6章 25 『夢幻の悪魔』
――防砂林。
林と言うよりも多肉植物の壁でできた迷宮。砂漠から吹く風によって絶え間なく砂粒が打ち付けられ、豪雨の夜を思わせる不安が神経を逆撫でる。
シアン一行が歩き始めて既に十数分。
自信満々に進む八霧に従い、右折、左折、左折そして右折。初めは頭で描いていた地図も十回曲がった辺りで諦めた。もはや帰り道も分からない。
「あのさ八霧、何度も聞いて悪いんだけど……本当に道合ってる?」
「合ってる合ってる、おれを信じなさーい」
「ほんとかなぁ…………」
怪訝な顔で付き従うシアン。フォローするように前にいた大地が振り返った。
「一応、八霧さん自信満々な時失敗したことないから……多分大丈夫」
「信頼されてんねぇ」
「多分」と着いたが、不確定要素や嫌なことがあれば即反抗する大地が大丈夫だと言うのならば問題はないのだろう。
とはいえ流石に飽きてきたのか、珍しく大地からシアンに雑談が振られた。
「時に、シアンって長く生きてるのにここ来たことねぇの?」
「ねぇな。私が神嫌いなの知ってるだろ? 『静寂』のお膝元といい『陽光』の温床といい、基本的に眷属が住み着く場所には近付きたくないんだよ。政治的な話があるからカズロットには来てたけども……」
「精霊って『勝利』の眷属だもんね〜」
カズロットに来てからずっと燻っていた苛立ち。今思えばすぐ隣に精霊が居たからなのだろう。そして、ライアは当たり前のように見えていたから、『だろうねー』などと納得していたのだ。思い出すだけで諸々に腹が立つ。
思い出してしまった自戒にも近い憤懣を耐えるように噛み締める。魔力が冷気として漏れたのか、大地が少し震えていた。
「っと……着いた着いた! シャオリア殿下の話ではこの村にいるってことだけど……廃村じゃんな」
急に足を止めた八霧の背から覗き込むと、そこにはぽつんと小さな村があった。家屋は二桁あるかどうか、そもそもほとんどが崩落して瓦礫と化している。
巨大な多肉植物によって日光まで遮られた村。その中心にオアシスのような池が佇み、池を覆うような小屋だけが不気味なほど綺麗に残っていた。
「うわ、因習村感すごいな……」
「あぁ、あながち間違ってないと思うぜ」
露骨に嫌そうな顔をする大地にシアンは答えた。
肌を刺す明らかに『勝利』の神とは異なる魔力。精霊と共存する国にしてはジメッとした、陰湿とも言える魔力は覚えがある。
先日、リザイアの実家で相対した堕ちた人の魂。『真実』の神――ユールの眷属によく似ていた。
「来たことはないけど話には聞いてたのを思い出した。『真実』の信仰者で作られた村。精霊から逃れるために逃げた奴らがここにいる……いた、か」
「なんで『勝利』の管轄の国に『真実』信者?」
「詳しくは知らねぇけど、どうせ戦争で取り込まれたとかだろ」
今でこそ八神の信仰は薄れたが、シアン達が生まれた頃――数百年前は今よりも神の力に固執するものが多く、国ごとに信仰が分かれていることがほとんどだった。
信仰を理由とした戦争も何度も見てきたのだ。今更その名残があったとて驚きはしない。
「さて、この中に例の『夢幻の悪魔』がいる…………んだよな?」
「んー、ちょっと予想よりもだいぶボロいけど……まーそういうことだね。どう考えてもあの池の上だろうけども」
と、オアシスの上を指さす八霧にシアンも大地も無言で頷いた。何せ他に建物らしき建物はない。朽ち果てた村の中でただ一つ残る御堂。ここに居なければ嘘だろう。
鳥か虫か、はたまた遠くの砂がぶつかる音が。薄暗い村にざわざわと雑音が混ざる。
「開けるぞ」
木でできた階段を上り、シアンは唯一綺麗なままの扉に手をかける。
冊子に苔が生えているのか、なかなかスムーズには開かない。
いっそ壊してしまおうかと短気な頭が結論を急いだが、建物も嫌な予感がしたのだろうか、扉が急に軽く感じた。まるで、「開けるから壊すのだけはやめろ!」と言われている気分だった。
「うえっ……埃っぽ…………」
「外は綺麗でも中はこれかよ……」
