少年は男になりたい
侵攻してくるであろうオーク達を迎え撃たんが為にお仕事を振られる事になった私達であったが、上の方々の方向性が纏まるのには随分な時間を要したとみえて、ドーマウス卿からのお呼びがかかるまでには結局それから五日の時間を要する事となった。
その間、私達は瓶詰を作ってみたり、火を通した野菜や干し肉を獣脂で包んでみたり、脂を爆発させて調理場をべったべたにした私が豚の脂身と一緒に塩漬けにされそうになったりしながら時間を潰す破目になり、おかげ様で随分と捗った保存食作りは無事にその半分以上が酒の肴として私達のお腹に消えたのである。
いや、必要分は残してありますけどね。単純に試行錯誤が楽しくなって作り過ぎただけで。
さて、場所を移して女三人、座ってお茶など頂きながらお声が掛かるのを待っているのはドーマウス伯爵家本邸の応接間で、私はといえばいささか緊張しながらも髪の跳ねを気にしてぺたぺたと頭を触ってみたり、衣服の皺を伸ばしてみたりとなんとも落ち着かない心持ちであった。
なんせ今からお会いするのは伯爵様なのである。いや、伯爵様がどの程度偉い人なのかは私なんぞにはいまいちピンと来ないのだが、それでもその方は今の私にとっての雇用主であり、しかもキティーの実兄であるときたものだ。
私一人で上役に会うのであればここまで緊張もしなかったのだが、今ここには赤毛と桃色も同席しているのであるからして、万が一私が恥を晒すような事があれば肉親であるキティーやこの雇用関係の仲介をしてくれたゼリグの顔に泥を塗る事になりかねない。
よって私は借りてきた猫のように大人しくなり、メイドさんから頂いたお茶請けに対しても控えめに口をつける事でこそこそと謙虚さをアピールしているというわけである。
「ん?なんだお前。普段はもっと飢えた野良犬みたいに菓子を頬張ってる癖にずいぶんと大人しいな。」
「いや、もうちょっと他に何か無かったんですかその例え。偉い人の前に出るのだから私はお行儀を良く見せようと思ってですねー。」
「ノマちゃん、供されたものに恐る恐る口をつけるなんてのは失礼にあたるのよ。毒殺を疑ってるんじゃないかってね。こういうのはね、もっと遠慮せずに頂くものなの。私は貴方の事を信用しています、ってね。」
言うなり桃色の奴は焼き菓子を一枚手に取って、さくりとその口元に運んでみせる。なるほど、確かに言われてみればこのような時代であればそういう捉え方もまたしかりで、わたくしノマちゃん目から鱗が落ちる思いである。では遠慮なく。
私も焼き菓子へ手を伸ばし、さくりさくりとお口に運ぶ。風味付けに使われている生姜の辛みが良い仕事をしているが、そういえば生姜の類は市場に出回っているのを見た覚えが無い。手に入れば生姜焼きが作れるのだが、はて。
「この焼き菓子、辛みがありますね。でも美味しいです。」
「この辛みはショウガね。東方からの輸入品で本来ならば生薬に用いるのだけど、菓子に混ぜ込むなんて贅沢な使い方をするものだわ、まったく。」
「アタシは好きだけどな、これ。あんまり甘くないのが良いな、酒の肴としても試せそうだ。」
「もう肴はさんざっぱら作ったじゃないですか、そろそろお酒から離れてくださいよ。」
そんな事を喋りつつもぽりぽりさくさくと菓子を頬張るのだが、これが中々どうして一度食べ始めると止まらないのだ。
遠慮するほうが失礼であると教えて貰ったので気兼ねせずに口元に運ぶ私のほっぺはリスのように膨らんで、むっくむっくと咀嚼をしては茶を口に運んでごくりとそれを飲み下す。んめー。
精緻な細工の施された皿の上は見る間に隙間が目立つようになっていき、そして左右にちらちらと目をやって二人が手を出さないのを確認した私が最後の一枚に手を伸ばしたその瞬間、扉が開いてなんとも顔立ちの整った良い男が顔を見せたのである。
「失礼、待たせてしまったようだね。っと、皇女様におかれましては、当家の料理人の作った菓子を随分とお気に召して頂けたようで何よりだ。」
己の財力を示す為なのか、希少な材料の使われた焼き菓子がけっこうな量盛られていた皿の上は既にすっからかんであり、にししと頬を緩めながら最後の一枚を手に取った私は見事に凍り付いて固まったのであった。
は、恥ずかしい…………。っていうか皇女様ってあの競りでの変な設定が独り歩きしてるじゃないですかヤダー。
応接間へ入ってきた男性はそのまま私達の前を通り過ぎ、上座へと腰を降ろすと一瞬キティーのほうへ目をやって、それからこちらへと視線を向けて、値踏みをするように私を見る。
この家の実子であるキティーよりも上座に座っているあたり、おそらくこの方がキティーのお兄さんであり、現ドーマウス伯爵であらせられるのだろうと検討をつけ、私は座ったままで軽く会釈をしてみせた。
