5章 14 忍ぶ一太刀
目の前に座る頭の取れたバクは、きっと自分が死んだことに気がついていない。そう思わせるほど自然に、彼の体は自立したまま固まっていた。
「あ…………すみません、恨みはありました。よくもまぁ私の友達を蹴り飛ばしてくれましたね」
首を落とした張本人は、手にした刀から血を拭き取り、床に転がる錬金術師の頭を冷ややかな目で見つめていた。
「サ……サヴさん」
「はい、サヴさんです。間一髪、間に合って良かった……びっくりだよ、たまたま覗いた部屋で蓮夜くんが大ピンチだったんだもん。どこも作り替えられてないよね?」
「大丈夫っス。おかげさまで」
「ならばよし!です」
状況が未だ飲み込めない蓮夜だったが、口布を下ろし、いつもと何も変わらず表情を変えるサヴの姿に、無事に生きていることだけは実感できた。
蓮夜は壁に体重を預け、ホッと一息力を抜いた。同時に、妖術による変化を解く。これで漸く翼を切られた痛みとおさらばできる。
「サヴ……!なんであなたがここにいるの?他の潜入班……ライアとリュウガは?」
「落ち着いてよシャナ、ちゃんと説明するから」
シャナがこちらへ駆け寄ってきた。彼女もまた蓮夜と同様、唐突な援軍に困惑しているらしい。
「えっと……どこから話そうかな……。流石に一から全部話す時間はないから、とりあえず二つ」
サヴはその指を二本立て、ゆっくり息を整えるように口を開いた。
「まず、私はちょっと仕事関係でライア達と別行動したの。そこに転がってるバクってやつは、実を言うと国指定のブラックリスト入りだからね。国境よりこちら側に足を踏み入れた瞬間、捕縛・拘束或いは抹殺するようにって」
「何したんスかこいつ……」
「さあ?そこまでは知らないな〜」
恐怖一つ見当たらない間の抜けた死に顔に、シャナと蓮夜から軽蔑の視線が集まる。
ここバルフィレムという国は世界最強とも呼ばれるほどの戦力故か、他国との交渉手段に荒業を使用することも時にある。しかし蓮夜が聞いた話では、王女の方針により非人道的な一方的な殺害は御法度だったはずだ。少なくとも、祖父代わりの辺境伯、クロウドは彼にそう教えていた。
「もう一つは、私は分断された部屋の外側、非常用通路的な所を通ってたの。だからここにも辿り着けたんだあ。複雑すぎて流石にちょっと迷ったけど……」
しょぼんと落ち込むサヴだったが、彼女がいなければ間違いなく蓮夜はここで死んでいた。感謝してもし足りないくらい、紛れもない命の恩人である。
「それよりも、分断された部屋の外側って……?そこを通ればリザのところに行けるの?最初からそれ使えば良かったんじゃ……!」
「落ち着いて〜。焦る気持ちはわかるけど、一回呼吸を整えないと。最終決戦前に息切らしたら本末転倒だよ」
いてもたってもいられなかったのだろう。シャナがサヴに詰め寄った。サヴはそんなシャナの頬をもちもちと揉みほぐしながら「そう簡単な話じゃなかったの!」と言い返している。
「本当は私だって皆でそうしたかったよ。けど、この前みんなで計画立てた時に話が変わったの。あの場にディリシア様が直々に来た以上、彼女の招待を受ける……いや、彼女の引いたレールに乗る以外の選択肢なかったでしょ?」
「…………?つまり?」
膨れっ面で尚もシャナの頬を引っ張るサヴ。しかし何故そこでリザの姉であるディリシアの名前が出るのか、蓮夜にはよく分からなかった。
いい加減鬱陶しくなったらしいシャナがサヴの手を払い除けながら、その言葉を噛み砕く。
「うん。つまり、ディリシア様が助けを求めて屋敷に来るように言ったなら、それに反して潜入するのは不自然だってことでしょ?」
「そういうことです!あの時点で、誰かしら正面から入らないといけなかったの」
「なるほど……。つまりあの人が余計なことしたってことっスね…………正直あのディリシアって人天然っぽそうだしなぁ、悪く言えば浅はか」
蓮夜は昨日、リザイア救出に一丸となって策を練る己達に向かって「なぜリザを助けることに即決できるのか、この野蛮人達は」と言ったディリシアを思い出す。否、正確にはここまで酷い言い方はしていなかったが、意味は同じである。
「感覚がズレてるって言うか……ちょっと薄情というか…………」
「…………そう、薄情なんだよ」
「え、なんの話っスか?」
まさかぽっと零れた所感が取り上げられると思わなかった蓮夜は、サヴの光が消えた瞳に一瞬たじろいだ。完全に仕事をする時の目に戻っている。
そしてサヴが次に紡いだ言葉に、蓮夜もシャナも目を丸くした。なぜならそれは、彼らが今ここにいること自体全て、初めから敵の手によって仕組まれていたことを意味するからである。
「ディリシア=カルヴィテリア。実の所、あの人がこの事件一番の戦犯だって話」
☆。.:*
「サヴ姉さん。休憩中に悪いんだけど次の仕事だ。『カルヴィテリアに叛逆意志を感知。確認及び、必要があれば排除』って」
