。


 「えっと……竜の子って、成長すると人になるのか。知らなかったな」


 「そんななわけがないでしょう!竜族は人化できるんですよ!」セレフィーナはわずかに目を細めた。


 「あの時、あなたが助けてくださらなければ私は死んでいました。三年間、ずっとお礼を申し上げたかったんです。でも——」


 一瞬、迷うような間があった。それから彼女は、覚悟を決めたように顔を上げた。


 「——今日、機を逃せばまた言えなくなると思って。少し、礼を失した形になってしまいましたが」


 「あー、別にそんな気にしなくても——」


 「加えて、一つだけ聞いていただけますか」


 セレフーナは俺の言葉を華麗に遮り、一拍を置き、何やら大事なことを伝えたさそうにしていた。


 そんなふうに、俺の言葉を遮ってまで彼女が伝えたかったことというのが何か気になり、何も口を出さずに待つ。すると、ここにいた誰もが想像するにしえなかった、驚きの事を口にする。


 「私と、結婚してください!」


 中庭の空気が、再度凍りついた。


 「……は?」俺は間抜けな声を出した。


 「急な話ではありますが、竜族の番というものをご存じですか?」そう問いかけた後、セレフィーナは続けた。声は落ち着いていたが、頬がじわじわと赤くなっていくのは隠せていない。


 「一生に一度だけ、魂で決まる伴侶のことです。三年前、あなたに助けていただいた瞬間——まるで、もともとそうだったかのように、決まりました」


 「ちょ、待って、話が——」


 「先ほど婚約が解消されるのを聞いて、今しかないと思い、割り込まさせていただきました」彼女は少し目をそらす。


 「……本当は、もう少し落ち着いた場でお話しするつもりだったのですが」


 「じゃあそっちにしてください」


 「気づいたら歩いてきていたんです!」


 「……それは計画性がないのでは」


 「否定できないのが悲しいところです.....」


 なんだか少し、正直な人だな、と思った。


 「……あのですね」俺は慎重に言葉を選びながら話し始める。

 

 「俺と結婚したいとか言ってますけど、三年前にちょっと会っただけの相手ですよ。かの有名な王女が、そんなので婚約相手を決めていいものなのか......」


 「歴とした理由はあります!実はあの時、私が捕まっていた罠は、神聖封印術式だったんです」セレフィーナは静かに言う。


 「竜族の魔力を完全に封じる古代の術具で、現代にあの術式を完全に解き切ることができる人はいないと言われています。あのまま放置されていれば三日以内に絶命していました。——このような理由から、私からしたら全然ちょっとではありません!」


 「……そうなのかな、?」


 「そうなんです!」


 全然知らなかったや。ただのでっかい罠だと思って弄ってたら、なんか解けただけなんだけどな......


 「それを、素手で?」後ろからカイル殿下が震えた声を出した。


 「神聖封印術式というのは、神聖な力の反対にある、邪悪の力が必要になってくる。それを持っている人間は、今この世界中どこを探しても、一人たりともいないはずだ!」


 「えっ、素手ではないですよ。岩で叩いて壊しました。その邪悪の力?というのがどんなものかはわかりませんが.....」


 「岩で!?」


 「もともと古そうだったし、ちょっと力入れたら割れましたよ」


 殿下の顔がみるみる青くなっていくのはなぜだろうか?


