10月22日-7
「い、いえ! そんな! もう結構な時間ですし、第一ご迷惑じゃ…」
「大丈夫ですよ。今日、ここに残ってるのはボクとあと二人だけですし、住職も
いませんから、ボクやりたい放題ですよぉ?」
「え、えええ……そんな……」
なんか…さらっと無茶苦茶なことを言ってるぞ、この人……。
それに確かにお腹は減っているけれど、帰りにどこかお店にでも入ればいい
だけだ。日名瀬メモにもいくつかオススメのお店が書いてあったし。
でも。
「ワッ?! エエと……、ショウジンリョウリ、食べらレマすカ?!」
「ええ。っていうか、むしろそれしかありませんけど。ふふふっ」
「ショウジンリョウリ、一度食べタイ思ってマシタ。イイですカ?」
「え、ちょっ…ソニアさん……?」
僕の思惑なんかどこ吹く風で、また勝手に話が進んでいく。
というか……精進料理というのは、いくらお腹が空いていても、正直ちょっと
遠慮したい物である。だけどソニアさんが興味を示しているみたいだし、ここは
お言葉に甘えたほうが良いんだろう。
「あの…、本当にいいんですか?」
「…では決まり、ですね。おーい、いるー?!」
「はい! ここに!」
「じゃあねぇ、こちらのお客さんに薬石出すから用意して。お膳と赤椀ね」
「はい! 承知しました!」
明良さんが急に声を張り上げたかと思うと、さっと音もなくもう一人お坊さんが
現れた。それにも驚かされたけど、明らかに年上の、見るからに普通というか、
大人のお坊さんにあれこれと指示を出して、それをそのお坊さんがごく自然に
受け入れていることに僕は驚いた。
「部屋は……知客寮でいいか。すぐ準備して」
「はい!」
何かこれ……つい最近も見たような光景だな……。
お寺って意外に…こういうのが普通の世界なんだろうか……。
「…? どうかしました? バードが豆鉄砲食らったみたいな顔して…って、
鳩とバード……ぷぷ…」
「あ、いや……別に……」
少しして、四畳半ほどの部屋に通された僕たちの前に出てきた食事は、ほかほか
と暖かで美味しそうな湯気を立てたご飯と味噌汁と、野菜の煮物のようだった。
ついでなので僕はバッグから弁当を取り出した。お昼の残りもここで頂いて
しまおう。今の時期ならまだ悪くもなっていないだろう。
「…あ、それもお召し上がりですか?」
僕の弁当に気づいたらしい明良さんが、弁当を指さした。
「良かったら…それも温めてきましょうか?」
「…え……」
冷たいままでも別に問題は無いけれど、温めてもらえるならそれはそれで
ありがたい。明良さんの心配りに感謝しつつ、僕は弁当箱を差し出した。
「じゃ、じゃあ…お願いします」
「はーい。少しお待ち下さいね…っとぉ。そちらはもう食べてて下さいね。温かい
うちに食べたほうが美味しいので」
「は、はい…」
そう言って明良さんが僕の弁当を持って部屋から出ていった。
ふと隣のソニアさんを見ると、僕に倣って正座しているものの、やはり慣れない
のか、しきりにもぞもぞと動いている。
……西洋人のソニアさんに長時間の正座はキツイだろう。ここはやはりさっさと
食べる方が良さそうだ。
「じゃあ…せっかくだから頂きましょうか、ソニアさん」
「イエス。エト……イ、イタダキマス…カ…?」
「はい、いただきます」
ぱん、と両手を合わせるいつもの所作を、ソニアさんも見よう見まねで僕に合わ
せてから、お椀にお箸を向かわせる。
「……! ワォ……、これハ…!」
「…え! お……おいしい。なんだこれ……」
ずず、とまずは味噌汁を口に入れたとたん、意外な感想が口をついて出た。
見ればソニアさんも驚きと喜びが入り混じったような顔をしている。
確か精進料理っていうのは、肉とか魚とかの動物性の材料は使えないはずだ。
だから精進料理といえば、もっと味気ない……有り体に言えば美味しくない、
我慢して食べるようなものだと思っていたのに。
…ふと僕は、まだ子供だった頃に、母さんに代わって味噌汁を作ったことを思い
出した。だけど僕は味噌汁はただお湯に味噌を溶けば出来ると思っていて、実際
そう作ったのだけど、出来上がった味噌汁は……いつも母さんが作ってくれていた
ものとは…まったくの別物だった。
あとで母さんから、味噌汁にはちゃんとダシを取らないとダメだと教わった。
ダシはいわば建物で言う基礎で、骨格なのだと。その基礎…枠組みが無い状態で
味噌という旨味を乗せても、美味しいものにはならないのだ、と。
でも、だとしたらこの味噌汁の美味しさは何だ?
