魔人の眷属
「さ、流石に……今回ばっかりは死んじまうかと思ったぜ……。わりぃ、助かったよ。キティー。」
「『今回も』でしょう? いえそれどころかねぇ、私の見立てでは、あれはとっくに死んでいないとおかしいはずの……それだけの深手だったのだけれどね? ゼリグ?」
おいおい、おっそろしい事を言って脅さないでくれよとヒクリと頬を動かして、それから振り子の如くに脚を振って、ヨイセっと反動をつけて身を起こす。
さて腕の調子は、と。おお、動く動く。切り落とされちまった左の腕も、深々と切り裂かれた肩の傷も、もうすっかり元の通りとあっていやはや何とも、キティー様様ときたもんだ。今夜は足を向けて寝られねーなぁこりゃ。その今夜があればだが。
「で、だ。随分とまぁ騒々しいが、アタシがのびちまってる間に一体何がどうなったよ? 状況がわかんねえ、教えてくれ。」
「……生憎とねぇ、私にも何が何やらさっぱりよ。とはいえ推測くらいは出来なくも無いのだけれど……御覧の通りにさっきから、自分とアンタの身を守る事だけで手一杯! でねっ!!!」
頬に手を当てて何事かを思案していたキティーの奴が、細工の施された杖をその手に突然ぐわりと振りかぶる。おいおいおい、アタシが無茶をやって飛び込んだ事、そこまで怒ってんのかよ!? と、顔を引き攣らせて身構えたのも束の間の事。
大きく振り回されたその先端は、アタシの死角から飛び掛かってきた銀の獣の頭を捉え、ガシャン! と派手な音を立ててぶっぱらった。咄嗟に顔を庇うアタシの前で、ひしゃげて散った装飾が情けなくあがる悲鳴にまみれ、銀色の毛むくじゃらごと地に転がる。
「ほら! 治って早々悪いけれど、歯ぁ食いしばって立ちなさい! でなきゃあこのまま食い殺されるわよ!!!」
「お、おう! ってありゃあ、ノマの奴が見せてくれた狼か? 確か万が一に備えてアイツ、森の中に手勢を伏せるってぇ……うわっ!!?」
思わぬ乱入に目を剥きながら発した問いの言葉は、しかし背後から吹き付ける強烈な風に煽られて妨げられた。姿勢を崩してひっくり返るアタシの視界に映ったものは、空から落ちてきた巨大な羽根をその背に受けて、体液を撒き散らしながら四散するこれまた巨大な銀のサソリ。
わけの分からぬその有様に、逆さまになったまま二度三度と目を瞬き、そのうちに散乱する陣幕に施されたその意匠から、そこが王国軍の本陣であると察しをつけた。それが証拠にその奥では、獣人のガキ共を背に守ったマッドハットの坊ちゃんが、小山のようなイノシシを相手に不格好に剣を突き付けて震えているのだ。
あれは不味い。転がる槍を引っ掴んで身を起こすものの、流石にこれだけ間合いが生じていてはどうにもならない。歯噛みをしながら腕を伸ばすアタシの前で、子供たちはイノシシのでかい鼻に突きあげられて宙を舞い、そしてそのままいずこかに落ちて、姿を消した。
「……駄目か。あの有様では、司令部も壊滅でしょうね。ああ……白の神よ。せめて死にゆかんとする者達に、あなた様の御慈悲があらんことを。」
「…………クソっ! おい、ノマの奴はどこに行きやがった!? 締め上げて全部吐かせてやる! アイツはどこに居やがるよ!?」
「あの子は、まだ戻ってきてないわよ。とりあえずは落ち着きなさいな、焦って良くなるような事なんてなんにも無いわ。今はとにかく、状況を見定めて打開の一手を探す事が……。」
「落ち着いてなんていられるか! ノマの奴、裏切りやがったんだぞ!? 今までずっと、化け物のアイツをそれでも信じてきてやったのに……この土壇場でアイツ、アタシ達を裏切りやがったんだぞっ!!?」
