2章 13 異世界人の被害者
カンっと、立てた傘の上に乗る。
昔から傘が好きだった。風のある日、少し段差のあるところから傘をさして飛び降りる時のフワッとした感覚。空を自在に飛べる今でも尚、味わいたくなる特別感。だからなのかは覚えていないが、幼き頃、元いた世界で使っていた武器は傘だった。
――腰の舞傘、風吹かし。咲いた蛇の目、羽隠す。三千世界を煽った後に、握る番傘、敵を討つ。
★
「ほらぁ〜、俺を研究するんじゃなかったんスか?いくら風が強くたって、これで吹き飛ばされるほど人間軽くないっスよ」
蓮夜は再び空を舞う。ヒョイっと投げた蛇の目傘がロカの前で開く。一瞬、ロカの視界が傘の模様に塞がれる。
傘が閉じた時、既に蓮夜は消えていた。
「お前さっきから動きが不規則。ばらつきが多いのは、とても良くない」
「良くなくて結構っス。そっちは規則正しくて軍隊みたいっスね〜。俺としてはやりやすいんでありがたいっスよ」
何処からか蓮夜の声が響く。風が強く、声の出処は分からない。
突如隣のマネキンがロカを押し飛ばした。黒い羽が舞い、番傘を振り被った蓮夜がいる。ロカの代わりにマネキンがバキッと音を立てて吹き飛び、地に落ちた。完全に胴部分が割れている。
アレが自身に当たっていたら、と思うロカ。タダでさえ重さのある番傘に勢いが着けば、その威力は見ての通りだ。
(むかつくな……空に逃げられると攻撃も届かないし、風は強いし、傘は邪魔だし……)
ロカの霊は、大きく二つに分かれる。
フォレイグン屋敷を世話していたマネキンに憑依、攻撃を仕掛ける物理組。形無き霊として呪法や魔法を使う特殊組。
物理攻撃は距離の問題で届かず、届いたとしても番傘によって打ち壊される。一方、特殊組の攻撃も風に運ばれる蓮夜の妖力に打ち消されていく。
「だったら!霊をもっと呼べばいい!!ここは天使の草原に近い。死んだヤツらは沢山いる。わたしの武器はまだまだ出せる!」
マネキンは段々とヒビが増え、動きが鈍くなっている。ならばいっそ、全てを特殊攻撃に回して妖力を上回る呪いをかけてやる。と、ロカはマネキンから霊を引き抜こうと怒鳴りあげた。
「うん。それはさせない」
轟々と唸る風の中から、静かな、しかし芯のある声が聞こえた。同時に、フードから生える角飾りに衝撃が走る。フードが外れ、視界が開けた。
「……なんで!魔法が、使えない」
練り上げた魔力に波紋が広がる。波は鎮まることなく幾重にも反響し、次の波を起こす。思うように魔法が形にならない。ロカの心に静かに告げられた否定の言葉に戸惑いが浮かぶ。
「そう。私の前で、魔法はもう使えないよ」
「シャナ〜、ナイスフォローっス!」
舞い上がる草花の渦から弓を携えた薄紫の少女が現れる。シャナだ。フードを弾いたのは、彼女の弓矢だった。
直にロカの戸惑いは、ふつふつとした怒りに変わっていった。
「使えないって何、そんな魔法聞いたことない。お前、お前も迷イ人なの?」
「これはれっきとしたエインスカイの魔法。自分の理解の及ばないものを全部迷イ人って片づけるのはどうかと思う。君風にいうなら……『とても良くない』」
シャナの蔑むような冷ややかな目。隣で頷く蓮夜。
使っているのは無意識とはいえ、己の口癖をこんな形で返される事への屈辱。
ついにロカの怒りが爆発し、声が掠れることなどお構い無しに怒鳴り散らした。
「うるさい!迷イ人、迷イ人迷イ人ぉ!!だからお前らは――とても良くない!」
ロカは最早自分が何を口にしているのかもよくわかっていなかった。
とにかく、許せない、受け入れられない。異世界人など――エインスカイの魔法を否定するなど何があってもあってはいけない事なのだと。
「うん。ダメだね、頭に血が上ってる」
「シャナが煽るからっスよ」
「蓮夜もなかなかだったと思うけど」
敵が何かを言っている。1人は迷イ人。エインスカイに存在してはいけない外敵。もう1人はエインスカイに産まれた者の生命力とも言える魔法を『否定』する者。
記憶が叫ぶ。「奴らの言葉など、耳を貸してはいけない」と。
「お前らは魔法以外の力を使う!エインスカイの法則を崩す!世界を乱す外れ値め!!」
息が浅くなる。苦しい。痛い。
吹き荒ぶ空気がよく似ている。あの惨劇が、思い出さないようにしていた悲痛な記憶が、風が砂を飛ばすように掘り起こされる。
「所長はわたしに教えてくれた!迷イ人の力を研究すれば、いつかその法則が掴めるって。そしたら奴らだけを殺すことも、支配することもできるって!」
母を刺した。父を燃やした。兄を潰した!奴は「ここは俺のための世界だ」などと叫び、殴り、暴虐の限りを尽くした。あの日、たったの一日も経たずにロカの全てを奪った、異世界人。
