蜜色の朝日
――行方不明者一名。
報告を受け、キクリ正師は露骨に顔をしかめた。
「捜索は、第一部隊が受け持つ。正師は導士の避難誘導を」
「ええ……」
鈍い返答の意味を汲み取ったのか、大隊長は畳み掛けるように言葉を繋げる。
「お気持ちはわかりますがな、正師には導士の守りを固めていただきたい。……お嬢ちゃんの捜索は、第一部隊の領分だ。ついでと言うのも何だが、ローグレストは借りていくぞ」
せっかく取り繕っていたのに、最後は崩れていつも通りとなった。これには、内々ならと言っていた当人ですらも、さすがに苦笑いをしている。
「大隊長がそこまでおっしゃるのでしたら……。二人を、どうかよろしくお願いします」
調子を合わせたのか。それとも単に面倒だったのか。結局、正師もいつも通りとなってしまった。
「ローグレスト、気をつけて行くのだぞ」
「はい」
「指示には必ず従うこと。決して独断で動いてはならぬ」
「はい……承知しています」
「それから――」
「正師、大丈夫です。無茶はしません」
「本当か? お前は血気盛んな上、どうにも急くところがある」
正師が言った途端、友人達から茶々が入った。
それに触発されたのか。同期の面々からも、ぞんざいな励ましが次々と投げつけられる。
やいのやいのとうるさい連中を見渡し、誰の発言かをしっかり把握しておく。そしてこの事実、記憶の台帳に記載した。
全員まとめて覚えておけよ。
「我々は、モンテレオ湖で待っている」
モンテレオ湖は遺跡からも遠い。
"真穴"が多数存在していて、常に結界が張られている。後衛を務める補給部隊が配備される予定でもあるから、避難場所としては最適だ。
二人で無事に戻れとの言葉に、必ずと応じる。
正師は黙ったまま一つだけ頷き、同期達を大きな真円で包んだ。
転送の気配に触れながら、うるさい連中と約束を交わし合う。
また、後で――と。
転送が収束してすぐ、大隊長が肩を叩いてきた。
「よし、行くぞ。遅れずについてこい」
剛勇の赤に紛れ、明け方の空を行く。
薄暗い空には重い雲が垂れ下がっている。今日は、日の光をまともに拝めそうにない。
顔にあたる氷水のような大気が、季節の移り変わりを宣言している。吐き出した息は白く濃いもやとなり、風に揉まれて消えていく。
出発してすぐ、大隊長から現状を伝え聞いた。
"封印の間"の場所は、つい先ほど判明したが、遺跡の仕掛けに邪魔されて転送では飛べない。仕方なしに、"真脈"を伝って移動することになる。ただし、これにも課題がつきまとうという。
「状況は」
上司からの短い問いに、副隊長が応じる。
「報告によれば、遺跡に紐づいた"真脈"が複数存在していると。ですが――」
それらは細く、かつ動いている。
渡れる人数に限りがある。その上、ひとたび使用すると"真脈"が動いてしまい、同じ経路が使えなくなってしまう。
「侵入の際に、手数を分ける必要があります」
「……まーた、ややこしいものを拵えてくれたなあ」
「まったくです。しかし、希望はあるとも言っていましたね。一味は、幾度となく遺跡と里を行き来していた。恐らく"真脈"の動きに法則があるだろうと。もしも移動が困難なら、ドミニクも出て来なかったでしょう。引き続き、解読部には知恵を絞ってもらっています」
「おう、すっからかんになるまで絞り切ってもらえ」
軽い応酬。
だが、軽いのは口調だけ。第一部隊の面々は、すでに戦いの只中にいた。
闘技場に放り込まれた気分だ。
隊員達は誰一人として臆してはいない。
各々から発せられている気配は、第三の目を大いに刺激する。刺激を受け続けているせいで、徐々に気持ちが高揚してきた。
抑えようとしても、真力が勝手にあふれていく。
ならばいっそと、好きなだけ真力を放つことにした。真力の減少よりも、気力を削られる方が厄介だ。
真力を撒き散らしながら飛んでいると、大隊長が「とんでもねえな」と笑い出す。
「四つ目も大概だと思っていたが、五つ目ともなると途方もない。一晩暴れて、まだそれか」
「そうでしょうか。あまり多いとは思えません。たまに枯渇しますから」
何の気なしに返したところ、隊員達からざわめきが出た。
