第30話「道標」
ドクン。
黒が脈打つ。
肩が脈打つ。
クロノの鼓動も。
嫌になるくらい。
聞き飽きていた。
二人は進む。
崩れた渡り廊下。
軋む床。
割れた窓。
見慣れた境界。
だが。
今まで通ったことはない。
少なくとも。
クロノの記憶には。
「本当にこっちなの?」
ミナが周囲を見回す。
「ああ」
「根拠は?」
「ない」
「やっぱ」
「ないんだ……」
呆れた声。
だが。
引き返そうとは言わない。
それが少しだけ。
ありがたかった。
ドクン。
肩が脈打つ。
その瞬間。
頭の中に。
また道が浮かぶ。
右。
次は右。
なぜか分かる。
理由は分からない。
「こっちだ」
角を曲がる。
ミナも続く。
その先で。
足が止まった。
「……え?」
思わず声が漏れる。
何もないはずだった。
崩れているはずだった。
だが。
そこには。
扉があった。
古い扉。
錆びている。
ひび割れている。
それでも。
確かに存在していた。
「こんなのあった?」
ミナが呟く。
クロノは首を振る。
知らない。
見たこともない。
なのに。
ここへ来ることだけは知っていた。
ドクン。
肩が脈打つ。
脳裏に声が響く。
『そこだ』
男の声。
今までで一番近い。
まるで。
すぐ後ろにいるみたいに。
クロノが振り返る。
誰もいない。
だが。
今のは。
確かに聞こえた。
「また?」
ミナが聞く。
「ああ」
もう隠さなかった。
隠しきれなかった。
「今度は何て?」
クロノは少し迷う。
そして。
「この先だって」
「ここ?」
ミナが扉を見る。
沈黙。
「なんか嫌なんだけど」
「同感だ」
即答だった。
珍しく意見が一致する。
ミナが少しだけ笑う。
クロノも。
少しだけ口元が緩んだ。
ドクン。
肩が脈打つ。
その瞬間。
何かが流れ込む。
暗い部屋。
息遣い。
荒い呼吸。
そして。
白。
今まで見たどの白よりも近い。
弱々しい。
それでも。
確かにそこにある。
『まだある』
男の声。
『残ってる』
声が震えている。
安堵。
そんな感情だった。
次の瞬間。
何かが消える。
クロノは思わず扉を見る。
胸の奥がざわついていた。
「行っちゃう?」
ミナが聞く。
クロノは答えない。
代わりに。
扉へ近づく。
一歩。
また一歩。
そして。
手を伸ばした。
触れた瞬間。
肩の黒い筋が。
今までで一番強く脈打つ。
「っ……!」
思わず顔をしかめる。
熱い。
痛い。
焼けるみたいに。
ドクン。
ドクン。
ドクン。
脈動が加速する。
「クロノ!」
ミナが腕を掴む。
その瞬間。
痛みが少しだけ遠のいた。
クロノは息を吐く。
「平気?」
今度はミナが聞いた。
どこか。
以前のクロノみたいに。
クロノは苦笑する。
「それ、俺の台詞だったんだけどな」
「今は私の」
即答だった。
クロノは少しだけ笑う。
ミナも笑う。
ほんの一瞬。
境界の不気味さを忘れるくらいに。
そして。
扉を見る。
ドクン。
黒が脈打つ。
肩が脈打つ。
その奥で。
白が揺れる。
まるで。
待っているみたいに。
「……行くぞ」
ミナが頷く。
二人は顔を見合わせる。
そして。
ゆっくりと。
扉を開いた。
暗闇の向こうで。
小さな白い光が。
静かに揺れていた。
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