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異世界転移のバツバツさん  作者: カボチャ
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暗がりに潜む者

「ノマさん、このような夜更けにどちらへ行かれるのですか?」


「え?あ、はい。いえねメルカーバさん、私ときたらルミアン様に挨拶も無しにこうして出てきてしまったものでして、いまからでも一言非礼を詫びにお伺いさせて頂こうかと思いまして。」



 既にとっぷりと日が落ちて、爛々と光るお月様のもと張られた天幕の中、いそいそとお出かけをしようとしていた私は不意に呼び止められて返事を返した。


訝しげな顔をしていた彼女の瞳が、王太子派の名前を出された事できろりと光る。なんぞ、密談にでも向かおうとしているとでも思われてしまっただろうか。


いや別に黙って出ていこうとしていたわけでは無い。ちゃんと外出の許可は取るつもりであったのだ。よってこれは機先を制されたと言うかなんというか、ともあれ間が悪かっただけの話である。



さて、軍としては小学校の全校集会に毛が生えた程度の規模とはいえ、かといって宿場内に収まりきる人数でもない私達は街道を広く長ーく占拠して陣を張り、遠征初日の夜を凌いでいる最中であった。


私はと言えば設営を手伝いつつも、メルカーバ女史をはじめ周囲の方々にお手製保存食を振る舞って親睦を深めたり、いつのまにやら姿を消したハルペイアとやらの群れの対処に頭を捻ったりなんぞしておったのだが、ここいらになってようやくふいっと頭に浮かんだのである。



そういえばこうして別行動を取ることについてゼリグ達に、ひいてはルミアン少年やマリベルさんに承諾を得ていなかったな、と。



うっかり荷馬車を暴走させた私が根菜の如く地面にぶっ刺さってからこっち、ぐいぐいと押してくるメルカーバさんになんとなく付き合ってきてしまったが、かといっていつまでもこの状態を続けるのもまた宜しくない。


彼女に手を繋がれてズリズリと引きずられていく私の姿は皆見ていたのであろうからして、ならば言わずともこちらの状況はわかっているはずという甘えもあったが、やはり事後とはいえ直接伺ってこちらの状況を報告するのに越した事は無いだろう。意思の疎通は大切な事である。


ついでに言えば、私はそうして自分の誠意を示しておきたかったのだ。なんせ今回の上役たるルミアン少年はまだまだ子供、己の不手際を晒したままにして彼に軽んじられたくは無かったし、それ以上に自分が子供だから私から軽く見られているのだと、要らぬ不安を彼に抱かせる真似をしたくはなかった。


一応は無駄に歳を食った身だ、そこのところは元大人として譲れないものがある。まあ今の私は見た目十歳のチビに過ぎないのだが。



「……ああ、そういえばノマさんは元々、王太子派に雇われて今回の出兵に加わっていたのでしたね。こちらの陣幕で掴んだ情報について、内通にでも向かうおつもりですか?」



で、ちょっくらご挨拶に伺おうと考えた矢先にこれである。今も愛想笑いを続ける私に対し、彼女の目はじとりと細まる一方とあってさーて一体どうしたものやら。


しかし味方同士で内通だのなんだのと剣呑な事この上無い。このような足の引っ張り合いもまた放置するわけにはいかぬものであるからして、どうせならこのまま彼女にもご同行頂き、私が仲立ちをすることで不和の解消に努めてみる事としましょうか。



「…………ええ、そうですね。メルカーバさんは立場上どうしてもルミアン様に対して当たりが強くなってしまうようですが、話してみれば実に人の良い優しい御仁でありましたのでどうか矛先を収めて仲良くしてあげてくださいと、お話をさせて頂こうかと思っております。」



私の行く手を塞ぐように前に出た彼女に向かい、そう言ってこてりと首を傾げてみせる。うむ、我ながらなんとも卑怯な文句である事だ。


お互いの年齢で比べればメルカーバさんは二十の前半、ルミアン君は十と三ほど、そして私は御覧の通りのチビである。彼女がまともな感性をしているのであればそんな子供から気を遣われるなどと耐え難い話であるはずで、ならばそのあたりをくすぐってやれば彼女から譲歩を引き出せるのでは無いかと考え付いた。


