5章 19 天使の素顔
「げほっ……うぇ…………血生臭ぇ…………」
なぜだか全身が異常に熱い。そして怠い。
数ヶ月ぶりの血液摂取とはいえ、記憶を無くすとは情けない。漸く酒が飲めるようになったガキじゃあるまいし、こんな事は今までなかった。
リュウガはふらつく身体を何とか支え、現状の把握に勤しんだ。己が意識を飛ばしている間に景色も戦況も大きく変わっている。
「……なんだアレ」
まず目に入ったのは人一人分囲う程に集まった羽の塊。そして、それを守るように立ち塞がる巨大な天使の様な何か。核でもある輪が壊れているにも関わらず、未だ威光を放っている。
対峙しているシアン達は、その威圧に押し潰されるように動きが鈍い。攻撃の回避はできているが、有効打を与えられない様子。
「はは、はははははは!無様よなぁ!哀れよなぁ!『陽光』の神たる我の元では、人間など所詮この程度!!はははははは!」
無いはずの顔が醜く歪んだように見えた。それほどまでに愉快で、残虐で、驕り高ぶった声だった。言うなれば、アリの巣に水を入れて喜ぶ子供のようなくだらなさ。
つい、小さな失笑がリュウガの口から漏れてしまった。
「ははっ、神だって?お前が……ンなの嘘に決まってるだろ笑わせる」
「…………何?」
口を閉ざすも時すでに遅し。化け物の狙いがこちらに向いたのをひしひしと感じる。心臓を掴まれたような身の危険を感じるが、出した言葉は取り消せない。
「リュウガお前……立って大丈夫なのか」
「言ってる場合じゃねぇだろ…………あいつは……神ソウェルじゃない…………」
フラフラと覚束無い足取りのリュウガに機械の手が支えるように添えられた。アミナが遠隔で回してくれたのだろう。
一番近くにいたシアンが声を掛け、その言葉の真意を無言で問う。
リュウガの脳裏はちょうど一ヶ月ほど前の記憶を掘り出した。警報級の大嵐、王都の百貨店にて交わされた犬猿相手との会話を。
「前、ライアが言ってたんだ。『陽光』の神ソウェルは後方でとりあえずニコニコしてるタイプだって」
「なんだその役に立たなそうな情報………………いや待て、ニコニコ?」
一件何の関係もないようにに聞こえる情報。しかしそれが正しいと仮定した場合、目の前に浮かぶ化け物と噛み合わない矛盾点。
シアンもすぐさまリュウガの言いたいことがわかったようだ。
「そうだ。つまりは顔がある。さらに言うなら、あいつはこうも言った『ソウェルの弱点は天使と同じくその天輪だ』ってな。こと神話の裏側の話において、あいつほど有益な情報源はないことは……あんたが一番よく知ってるはずだろ」
「…………あぁぁ、あぁなるほど!!」
シアンの深海のような青い瞳に僅かな光が映りこんだ。
ライアが自他ともに認める嘘つきであったとしても、その言葉が嘘かどうかなど今更この女に聞くまでもない。最も長く、気が遠くなるであろう永い時間をライアと共にすごした彼女であれば。
リュウガの情報に確信を得たシアンが再び敵と向き合った。
「ようやく理解したぜ、道理で神壊術が効かない上に、神にしては威圧感が弱いはずだ!!」
「は、はは!その言い方、実際神に会ったかのようだな。戯言を」
「戯言だ?目の前に立つ人間の力量も見定められねぇとは、神の名を語る割になぁ!お里が知れるぜ眷属さんよぉ。いつまでもその下らねぇ嘘に隠れてられちゃあめんどくせぇからハッキリさせよう」
堂々と剣を二本構えるシアン。
一つは神壊術と呼ばれる彼女固有の魔力剣。
そしてもう一つは、以前本人がこの世でいちばん信頼している相棒だと言っていた意思ある剣。神器――ツゲイナギ。
つい先程までリュウガに狙いを定めていたであろう化け物の魔力が僅かに揺らいだのを感じた。それは恐怖か、はたまた狼狽か。いずれにせよ既に神たる威光は見る影もない。
そんな化け物を追い詰めるようにシアンの芯のある声が響いた。
「お前の正体、それ即ち――――!」
☆。.:*
――同時刻。バルフィレム軍務、三番隊執務室。