見れば本陣だけでは無い。大蛇に狼、百足に狒々と、銀の怪物達が人族蛮族見境なしに暴れ回っては猛威を振るい、逃げる者も抵抗する者も皆一様に薙ぎ払われて、次々と地に倒れ伏していくようなこの有様。何がと問うまでも無い。どうせアレだ、ノマの馬鹿が何かをやったに決まっている。
なんせアイツは化け物だ。それもそんじょそこらの化け物じゃあ無い。斬ろうが突こうが、灰になろうが平気な顔をして起き上がってくる、底の知れない真の怪物。しかして所詮、化け物は『化け物』に過ぎなかったというわけか。見る目が無かったよ、畜生。
……友人になれたと思っていた。アイツの気分一つで簡単に殺されてしまうような危うい関係ではありながら、しかしそれでもなんのかんのと、今日の今日までそれなりに仲良くやってきたのだ。それをアイツは裏切った。それが無性に腹立たしくて仕方が無くて、そして悲しい。
「おい! 聞いてんのかキティー!? 大体お前もお前だ! 周りがこんな有様だってぇのに、なにをそんなに落ち着き払っていやがんだよ!? 悠長に祈りの言葉なんて捧げやがって、他にもっと言うことあんだろうが…………っぶ!!?」
法衣の胸倉を掴み上げ、目を吊り上げながら泡を飛ばした激昂は、容赦なく振るわれた平手によって文字どうりに吹っ飛ばされた。てめえ、何をしてくれやがる。と、たたらを踏んで睨みつけるアタシの前で、我が相棒は知った事かと言わんばかりにそっぽを向くと、空に向かって指を一本立ててみせる。
「焦るなっつってんでしょうが、この馬鹿。そもそもよくわからない変事は全部、ノマちゃんのせいにすれば良いってもんじゃあないわよ。頭の上のアレ、よ~く目を見開いて御覧なさいな。」
「あぁ!? 頭の上がなんだって…………っておい、なんだよ……ありゃあ。」
血の混じった唾をベッと吐き出し、促されるままにその指を追って空を見上げる。そこにあったものは先日にノマが追い払ったあの槍羽根と、巨大な口をガバリと開いて宙を泳ぐ銀の怪魚。
よくよくみれば怪魚の背には、肉色の触手を半身に波打たせた見慣れぬ化け物が跨っており、そいつらは化け物同士だというのに丁々発止にやり合いながら、何事かを喚き立てては争っている。あの触手の化け物、ノマの奴に似てやがるな……何者だ?
「おいおいおい……槍羽根の奴、まさか追いかけてきやがったのか? しかも昼間っから姿を現すたぁどういうこったよ。おまけにもう一匹、妙な化け物を引き連れてきやがってまぁ……。」
「……そうね。化け物は夜にしか行動を起こさない。私達にとって自明の理であったそれは、今こうして破られてしまったわけだけれども……。ねえゼリグ、アンタは、何故だと思う?」
「知らねえよ。やっこさん共にも稀にはそういう気分の時だって、あるって事じゃあねえのかい?」
「……私はねぇ、『敵』が現れたからだと思うのよ。化け物共を日中であろうと動かざるを得なくさせるような、奴らが争うべき『敵』が、ね。」
キティーの奴は何を言いたいのか。今一つ掴みかねて眉根を寄せるうちにも目まぐるしく事態は動き、ついに空の争いにも決着がついた。
怪魚の背に乗る銀の女。ノマに似た化け物の左腕に足を絡めとられた槍羽根は、グゥンと大きく振り回されて姿勢を崩すと怪魚の大口で以って喰らいつかれ、その最後の悲鳴ごと、丸呑みにされて消えてしまう。
それはアタシが生まれるずぅっと前から、王都周辺を荒らしまわっていたと聞く槍羽根の、なんとも呆気の無い、最後の姿だった。
「……アレが、お前の言う化け物共の『敵』だってか? なあ、アタシの見間違いで無けりゃあよ、あの銀の女、妙にノマの奴に似てるよな?」
「……アンタはひっくり返って伸びていたから聞いていないでしょうけど、アイツは自分達の事を指して『魔人』だの、『ノスフェラトゥ様の分身の一体』だのと称していたわ。ノマちゃんにそっくりなアイツがね。つまり、そういう事なんじゃあないかしら?」