「……調整が甘過ぎるのだ。他の真導士と比較して多いとはいえ、真力は無尽蔵ではない。少し自重しろ」
ざわめきの合間を縫って、副隊長がちくりと刺してくる。
「配分は考えています。それに、真力を撒けば精霊がよく懐く。先手を取るのに有効だと、キクリ正師が言っていました」
精霊には、考える力がある。
犬猫程度らしいが、懐いてもらうにはそれで十分。真力を常に放っておけば、周囲に精霊が棲みつく。つまり、自身が"真穴"の代わりとなるわけだ。
精霊がいなければ、真術を展開することができない。
それは今回の騒動で骨まで沁みた。同じ過ちを犯すのはごめんだ。
きっと罠が残されている。
油断してなるものかと胸中で呟いた時、彼方から淡い光が飛んできた。
光に応じて、先頭をいく指揮官の真眼が輝きを放つ。
「大隊長、聞こえますか」
風をかき分けてやってきたのは、若干の興奮を含んだ声。
「おう、ジョーイ殿。いかがされた」
大隊長のもとに、遺跡で潜入調査を行っているジョーイから連絡が入ってきた。
まず確認してきたのは第一部隊の現在位置。
遺跡に向かっている途中と伝えたら、安堵の吐息が漏れてきた。
「よかった……、間に合ったようですね。碑文の調査を進めていますが、解読できた箇所だけ、取り急ぎお伝えしておきます」
この遺跡は、想像していたよりもずっと危険だ。
興奮のせいか、やや早い口調となったジョーイが、新たに掘り起こした事実を大隊長に告げた。
「――裏切り?」
ジョーイとアナベル。二人が潜入しているのは、遺跡の隠し通路。脱出口とも言うべき場所だという。
残されていた碑文には、苦渋と後悔と恨み言が、隙間なく刻まれている。
生み出した邪悪。
かの者達が"魔神獣"と呼んでいた代物は、想定の遥か上をいってしまった。
「血族間で争いに発展したようです」
同じ目標を目指していたはずの、血を分けた相手。その濃い繋がりを砕いてしまうほどの存在。
「彼等は"魔神獣"を制御するため、真術の研究を重ねていた」
"魔神獣"を操り、動かすための指揮棒。
鎮めておくための寝床。
力を無効化する術具の数々。
ある程度のところまでは協力しつつ、研究を進めていた。
だが、その恐ろしい生命を前に膝を折った者達が出た。
「そして、裏切りを察知された彼等は、命からがら逃げ出した。……我々がいるこの通路は、その時に造られたのでしょう」
悔い色のインクで記されている"魔神獣"の姿は、邪神そのものと言っていい。
「恐怖、悲しみ、怒り。邪神はありとあらゆる負の感情を好む。そして何より……」
――虚ろを好む。
「つけ込まれないよう、重々お気をつけください。また、守護のため数多の命を捧げたと記載がありました。相当数の"魔獣"、"堕殻"が眠っていると思われます」
「捧げた贄を、遺跡の番犬がわりにしていると?」
「ええ、彼等なら何をしてもおかしくない。覇権を得た時、恩恵を受けられる血族ですら、おぞましいと見放すような者達です」
いやだねえと吐いた大隊長が、薄ら笑いを浮かべる。新たに情報を得たら連絡すると言って、声が風に乗り去っていった。
余韻が消えるのを待って、副隊長が口を開く。
「……"魔獣"だけでなく"堕殻"もですか」
邪神に乗っ取られた人の躯は、"魔獣"と同じか、それ以上に厄介だ。
大隊長は「どんどん仕事が増えていく」と鼻を鳴らした部下を笑い、しかし重要なのはそこではないと語る。
「目下、最優先で警戒すべきは淪落となった高士だ」
中央棟の地下に捕らえられている女の相棒。
影側に潜ったきり、一切の動きを見せていない例の高士。
長く、外勤として里に仕えていた高士だが、情報は極めて少ないという。
「それは何故ですか。警戒対象だったのでは?」
思わず出た質問を、大隊長が肯定する。
「ああ、そうさ。しかしな、奴にはこれといった特徴がないんだよ」
特別に秀でてもいない。
かといって劣ってもいない。
正直なところ、真導士としての力量は、フィオラの方が上という評価だった。
「導士時代、正師達が下した評価も同じ」
そのせいか、つい最近までフィオラが主導しているのではと目されていた。
そもそもかの高士は、もとより主張が乏しい性格で、どこを探ってもそれらしい我欲が見当たらない。何故、造反に至ったのか。まったくと言っていいほど謎なのだそうだ。
