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氷炎護リ人  作者: 有麻環
幕間
88/95

5章 23 天使の祈り

 白い繭に亀裂が走り、ハラハラと羽が落ちていく。

 皆が固唾を飲んで見守る中、一際大きな裂傷から、蝶が蛹を押し開くように純白の羽が顔を出す。

 雲の切れ目から陽が差し込むように、輝かしく、温かい光。

 やがてホワイトベージュの皮膚が見え、マゼンタの髪がに現れた。大きく、荘厳な羽を携え、天の輪を持つ少女。

 間違いなくリザイアであるが、その姿は人ならざる特徴を持っていた。


「…………リザ……リザ!!」


 蓮夜が堪らず声を発した。

 固く閉ざされた瞼。その奥にあるのがちゃんと人間の意志を持っているのか。本当にリザイア本人なのだろうか。そんな不安が混ざった声。

 彼の隣にいるシャナは魔力感知を使ったのだろう、既に答えにたどり着き、嗚咽を殺し肩を震わせていた。


「あぁ…………愛しの娘よ…………よくやってくれた、僕の悲願は君のお陰で果たされる…………」


 うつ伏せに倒れていたジオーネが何とか寝返りを打ち、地に張り付いたまま両の手を伸ばしている。

 その様子を引いた様子で眺めるリュウガ。未だ顔色の悪い彼に、シアンが近づいた。


「こいつまじか……結構強い麻酔打ったんだがな」

 

「いや、多分『陽光』の力だろ。伝説曰く、ソウェルの役目は人の往くべき道を指し示すこと。どういう形かは知らんが、ジオーネに関してはそれが悪い方に作用したんだろ。つまり執念」

 

「怖……」


 ジオーネが必死に何かをかき集めるように、光に手を伸ばし続ける。


「さぁ、神よ!『陽光』のソウェルよ!『慈悲』の光よ!今度こそ、僕の妻を……蘇らせてくれ!!」

 

 全ての努力が報われた達成感。自身の大願が受け入れられた幸福感。そして、最後の希望に縋る人間の狂信。それら全てを混ぜ合わせたような顔が、眩い光に照らされている。

 羽を広げた少女が口を開いた。

 しかし、その口から紡がれたのはジオーネの求めていた神託でもなく――


「…………違いますわ、お父様」

 

 ――娘によるただ一つの否定だった。

 それを聞いたジオーネの顔は先の恍惚とした表情と一転して固まった。

 シアン達にとっては勝利宣言に近いその声も、彼にとっては裏切りに近い結末だったのだろう。


「自分の娘の名前もお忘れになって?(わたくし)『陽光』の神などではなくってよ」


 自身の復活を見て絶望に飲まれる父親の顔。そんなものを見た娘が何を思うかなど、想像に難くない。

 リザイアは一瞬だけ泣きそうに目を細めたが、直ぐに堂々と、普段の彼女らしく声を張り上げた。

 

(わたくし)、リザイア=カルヴィテリア!天使如きに御せる鎖はございません。だって……こんなに自由に空を羽ばたける翼を手にしたのですもの!」


 その宣言と同時に、残っていた抜け殻の繭が破裂するように羽を撒き散らした。

 後光のように、正しく神の降臨のように降り注ぐ羽の雨。それらの中でリザイアの口が僅かに動いた。


「ですわよね、お母様」


 ――と。


 ☆。.:*


 彼の積み上げられた期待の崩落を表すように、壊れた羽が地に落ちる。それらいくつかは、例の顔のない天使の姿となって中を漂っている。恐らく、リザイアと同化する前に彼女の自我に弾き出されたものだろう。

 

「何故…………何故だリザイア!なぜ神を拒む!!」


 計画の失敗を悟ったジオーネが叱りつけるようにリザイアを睨みつける。


「……申し訳なくは思っております。お母様が亡くなった原因は、間接的とはいえ(わたくし)にありますもの…………けれど、やはり私は納得できませんわ」


 「だって」とリザイアは、父と同様に悔しそうに自身を見上げる姉の姿を流し見た。

 繭に亀裂が入った瞬間、嫌でも聞こえてきた外の音。その中で一際心に残った姉の本音。ささくれだった木杭を打ちつけられたように、今も鼓膜に張り付いている。

 