風が乱れ、草花が舞い、人の残骸が散らばる。
ロカにとって、『迷イ人』というものが不倶戴天の敵になった瞬間に、よく似ている。
★
「それ、本気で言ってるんスか?」
蓮夜は信じられないものを見る目で、蹲り呻くロカを見下ろした。
「できるできない以前に、倫理観的アウト」
「ホントそれっス」
シャナがそれに同意する。二人はロカの過去など知る由もない。知ったところで、どうしようもない。
そんなことよりも、ロカの言う所長と言うのがフィブルのリーダーであるならば、彼らの目的は迷イ人の完全排除ということになる。否、飽くまでロカの目的は、という可能性もあるが。
蓮夜が口を開いた。
「あんた、エインスカイにいる迷イ人が全部同じ世界から来てるとでも思ってるんスか?つーか何人いると思ってる?同じ世界、文明出身なんてそうそういない。
俺みたいな妖力使いもいれば、全く違う異能力者もいる。何も持たない人だっている。可能性をつかもうとするのは結構っスけど、巻き込まれるのはゴメンっス」
「ゴメンだろうが関係ない。外的要因は排除する!そのための原因を探るんだ。そして二度は発生させない」
二人の話はどこまでも平行線だった。顔を真っ青にして牙を剥くロカ。それを眺めるシャナが、「あぁ」と手を打った。
「そういえば、ライア達が前に言ってた。迷イ人の中には自分を英雄と思い込む人もいるって。ごく稀にそういうのが悪事を働くことがあるんだそう」
「じゃあなんスか、あの子供はその被害者かもってこと?」
「かも。まあ、今の私たちには関係ないけど」
そう勘違いする気持ちはわからないでもなかった。蓮夜は馴染みがなかったが、他の日本人に聞いた話『異世界召喚』なり『転生』なりの物語が流行りに流行っていたそうだから。
護リ人の三人と接触すれば到底そんな甘い世界ではないと分かりそうなものだが、接触の機会が無かったか、接触して尚都合のいい夢に浸っていたのか。
何れにせよ、ものすごいはた迷惑な話である。他の迷イ人への風評被害甚だしい。
蓮夜は溜息をつきながら、腰に提げていた舞傘を掲げる。
「確かに俺は外部の人間っスよ。どこまで行っても迷イ人、異世界人。それは変わらない」
この子供を可哀想だと思うことはできる。だからと言ってそのトラウマを取り除く生贄になるつもりは毛頭なかった。
「けど今、俺にはちゃんと居場所がある。リュウガやじいちゃん達、家族もいる」
蹲ったままヒューヒューと呼吸を荒らげ、大粒の涙を流すロカ。足に力が入らないのか、立ち上がる素振りも無い。
「お前が操るその霊も、俺の家族の一部っス」
ロカは怯えるように必死に顔を振る。しかし、お構い無しに近づく。蓮夜は崩れ落ちるマネキンに目を向けた。もう霊は何処にもいない。正確には、ロカに縛られている者はいない。無理やり従わされたにもかかわらず、彼らは誰もロカに報復しようとはしなかった。
傘を開く。無差別に吹き荒れる風がピタリと凪いだ。
「これからもその魔法を使うのなら、しかと心に刻んでおけ」
再び閉じた舞傘の先を、焦点の合わないロカの額へゆっくり押し当てる。小さな手が何とか抵抗しようと傘を掴むが、大した力も入っていない。
柄から頭へ、熱が伝わるようにじんわりと妖力を流す。少なくとも、今この子供を犯す悲劇の記憶は霞むことだろう。それは、同情と、雀の涙ほどの同じ異世界人としての責任感から来る慈悲だった。
「人の意思は死して尚生きている。天へと昇るその時まで、尊ばれるべきもの…………ッスよ」
この言葉を最後に、ロカの体は糸が切れたように倒れた。
本当は、もっと怒るつもりだった。しかし、真に怒るべき霊達が何もしなかった。更には『少しだけでも、助けてあげて欲しい』などと、言うものだから。仕方がなく矛を収めたのだ。
一部では、鴉天狗は高慢な人間を戒めると語られる。しかし蓮夜は力を借りているだけの人間だ。誰かを戒めるほど天狗になった覚えは無い。しかしせめて、少しでも他者を受け入れる心の広さを持って欲しいとは、願ったのかもしれない。
☆。.:*
「相変わらず戦ってる時は楽しそうだったね」
「やっぱり傘持つとダメっス……楽しくなっちゃう。あんなに煽り散らかすつもりじゃなかったんスよ!」
蹲る蓮夜をシャナがつつく。その顔は楽しげなような、何も考えていないようななんもと言えない表情。
いくら敵とはいえあそこまで偉そうな口をきくつもりは全くなかった蓮夜。耳まで真っ赤である。
反省と羞恥で悶える彼にシャナは容赦なくトドメを刺した。
「うん。リザにも見せたいくらい決まってた」
「シャナ俺の言葉聞いてた?ホント……もう止めて欲しいっス…………恥ずかしすぎる」
「勝負に勝って恥ずか死ぬ?」
「誰のせいだと」