扉を開けた瞬間、ぶわっと舞い上がる砂埃。鼻をムズムズと擽る不快感に思わず手で仰ぐ。
窓のひとつも無い小屋。大して広くもない空間で、三人の視線は自然と一つに集まった。
「……まさか、この子が『夢幻の悪魔』……とか言わねぇよな」
恐る恐る口に出したのは大地。その隣の八霧も、開いているのか分からない薄目に力がこもっているのがわかる。
視線の先にいたのは片目を包帯で巻いた少女。ふわふわとミントグリーンの髪を敷くように横たわる彼女は、まだ十になったかなっていないかの小さな子供だった。
祀られるようにクッションらしきものに寝かされている彼女の胸は、ほんの僅かに上下している。やせ細ってはいるがまだ息はあるらしい。
「……八霧さん、シアン……これ」
ぐるりと少女の周囲を見回す大地が指さしたのは少女の真下。無骨な石畳に描かれた魔法陣だった。
「え〜、これ保存用の魔法陣じゃない? 基本的には旅人とかが食料箱に書いとくヤツ」
「っす。二重三重に描かれてるんで、多分これのお陰ですね。この子が生きてるの」
「最近アンチエイジングとかに使う馬鹿もいるって話だけどー、これが起源とか言わないよね……」
バルフィレムという国を支える魔法研究のエース二人が即座に解析を始めていた。
しかし二人とも険しい表情であることには変わらない。何せ本来人に使うべきではない技術。使ったとしても専門家の指示が必須になる禁術に近い。
シアンだけは、この手のものを何度か見たことがある為に動揺はしなかった。彼女の中では一重に「死んでないならそれでいい」だけである。
『起源かどうかは知らないけれど! これって魔法陣から出たら死んじゃうの?』
「いや〜、死にはしないでしょ。止まった時間が正常に動くだけ…………え、ごめん。今誰が喋った?」
突如聞こえた場違いな程に明るい声。なんともなしに八霧がそれに答えたが、明らかな第三者。
シアンが剣を構え、大地が腰に下げていた槌を手に取り、八霧は蛇を手に乗せる。
瞬時に戦闘態勢に入るが見渡す限り誰もいない。また精霊や認識に作用する魔法かと疑ったが、八霧が見えていない時点でその線はないだろう。
警戒を緩めぬシアンの視界に、ふわりと緑色が映る。
つい先程見たばかりのミントグリーン。垂れ下がるように上から流れるそれを辿ると、ふよふよと漂う子供がいた。
「ひっ…………え? 待って、タンマ」
若干透けているようにも見える子供。まるで幽霊のような姿に、シアンのホラー嫌いが反応した。
縋るように大地と八霧を見ると、二人とも目を丸くして同じ半透明の子供を見つめている。
少なくともシアン一人に見えているわけではないようで、ほっと胸を撫で下ろす。
『あれ? 驚かしちゃった? えっと、こういう時なんて言うんだっけ…………あ、そうだ――ごめーんね?』
きゅるんと星でも着くかと言うほどあざとく手を合わせる子供。
元気そうに動き回り、半透明なことを除けばどう見ても、眠っている少女そのものだった。
「えっと……『夢幻の悪魔』ちゃん……で合ってる?」
一足先に理解が追いついたのか、それとも思考を捨てたのか。まず問いかけたのは八霧だった。
少女の生霊らしいものは暫し考えた後、ムッと小さな頬を膨らめる。
『その言い方好きじゃないなぁ、わたしにはミトハルレっていう名前があるんだから!……いやまぁ、わたしもあの時天使の子には『悪魔』って名乗ったけども……』
「天使の子……リザイア嬢のことか?」
『そんな感じの名前!』
ミトハルレと名乗った子供は、大地の出したリザイアの名前にわっと歓喜した。
リザイアが天使と融合する際、彼女の思考を繋ぎ止めた貢献人として『神の死体で遊ぶ悪魔』の名が挙げられていたのは軍上層や護リ人の中では周知の事実。
しかしまさかそれがこんな所で、しかもこんな子供だとは思いもしなかった。
『ふふーん。わたし知ってるよ? 君たちわたしの力を使いたいんでしょ? この『無名』を』
驚くシアン達を他所にミトハルレが話を続ける。彼女が指さしたのは、眠る少女の目。包帯で隠れた下だった。