 しかし、今のリザイアはそこで立ち止まる女では無い。

 姉がそう主張するのであれば、最早我慢の必要もないではないか――と。

 こちらを憎らしげに睨むディリシアとジオーネに、末妹として最後のわがままをぶつけてやろう――と。

 スウッと空気を吸い込み、癇癪のように吐き出した。


「姉様が人間のまま生きたいと願うことが許されるならば、私だって生きることくらい許されて然るべきでしょう!」


 部屋全体を震わせた大声量。

 リザイアとて始めは、母の死の原因を作ってしまった負い目から、逃げ出すことは許されないと自らを追い詰めていた。

 しかし、あの真っ白な世界で見た走馬灯のような温かな記憶。ボロボロになってまで助けに来た友人。それらを見て尚、黙って死を受け入れるなど、いくら父の命令とはいえ到底できなかった。


(だってきっと、お母様はそんなこと望んでいないもの)


 そんな娘の内心を知らぬジオーネは、一瞬ぽかんとした後、わなわなと拳を震わせ理性を捨てた子供のように頭を掻きむしる。まるで菓子を買ってもらえないとただを捏ねる少年のよう。リザイアは思わず目を伏せた。厳格な父のそんな姿は見たくなかったのだ。


「どうしてくれる……これではラサリアに会えないではないか…………ラサリア……ラサリアぁ………………………………ならばもう、僕が、私が神になる他ないではないか」

 

「――――は?」


 時間が止まったような耳を疑う発言。

 その場にいた皆の思考が止まり、誰かが疑問符を零した。否、胸の内では皆同じ言葉を唱えていただろう。

 ただ唯一その言葉に停止することがなかった者がいた。


「『真実』の力を私に寄越せ!ディリシアァァァ!!」

 

「えぇ、お父様」


 ジオーネ最大の共犯者、ディリシアである。

 彼女は静かに片方の手を胸に当て、もう片方をジオーネへと延ばした。


「おい待て、何する気……!」


 その次に動いたのはシアン。彼女はディリシアを止めにかかるが距離があり、その静止が間に合うことはなかった。


「魂のストックはもうありませんが、新しい怨念ならありますものね……きっと応えてくださるはずです。『だってわたくし、なにをしてでも生きていたいから』――――そうですよね?バク様」


 ディリシアの短詠唱の後、リザイアには聞き馴染みのない名前が告げられた。

 しかしその名が飛び出た瞬間、サヴの目が驚愕の色を見せていた。それもそのはず、「バク」とはつい先程彼女がその手で討ち取った者の名であるのだから。

 

 ディリシアの召喚した『真実』の眷属、手のひらに収まるほどの小さな悪魔が姿を表す。黒く、不安定なモヤのような姿。手には体と同等くらいの大きさの炎が揺らいでいる。恐らくはそれが人間の魂と言うやつなのだろう。


「バク様……いえ、悪霊。お父様の元へ行きなさい」


 淡々と指示を出すディリシア。小さな悪魔は不思議そうに、ふよふよとバクの魂を持ったままジオーネの元へ進む。そしてジオーネの傍まで来た途端、吸い込まれるように彼の伸ばした手に吸い込まれて行った。

 ――と、同時に。リザイアの後ろで回遊していた天使も渦潮に飲まれるようにジオーネへと吸収されていく。リザイアに力が分配された今、天使にその流れから逆らう力は残っていない。


「『陽光』の神はもう半分も消えてしまった……ならば、同じ魂を司る『真実』で補えば良いのだ……はは……はははははは!これでラサリアを連れ戻せる!!」


 天使と悪魔の両方を取り込んだジオーネが狂気的に高笑を響かせる。禍々しい魔力が彼を覆い、何者かに持ち上げられるように宙へ浮かんだ。


「っつ〜〜……うわっ…………何やってんだあいつ」

 

「ライア……!今リザのお父さんが……」


 手を出しても良いものか。皆が警戒しうかがう中、気を失っていたライアが漸く目覚めたようだった。

 彼女のそばに居た葉が僅かに頬を緩ませるが、直ぐに状況の説明をしようとした。


「あぁ……いやいいわ、見りゃわかる…………あれもテメーの仕込みか?ギルドー」


 ライアはそれを手で制し、モニターに映る黒幕の顔を見た。彼は両手を上げ、自身は無実だと言いたげだ。


「いえいえまさか!アレは旦那様の独断ですよ。恐らくリザイアお嬢様に課した魔術式を、予備で自分にもつけていたのでしょう」


 眷属を一点に集中させるための魔法陣。

 リザイアも計画の始め、背中にインクで描かれた覚えがある。吸収された眷属が、描かれた者と混ざり合うためのブレンダー。そしてリザイアのそれは、どんな形であれ成功した。

