10月22日-6
「ぜぇ…ぜぇ……、はぁ…はぁ……」
「……シュンヤ、アナタ体力ナイですネ……」
ようやく、息も絶え絶えになりながら、僕たちは数百段の石段をクリアして山
門の前までたどり着いた。
……いや、実際は息を切らせているのは僕だけで、ソニアさんは涼しい顔を
している。
というか……ソニアさんがこんなに足が強いとは意外だった。デザイナーなんて
インドアの極みみたいな仕事だろうに。
それとももしかして、僕が貧弱すぎるだけなのだろうか……。
我ながらちょっと情けないな……。
「…あれ? 観光の人?」
どうにか息を整えていると、ふいに目の前の大きな山門の向こうから声がした。
ついで、ひょい、と顔を出したのは……ずいぶんと小柄なお坊さんだった。ホウキ
を持っているところを見ると、たぶん掃除中だったんだろう。
「あ、は、はい。まだ…いいですか?」
「いいですよ…ってか、うち別に拝観時間とか決まってないので。ささ、どうぞ」
見るからに小柄な、おかっぱ頭に切り揃えられてる髪型もあって、女の子と
見間違えそうなお坊さんに出迎えられ、僕たちは無事に「龍浄寺」の中に入る
ことができたのだった。
「やーやー、それにしてもうちにお参りに来るなんて、お兄さんたち、かなり
マニアですねぇ!」
「あ、いや、そういう訳じゃないんですけど…」
「へぇ? じゃあどなたかのご紹介で? まぁどうでもいいけど久しぶりのお客
さんだし、気合入れてご案内しちゃおうかな!」
「は。はぁ……、よろしくお願いします」
「あ、ご案内って言っても、無理やり老師のところに連れて行ったりはしない
ので安心してくださいね。ぷぷぷ……」
「…………」
…何を言ってるのかよく分からない。口元を袂で隠して、さもおかしそうに
くすくすとお坊さんが笑うが、今の話のどこに笑うところがあったのか、僕には
さっぱりまったく分からない。
ふと見ると、この人が着ているのも、御八尾さんが着ていたのとよく似た、
藍染の僧衣だ。まぁお坊さんなんて誰でも似たような服だから、たまたまなのかも
しれない。
ちょっと気にはなるけど、ソニアさんといっしょじゃ聞くのもマズいかな…。
「じゃあまずは境内と本堂周りから行きましょうか!」
「あ、は、はい……お願いします…」
それしても……見れば見るほど、不思議なお坊さんだ。ゆったりした和服のせい
ではっきりとは分からないけれど、体格は小学生の高学年ぐらいに見える。顔立ち
は美少年、という感じで、見ようによっては女性に見えなくもないけれど、声は
ちょっと男の子っぽい。
でもお坊さんなら小学生なんてことはないだろうし、要するに…年齢も性別も
よく分からないという、実に不思議な人だ。
「あ、申し遅れました。ボク、明良と言います。みんなからは良っさんって呼ば
れてます」
「はぁ……、あの…明良さんは…男性…なんですよね?」
「あはは! お兄さん、面白いですねぇ! 決まってるじゃないですかぁ!」
「あ、あはは…。で、ですよねぇ……。ちなみにおいくつで…」
そこまでを口にしたとたん、振り返った明良さんの目が…すぅっと一瞬だけ
細くなった。
「…ボクらはお寺に入った時点で、娑婆の一切を捨てます。元の名前、経歴、
年齢も何もかもです。だからそれは言えません」
…そう話した明良さんの声のトーンも、わずかに変わったように聞こえた。でも
それも一瞬のことで、すぐにさっきまでのような人懐こい表情に戻っていた。
今のは…何だったんだ?
「…ということは……、明良って名前も本名じゃないってことですか……?」
「はい。ここに入った時に、師匠から付けて頂きました」
「…そうなんですか…。厳しい世界…なんですね」
「いえいえ、慣れればどうってこともないですよ? ご飯は三食頂けますし、休み
だってもらえます。巷で聞くブラック何とかよりは過ごしやすいと思いますよ?」
「フゥン……、ツマリここハmonastery…修道院のようナところデスカ」
と、さっきから静かに僕たちの後に続いていたソニアさんが、ふいに会話に
入ってきた。
「えぇ、ボクはそちらのことは詳しくないですけど、たぶん似たような感じです。
ってかお姉さん、日本語お上手ですねぇ!」
ちょっと大げさなぐらいのリアクションで明良さんが驚いてみせた。ここだけ
見てると、どこにでもいそうなお調子者の小学生男子そのものだ。
やっぱりさっきのは僕の見間違い…気のせいだったんだろうか。
「やーやー、お兄さん、やりますねぇ! こんな美人な外人さんとデートなんて!