これは今からちょうど一週間前に告げられた言葉。要約すると「国のために友人の家へ探りを入れろ」というものだった。
「一応聞いてもいいですか、シュテル隊長。……何を根拠に?」
「三番隊が迷イ人の来界予測のために、バルフィレムと同盟国周辺で魔力質感知を行ってるのは姉さんも知ってるよね?どうやら、そこで変な反応が出たらしいんだよ」
「変な反応とは……」
「まあ、直接的に言うと神の顕現に近しい反応かな。一応まだ機密事項だから他言無用で」
神妙な顔で語る隊長。
詳しく聞けば、その魔力反応はカルヴィテリア公爵家を中心に現れ、時期も彼らが表舞台に出てこなくなった四か月前から。
かの公爵家が不審な動きをしているのはサヴも知っていた。友人であるリザイアと連絡がつかなくなったことも。
サヴの手には隊長から少し気まずそうに手渡された参考資料。彼がわざわざ副隊長である彼女に任せるのは、その技能の信頼からでもあるが、一刻も早く友の様子を知りたいだろうという彼なりの気遣いでもあったのだ。
☆
その後、サヴの仕事は早かった。
任務を告げられたその晩から、自身の持つ全ての技術を利用し、カルヴィテリア公爵家のここ一年の情報をかき集めた。
国のデータベースを閲覧権限ギリギリまで除き、公爵の公的発言やその精神性を観察。
カエルや、ネズミ、小鳥を利用し現在の公爵家内部を監視。
変装と話術を用いて貴族街から下町まで、カルヴィテリアの影響を受けるあらゆる場所の噂を精査。
結果、自身の情報網が示すのは、血の通った人間とは到底思えない凄惨な計画。
信じられない。理解ができない。受け入れられない。
サヴは頭を殴打されたような感覚に陥った。
(だってこんな…………こんなのあまりにも酷いじゃない……)
それは、『次女、リザイアを核にした神の顕現』。つまりは娘を道具か人柱にしか見ていないということ。
そしてサヴの心を握りつぶすのは事の始まりである奥方が亡き今、家族の中にリザイアの味方が一人として居ないという事実。
(首謀者であるジオーネ様はともかくとして、デリィシア様までも……?なんで?あの方はリザと仲が悪い訳でないのに…………)
いくら妻の死因が暴発した娘の魔法であっても、娘を庇ったせいで母親が死んだのだとしても……。その娘の命を利用して妻を反魂させようなど、決して父親のすべきことではないだろう。そんなこと、命を掛けて娘を守ったラサリアが浮かばれない。
(今、屋敷内部にはフィブルのギルドー=ガンドが出入りしている。正直、敵国の研究者と手を組んでる時点で十分すぎる有罪。ただそれ故に、私一人では戦力が足りない……!)
我が国最大の敵対国、ユグラウルの国立研究所であるフィブル。彼らは以前より異界の研究と評し、蓮夜を始めとした迷イ人達へ襲撃や誘拐を繰り返している。
そして、フィブルの中でも上位戦力であろうギルドー。彼を相手にサヴ一人では荷が重い。しかも、鳥の目を介して見た屋敷内部には他にもフィブルの人間がいる。正面にしろ裏口にしろ、中から誰かに手引きされない限り入り込むのも容易ではない。
数分思考をフル回転させた後、唐突に脳裏を覆う暗雲から一縷の光が刺し、急いで自身の机をひっくり返す。
「入り込むのが不可能ならば、正式に招かれるしかない……!だよね?」
先程から心配そうにこちらを見つめるカエルの頭をひと撫でし、目当ての物を机上に広げた。
祖父から貰った和紙の便箋。
簡易的に墨を削り、馬の毛出できた筆先を浸す。
フッと肺から空気を抜き、心頭滅却。
唯一とも言える突破口へ、一文字ずつ言葉を綴る。
ある世界、ある国では一般的に使われる言葉。しかしこの世界では一部の人間を覗いて暗号に近い難読言語。それも所謂現代では使われないであろう崩し文字。閉塞的な環境の中、目的の人間以外には読めないようにする方法としてこれ以上簡単なものはない。
暗号文にも近しいその手紙にサヴの希望は託された。
「ケロちゃん、お手紙出してきてくれる?宛先は――カルヴィテリア公爵家の使用人。音楽街インスタルに住む、冴原トーンさん」
強がるようにサヴは笑顔でカエルを見送った。
たった一人リザイアのためとその場に残った彼女なら、きっと力になってくれるだろう。家族に味方が居なくとも、血縁でも直属でもないリザを助けると願った彼女ならば……きっと。
藁にもすがると笑われるかもしれない。しかし、サヴが頼れる光は他にない。
それに何より、彼女は一人、こう言ったのだ。淀んだ空気のカルヴィテリア屋敷の中で、小さなネズミがその決意を聞いていた。
『私しか助けられる人いないって、普通に考えておかしいでしょぉ――――どうにかして、私一人でもやるしかない。だってあの人……リザイア=カルヴィテリアはこんな所で死んでいい人じゃないんだから』
――と。
これが、他のメンバーよりも一週間早く戦場へ身を投じたバルフィレム国軍七番隊の副隊長――サヴ=ヴァーサルの背負ったある一つの任務である。