 

 同じことをジオーネがしていたというのなら、彼は『陽光』と『真実』、二つの神の力を手にすることになる。

 部屋中に戦慄が走った。二つの神の融合体など、前代未聞であるからだ。頼みの綱の神殺し(シアン)は、仮にも現行で生きている人間(ジオーネ)が切れないのか、二の足を踏んでいる。

 そんな時、張り詰めた糸のような空間に、スピーカーからギルドーの呆れた声が流れた。


「そのですね……我が愛しの出資者(パトロン)よ。洗剤と漂白剤を混ぜても良いことはありません。それが性質を逆とするものなら尚更」

 

「何を…………今度こそ、今度こそ私が、自身の手でラサリアを゙っ――――」

 

 言葉の意味を理解する前に、リザイアは嫌でも意味がわかってしまった。

 宙に浮いたジオーネの肩が張り裂けるように血を吹き出した。そして悲鳴をあげる間もなく、吸収されそうになっていた天使が不意に止まり、彼の心臓部分に光の刃を突き立てる。更には啄むように他の天使が群がり、ジオーネの皺枯れた肉が削がれていく。


「お…………お父様…………?」

 

「――テメェクソ天使!!」


 シアンとサヴが天使に切りかかる。次々に割れる天輪と、消えゆく天使の中から見えた父の無惨な姿に、リザイアは何が起きたか分からない。

 

 ――しかし、悲劇はそれで終わらなかった。


 弾け散った肩のように、ジオーネの体の内は歪に膨れ、泡が割れるように破裂を繰り返す。破裂する度に音のなる玩具のように、人のものとは思えない声が零れ落ちた。

 内側からも外側からも形を失い、最早人の原型など留めていない。


「ライア……!あれ…………何、どうなって……うっ――」


 リザイアと同様に現状が理解できない葉が口元を抑えた。無理もない。人間の辿る末路にしてはあまりに残酷で、悪辣で、耐え難いほどにグロテスクだ。

 葉の問いに答えたのはギルドーだった。ライアは珍しく黙り込み、一人の男の最後を眉間にしわを寄せて見つめている。


 「『蛮勇』と『狂熱』、『静寂』と『清麗』……そして『陽光』と『真実』。言葉の意味ではなく、神を一人の個として見た時性格の相性が地の底よりも最悪。反発する極性。水と油――あぁ、水と油は違いますね、彼らにとっての乳化剤は存在しない。初めから混ざることを想定していないのです」

 

「つまり、混ぜたものが悪かったってことっスか」

 

「その通りです。体の内側で二つの魔力が酷い喧嘩を起こした結果……とでも言いましょうか」


 シャナも涙目に目を逸らすなか、蓮夜が冷静にギルドーに確認をしている。

 しかしリザイアの耳には、それらもあまり聞こえていなかった。

 ただ目の前に落ちている父親の亡骸と呼ぶのも烏滸がましい、物言わぬ体を目に焼き付けるのに必死だったのだ。

 

 どんな形であれ、彼はリザイアを確かに愛していた。

 最後に自分にされたことを考えると、確かに許すことは無理だとも思う側面、育ててくれたことへの感謝は間違いなくここにある。

 それが、対話もできぬまま、何が起きたかもわからぬまま……あまりに唐突に、無情な最期を迎えてしまった。

 

 哀惜?虚無?自業自得?どれも正しくて、きっとどれとも違うのだろう。

 

 叶うことなら、もっと向き合う機会が欲しかった。自身の未来を見守って欲しかった。


(でもきっと……お母様が亡くなったあの日から、そんな機会は潰えてしまったのでしょうね)


 リザイアは「せめて眠ったあとくらいは、愛する母と再会できていますように」と、父親の骸に手を合わせる。

 窓から差し込む陽光に照らされ、祈るような彼女の姿は宛ら……天使のようであったのだそう。


 

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