精進料理なら煮干しとかでダシも取っていないはずなのに、この美味しさは
いったいどういうことなんだ…?
「……お待たせしましたぁ」
…意外な美味しさにどんどんと箸が進む。ソニアさんもほぼ僕と同じぐらいの
ペースで食べている。気づけば野菜の煮物を完食、ご飯と味噌汁もあと少し、と
いうところで、明良さんが弁当箱ともう一つ、平べったいお椀をお盆に乗せて
部屋に戻ってきた。
「はいどうぞ。時節柄、大丈夫とは思いますけど、少し強めに火を入れがてらに
調理しなおしてみました」
「え………」
僕のお盆に乗せられたそれのフタを取ると、元は野菜炒めと白ご飯だったはずの
弁当の残り物が、なんとそばめし風にリニューアルされていた。
「夏に頂いた素麺がまだたくさん残ってまして、せっかくなので使っちゃいました。
…お口に合えばいいんですけど」
「…………」
…なんというビフォーアフター。
…なんという気遣い。
なにか…感動のあまり、思わず僕は言葉を失ってしまった。どうにも不思議な
人だし、一瞬怖さを感じたこともあったけれど、それ以上にこの細やかな心配り
には感動してしまった。
さっそく口に運ぶと、塩と醤油とごま油と…何かのスパイスっぽいもので味
付けされた、細切れになった太めの素麺とご飯が、実に和風のそばめしっぽい。
醤油の味はそれほど強くなく、色と香り付けだけのようにも感じるけれど、
これにもしっかりとした旨味を感じる。
「こ……これも美味しい! すごい……」
…もしこんな気配りと料理の達人がお嫁さんだったら、例え休み無しの
ブラック企業に就職したって幸せになれそうだ。本気で僕は一瞬そう思った。
思わず顔を上げて、ちらりと明良さんを見ると、美味しそうに食べる僕たちを
見てニコニコとしている。
やっぱりパッと見は女の子にも見えるぐらい可愛い。背も低いし、小柄で華奢
で、声だってちょっと女の子にしては低めのハスキーボイスに聞こえなくもない。
個人的に言えば全然行ける。むしろウェルカムだ。
だがしかし……この人は男なんだよなぁ……………。
「あの…ところで明良さん、これってどう作ったんですか…?」
「大したことはしてないですよ? もしお肉が入ってたら少しややこしかった
ですけど、ご覧の通り素麺を刻んで、いっしょに炒めただけです」
「………え、で、でも…」
「お肉が入ってると、選り分けたり別の鍋とか使わないといけないので。でも
入ってなかったから楽なもんです」
…なるほど、うちの貧乏がこんな形で明良さんのお役に立つとは。
いやしかし、それだけでこんなに美味しくなるものか……?