しかしまあ、そうは言っても私は人の心の機微に疎い。そんな私が本当に口車で人を操れるのかといえばなんとも芽の無い話であり、必要とあれば私が暴力装置として力で押さえつけるのも已む無しか。



私の思わぬ反撃に動揺したか、目を瞬いてたじろぐ彼女に向かって微笑みかけて、ひたりひたりと歩みを進める。


そしてその脇をするりと抜けて、すれ違い様に裾を引っ張って背伸びをし、そのお顔に向かって小さな唇を近付けると私はこう囁いてあげたのだ。


目を離すのが不安なのでしたら、私に同行しては頂けませんか。と。




「はあ、なんとも。意外とノマさんは、一筋縄ではいかない子であったのですね。」


「子供だから与し易いと見て、自陣営に取り込もうという当てが外れてしまいましたか?」


「いえ、その、わたくしはそのような……。」


「わかっておりますよ。陣中とはいえ夜間の外出、メルカーバさんは私の身を案じて、こうしてついてきてくださったのですよね。」



 騎士団長の彼女とそれに付き従う従卒を伴って月の下をぞろぞろ歩く。文明の利器が存在しないこの世界の夜は文字通り漆黒の闇であり、そこかしこで焚かれる篝火が無ければ次に踏み出す足の下に、果たして大地が存在しているのかさえ疑わしく思えることだろう。


まあ夜の支配者たるこの吸血鬼ノマちゃんにとっては、月明かりの一つもあれば全部まるっとお見通しであったりするのだが。


揺らめく炎の下では槍を手にした歩哨達が、あるいはそこにあるのは森では無く大口を開けた深い深い大穴では無いのかと見まがうような暗闇を、猫の子一匹見逃すまいと凝視する姿が散見された。彼らが闇から見出だそうとしているものは、果たして蛮族か獣か化け物か。



「……しかし物々しいですね。宿場の外とはいえこうして大人数で固まっている以上、化け物達もうかうかとここへは攻め込んで来ないだろうと思うのですが。」


「ふむ、ノマさんのそれは少々楽観視が過ぎますね、奴らはいついかなる時であろうとも、温かな人肉にありつく好機を窺っているものです。警戒を解いて監視の目を緩めれば、翌朝までには気の抜けた人間の一人や二人、拐っていく程度の芸当はやってみせるのが化け物という連中ですよ。」



ぽってぽってと歩きつつ、ぽつりと呟いた私の言の葉を拾ってくれたのはメルカーバさんで、言われてみればなるほど確かに。


私はつい自分で考えた人と化け物の棲み分けというものを意識してしまいがちだが、よくよく思い返してみればマガグモの奴はこう言っていたではないか。猿共は自分達の生活圏に後から入ってきて、我が物顔でのさばる不快な輩であるのだと。


マリベルさんは人と化け物は棲み分けなぞしておらず、自分達は狭い世界に押し込められているのだと語っていたが、相手が邪魔なのは化け物にとっても同じこと。そんな鬱陶しい邪魔者が阿呆面下げて隙を晒していようものなら一匹二匹は頂戴しようと色気を出すは、想像するに容易い事であった。



ふいと暗闇の中に沈み込む、鬱蒼とした森の奥へと視線を向ける。


メルカーバさんが私の外出に対して難色を示したのは勿論、一度懐に入れてしまった私が政敵の下で不用意な発言をするのでは無いかという懸念によるところが大きいだろう。


だがこの暗闇を見てしまえば、私の軽口も彼女にとってはまんざら褒め殺しの世辞であったわけでもなく、本当に私の身を案じてくれてもいたのだろうと考えさせられる。


なんせ暗闇を恐怖するのは人の本能だ。その闇の奥底に、己の身を害する何かが潜んでいないという保証はどこにも無いのだから。地球ですらそうなのだから、いわんやこの世界における闇への恐怖は如何ばかりか。



私達についてまわる厄介者の大鳥共めも、あるいはあそこで羽を休めているのだろうか。ならばそれを隠れ蓑にしているのだという化け物もまた、機を見て人の肉にありつこうと虎視眈々とこちらを狙っているのやも知れぬ。


私個人が狙われるのであればどうにでもなるのだが、身近な人々が危険に晒されるのは気分の良いものでは無い。頭に浮かぶのは悪い想像ばかりとあって、私の心の平穏の為にもアレを放っておくわけにはいかないだろう。