「悪いが、問答する気はねえよ。その時間もねえ。」
「同感ね。ほら、さっさと構えなさいな。どうやらアイツ、こちらをお目こぼししてくれる気は無いみたいよ。」
広々と青く澄み渡った視界の中に、日の光を遮って影を落とす、銀の女と不気味な怪魚。槍羽根を喰らった事で目下の敵を見失い、キョロリと首を回すそいつが新たな標的とばかりに目を付けたのは、どうやら間の悪いことにこのアタシ達ときたもんで。
まるで蟻の行列を前にした子供のように、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべるそいつは怪魚の頭をペチリと叩き、手にした横笛を弄びながら、ふよりふよりと降りてくる。っち、ノマの顔でいちいち癇に障る仕草をしやがって、気に入らねえ。アイツならもっとこう…………うん、殴りたくなるような得意げな顔してたわ。アイツも。
さぁて、とはいえここからどうしたもんか。構えろとは言われてみても、相手はあの槍羽根を一蹴しちまうような化け物の中の化け物だ。下手をすればノマと同格かそれ以上とあって、最近はなんだかんだ、あの銀色娘に尻を持ってもらっていた身としちゃあ些か以上に荷が重い。
槍の石突をガツリと鳴らし、唇を舐めて湿らせながら、低く腰を落として下段に構える。そうこうする内、地に近づいてきた件の女は怪魚の背からヒョイと降りるとクスリと嗤い、アタシ達などなんら恐れるものでは無いと言わんばかりに一歩二歩と、無造作にその距離を詰めてくるのだから舐められたもの。
「どーも。はじめまして、魔人さん。私はキティー、こっちはゼリグ。二人共、ただのしがない傭兵よ。ダンスのお相手をする前に少しばかり、お話をさせて貰えないかしら?」
「おや、おや、おや。人間風情が一丁前に、この私と対等に話をしようなどと。偉大なるノスフェラトゥ様の恩寵受けし、この踊るフルート吹きに対して無礼であるとは思いませんか? ねぇ?」
「恐るべき強者でありながら、下等な人間の言葉にすら、真摯に耳を傾けて応えてみせる。そんな懐の深さを持った貴方ですら、偉大な存在であると仰ぐノスフェラトゥ様。きっとさぞや、素晴らしい御方なのでしょうね?」
「…………は、ははははは! なぁに、今のはちょっとした冗談よ。さぁ、なんなりと聞くがいい! なにせ私は強者であり! そして懐の深い魔人であるのだからな!!!」
じりりと下がったアタシに対し、一歩を踏み出したキティーの奴が、口八丁で以って銀の女を煽りに煽る。そしてどうやらやっこさん、その腕っぷしに対して頭のほうは今一つであるらしい。
親分を引き合いに出されたその途端、コロリと態度を変えたそいつは構えを解いて腕を組み、最初からそのつもりでしたよと言わんばかりに頭を振って、鷹揚に頷いてみせるのだからなんともまぁわかりやすい奴。
さて、とりあえず場の風向きは悪くなさそうだが、果たして我が相棒の狙いは何か。注意深くそれを見守る視界の端で、不意に何かがゆらりと動いた。
ちらりと視線を向けてみたらば、それは空に打ち上げられた何かが発する真っ赤な煙。まぁた化け物共が妙な事を仕出かしやがったのかとよぎったものの、銀の女もそれに釣られて見上げたあたり、どうやら別件であると思い直す。
その間にも、ヒュルヒュルと尾を引く煙は高く高く昇っていき、空の彼方でバンッ! っと弾けた。バチバチと散る火花に乗せて、大きく広がった赤い煙は空の一角を染め上げると、次第に風に流されて消えていく。見るに何かの合図のようだが、事前に聞いていた王国軍の符丁では無い。で、あるならば……。
変化はすぐに訪れた。騒々しく悲鳴と怒号のあがる只中にあって、銀の怪物によって蹂躙されつつも未だ散発的な抵抗を続けていたオーク達が、明らかに規則だった動きをもって後退を始めたのだ。