 「神聖封印術式は竜族以外には視認すらできないはずだ……」殿下がぶつぶつ言っている。


 「それを岩で叩いて割るというのはおかしい。しかも、魔力を1ミリたりとも持ってすらいないこの男が——」


 「一応、見えてはいましたよ、?黒っぽい光が出てたし......」


 「"黒っぽい光"が視えているのか……!?」


 「なにか問題でしたか」


 「大問題だ!!」


 だんだんカイル殿下の言うことがわからなくなってきた。俺がぽかんとしていると、セレフィーナが俺の腕をそっと掴んだ。


 「——話を、続けてもいいですか」


 「まあいいけど、結婚してほしいって話でしょ」


 「そうです」今度は声が少し小さかった。


 「……改めて言うとなると恥ずかしいものですね」


 「さっきはそんな様子すら見せなかったが」


 「必死だったので」


 「……はあ」


 「あのですね」俺は困り顔で言った。


 「竜王国の第一王女と俺みたいな平民が結婚するのは、国際的にいろいろまずくないですか」


 「竜族の番は、種族も身分も関係ありません。神が定めた伴侶に、人間の格式は意味を持ちません」セレフィーナは落ち着いた声で続けた。「父上も必ず認めます。——実は昨日、手紙を」


 「……昨日?」


 「実は、あなたが番だとわかったのが入学初日でしたので.......約三ヶ月前です」


 「なんで三ヶ月も黙ってたんですか」


 「……声をかけるきっかけが、なかなか」彼女は少し視線を下げた。


 「あなたはいつも一人でいて、話しかけられることを好まない様子でしたから。踏み込むのが、躊躇われました」


 「今日は踏み込んできたのに?」


 「婚約解消の話を、中庭を通りかかった時に聞いてしまったんです」セレフィーナはわずかに眉を寄せた。


 「……今しかないと思ったら、足が勝手に動いていました。我ながら少し、みっともなかったかもしれませんが」


 みっともなくはないな、と思った。むしろ——なんか、すごく、健気な気すらした。


 三ヶ月間、ずっと待っていて、たまたま通りかかったその場で決意して歩いてきた。


 「ちょっと待ってください!」


 リリアーナがここで声を上げた。ずっと黙っていたが、ぷるぷると震えている。


 「なんでしょう」とセレフィーナが振り返った。表情は穏やかだった。ただ——その目が、少しも揺れていない。


 「あなたはレインのなんなんですか! 突然現れて結婚などと——。それにこの男は無能で、魔力もなくて、剣もまともに扱えないーーーー」


 リリアーナは次々と、俺の悪いところを並べていく。元とは言え、婚約者だったやつによくそこまで言えるなとは思いつつも、どこか的外れなことを言っている気がした。


 「ーーー勉学だって平均以下、加えて、あの不運の権化と呼ばれている、死神の紋章を持っているんですよ!なぜ、そんなこいつに貴方なんかが......」


 「竜族の番です。先ほど申し上げましたはずですが」


 「そんな話、信じられません!」


 「信じていただかなくて結構です。事実ですので」セレフィーナは静かに続けた。


 「ただ——あなたは今日、この方との婚約を解消しました。であれば、この方の今後についてあなたが口を挟まれる理由はないかと思いますが」


 リリアーナが、何も言えないといった様子で固まった。


 「それよりも」彼女は少し首を傾けた。

 