やはり排除を進言すべきか。ルミアン君への状況報告ついでに触れておく事としよう。



「なるほど。考えてみれば私は以前に怪物を退けた事があるという己の実績に己惚れて、いつのまにやら化け物という存在の脅威を軽視していたのかもしれませんね。肝に銘じさせて頂きます。」


「わかって頂けたのでしたら結構です。それにしてもノマさんは本当に年不相応な話し方をされますね、キリーの奴の教育の賜物でしょうか。」



いえ、それなりに歳もいっているものでしてこれが素です。ついでに言えばキティーの奴には色々と世俗の事を教えて貰ってはいますが、あいつに子供の教育が出来るのかと言われれば正直に言って悪影響な事この上無いです。


等と言って返したいところではあるがまさかそれをぶちまけてしまうわけにもいかず、若干顔を引き攣らせながらも曖昧に笑って返しつつ歩みを進める。と、その途端に私の足元、踏み下ろそうとした足の先が突然にバシリと音を立て、引き千切れた雑草と共に幾ばくかの土くれが弾け飛んだ。



続けざまにさらに数回音が鳴り、その奇怪な音の正体を確かめようと身を乗り出した私は真横から伸びてきた女性の腕に掻っ攫われて抱き留められる。


突然呼吸を妨げられたことで「ふきゅう!」と素っ頓狂な鳴き声を上げる私の目が捉えたものは小さな礫で、再び飛来したそれは私を守るようにかき抱いたメルカーバさんの足元に着弾すると、名も無い草花を引き千切りながら小さく土を巻き上げた。



「メルカーバさん、礫です。小さな礫が飛んできているのが見えました。……化け物の仕業でしょうか?」


「……まだなんとも言えませんが、王都近辺の化け物にはいくら警戒を厳としていても嫌がらせ程度に仕掛けてくる連中が何匹かいるとは聞き及んでいます。お前達!抜剣を許可!円陣を組みなさい!!!」



腕の中で彼女の顔を見上げれば、そこには緊張の色こそあったものの未だ若干の余裕を感じ取る事が出来た。夜の屋外とはいえここは自陣のど真ん中とあって、仮にこれが化け物の仕業であったとしても本格的な衝突に発展するとは考えにくいという事だろうか。


剣を抜いた従卒達が私達を守るようにして取り囲み、周囲へと目を光らせるが下手人の姿は捉えられぬと見て取れて、その目は右往左往と彷徨うばかり。


かく言う私にも相手の姿が見つけられない。礫が前方から放たれた事はわかったし、夜の眷属たる私の目には篝火の及ばぬ暗がりの中まで見通す事が出来ているのだが、それでも未だその所在を掴むことが出来ぬのだ。私の目の及ばぬようなどこか遠くより狙撃されているとでもいうのだろうか。



視線を落とせばそこに映るのは千切れた雑草と地にめり込んだ小さな石。小規模とはいえこちらは軍隊であるのだからして、これが何事かを血迷った無法者の仕業であるとは考えづらい。お上に手を出すなどと自殺志願も良い所であろう。


と、すればやはり化け物の手による嫌がらせと考えるのがしっくりくるが、それはそれでいささか腑に落ちぬところがある。わざわざ足元の地面を狙うあたり、どうにもこれは威嚇行動であるとしか思えないのだ。


所謂それ以上先に進むな、というやつである。当たっても痣で済みそうな程度の威力といい、これがマガグモのお仲間の仕業であるのなら人間相手にそのような手心を加える理由がわからない。それこそ手足の二、三本も打ち抜く程度の事はやってきても良さそうなものなのだが。



さて、今私に取る事のできる最も安全な選択肢はこの相手の居場所を特定して突撃をかまし、その隙に化け物の襲撃を知らせる為としてメルカーバさん達に下がってもらう事であろう。


だが肝心のその居場所がわからないとあっては迂闊に私が突出をしてしまうわけにもいかず、それがなんともまたもどかしい。万が一、私と入れ違いになる形でこの化け物に強襲でも仕掛けられようものならそれこそ目も当てられない事になってしまう。


焦りは集中を乱し、乱された集中はさらなる焦りを産む。悪循環に顔を顰めて唇を噛むが、けれどもそれで状況が好転するはずも無し。無為に過ごしたのは数十秒か数分か、もういっそのこと大声を上げて私へと注目を集めさせながら闇雲に突っ込んでやろうかと考えだした頃、不意にこちらを誰何する声が響き渡った。