とはいえ負傷者を引っ張り起こし、担ぎ上げるその姿は隙だらけも良いところ。ここぞとばかりに攻め立てる怪物達によって、その撤退劇はさぞ凄惨なものになるだろうと予感をさせたが、ところがそうはならなかった。
なにせ怪物達は抵抗の意思を捨て、逃げに転じた者に対しては吠えつけて脅しこそするものの、それ以上に危害を加えようとはしないのである。ならば何故にこいつらは、この戦いにわざわざ横やりを入れてきたのだろうか。追撃という戦果を上げる絶好の機会にあって、それを放棄しようというその狙いがわからない。
見ればキティーの奴は口元に手を当てながら、それを見て得心がいったというように何事かを呟いているし、銀の女も逃げ散っていく蛮族達の後ろ姿を眺めては、満足気に口角を上げている。おいおい、もしかしてわかってないのはアタシだけってか? 頼むから、誰か説明をしてくれよ。
「……随分と嬉しそうねえ、魔人さん。それはこの騒動で以って、この場にいた全ての者に、恐怖を植え付けることが出来たからかしら? それともその恐怖に震える私達を餌にして、ノマちゃんをおびき寄せる下地が整ったからかしら?」
ノマをおびき寄せる。相棒から発せられた予想外のその一言に、思わずパチクリと目を瞬く。桃色のモコモコ頭をまじまじ眺め、それから対峙する銀の女へと視線を戻してその様子を窺うも、しかし女は無言であった。先ほどまでのニヤニヤ笑いも影を潜め、そいつは発せられる問いの言葉を聞き逃すまいと、静かに耳を傾けている。
「私はね、ずっと、おかしいと思っていたのよ。ノマちゃんはただ化け物という言葉で括ってしまうには、あまりに規格外に過ぎているわ。それに、あの子は自分の事を『化生の者』とも名乗らないし、連中が崇めているらしい異端の神にも、てんで興味が無さそうだしね。」
杖の先端、壊れかけた装飾をシャラシャラと鳴らしつつ、キティーはつらつらと語ってみせる。おそらく彼女のその言葉は、アタシにも向けられているのだろう。ノマという存在を王都に連れて帰ってきた、厄介事を持ち込んでしまったこのアタシに。
思い出すのは故郷の山。木陰に隠れるようにして倒れていた、ボロボロになった少女の姿。何故に、彼女はあんな辺境に居たのだろうか。そういえばその理由を、アイツは未だに語ってくれない。
「答え合わせをさせて貰うわ、魔人。あのノマという少女は貴方と同様、ノスフェラトゥという存在によって生み出された分身の一体。そして貴方の目的は、逃げ出して私達人族の中に身を隠してしまった裏切り者を見つけ出し、主の元に連れ帰るか……もしくはその処分をする事。違うかしら?」
「ふん、何を言い出すかと思えば、わけのわからぬ妄言を吐きおって。我が目的はノスフェラトゥ様のお言葉に従って……いや、偉大なるノスフェラトゥ様の事だ。もしや私に与えられたご指示の裏側には、隠された真なる目的が……!?」
「どうやら、嘘をつくのは苦手のようね? しらばっくれて知らぬ存ぜぬで押し通そうと、声色の揺らぎまでは誤魔化せないわ。」
明らかに自分より格上であろう魔人に対し、言葉で以って詰め寄っていくモコモコ頭。彼女の与えてくれた言葉を元に、アタシはノマと出会ってからの全ての点を、線で引っ張って繋いでいく。
辺境の村の山中に、身を隠すようにして倒れていたノマ。化け物だというのに私たち人族の中に居場所を求め、のこのこと王都にまでついてきたノマ。おしゃべりな癖に己の過去に触れられようとすると、すぐに話を逸らしてしまうノマ。