「一つ、お聞きしていいですか。この方が三年間、何をしてきたか——あなたはご存じでしたか?」


 「……何をって、そんな大それたことをこいつができるはずないでしょう!さっきも言った通りこいつは無能でーーーーー」


 「学園の東側に小さな泉があります。三年前は枯れかかっていましたが、今は水量が回復しています」


 セレフィーナは彼女の言葉を遮り、いきなりそんなことを言い出した。


「それが、なぜだか知っていますか?」


 「……知らない」


 「この方が入学してすぐに、泉の周りの地脈を直したからです」


 「ちょっと待て」俺は慌てて口を挟んだ。


 「そんな大層なことしてないはずだ。なんか詰まってるのが気になっただけで、ちょっと土いじりしたら水が出てきた——」


 「地脈の修復は本来、大陸規模の大魔術師が何年もかけて行う作業です」セレフィーナは静かに、しかし明確に説明し始める。


 「あなたの中では〝ちょっと土いじり〟の感覚で合っているのかもしれません。ーーーー他の人間には不可能なだけであって」


 「……え」


 もしかして俺、知らず知らずのうちにすごいことをしていたのか......?てっきり誰でもできるものだと思ってたんだが。


 「では......」カイル殿下が震えた声で続けた。


 「二年前に学園の魔力炉が暴走しかかった時、一晩で安定させたのも——」


 「一応、俺ですけど」


 「なぜ黙ってた!?」


 「言う必要なかったし、勝手に直したら怒られそうだったから、」


 「怒るわけがないだろ! なぜ怒る!?」


 「なんか昔、余計なことするなって言われたことがあって……」


 「それは別の話だ!!」


 どうやら違ったらしい。複雑で難しいものだな....


 「去年の大雨で川が氾濫しかけた時も、上流の土砂が一晩で動いて流れが変わっていました。あれも?」


 「それも俺ですね。寝てる時に夢見が悪くて、うなされながら川のそばを歩いてたら、なんか土が流れた感じがしてて——それでって感じ」


 「まさか……寝ながら?」


 「気づいたら夜明けだったので、多分.....?なんか土まみれになってたし、川が静かになってたから、よかったなって」


 「寝ながら、大規模な治水工事を」


 「そんな、大げさな反応を……」


 「大げさでは、ないんです」彼女は俺の両肩にそっと手を置いた。


 「あなたは本当に、とんでもない方です。なのに——全然、ご自分では気づいていない」


 「普通だと思うんだけどな」


 「普通では、ありません」


 「……話を聞いていなかったのか、カイル」


 低い声がした。


 人込みの端に、いつの間にか白髪の老人が立っている。彼の名前は、カイラー・アルトレイ。学園長だ。


 「ノクス君」老人は俺を見た。細い目が、なんだか優しい。


 「ちょうどよかった。去年提出してくれた"廃農地の土壌改善についての考察"というレポートのことだが」


 「ああ、あれですか。なんか暇だったので書いてみたやつですね。採点してもらえましたか?」


 「その......採点できる人間がいなかったんだ」


 「……えっ」


 「農学、魔法地質学、古代術式論を横断した内容だった。それぞれの学問において、世界有数の実績をあげている専門家達にも見せたのだが、三人とも『自分の専門範囲は完璧だと思う。ただ、他の分野の評価ができない』と言って返ってきた。先週、三人に合同で採点してもらったら、全員が揃ってこう言ったんだ。『これは学術論文として即時発表すべき内容だ』とな」