「こっから先にあるのはマッドハット家の若様が使ってる天幕だよ。悪いけど、アタイ達も他所のお偉いさんであろうと不用意に人を近づけるなと言われてるんでね、名乗って貰えない限りは通せないな。」



声は礫と同様に前方から聞こえてきた。そう遠いという感じもしないのだが声はすれども姿は見えず、相変わらず相手の正確な位置を掴むことは出来そうにない。


しかしようやく知れたその正体に思わずごくりと息を飲み、それから「ふへ~~~。」と気の抜けた声を出しながらぐでんと身体の力が抜けてしまった。なんせ聞こえてきたその声は甲高い少女のそれで、しかも私の良く知る彼女のものであったのだから。



大山鳴動して鼠一匹。では無いが、これまたなんとも気の抜ける話である。いや結果的には杞憂に終わってくれたとあって何よりではあるのだが。


ともあれ、そうとわかれば早急にこちらの名と目的を伝える必要があるだろう。潜んでいる彼女にとっては己の仕事を全うしているだけなのだろうが、このままでは王太子派に対するメルカーバさんの態度をさらに硬化させかねない。そんな事になろうものなら双方を知る私としてはとんだ胃痛の種である。


己の身を抱きしめてくれていたメルカーバさんの腕をぽんぽんと軽く叩き、自分に任せてほしい旨を目線で伝えるとするりと抜け出て地に降りる。そしてどこかに潜んでいるのだろう私の友人たる少女に意を伝えようと、大体の見当をつけた手近な草むらに向かって呼び掛けてみた。



「失礼致しました。こちらはマーチヘアー侯爵家に連なる御方であり、王女殿下のご意思を受けて今回の遠征に参加されておりますメルカーバ・スヴレ・マーチヘアー様であらせられます。この度は私がルミアン・マッドハット様に所用あり、無理を言って同行をして頂いた次第でありまして。」



一歩前に出て胸に手を置き、膝を曲げて一礼をしてみせる。さて己の事をノマと名乗れば良いのかギンと名乗れば良いのか一瞬迷ったその矢先、正面にある草むらの一角が驚いたようにがさりと音を立てて揺れ動き、小さなリボンのつけられた尻尾の先がにょきりと生えた。



「……さて、お久しぶりです、親分さん。先日に一度顔を合わせてはおりましたが、ちゃんとご挨拶はできておりませんでしたね。」


「ん!ギンかお前!?こんな夜中に何やってんだよ!!?おぅいおまえらー!ギンがいるぞ!隠形解け!解け!!!」


「え!?ギンちゃん!!?」


「ギンちゃんいるの!?」


「ギンちゃ~~~ん。」



私達の正面やや右、影にしか見えぬ暗がりからぴょんと飛び起きたのは先日振りに見る黒猫ちゃんで、その衣服や髪の毛のそこかしこからは長い草花が生えており、それは彼女の小さな身体を覆い隠すようにうねり絡み合っている。


その彼女がぷるぷると身体を震わせて草花を跳ね飛ばしながら周囲に向かって呼びかければ、私達を半円状に取り囲むように次々と子分ちゃん達が頭を出して、ぴょんこらと跳ねながら手を叩いて喜んで見せた。



……いや、この暗がりのどこかに黒猫ちゃんが潜んでいるのだろうとは思っていたが、まさか四人全員が潜伏していてしかもすっかり半包囲されていたとか全然まったく気づかなんだ。思わず背筋を冷たいものがたらりと伝う。


私の目は暗闇であろうと見通す事が出来る。私には見えていたはずなのだ。にも関わらず潜伏する彼女達の存在を看破する事が出来なかったのは私が己の身体能力に頼り切りでなんら技術を持ち合わせていない事の証左であり、うぬぼれて胡坐をかいていた事を否が応でも思い知らされる。


夜の帳が下りる中、月の光を集めているのだろうそのおめめを爛々と輝かせながら音も無くこちらへ近づいてくる彼女達のその姿は全くもって猫そのもので、可愛い家猫も一歩外に出れば天性のハンターであるとはなんともよく言ったもの。