(こっちの計画がバレてる……いや、こいつならやるか……)
本当に彼女が『夢幻の悪魔』その人であるというのなら、こちらの話が夢を通して伝わっていても不思議では無い。
警戒を解くシアンに満足気な顔をするミトハルレ。しかしながら、それもすぐに曇り申し訳なさそうに頭を下げた。
『『真実』の神牙はわたしの目。力を貸してあげたいのは山々だけど、残念ながら見ての通り幽体離脱しちゃってるのでわたしは一人で動けませんっ!』
「ま、想定通りだな」
「ねー」
『知ってた〜〜!』
「何だこのゆっるい会話……」
順にシアン、八霧、ミトハルレ、そして大地。初めから運び出す手筈だったのだから何も問題は無い。そして、目的まで知っているミトハルレがその手の内を知らないはずもなかった。
シアンは床に膝をつき、壊れ物を触るように横たわるミトハルレに手を伸ばす。
冷たくもないが、生きていると言えるほど暖かくもない。なんとも微妙な体温だった。
「じゃあ抱えるぞ……お前この魔法陣から動かしたら意識戻る?」
『んーん。戻んないと思う。これ神牙のせいだし』
「あぁ……そう……」
言いたいことは山ほどあるが、今はそこに言及するだけの時間はない。まるで荷物のように少女を抱き抱えたシアンが立ち上がり、小屋の外に出る。
「じゃああとは私がこのまま王都に戻るだけ、だな」
『へへ、よろしくお願いしまーす!』
遠足にでも行くような緊張感のないミトハルレの声が反響した。
「にゃーん……在り来りな言葉でごめんだけど、行かせる訳にはいかにゃいよ〜っと!!」
――が、それに待ったをかけるものは当たり前のように現れる。
シアン目掛けて飛びかかる小柄な影。一瞬反射した光は鉤爪のような鋭い針。
ミトハルレを抱えるシアンはピクリとも動じず、爪の持ち主は別のものに弾き飛ばされた。
「ま、知ってたけどね〜!」
弾き飛ばしたのは八霧の足。足癖の悪さが戦闘面で光っている。
「うぇ〜、現くん。君も出てきてくれないかにゃ〜。フェルだけじゃ荷が重いぃ……」
吹き飛ばされた本人は、猫のような耳を揺らしながら草陰に声をかけた。
「ありえねぇ……どう考えても俺は現場じゃないでしょ……」
「えぇーだってこれ君の計画でしょ? 君が動かないで誰が動くのよ……」
影から現れたのは夏用のスーツらしきものを来た青年。昨日アレフリアの隣で薄ら笑いを浮かべていた、現遊楽——黒幕その人だった。
「『夢幻の悪魔』って……もしかしてその子供? うわぁ、異世界ってほんと倫理観ないな……」
ミトハルレを見て顔を歪める現。異世界転移したばかりの彼に、この世界の闇はまだ早かろう。
シアンを――否、シアンに抱えられたミトハルレを庇うように前に出る大地。その手には工具らしき槌が握られている。その声は普段の何倍も刺々しい。
「あ? お前が言うなよ無責任野郎。誰の行動で人死がでたと思ってんだ」
「あ、昨日の口が悪いバルフィレム軍人。何お前、俺のせいだと思ってんの?」
「そうじゃなきゃなんだと思ってんだよ……シアン、手筈通りに! いいですよね、八霧さん!!」
「いーよー!」
声を張り上げた大地に、猫の女と対峙している八霧が返事を返す。
大地と八霧、二人は予めアウラに伝えられていた通りの動きをとった。つまるところ、敵の妨害にシアンの邪魔をさせないこと。もとよりその想定のための三人行動である。
シアンも今自分がやるべきことを確と頭に刻みつけ、少女を抱える手に力を込める。
「あぁ、任せる。行くぞミトハルレ。道案内、お前ならできるだろ?」
走り出したシアンを阻むのは何も敵だけではない。防砂林の迷宮。彼女は帰り道など覚えていないが、全てを見ていたらしいミトハルレならば……と半透明の子供を見上げた。
『〜〜〜! 勿論!まっかせてぇ!』
頼られたのが嬉しかったのかミトハルレは生霊のくせに頬を上気させ、意気揚々とシアンの前に浮いている。
シアンが走り出した時、既に背後から戦闘の音が聞こえていた。彼等の信頼を無下にしない為にも、成すべきことを成すまでだ。