憎いねぇ! このこの!!」
「え、あ、あはは……、いや、そういうんじゃないんですけど…あはは…」
「ンン……? ドウしましたカ、アナタたち?」
そんなことをふと考えていると、明良さんが小声で言いながら僕を肘で突っ
ついてきた。
明良さんは今はもう普通に…最初の印象通りの、小柄な男の子にしか見えない。
そのことに僕は…少しホッとした。
…あと、ソニアさんに今のやり取りを聞かれなかったことにも。
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ぐるりと外を回って、禅堂?や法堂?ショウロウ?とかいう建物を案内して
もらい、その度に説明を受けたソニアさんは、さっきまでと違ってなかなかご
機嫌のようで、しきりに明良さんにあれやこれやと尋ねている。そしてそれらに
淀みなく答える明良さんはさすが本職だ。
……見た目は子供にしか見えないのだけれど。
「…このブツゾウ、さっきノト違う。ホワイ?」
「んん……? そう…ですか?」
いよいよ大きな玄関から、お寺の中に通されたソニアさんが、本堂の仏像にも
反応した。
確か…日名瀬メモによれば、ここの売りの仏像は、日本最古級の釈迦如来像
だったはず。ということは、これがそうなんだろうか。
確かに見た感じ、かつて塗られていただろう色もほとんど剥げていて、相当
古そうな印象を受ける。
しかしさっきの…とは何なんだろうか。何件もお寺を巡って、仏像はいくつか
見たけれど、そのどれとこれが違うのかがまず僕には分からない。
「さっきのって、どこで見たやつですか?」
「ンン…、カマクラ…ダイブツ?デス」
「………??」
…鎌倉の大仏と、この眼の前の仏像のデザインが違う、とソニアさんは言って
いるらしいけど、ぱっと見た感じでは、やっぱり僕には違いが分からない。
そりゃあ細かいところはいろいろ違っているけれど、基本的な部分……座ってる
ポーズとか服とか、特徴的な髪型なんかは同じだ。
でもソニアさんが違うというなら、一見同じように見える2つの像のどこかに、
作った人の個性だとか、材質の差から来るような細かい違いではなく、決定的な
差があるんだろう。
…もう一度僕は注意深く、射るように仏像を観察する。
「…………」
「あ、よくご覧になってますね。鎌倉の大仏さんは阿弥陀如来なんです。こちら
のは釈迦如来で、違う仏様なんですよ」
と、ここでまた明良さんが解説を始めようとしてくれた。ありがたいのだけど、
少しぐらいは僕にだって見せ場が欲しいのだ……。
我ながら器が小さいことを自覚しつつ、僕はすっと手を上げ、彼の言葉を遮った。
「………? どうかしました……」
「…待ってください。当ててみせます……!」
「…フゥン……。面白イでスネ。でハ30秒上げマス」
「え、さ、さんじゅ…う…?! く……っ!」
…まさか時間を区切られるとは予想していなかった。これで外したり分からなか
ったら見せ場どころか、ただの恥の上塗りになってしまうじゃないか。
余計なことを言うんじゃなかった……。
「って、い、いや……!!」
あわてて僕は雑念を振り払い、さっきみた鎌倉大仏を頭に思い描きながら、目の
前の仏像と対比していく。そうだ、泣き言いってる場合じゃない。まだ終わった訳
じゃない。
集中だ……集中しろ……!!