「…………よ、四人も潜んでいたとは、王太子派も侮れない手駒を持っていたものですね。彼女達はその、ノマさんのお知合いでしょうか?」


「……まあ、同じ釜の飯を食った仲という奴ですよ。私が仲立ちを致しますので、メルカーバさんも従卒の皆さんも剣を収めて頂いて大丈夫です。」



そう言ってはみたものの、メルカーバさん達は剣こそ収めてくれたがその手はいつでも抜剣を出来る位置にあり、警戒の手を緩めようとはしてくれない。まあ黒猫ちゃん達の身のこなしはもう乱破というか野伏というか、ただの無害な少女からは完全に逸脱してしまっているのであるからして已む無しか。


正直私もびっくらこいた。なんせ久しぶりに再会した友人達がいつのまにやらアサシンっぽい感じでクラスチェンジを果たしていたのだ、これで驚くなと言う方が無理がある。まあ今思い返してみると素養はあったのかもしれないが。猫だし。



「いや~~、なんかちっこいのが混じってるなとは思ってたんだけどよ、まさかギンだなんて思いもしなかったぜ!元気してたかよおい!」


「ご挨拶こそ出来ませんでしたが事前に一応顔だけは合わせていたのですから、そこは察して頂きたかったですね……。ええ、まあおかげ様で良い人達に貰って頂きまして、元気でやらせて頂いておりますよ。親分さん達もお元気そうで何よりで。」


「おう、元気も元気。若様のお付きとして美味い汁を吸わせて貰ってらぁね。」



するすると私の目の前までやってきた黒猫ちゃんはそう言ってニカリと笑うと、私の頭をやや乱暴な手つきで撫でてみせる。そこへ次いでやってきた子分ちゃん達も次々に加わってもみくちゃにされた私の髪は、見る間にくしゃくしゃのボサボサ頭になってしまった。


雑な扱いに若干唇を尖らせながらも、それでも私は目を細めて素直にそれを受け入れる。なんというか、嬉しかったのだ。子供のじゃれ合いと言うなかれ、例えそうであろうとも己の為に相手が懐を開いて受け入れてくれるという事は、なんとも心に沁みるありがたい話であるのだから。



「わぷっ!そ、それにしても皆さん、今はルミアン様の下にいらっしゃるのですね。てっきり彼のお父様、あの豚さんのお付きをやっていらっしゃるものとばかり思っていたのですが。」


「ん?あー、アタイ達四人とも、買われてしばらくはその通りでご当主様のお付きをやってたんだけどさ、最近になって若様にお下げ渡しされたんだよ。ご当主様ったらあいつにもそろそろ女の味を教えてやらねばならんな。とか偉そうな事言いながらぷるぷる震えてやがんの、くしししし!だっせー!」


「は、はあ。その、ご苦労をなさったのですね?」


「まぁなー、でもまあご当主様も最近はやつれてきちまったしな、丁度よかったよ。うん。」



どんだけ搾り取ったの君達。私は黒猫ちゃん達は上手くやれているのだろうかと一応は心配をして気を揉んでいたというに、この子達ときたら想像以上にやりたい放題やっていたようでなんともはや。本当に皆元気でやっているようでなによりである。ええ、もう、必要以上に。


察するに次期当主であるルミアン君のお付きをするにあたり、その使用人兼護衛として仕込まれた結果がこのアサシンモドキというわけだろうか。適正もあったのだろうが食べるに貪欲な彼女達の事だ、自らの待遇を良くする為であればきっと努力は惜しまなかった事だろう。


そしてこんな話を聞かされてしまえばむしろ黒猫ちゃん達よりも気がかりなのはルミアン君のほうで、果たしてこんな少女達に囲まれてしまった彼は大丈夫なのであろうかと心配になってしまってしょうがない。



「そ、そうですか。それでその、今の主であるルミアン様とはどうなのでしょう?上手い事お付き合いは出来ているのですか?」


「んぅ~?なんだ、それ聞きたいのか~?なぁおい?」



途端に黒猫ちゃんがにや~~っと笑い、私のお腹を肘でとんとん小突いてみせる。惚気話でも聞かせられるのかと思ったが彼女の瞳に宿る光は獲物を狙う捕食者のそれであり、ならば彼女達の彼に対する認識もまた察しがつくところ。南無。