ドーマウス卿はそんな私の殊勝な態度に気を良くしたのか一瞬ぴくりと片眉をあげると、次いでにこりと微笑んでみせる。うーむいちいち様になってんな、さぞおモテになるのだろう。
「さて、初対面のお相手もいる事だし改めて自己紹介をさせて頂こうか。私が君達の雇い主であるファーグナー・モナレ・ドーマウスだ。キルエリッヒ、今この場においては私とお前は兄妹では無い、それを弁えるように。」
「それぐらいわかってるわよ、お兄様。いくら私が先日の歌劇鑑賞の席でお兄様をやり込めたからって、こんな席で立場を弁えない発言をするほど愚かでは無いつもりよ。」
そう言って、桃色は肩を竦めて手をあげる。それを受けたドーマウス卿は無言で懐に手を突っ込んだかと思うと、丸薬のようなものを一粒取り出して口にした。おい桃色、お前お兄さんに何言ったんだよおい、無言で胃薬噛み砕いちゃってるじゃねーか。
「……君たちは私にとっては部下にあたるが、同時に我が妹の友人でもある。どうか楽にして欲しい。さて、事の触りは既にキルエリッヒから聞き及んでいる事と思うが、ようやく王城の間で調整がついた。出立は四日後、我がドーマウス家も先日同様、マッドハット侯爵家と連携して兵を出す事になる。」
ドーマウス卿が身振り手振りを加えて話し、キティーのそれより幾分か暗い桃色の髪がさらりと揺れる。四日後か……準備を急かしたところで無い袖は振れぬというのは理解出来るが、既にオーク達は動き始めているのであれば、あまりにそれは遅きに失するというものでは無いだろうか。
左右に視線を振ってみれば、ゼリグの奴は口元を曲げて顔をしかめているものの、キティーの方はまあそんなものだろうと涼しい顔をしていらっしゃる。大丈夫なのだろうか本当に。あとドーマウス卿、貴方の方こそ全然割り切れてないっていうか妹に対して甘過ぎやしませんかね。
とはいえわからないことは素直に人に聞くに限る。聞くは一時の恥なのだ。私は背筋を伸ばし、姿勢を正して控えめに右手をあげて、この場における発言の許可を求める事にした。
「あの、ドーマウス卿。私はキティーさんの元でご厄介になっておりますノマと申します。発言をさせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「君の事は聞き及んでいるよ、ノマ君。君がこれまでに成してきた事もね。構わないがその前に一人、紹介をさせて貰いたい人物がいる。マッドハット卿のご子息で、今回の派兵にあたって両家の指揮を執る事になる方だ。入ってきたまえ。」
おや、どうやら本日の役者はもう一人居たらしい。マッドハット卿のご子息といえば、例の戦場に出たいと言い出して場の混乱に一躍買ってしまう事となったお坊ちゃんである。さてどんな我儘息子が現れる事やらと扉の方へと目をやれば、ドーマウス卿に入室を促されて入ってきたのは黒髪の女の子であった。
え?女の子?
「お、お初にお目にかかります。私はマッドハット家の嫡男であり、父の名代として参陣をさせて頂きます、ルミアン・マッドハットと申します。そ、その、よろしくお願い致します!」
「ルミアン君、君も人の上に立とうとする者ならば、そう迂闊にへりくだった態度を見せるものでは無い。何を言われて付け込まれるかわかったものでは無いぞ。」
「は、はい!すみません!ドーマウス卿!!」
思わず目を丸くしてまじまじと見つめてしまったが、声も高くてやっぱりまるっきり女の子としか思えない。が、よく見れば体つきはちゃんと男の子であった。男性と女性では骨格からして造りが違う。肩幅を見ればなんとなくわかる。
年の頃でいえば十四、いや十三くらいであろうか。小学生とまでは言わないが、まだまだ中学上がりたてのような子供っぽさが垣間見えた。
横目でちらりと窺えば、ゼリグの奴は「相変わらず男の癖になよなよしてやがんなー。」と言わんばかりに半眼になっており、桃色の方はなんか肉食獣みたいな目つきになっている。いやあんた、会いたいとも思わないとか言ってたじゃねーか。いつか手のひらねじ切れるぞお前。
うん、たしかに迂闊な態度を見せるもんじゃないですね。悪いおねーさんに襲われたら大変ですからね。あ、私も胃が痛い。
室内に入ってきたルミアン少年はそのままぺこぺこと頭を下げながらドーマウス卿の隣に着座して、続けて入ってきた、彼が侍らせているものと思しき四人の少女がその後ろに続いて待機する。
最後に久しぶりに顔を合わせるドーマウス家使用人のシャリイちゃんが部屋に入り、ぱたりと扉を閉めるとこちらへと顔を向けた。
入室してきた四人はいずれも猫のような耳と尻尾を生やしており、そしてそのリーダー格と思しき髪を腰まで伸ばした黒髪の少女はこちらへ意味ありげに視線を飛ばしたかと思うと、目を白黒させる私に向かって一瞬だけ、ニヤリとその口角を上げて微笑んでみせたのである。