 「あ、はあ」


 「なんでそんなに他人事なんだ、君は」


 「いや、ただの暇つぶしのレポートだったので……」


 「暇つぶし!?」学園長が驚きと感嘆の声を上げた。「……この学術論文が?」


 「そんなつもりじゃなかったのですが」


 「なぜそんなことになるんだ……」


 学園長が額に手を当てた。中庭がまた静まり返る。カイル殿下の顔が、みるみる青を通り越して白くなっていく。


 そしてその時——リリアーナが、動いた。


---


 「レイン」


 声が変わっていた。


 さっきまでの、婚約破棄を宣告する凛とした声ではない。甘く、柔らかく、蜂蜜を溶かしたような声だ。


 リリアーナが、俺のほうへ一歩近づいてくる。ふわりと笑って——カイル殿下の腕から、さりげなく手を離した。


 「三年間、本当にごめんなさい。あなたのことを、ちゃんと見ていなかった。でも今ならわかるわ。あなたって、本当にすごい人だったのね」


 俺はぽかんとした。


 「……婚約破棄、したんじゃないの」


 「あれは、カイル殿下が先走ってしまったのよ。私はまだ、何も決めていないわ」


 リリアーナはさらに一歩近づき、体をくねらせ、胸をあからさまに当ててくる。声にはさらに甘さが加わり、同時にくどさも増していた。


 「地脈の修復も、魔力炉のことも、川のことも——全部、あなたがしてくれていたなんて。ねえ、もう一度だけ話を——」


 「話ってなんの話ですか」


 「婚約のことよ。もう一度考え直せないかしら。あなたのことが——」


 「あ、でも、そんなことよりもさ.......今日の昼飯まだなんだよね」


 「……え?」


 「新メニューが入るって聞いてたんだけど。セレフィーナさん、食堂ってどこだっけ」


 「あなた様は学園に三年間在籍されておられましたよね?なんでわからないのですか。......南棟の一階ですが」とセレフィーナが答えた。


 「ご一緒してもいいですか」


 「どうぞご自由に」


 「ありがとうございます」


 俺はそのまま、リリアーナの横をすり抜けた。


 「ちょっと——待って」


 声が、少し上ずった。


 「レイン、聞いてる? 私の話を——」


 「あー、なんか言ってましたっけ」


 俺はもう振り返らなかった。聞こえていなかったわけじゃない。ただ——特に、返す言葉が見つからなかった。


 リリアーナが三年間、俺を「無能」と思っていたのは本当のことだ。そこに文句はない。ただ、実績が積み上がった途端に声音を変えて近づいてくるのは——俺には、よくわからない行動だった。