「お下げ渡しされた最初の晩にさ、とりあえず最初が肝心だってんで寝具の中に四人で潜り込んで待ち構えてたんだけど、若様ときたら入り口から真っ赤な顔してちらちら窺うばっかりでちっとも寝室に入ってきてくれないんだよな~。」


「あっ、はい。」


「んでしばらく待ってたんだけどなんせこっちも服着てねーもんだから寒くってさ、最終的には埒が明かないってんで強引に腕をとって引きずり込んで、そんで組み伏せてやったんだよ。そしたらなんか泣き出しちまったんだけど、もうめんどくせーからそのままさ~。」


「あ、はい、わかりましたもうけっこうです、はい。」


「ん、もういいのか?まあそんなわけで目論見通り、今の若様はすっかりアタイ達にたらしこまれちまっててさ、着るもの食うもの色々と便宜を図ってくれるおかげで生活も良くなったし、こっちにとっちゃあ万々歳ってわけなのよ。」



お、おう。すっかり顔が引き攣ってしまっているが大丈夫だろうか。私はちゃんと愛想笑いが出来ているだろうか。いや困る、マジで困る。顔見知りからこんな話を聞かされてどないせーというのだ。


ああ、頭がくらくらする。気のせいかニシシと牙を見せて笑う黒猫ちゃん達の顔がとても遠くに感じられ、私に出来る事と言えば少年が健全で真っ当な道を歩めることをただ祈るばかり。いや本当に大丈夫なのだろうかこの子達。



「ま、アタイ達の事はいいや、ギンの方こそちゃんと飯は食えてるか?大事にして貰ってんのか?こないだ顔を合わせた時にドーマウス伯の家にいたあたり、今はあの家で使用人をやってるんだろう?」


「ドーマウス家の使用人というわけでは無いのですが、今はその家のご息女であるキティーさんの下でご厄介になっている身の上でして、雇用の関係から言っても満更間違いであるとは言えないというかなんといいますか……。」


「煮え切らね~な~。ま、いいさ。ギンもこんな危なっかしいお出かけに連れ出されちまって心細いだろうけどさ、アタイ達がついてる以上はお前の事もしっかり守ってやるからよ。」



ニっと笑う彼女の腕に、一際強く頭を押さえつけられてむぎゅりと潰れる。そういえば一緒に囚われていたあの当時から、彼女達は私の事を守ってやらなければならないか弱い存在として扱ってくれていた節があった。


実際のお互いの関係は逆であったのだが、あの中で一番小柄であった私の見た目からすればそう思われる事も已む無しで、さーてこの誤解をどうやって解いたものだろうか。



なんせ私はこのあと森に潜んでいるだろうハルペイア共を追い散らす事について、ルミアン君とメルカーバさんから承諾を得る腹積もりなのである。そしてならば、危険に突っ込もうとする私の事を黒猫ちゃん達が引き留めようとするは必至であると考えられた。


その時私は、親分として私の事を守ろうとしてくれている黒猫ちゃんの顔を立てつつも己の意見を押し通し、彼女達に納得して貰うという困難を成し遂げなければならないのである。いやはやなんとも面倒な。


頭を捻りつつもやや遠い目で中空を見つめてみれば、そんな私を子分ちゃん達が代わる代わる心配げに覗き込んでくれた。もちろん私の頭をわしゃわしゃ撫でて、髪の毛をくちゃくちゃにするのを忘れない。



「そういえばギンちゃんは新しいお家でいじめられたりしませんでしたか?」


「私達は四人だったし、おやびんも居てくれたから平気だったけど……。」


「ギンちゃんはへーき?」



……聞き捨てならない台詞があった。思わず顔を向けてみれば、私の視線を受けた黒猫ちゃんはやや大仰に肩を竦めると一つ息を吐いてみせる。どうやら否定はしないらしい。


途端に胸が苦しくなる。先ほど私に話してくれた中では我が道を行く彼女達であったが、なんでもないような風を装いつつもその胸の内には計り知れない苦しみを抱えていたのでは無いだろうか。先ほどのあれは私に心配をさせぬよう気丈に振る舞ってくれていただけでは無いのかと、そう思えて仕方が無い。



「あ~、アタイ達は路地裏上がりの浮浪児だったろう?だから先任の使用人連中と折り合いが悪くてさ、いちいちこっちに突っかかって、アタイ達の事を小馬鹿にしてくるんだよなー、あいつら。」