さっきの味噌汁にしてもそうだけど、実は何かすごい秘密が隠されてるんじゃ
ないのだろうか。
「…ほんとかなぁ。実は味の素とか入れてるんじゃないですか?」
「…ふふっ。企業秘密です。もしどうしても知りたかったら、お兄さんもここで
修行してみます?」
僕の疑いの眼差しに、明良さんがそう返しながら笑った。でもその笑顔に、
年齢を聞いた時にかすかに感じた…怖さというか圧力みたいなのを感じて、僕は
ごくりとつばを飲み込んだ。
「い、いや、それは遠慮しておきます……」
こうなると、さすがにもうこれ以上は突っ込めない。仕方なく僕は残りを平ら
げるべく、そのためだけに口を動かし続けたのだった。
「ご飯まで頂いてしまって…ありがとうございました。お世話になりました…」
「楽しカッたワ! マタ……来るワ!」
「はーい。いつでもどうぞどうぞ。じゃお気をつけてぇ」
帰りの石段は食後の運動としては少々ハードだったけれど、それでもおかげで
窮屈だったお腹も多少はマシになった。
石段の下まで灯りを持って、お見送りに来てくれた明良さんに別れを告げて、
僕たちは待ってもらっていたタクシーに乗り込んだ。辺りはすっかり薄暗くなって
いたけれど、ソニアさんはすっかりご機嫌を取り戻したらしく、輝くような笑顔が
戻っていた。
…だけどそれは、僕に自分自身の不甲斐なさ、至らなさを改めて突きつけられて
いるようでもあった。
僕が最初にしたような、ただ見て回るだけじゃダメで、やっぱり明良さんみたい
に、きちんと説明できる人と一緒に回ったりしなければダメだったんだろう。
行きのタクシーのタクシーの中でも、ソニアさんは異文化を体験することがイン
スピレーションにつながると言っていた。つまり…さっきみたいにお寺の中や生活
そのものまで感じられるような「体験」がしたかったのだと痛感した。
「あの…すみません。やっぱり……僕じゃ力不足だったみたいです。その……
あまり楽しくなかったですよね…」
「ンン? そんナコト無いネ。シュンヤのおかげデいい経験できまシタ。感謝
してマス」
「いや、でも……結局僕は……」
「ノー。シュンヤがいたカラさっきノお寺行けタ。カマクラダイブツもそウ。
アナタ、ワタシの言葉が信じられマセンカ」
「い、いや、そ、そういう意味じゃなくてですね……、いえ、その…」
そこまでを言いかけて、僕は口を閉じた。
…もしもお世辞やお義理で言ってくれたのだとしても、ソニアさんがそう言って
くれただけで、この僕にとってはもう十分だろう。
「……じゃあ帰りましょうか。ソニアさん。どちらまでですか?」
「ンン? そうネ……、トリあえずシュンヤ、アナタの家マデ送りマス」
すっかり夜になり、車の量も減った道を、タクシーがびゅんびゅん進んでいく。
この調子なら家までは30分もかからないだろう。
そして…そこで僕はソニアさんとお別れをすることになる。
…きっと最後のお別れを………。
「…は~い、ご乗車お疲れ様でした」
と、ふいに運転手さんの声と連動して、タクシーが停まった。窓から見える
景色は、いつもの僕たちの暮らす団地そのものだ。慣れ親しんだ……僕の家その
ものだ。
だけど、今夜ばかりはこの景色は見たくはなかった。見てしまえば…すべてが
終わってしまうのだから。
「あ、ありがとうございました。じゃあ僕はこれで……。って…あの……」
「ンン………?」
「いえ、あの……その……」
…本当のところは連絡先やメアドなんかを聞きたい気持ちはあるけれど、どう
してもそれを聞くことをためらわれてしまう。
声を発しようとしても、からからに乾いた僕の喉からは、どうやってもその先の
言葉が出せない。
だって僕はただの、ごく普通の高校生で、ソニアさんは世界で認められた天才
デザイナーなのだ。誰がどう考えても住んでる世界が違う。違いすぎる。たま
たま、なりゆきでこんなことになったことが、もう奇跡みたいなものなのだ。
…そして……夢の時間は終わった。ただそれだけのことなのだ。
そう頭では分かってはいても。
でも、ソニアさんとはもうこれっきりだと思うと、……辛い。
もっとソニアさんのことを知りたい。話をしたい。もし叶うなら、彼女が何かを
描く姿を見てみたい。描いたものをこの目で直接見てみたい。
だけどそれは……ただの高校生である僕にとっては、高望みが過ぎるという
ことも自覚はしている。
だから僕は………。
「いえ、なんでもないです…。それじゃ…お気をつけて。さよなら!!」
タクシーを降り、ぺこりと頭を下げてから、僕は脇目もふらずに一直線に家を
目指した。振り返りでもしたら、今度はさっきとは逆に、感情が爆発して訳の
分からないことを口走りかねない。
だから僕は……走った。ただひたすらに。一目散に。
タクシーの走り去る音を…耳に遠く感じながら。