---


 食堂に向かう廊下で、カイル殿下が追いかけてきた。


 さっきまでの威勢はない。顔色は悪く、足取りもどこかおぼつかない。


 「レイン・ノクス……少し、いいか」


 「なんですか」


 「その……さっきは、少し言い過ぎた。貴様——いや、君のことを、正しく評価できていなかったのは、俺の落ち度だ」


 「あー、まあ、別に俺は気にしてないですよ」


 「そうか……そうか」殿下は少し俯いた。


 「その……学術論文の話、なのだが。もし君が王宮の研究機関に興味があれば、父上に話を——」


 「俺、あんまり難しいとこ向いてないので、大丈夫です」


 「そ、そうか……では、その——」


 「失礼ですが」


 セレフィーナがすっと前に出る。穏やかな笑顔だった。けれども、目が全くといっていいほど笑っていない。


 「殿下は先ほど、この方を公衆の面前で無能と呼び、婚約破棄を宣告されましたね」


 「…………」


 「その後、事実が明るみに出た途端に態度を改めていらっしゃいます」彼女は静かに続けた。


 「それを見て、この方が喜ぶとお思いですか」


 殿下の顔が、またもや白くなる。


 「そ……それは」


 「この方は昔から変わっていません。変わったのは、あなたがたの見え方だけです」


 一言一言が、静かに、しかし的確に刺さっていく。


 「お時間をいただきましたが、私たちはこれで失礼します」


 セレフィーナはそれだけ言って、俺の隣に並んだ。殿下は何も言えずに、その場で立ち尽くす事しかできなかった。


---


 廊下の角を曲がったところで、後ろから声が聞こえてくる。リリアーナだった。走ってきたらしく、息が乱れていた。


 「待って! レイン、待ってよ!!」


 俺は立ち止まり、振り返った。


 リリアーナの目には、涙が浮かんでいた。


 「なんだよ」


 「なんだよって……! 三年間よ? 三年間、一緒にいたのよ? それなのに、こんな終わり方ってないじゃない!!」


 「婚約破棄を先に言ったのはそっちじゃないか」


 「あれは……あれは勢いで! 本気じゃなかったの! ねえ、もう一度だけ話を聞いて。あなたがそんなにすごい人だって知っていたら、私だって——」


 「……あー」


 俺はしばらく考えた。


 「知っていたら、ってことは、知らなかったら同じだったってことだよね」


 リリアーナの言葉が止まった。


 「俺が普通の無能のままだったら、婚約破棄のまま終わっていたと思う。たぶん、それが正直なところでしょ」


 「違う、違うわよ! そういうことじゃなくて——」


 「俺はあなたのことを嫌いじゃなかったよ。でも、好きでもなかったし、終わったのも事実」


 「レイン——!」


 「じゃあ、ごゆっくり」


 俺はまた歩き出した。


 後ろからすすり泣きが聞こえた。それから、地を踏む音。追いかけてこようとしたのかもしれない。でも、足音は遠ざかっていった。


 隣でセレフィーナが、静かに歩いている。


 「……よかったんですか」彼女が小さくそう言って、尋ねてきた。


 「何が?」


 「あのまま突き放して」


 「突き放したつもりはないんだけどな。ただ、事実を言っただけで」


 セレフィーナは少し黙って、それから小さく笑った。


 「……そういうところが、好きです」


 「そういうところも何も、俺は大したことはしてないはずなんだがな」


 「怒らないし、意地悪もしない。でも、自分の筋だけは曲げない。私があなたに惹かれた理由の中の一つです!」


 俺にはよくわからなかったが、褒められているらしいので、黙っておくことにした。


---


 後日談として聞いた話がある。


 カイル殿下は婚約破棄の法的手続きを踏んでいなかったことが問題になり、学園長に呼び出されて国際法上の問題点を一時間かけて説明された。


 内容を一言でまとめると「今回の宣言は法的に無効であり、仮に本件が竜王国に伝わった場合、外交問題になりかねない」というものだ。


 殿下はその日の午後から、別人のように大人しくなった。と、周囲の生徒たちは噂していた。


 リリアーナは翌日、正式な婚約解消の申請書を提出した。らしい。俺のもとには何も届かなかったので、ちゃんと通ったのだろう。


 そしてその約一ヶ月後——エヴァンス侯爵家が、国際水利権の管理失敗を理由に領地の一部を没収されるという沙汰が出た。


 話によれば、侯爵家が管理していた川の上流に不正な堰が造られており、それが去年の氾濫の一因だったと判明したらしい。


 去年の大雨の夜、俺が直した川の流れを、誰かが改めて調べた結果——そういう話になったようだ。


 ちなみにカイル殿下は、リリアーナとの関係も自然消滅したらしい。実績のない人間を選んだという判断が、殿下の家臣たちの間で評判を落としたそうだ。


 リリアーナにとっても殿下は「肝心な時に逃げようとした人」といういう印象になってしまったようで、両者の縁はそのまま静かに終わった。


---


 一週間後。


 俺は屋上のベンチで弁当を食っていた。


 婚約破棄の一件以来、中庭の端の席は落ち着かなくなった。視線が増えたからだ。同情ではなく、好奇の目で。それが嫌で、人の少ない屋上に逃げてきたのだが......