「それはその……何と言ってよいのか……。大丈夫だったのですか?」


「大丈夫なもんか!自分の失敗をアタイ達のせいにして押し付けてきやがったりとかしてくれてさ、ハウスキーパーのマリベルだってそれを庇ってくれるどころかアタイ達を問題児扱いしやがって、酷いもんだったよ!」


「……マリベルさんがですか?ちょっと、にわかには信じがたいのですが。」



ぷんすこ怒る黒猫ちゃんをなだめつつ、感じた違和感に首を傾げる。


私の知るマッドハット家の家政婦にして元傭兵であるマリベルさんは理知的で聡明な女性である。それほど深い交流をしたわけでも無いが、とはいえその人隣を知れる程度のお付き合いはあったのだ。その彼女がそのようなつまらない事をするお人であるとは少々考えづらいものがあった。


あるいは、そんな彼女もその心の奥底では黒猫ちゃん達のような獣人を下にみる差別意識のようなものを抱えていたのかとも思ったが、よくよく考えれば私は己が吸血鬼であると彼女に明かしていたのである。その化け物っぷりといったら正直に言って獣人の比では無い。


そんな私に対してもマリベルさんは少なくとも表面上では平静を保ち、摩擦を起こすことなく接してくれていたのだ。その姿を思い起こせばやはりそれも考えづらく、私の知る彼女の人物像にはそぐわないのである。



「まあ今思い返してみれば、アタイ達に舐めた真似をしてくれた連中を一人ずつ人気の無い部屋に引きずり込んでぼっこぼこにわからせてやってた頃だったからな~。マリベルからしてみればそれが良くなかったのかもしんね~な~。」



小首を傾げていたのも束の間の事で、次の瞬間にはぶっこまれた一言に思わずごふりと咳き込んで咽てしまった。いやそれだろう、どう考えても原因はそれだろう。なにやってんの、ちょっとマジでなにやってんのアンタ達。



「で、最終的にマリベルとも大喧嘩したんだけど四人まとめてぼろ雑巾みたいに叩きのめされてさ、若様にお下げ渡しされたのも良い機会だってんで他の使用人と離されて、若様専属の使用人兼護衛として色々と叩きこまれたってぇわけよ。」



ごふごふと咳き込む私の抗議を華麗に無視する目の前の猫耳ちゃんは、そう言って小石をぽんぽん放ると次々に指で弾いてみせる。音も無く暗闇を走るそれは草花を切り裂きながら近くの地面に突き刺さり、小さな土埃を上げて静かになった。


なるほどどうして私の推測は的を射ていたようで、その結果出来上がったのがこの猫耳忍者四人衆というわけか。正面からの殴り合いにおいてはさすがにメルカーバさんやゼリグと比べるべくも無いのであろうが、彼女達の武器は音も気配も無く行動するその隠密能力である。


今しがた警戒網を構築していた事からもわかるように、直接戦闘以外を目的とするのであればその脅威は如何ばかりか。まあその恩恵を受ける為にはまず破天荒なこの少女達を御しきる事が必要であり、それがまた大変な労力であるのかもしれないが。



「な、なるほど。親分さん達の近況については理解出来ました。私については周りの方々に良くして頂いておりまして、安穏と暮らす事が出来ておりますのでどうかご心配なさらず。それでその、そろそろ本題に入らせて頂きたいのですが……。」


「んぅ、わるいわるい。うちの若様に用事があるって話だったよな。後ろにいる王女派のお偉いさんもそうかい?」


「ええ、彼女は私の付き添いではありますが、私の提案について情報を共有すべき立場の御人でもあるのです。どうか此処を通しては頂けないでしょうか?」



そう言って軽く身を引き、事の成り行きを見守っていたメルカーバさん達へぺこりと会釈をしてみせる。そして手のひらを持ち上げて掲げると、その先端でゆるりと黒猫ちゃん達を示してみせた。



「メルカーバさん、改めてご紹介をさせて頂きます。彼女達はマッドハット侯爵家嫡男であらせられるルミアン様にお仕えしている者達でして、私とは旧知の仲であるのです。親分さん、先ほどもご紹介させて頂きましたがあちらにいらっしゃるのはマーチヘアー侯爵家のメルカーバ様。今回の遠征においてはルミアン様と双璧を成す偉いお方なのですよ。」