……合点がいった。その全ては、王国という隠れ蓑に身を潜め、自分を脅かすノスフェラトゥという存在から逃げ延びようとする、アイツの物言わぬ悲鳴であったわけだ。しかしその潜伏はついにこうして捕捉され、追っ手としてノマと同じ力を持った、銀の獣を操るこの女が遣わされた、と。そういうわけか。
アイツが、アタシ達を裏切ったわけではないことはよぅくわかった。だがしかしこの状況、いったいアタシ達に何が出来る? 目の前にいるこの魔人が、ノマと同格の存在である事は間違い無い。おまけにその裏にいるノスフェラトゥとやらは、あのノマですら逃げ隠れる事しか出来なかった超常の存在ときたもんだ。
歯噛みをするアタシの前で、キティーはなおも、握った杖をシャラシャラと振って身振り手振りを加えつつ、魔人に向かって何のかんのと言葉を投げる。そしてその大仰な動きに紛れ、左手の指先に挟んだ一枚の札が、そっとアタシに差し出された。
五芒星の描かれた呪符。いつぞやに見た、キティー渾身の一品である。なんだ、以前にノマの奴に使っちまったお前の切り札、完成していたんじゃあないか。ふふん、勿体ぶりやがって。
不意に目の前にぶら下げられた打開の一手に、アタシはすかさず飛びついて口角を上げた。あの時のノマには効かなかったがここは屋外、太陽の下なのだ。この魔人がノマの同類であるならば、おそらくはアイツと同じで、日光を苦手としているんじゃあないかと察しはつく。
一見して、目の前の魔人は太陽を克服しているようにも見て取れるが、それでも崩れた灰なんぞという無防備な姿でも、日の光を跳ねのけれるのかと問えば甚だ疑問だ。滅ぼすのは無理であっても、再生を阻害する事は出来るかもしれない。どうせ他に打つ手は無いのだ、そこに賭けてみる価値はある。
差し出された札をピッと抜き取り、そのまま指先で以って軽くピシリと、キティーの奴の指を弾く。それだけで十分だ。あとはアタシが石に齧りついてでも食い下がって、この博打を派手に一発ぶち当てるのみ。
「さて、魔人さん? 最後に一つ、言わせて貰いたい事があるのだけれど、宜しいかしら?」
「ぐ、むうぅぅ……! さっきから黙って聞いておれば、小難しい話ばかりしおってぇ……って、なんだ、ようやく終わりか。ふふん、まぁ良いだろう。最後にそれだけ聞いてやろうじゃないか。なんせ私は懐の深い……。」
「ノマちゃんはねぇ、私のモノよ。魔人だかノスフェラトゥだか知らないけれど、後からしゃしゃり出てきた連中に誰が渡すもんですか! この、ばあぁぁぁかっ!!!」
魔人が言い終わらぬうちに、吠えたキティーは振りかぶった杖で以って殴りつけんと、勢いをつけて猛然と走り出した。「いや、モノ扱いのうえにお前の独占かよ。」という内なる声を飲み込みつつも、アタシも身を低くしてたなびく法衣の後ろに隠れ、それに追随してひた走る。
正直言って捨て身の突撃も良いところだが、碌に遮蔽物も無く応援も見込めないこの状況、他に手が無いのだから仕方がない。まぁこれで死ぬならそれまでだ、派手にいこうや、相棒。
不意を打たれた銀の女は不愉快そうに顔を歪ませ、そしてその鞭のようにしなる触手で以って、キティーの右腕を打ち据えて手にした杖を叩き落した。次いで伸ばされた触手が彼女の両足を絡めとって動きを妨げ、姿勢を崩された桃色はもんどりうって倒れ込むと、地に口づけをしながら転がっていく。
彼女がすぐさま殺されなかった事に安堵をしつつ、その影から飛び出したアタシはさらに踏み込む。狙いは正面、踊るフルート吹きを名乗る銀の女。アイツの身体のどこでもいい、この札を叩きつければコチラの勝ちだ。
自分の力に絶対の自信を持っているが故か、それとも単純に戦い慣れていないのか。こんな簡単な陽動に引っ掛かるあたりまで、本当にノマの奴によく似てやがる。眼前に迫るキティーの事ばかり追いかけて、アタシの事を意識から外しやがって!