ウィンは先日バルフィレム周囲で観測された異常な魔力反応について、他の隊の隊員と会議を終えたところだった。
漸く地獄の偉い人とのコミュニケーションから安心の自分の隊帰ったと思いきや、扉を開ければまぁ素敵。図書室と見紛うほどの本、本、本。常に素朴で落ち着く三番隊室が、足の踏み場もない悲惨な現場に様変わり。
これだけ散らかして誰も何も言わないのかと不安を抱いたが、よくよく見渡せば他の隊員は皆出払っているようだ。
「トラリア隊長、何ですかその……本の山……」
「あぁウィンくん、おかえり〜。ごめんね散らかしてて……」
床に座り込み、一心不乱に本を読み込む小さな頭に話しかける。幼子のような微笑ましい隊長だが、その目は虎のように鋭く一文字も見逃さぬという気迫を感じた。
「この前アイシハイクでスノーマンが暴れたでしょ?その時眷属と人の関係性について葉ちゃんに説明してたんだけど…… 他の眷属ってどうだったかなって。『陽光』とか『蛮勇』とかは身近にいるけど、それ以外はあまり関わりないからね」
と、漸く顔を上げたトラリア。「ずっと下を向いていたせいか、首が痛い」、とぐるぐる頭を回している。
『静寂』の眷属スノーマン。普段はウィンやトラリアの故郷に生息する、動いて言葉を話すだけの大人しい雪だるま。以前ある人間によって感情を操られ、人を飲み込むという大事件が起きていた。
しかし彼らの根本は人への親愛。よっぽどの事が無ければ人間の味方と言っていいだろう。
一方で、人間と敵対する『陽光』の眷属――天使。
個体差が激しく、人と同じように生活に馴染む『蛮勇』の眷属――鬼。
同じ神の眷属と言えど、人間との関係性は種によって様々である。
ウィンは一番記憶に残っていた眷属、『真実』について脳内にある情報を取り上げた。
「それ以外で言うと……『真実』の神の眷属がざっくり定義で霊って感じじゃないですっけ?正確に言えば人の魂を集める悪魔か何か」
「そう。それ故に、集めた魂――元の人間の性格を強く反映するんだって、ちょうどこの本に書いてあるよぅ。だから余計に味方なのかよく分からない……」
「うーん、敵か味方かで言えば『蛮勇』と同じく個体差ありってことじゃないですか」
「やっぱそうなるよね〜」
本を片手に立ち上がり、コーヒーブレイクの支度をするトラリア。ウィンも机に広がった資料を一度片付けにかかった。
ある程度スペースが空いたため、三番隊秘蔵の菓子箱を取り出すトラリア。迷イ人との関わりが多いこの隊には「世話になったお礼」、と様々な国から菓子が送られてくる。担当した迷イ人が今も元気に過ごしていることにウィンも多少なりともやりがいがある。
トラリアが菓子を吟味する間、コーヒーを入れるウィン。挽いた豆の香りが鼻腔をくすぐり、世の喧騒から一時的に隔離されたような安心感に包まれる。
自身とトラリアの前にカップを置き席に着く。早くも菓子をつまみながらトラリアがふと疑問を呈した。
「ところで、…………『真実』の眷属って師匠の神壊術って効くのかな」
「どうでしょう。おれ一回だけ『真実』の眷属見たことあるけど、人間と神性の半々って感じだったから…………効きにくいんじゃないすかね。多分」
神壊術は神を殺すための魔法だと聞いている。本体は悪魔か何かだとしても、『真実』の眷属を形作る大部分は死した人の魂。その魔力はウィンの鑑定が判断した限りごく普通の人間と同じであった。
つまり、ホラー嫌いの師にとっては、最も嫌な相手でもある。
普段の自身と同じように泣き叫ぶ師を思い浮かべ、「案外同族かもしれない」などと世迷いごとを浮かべるウィンに、トラリアからの呆れた視線が突き刺さった。
「ウィンくんはもうちょっと自信を持った方がいいよぅ。その目は魔力に関しては他の誰より確かな情報を掴めるんだから……」
「無理です。怖いもん。おれの発言のせいで重要な作戦とか組まれた時には………………無理」
「うーん重症」
トラリアは全てを諦めたようにそこで口を閉ざした。英断である。
ウィンの性根は一生かけても治らない、筋金入りの情けなさなのだから。