「あー、なんか見覚えあるぞ、うちの若様に食って掛かってた偉そうな女だよな。おっと。」


「親分さん、正直なのは結構ですが今は立場を弁えて頂きませんと……。迂闊に人の耳に入ろうものならルミアン様の立場を悪くしてしまいますよ。」


「う~ん、わかってはいるんだけどさあ、どうも育ちの悪さが表に出ちまうっていうかなんていうか。なあ?」



両者の間を取り持とうと始めた互いの紹介は、けれども途中から黒猫ちゃんが顔を突き合わせてもしょもしょ話を始めた事で尻すぼみに終わってしまった。


おそらくメルカーバさんの耳までは届いていないと思うのだが、王太子派に与する者である彼女達があまり宜しくない事を言っているのは察せられたようで、先ほどから待ってくれている彼女の顔はなんとも言えない微妙な表情である。ああ、胃が痛い。



「……それで、ノマさん。この子達がマッドハット家の手の者という事はわかりましたが、私達がここを通して貰える事について話はついたのでしょうか?」


「ええ、問題無いはずです。彼女達が命じられたのは素性のわからない者を迂闊に通すなという事であって、名乗り出て面会を求めた者の行動を制限する事については判断の権限を与えられていない。そうですよね、親分さん?」


「まあ、間違っちゃあいねーけどさー、相変わらず言う事が回りくどいよなあギンは。通りたいんだから通してくれって一言いえば済む話だろうに。」


「それはどうも、とはいえ如何せんこれも私の性分であるものでして。」


「にしし、まあどっちみちギンの頼みなら嫌とは言わねーよ。その代わり後でもっとお話ししようぜ~、アタイ達はギンと話したいことがたっくさんあるんだからさ。」



私の額をピンと小突き、それから黒猫の少女は頬を緩めて笑ってみせた。ひと悶着はあったもののどうやら必要以上に波風立てることなくこの場を切り抜けることが出来たらしいとあって、わたくし内心では思わず胸を撫でおろしたいところである。ふいー。


まあこの次はメルカーバさんとルミアン君の間を取り持たねばならず、ついでに心配性な黒猫ちゃん達の説得も必要とあって私の胃のチクチクはこの後もしばらく続くのであるのだが。およよよよ。



「んじゃあ行くとしますか。おーいそこのお貴族様方、若様の天幕まで案内するからさ、アタイ達の後ろをついてきておくれよ。」


「……ええ、よろしくお願いしますよ、小さな斥候さん。」



黒猫ちゃんのお偉方に対する口の利き方は少々ヒヤヒヤものではあるものの、先導する彼女達に存外素直に従ってくれるあたりメルカーバさんも大目に見てくれるつもりであるらしい。あるいは私と旧知の仲であるという彼女達に目くじらを立てる事で、私との摩擦を生んでしまう事を嫌っただけであるのかもしれないが。


いやしかし、ルミアン少年の下を訪問するだけであったというにえらく手間をかけてしまったものだ。とはいえ黒猫ちゃん達も主の前ではあまり好き勝手に口を開くわけにはいかないのであろうからして、ここで会話の機会を持てたのも考えようによっては良い出会いであったと言えるかもしれない。うむうむ。



さーていよいよここからが本題である。まずは私の近況を報告してからハルペイア退治を進言させて頂いて、それから、えーと、どうしましょうかね。


尻尾をふりふり音頭を取る黒猫ちゃん達の後ろに続き、私もそれに続いて歩みを進める。解消しておきたい人間関係の問題は諸々あるのだが、いまいち派閥間の不和を解消する為の逆転の一手は思いつかないときたもので、やはり私の力をチラつかせてのごり押ししか思いつかないのがなんともはや。


まあ、みんなの安全が確保出来るのであればまずはそれで良いだろう。いくら気を回したところで人一人に出来る事なぞたかが知れているのだ、私には私に出来る事をするのみである。



でも望めるのであれば、せめてもうちょっと譲り合ってくれたら嬉しいなあ。と、後ろを歩くメルカーバさんのお顔をちらちらと窺ったりなんかしつつ、私は小さく息を吐いたのでありました。



年明け早々にインフルエンザで倒れた上に今回えらく難産でした。


本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

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