突然現れたように見えただろうこのアタシに驚いたか、魔人は驚愕に目を見開きながら再びにその腕を振るい、アタシの身体をこれでもかと言わんばかりに打ち据える。だが腰が引けてやがる、耐えられない程じゃあない。
こうして殺り合ってみて初めて分かるが、コイツの攻撃には必殺の意気が欠けているのだ。切り捨て叩き壊して野に晒し、命を奪い取ってやろうという気迫が無い。それほどに、アタシたち人間を舐め腐っていやがるのか、上等だ。お前のその驕りにこそ、付け入ってゆく隙がある。
叩きつけられる触手に額を割られ、皮膚が弾けて肉が抉れる。だがまだ、こんなものじゃあアタシの足は止められない。こんなものじゃあ人間は殺せない。歯を食いしばりながら最後の一歩を踏み込んで、そして右片手一本で以って、手にした槍を鋭く突き出す。
最後の一歩にして、最後のまやかし。案の定、突き出された槍に目を奪われた魔人の奴は、のたうつ触手の標的をアタシの槍へと切り替えて殺到し、その万力のような力で以って、真っ二つにそれを折り砕いた。これでアタシの抵抗は全て叩き落したという、確信めいた笑みと共に。
成った。
「くっくくく、なぁ魔人。笑うってのは、勝った時にするもんなんだぜ? こんな風になあ! はっはははは!!!」
「急に捨て身で突っ込んできたかと思えば、武器を奪われて大笑いとは……つくづく人間というものは度し難…………んんっ!!?」
どぉん!!!!! と、魔人の腹に押し当てられた私の左腕が火を噴いて、瞬く間に天まで噴き上げた炎の柱が、眼前から女の姿をかき消した。
炎の中で燃え尽きる呪符と共に、崩れて形を失っていく黒い影に満足し、巻き起こる強風に吹き飛ばされたアタシはお空を舞って、法衣の裾を払っていたキティーの真横にぐしゃりと落ちる。おい相棒、無事だったのなら受け止めてくれよ。
「あああああぁぁぁぁぁっ!!? そんな!? 焼ける! 燃えてしまう! ノスフェラトゥ様より賜ったこの服があっ!?」
「よう、そのノスフェラトゥ様とやらに伝えてくれよ。なんだかわからねぇけど、アイツを取り戻したいのならお前が頭を下げにこいってな。それと……ちょっと強いからって、人間を舐めてんじゃねーぞ。ばぁか。」
「おのれがぁぁぁぁぁっ!!! 人間! 人間風情がっ! 調子に……乗っ………………っ!!?」
舌を出して中指をおっ立てるアタシの前で、炎に巻かれる黒い影は、その中ほどからボギリと折れた。魔人を焼き尽くした事で役目を果たし、地に戻っていく業火の中からぶわりと飛び出したのは、銀の灰と小さな横笛。そしてどうやら、アタシ達は賭けに勝ったらしい。
宙に浮かび上がった灰の山は、しばし恨みがましく睨めつけるようにくるくると回って飛んでいたが、やがて諦めたのか、北の方角、森の彼方を目指して飛び去って行く。
そしてそれと同じくして、未だ王国軍を相手に暴れ続け、あるいはアタシ達を取り巻いて唸り声をあげていた銀の獣達も、次々に崩れて灰となった。親玉である魔人が去った事で、制御を失って形を保てなくなった。と、でも言うところだろうか。
怪物達がざらりぼふりと崩れて舞う中、最後まで残ったのは、魔人が騎乗していた銀の怪魚。そいつは袋のような大口に、空に散って蠢く灰達を目いっぱいに詰め込んで膨らませると、先に逃げた親玉を追って飛び去って行く。はて。去り際にぺこりと一つ、怪魚が頭を下げたように見えたのは気のせいか。
蛮族共は、銀の怪物に蹴散らされて逃げ去った。それを操っていた魔人も退散し、怪物達もまた、崩れて散った。これで、この戦場に残っているのはアタシ達王国軍だけ。まあ、勝つには勝った。払った犠牲は、あまりにも大きかったが。
どれだけの損害が出たのだろうか。騎士団長殿は、まだ生きているんだろうか。そしてマリベル達は……駄目かな。本陣が壊滅し、マッドハットの坊ちゃんがその命を奪われるところを、アタシはこの目で見てしまった。その護衛をしていたはずのマリベル達が、あれで生きているとは思えない。
軋む身体で地を這って、腰を下ろしてくれたキティーの膝に頭を乗せて、ゴロリと転がって仰向けになる。あーあ。ほんと、人生最悪の日だ。自分の隠れ家を突き止められちまったノマの奴が帰ってくるとも思えないし、この僅かな時間で本当に、色んなものを失ってしまった。自分でそういう生き方を選んだのだとはいえ、流石にこれには涙が出てくる。
「なあ、キティー。勝ったけどさ……勝ったけど、みんな、居なくなっちまったよ。わりぃ、ちょっとだけ泣くからさ、だから……アタシの顔、見ないでくれるか?」
アタシの弱々しい懇願に、相棒は返事こそ返してくれなかったが、目を閉じてアタシの頬にそっと手を当てる事で、了承の意を示してくれた。キティーの手から発せられる、ぽわぽわとした柔らかい光が裂けた皮膚を癒していく。その心地よさに、アタシはくたりと力を抜いて身を任せ……そして。
そして次の瞬間、盛大に腹を踏んづけられた事で「ゲッホゥッ!!?」と変な声を出して飛び起きた。何だよ!? ようやく休めると思ったのに、今度は何だよ!!?