「……時間デス」
「………ッッ…!」
…あっという間だったような、でも無限にも感じられたような不思議な感覚から
ソニアさんの声で僕は現実に立ち戻った。
「答エ、解りましタカ」
「………指…の形が違う。どうですか」
…そうだ、さっきの鎌倉大仏が組んでいた形は、両指を曲げてくっつけるような
形をしていた。でも目の前の仏像は、手を開いたまま上下に重ねるような形だ。
たぶん……これで間違いないはず。僕の記憶が間違っていない限りは。
実際に自分の手で実演して見せながら、審判が下されるのを僕は恐る恐る待った。
「ご明察です! お二人ともすごいですねぇ! 普通の人はなかなか気が付かない
んですよ?」
「ナカナカやりまスネ。100点上げまショウ」
「………!! おっしゃあぁーー!」
思わず僕の口から、また変な声が出た。前に怪物をバットで殴り倒した時以来の
ガッツポーズと一緒に。
…それにしても危なかった。指の形に気がついたのは、ソニアさんに「時間だ」
と言われる直前だったのだ。いや、ほとんど同時だったかもしれない。
集中しすぎたせいなのか、その辺りが妙に曖昧だ。
しかし、結果としては上等だろう。さっきは惜しくも取れなかったけど、今回は
文句なしの100点満点だ。ガッツポーズの一つや二つは出ても当然である。
「それデ、二つハどう違いマスカ? ナゼ違いマスカ?」
などと感慨にふけっていると、ソニアさんがさっさと話を進めようとしていた。
もう少しぐらい褒めてくれてもいいだろうに……。
「…釈迦如来はおなじみのお釈迦様です。仏教の開祖ですね。指の形は法界定印
といいまして、坐禅をしているお釈迦様のお姿を像にしている感じです。なので、
ボクたちも坐禅の時はこの印を組みます。大先輩にあやかろうってワケです」
「ホゥ…ナルホド……」
「阿弥陀如来は…いわゆる「ナムアミダブツ」の阿弥陀仏、と言ったら分かり
ます?」
「………?」
「あ、なんとなく分かります。なんまんだぶなんまんだぶ…ってヤツですよね?」
怪訝そうな表情のソニアさんに代わって、僕が答えた。うちに仏壇はない
けれど、綾の家にはあるし、時々おばさんが仏壇に向かって手を合わせながら
そう唱えているのは何度も聞いたことがある。
「ですです。阿弥陀様はそのナムアミダブツ…、南無阿弥陀仏と唱えれば、いか
なる悪人でさえも救ってくださるという仏様です」
「ンン……、ブツゾウにお願イしテですカ?」
「いえいえ、仏像は必ずしも必要じゃないですよ。心に阿弥陀様を思い描いて、
南無阿弥陀仏とお唱えしたり、なんなら口でただ唱えるだけでもいいとも」
「フゥン……、つまリ信ジル心コソが重要ダトいうコトですカ」
「だいたいそんな感じです。まぁ解釈はいろいろありますし、ボクたちは禅宗
なので、あまりご縁がないですけど…」
「…………」
「実を言うとボクは……お釈迦様より阿弥陀様のほうが好きです。こんなこと
言ったら偉い人から怒られそうですけどね。ふふっ!」
と、そこまでを言うと、明良さんの表情が…かすかに変わった。
いや、表情は変わらず笑顔のままだ。でも、どこかその笑顔に影が差したよう
に僕には見えた。男性だというけれど、正直それを疑ってしまうほどきれいな顔
立ちに浮かぶ、不思議な笑顔。いったいこの人は……どういう人なんだろうか。
思わず僕は明良さんの表情に見入ってしまっていた。そしてこの笑顔の意味は。
あまり明るいとは言えない本堂の灯りのせいなのか、それともゆらめくロウソク
の炎のせいなのか。あるいは今言った言葉が何か関係しているのか。
はっきりしたことなど何もないし分からない。でも、それがなぜか…僕の心に
強く残ったことだけは確かだった。
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「さて! これで一通り回りましたけど……」
ぐぅぅぅ……
本堂のあれこれや書院?やクリ?というお寺の中を見終わって、そろそろ終わり
かという空気になってきた時、突然珍妙な…間の抜けた音が静か過ぎるお寺の中で
響いた。
そしてその間抜けな音の出処はというと……なんと僕からだった。
「ぅぇッッ? え、あいや、す、すみません!」
「…ワッ? シュンヤ、オナカヘッたか?」
…なんてことだ。メモ取りに追われてお昼を半分ほど残してしまったせいで、
今頃お腹が不平不満の訴えを起こしてきたらしい。
それにしても、よりによってこんな時に。情けないやら恥ずかしいやらだ…。
「ふふふっ……。良かったら…晩ごはん、食べていきますか?」
「…え……?!」