――どうにも霞を相手にしているようで、気味が悪い。
落ちた呟きを聞いて、ふと船の実習を思い出す。
確かにあの男の真術も、そして真力も、これといって印象に残っていない。こういう気配だと例えるのが難しいくらい、特徴が薄かった。
天敵である相手が姿を見せた時も、反応らしい反応をしていなかったように思う。
「相手の力量がどうあれ、油断はするなよ。何せ、あいつ等は古代術具を持っていやがる」
「ええ、わかっています」
返事をして、下方に視線を向けた。
風が渡り終えた大地に、今年最初の霜が降りている。
白く霞んだ大地。
その所々に、純白の人影がある。
「あれは?」
この問いかけに、グレッグが応じた。
「ああ、今朝方浮いてきた屑を、手隙の高士が処理しているのだ」
屑というのは、里中に隠されていた真術のことを指しているらしい。
里のあちらこちらに、転送等の真術が敷かれていた。
もちろん、一味が敷いたものがほとんど。
だが時折、大戦以前に敷かれたものも混じっている。
その上、未知の真穴まで出現していて、担当の部隊は調査と処理に追われているのだそうだ。
「風が渡り終えたと思ったら、続々と浮いてきた。どうも里にある"真穴"と"真脈"が活性化しているようでな。その影響だそうだ」
話を聞いて思った。
これからはじまるのではない。もう、はじまっている。
サガノトスの。
自分達の命運を決める戦いの幕は、すでに切って落とされていた。
各所で、白い輝きが生まれている。
転送の円の上に、他の真術を重ねてかき消している様子。
大半は淡々と処理されていっているが、三人ほどが集まり、強い真術をぶつけている場所もある。
あれが、大戦以前に敷かれたという真円だろうか。
「いかにも面倒そうな仕事ですね」
「言ってやりなさんな。骨が折れる仕事を、率先してやってくれてんだからよ。やってみると地味にしんどい作業なんだぞ」
敷かれた真術に、より強力な真術をぶつけて消しているだけ。
それだけだからこそ、やっている途中で飽きがくる。
「一気に吹き飛ばしてやりたいところだが、こんなことに慧師を駆り出すわけにはいかん。……正鵠がいりゃ楽だけどよ。残念ながら導士には避難指示が出ている」
なるほど。
つまり、次にこのようなことが起きたら、これはあいつの仕事になるわけだ。
いかにもヤクスに向いていそうだ。ぐちぐち言いながら真円を消して回る姿が、ありありと浮かんだ。
突拍子のない正鵠の恩恵を、存分に活かすといい。
話が途切れてからしばらくして、副隊長の右手首に嵌っている通信用の術具が、強く明滅した。
通信が入ってきたようだ。
吉報であることを願いつつ、命令が下るのを待つ。
決戦前。
否が応でも緊張を抱く。第一部隊に紛れ込めたのは幸運だった。森で理想と思い描いていた部隊は、ほどよい緊張に包まれている。
同期達との関係は、冬を迎えてようやく改善した。
もっと早くに改善できていたなら。
そういった考えがあるのも確か。
あの日、あの時、他の行動をとっていればと悔いもある。
それも事実。
だが、他にやりようはなかった。
むしろ冬を迎えたから。"迷いの森"で出会い直したから。そんな風にも考えられた。
「大隊長。解読部より、法則解明の報が入りました!」
張り上げた報告が、隊員達の真力を高ぶらせた。
身の内で潜ませていた興奮が緊張を押しのけ、冬の空に噴出する。
「よおし、行くぜ。お前等、遅れずについて来いよ!!」
いざ、決戦の地へ。
待っているのは絶望か。それとも希望か。
希望であって欲しい。そうであれと願い、わずかに顔を出した蜜色の朝日へ向かう。
――その日。
例年よりも冷え込み、何もかもが凍てつくようだった"風渡りの日"。
"第三の地 サガノトス"の記録に、膨大な数の文字が刻まれた。
白紙を塗り潰すほどの文字は、二色のインクによって彩られる。
黒く。
そして、赤く。
縦に横にと記された文字は、まるで上質な織物の如く、鮮やかに時を編み上げる。
後に、『女神の嚆矢』と呼ばれることになるその日は、吹きすさぶ新たな季節と共に、宿命の地へとやってきたのだった。