「確認もしていないのに、勝手に人を亡き者にしようとは感心出来ませんね、ゼリグ。」
「キリー! そっちは無事か!? 戦場から怒号が消えたが、何があった!?」
クソったれはどこのどいつだと目を見開けば、そこにあったのはつい先ほどに、内心で別れを済ませていたマリベルの顔。無表情のままに口角を上げる彼女はするりと目元に手をやって、そしてひしゃげた眼鏡にはたと気づいて顔をしかめる。
そしてもう一人、斧槍を杖にしてぜぃぜぃと息を荒げるのは、こちらも無事だったらしい騎士団長殿。それでも流石に限界だったか、よろよろと歩いてきた彼女はキティーの横でガクリとくずおれ、その拍子に斧槍の先端に突き刺さっていた白黒熊の巨大な頭部が、ボフリと灰になって宙に散った。
「……覚悟は、していたのだけれどね。思いのほか、みんな壮健なようで安心したわ。その様子なら若様やシャリイ、他の子達も?」
「ええ。どういうわけだかみんな無事よ。私もたまたま、あの化け物サソリが盾になってくれたおかげでどうにかこうにか、ね。」
キティーの問いに、マリベルはこびりついた砂を払いながらそう答えると、すいと身体を寄せてみせた。そこに居たのはシャリイの嬢ちゃんを背に担いだ商人の旦那に、目を回して伸びてしまったマッドハットの坊ちゃんを担ぎ上げた獣人のガキ共の姿とあって、いやはやなんとも。みんなしてしぶとい事で。
視線をぐるりと回してみれば、あれだけの大騒ぎであったにも関わらず、思いのほか死者の類は出ていないらしい。周囲でへたりこむ騎士様も傭兵達も、しばし呆然として空の彼方を見上げていたが、やがて暴力の嵐が去った事に気づいたか、誰からともなく指示の声が飛び始めた。
安堵のため息と共にへたり込むアタシの前で、負傷者は次から次に担ぎ上げられ、後方へと下げられていく。どいつもこいつも見るからにズタボロだが、まあ生きていればめっけものだ。なんせここには、たいそう優秀な神官様もいらっしゃるのだし。
さぁて、これからどうしたもんかな。心のつかえはいくらか取れたか、どこに行っちまったかわかんねえノマといい、魔人ノスフェラトゥとかいう存在の事といい、問題はまだまだ山積みだ。
これからの事を考えるだに、まぁた重くなった気持ちを振り払おうとかぶりを振って、一服でもさせて貰おうと懐に手を突っ込む。取り出した紙巻き煙草を口に咥え、さて、火種はどこに持っていたかとまさぐるうちに……。
ずごごごごんっ!!!!! と突然、巨大な音が空気を揺らした。
ビクリと震えて首を回した視界の彼方。そこにあったのは森の一角が弾けて吹き飛び、木々も土砂も、大岩すらも巻き込んだ分厚い壁が、空に伸び上がってアタシ達の周囲を覆っていく異様な光景。
アタシはといえば咥えた煙草をポロリと落とし、ポカンと馬鹿みたいに口を開けたまま、その伸び上がる壁を目で追って。そしてポツリと一つ。
「おいおいおいおい…………お次は、なんだ?」
ノマちゃんですら、逃げ隠れることしか出来なかった脅威の存在、魔人ノスフェラトゥ。いったい何者なんだ……。
長らく続いた戦闘パートも、そろそろ終盤となります。言うほど戦闘はしていない気もしますが。