 「——ここにいらしたんですね」


 扉が開いた。セレフィーナが入ってきたのだ。今日は走っていない。でも急いでいたのか、髪が少しだけ乱れていた。


 「毎日ここにいらっしゃるんですか?」


 「いるよ。一人で食べたいからね」


 「……一人が好きですか」


 「好きというか、慣れてます」


 「そうですか」


 セレフィーナはそれ以上は聞かずに、隣に座った。当たり前のように。手に弁当箱を持っている。なぜか俺の分も入っていた。


「もしこの弁当を受け取ってくれなかったら、少しはしたないかもしれませんが、私は下の階に行って、あなたに泣かされたと大騒ぎします!」


「よくもそんなでたらめを......」


 かといって、これで本当に泣かれでもしたら、俺への目線がより肥大化するに違いない。こいつはそれをわかって、言っているのだろう。


 ……本当に芯が通っているやつだな。


 俺は差し出された弁当箱を受け取り、開けてみると、想像の数倍は豪華だった。一口、箸を口の中に運んでみるとーーー


 「……美味い」


 「よかった」セレフィーナは小さく微笑む。ほんの少し、安堵したかのような顔だった。


 「……なんで俺なんですか」俺はもそもそと食いながら、そんな疑問を口にする。「あなたなら、もっと立派な相手がいるでしょうに」


 「立派さは関係ないのです」セレフィーナはきっぱりと言い切る。「あなたが好きなので!」


 「まったく......なんで俺なんかのことが好きなんだ」


 「単純な理由ですよ。三年前、助けてくださったからです!」


 彼女はそう言った後、少し真剣な顔になった。


 「一つだけ聞いてもいいですか」


 「どうぞ」


 「あなたはよく、人助けをしています。なぜ、そんなことをするのですか?誰かに頼まれたわけでもないのに......」


 俺は少し考えた。


 「……困ってたら、助けたくなるじゃないか」


 「普通は、知らない人の馬を止めようとして、蹴られるかもしれないと思ったら、向かう足が止まりませんか?」


 「あー、でも蹴られなかったよ。うまく避けたからね。結果よければ全てよし!」


 「蹴られる前提で動いていたんですか」


 「そうだな、足の向きを見てたら大体わかるし——」


 「え.....向きって読めるんですか?」


 「俺もあんまりわかってないんだけど、こう、なんか、感覚?でわかる感じ」


 「……〝感覚〟」


 セレフィーナがそっと額に手を当てた。なぜだろう。しばらくそのままでいたと思ったら、顔を上げてまっすぐに俺を見た。


 「あなたは本当に、とんでもない方です。でも——全然ご自分では気づいていない」


 「何にだよ」


 「ご自分がどれほどすごいか、ということにです!」


 「すごくないぞ。普通も普通。そこらへんにもよくいる、平凡な男と言えば俺だからね」


 「全然普通では、ないんですよ!」彼女はまっすぐに俺を見た。目が少し、柔らかくなっていた。


 「まあ、でも——そういうところが、大好きなんですけどね」


 俺は空を見上げると、雲が気持ちよさそうに流れていた。


 少し間があいてから、俺は口を開く。


 「……竜族の番って、どういうものなんですか」


 セレフィーナは少し驚いた顔をして、それから、ゆっくりと笑った。


 「一生で一人だけ決まる、魂の伴侶です。決まったらもう変わることはありません!」


 「何で決まるんですか」


 「魂が惹かれ合う、としか言いようがないですね。でも竜族には、わかります。出会った瞬間に、それこそ“感覚”的に!」


 俺はなんと言えばいいかわからず、しばらく空を見ていた。


 「……あの」


 「はい」


 「結婚はまだちょっとわからないが」


 「…………」


 「とりあえず、昼飯を一緒に食べるとか、友達になるとかまでなら許してやる......」


 しばらく間があった。


 それから、セレフィーナが小さく息を吸う。


 「——本当に、いいんですか!?」


 「いいですよ」


 「……やった!」


 ぼそっと静かに言い、体の中心で小さくガッツポーズをする。同時に、声が少し震えていることが見て取れた。


 「声が小さいな」


 「今は……うまく声が出ないので」彼女はそっぽを向いたが、耳まで真っ赤になっているのがよくわかった。「あとで、家に帰ったら叫びます!」


 「叫ばなくてもいいだろ」


 「いえ、絶対に叫びます!この喜びを、私の内にだけ秘めているのは勿体無いですからね」


 俺はため息をつく。


 そこで、自分でも気づかない間に——口の端が、少し上がっていたことに気づいた。


 なんだか、悪くない気分だ。久しぶりに、ちゃんとそう思うことができた。この感覚は、リリアーナといても得ることはできなかっただろう。

 

「あ、そう言えば!急なんだけど一ついいかな」


「はい?なんでしょうか?」


「ーーーー俺、実は死神の紋章、完全に使いこなせるんだよね」


「..........え!?」

初めて異世界恋愛ものの短編を書いてみました!


いつもの雰囲気とは少し変わった様な感じにしてみたのですが、読者様方の反応を見て、これからの方針をより正確に定めていこうと考えています!


近況報告でも書いた通り、明日5/23から連載を始め、約50話ほど書いていこうと考えているので何卒よろしくお願いいたします!


この作品が少しでもいいなと思った方は、評価、コメント、ブックマークをしていただけると幸いです!

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