思わぬ再会に私はますます目を丸くするばかりであるが、まさかこの場で声を掛けて喜びを分かち合うというわけにもいかないだろう。なにより彼女達はちゃんと自制が出来ているのであるからして、年上として私がみっともない姿を見せるわけにはいかぬというもの。
いや、しかし元気な姿を見ることができてほっとしたやら安心したやら。というか先日からマッドハットという名にどこかで聞き覚えがあったような気はしていたのだが、思い返してみれば黒猫ちゃん達を買っていったあの豚が、確かそう呼ばれていたのであった。
そんな事を考えつつも、ルミアン少年にちらりと目をやる。親父の遺伝子どこ行った。
「ルミアン君、こちらは我が妹のキルエリッヒと、君にとっては知った顔であるとは思うが傭兵の隻腕殿。そして例の、その、なんだ。皇女ノマ殿だ。」
「お久しぶりです、ゼリグさん。そしてお初にお目にかかります、キルエリッヒ嬢…………と、その……ノマさん。」
「うむ、では揃ったところで先ほどの話の続きといこうか。ノマ君の発言を許可しよう。」
祝、ノマちゃん例のアレ扱いである。っていうかドーマウスの旦那、煽ってんのかアンタ。ルミアン君困ってんじゃねーか、喧嘩売ってんなら買いますよおらぁん。
まあそれは良い、今は置いておこう、別に重要な事でも無いし。発言を促された私は立ち上がり、立ち上がってなお見上げる形になるドーマウス卿の顔を見ながら口を開く。
「では、失礼をさせて頂きます。軍行動の準備に時間がかかるのは致し方の無い話だとは思いますが、キティーさんから話を聞く限り、今回の一件についてはその動きを察知した時点でこちらは後手に回っているのだと思えます。第一報が入ってからすでに五日が経過していますが、こうして後手に回り続けている事については何か対策は打たれているのでしょうか?」
「ふむ、それについては、ノマ君の実力に期待をしているから。というものでは理由にならないかね?」
「自分で言うのもなんですが、私のような得体の知れぬ者一人に戦の勝敗を委ねるなどと、まさか本気で仰っているわけでは無いでしょう?」
ドーマウス卿が押し黙り、顎の下へと手をやって私の事を値踏みする。おそらく彼は私が世に出てからの詳細な情報を既に把握しているのだとお見受けするが、ならば私の事は、どこから湧いて出たのかもわからない正体不明の実力者と映っているに違いない。
世話になっている以上は私に約束を反故にするつもりなど毛頭無いが、あちらにとっては私は何を仕出かすかわからない爆弾以外の何物でも無いのだ。そんな私に全幅の信頼を寄せているなどと信じられるはずが無かった。
「なるほど、ノマ君は見た目と違って随分と頭が回る様だ。教育らしい教育を受けていたという話は聞かないが、帝国の血筋というものはやはり優秀なものなのだろうかね。」
「ご冗談を、私は皇女なんかじゃあありませんよ。私はただちょっと力が強いだけの女の子、たんなる可愛いノマちゃんです。」
「結構だ。君がそういうのであれば、今はそういう事にしておこうか。」
むむむ。先ほどから妙に皇女を強調されているが、これはあの競りでの事を槍玉にあげられているのか、それとも私の反応を見て探りを入れようとしているのか。
まあおそらくはその両方なのかもしれないが、いずれにせよ軽んじられているようで気に喰わない。お互いの立場からいって私が下に見られることは当然なのだが、かといって舐められることは同義では無いのである。
「……ドーマウス卿。そもそもにして、私のようなどこの馬の骨とも知れぬものを皇女などと迂闊に呼んで宜しいのですか?私の出生について探りを入れておられるのかも知れませんが、ただ煽られているようで甚だ不快でなりません。」
「う、む。それは申し訳ない事をした。なにぶん私にとって皇室とは百年前の歴史上の存在に過ぎなくてね、あまり深い意味で使っていた言葉では無かったのだが……。」
「では自重なさってください。細やかな心配りの出来ない殿方は女性にも嫌われるというものですよ。」
「……肝に銘じておこう。いやしかし、君はその年で実に口が回るのだね。余程にご両親が教育熱心であったとみえる。」
「…………さて、どうでしょうね。私程度の者はそう珍しくも無いかと思いますが。」
売り言葉に買い言葉。別に張り合うつもりなどは無かったのだが、かといって軽く見られるのも癪であると、返した言葉は瞬く間に狐と狸の化かし合いになってしまった。
ドーマウス卿はこちらの正体を探ろうと、ますます眼光鋭く私の事を見透かそうとするのであるが、実際のところ見透かされる中身など無くすっからかんであるのがなんとも申し訳ないところである。なんせ私は本当に、突如山中に出現しただけのポッと出の存在であるのだから。
というかゼリグ達に恥をかかせまいと意気込んでいたのはどこへやら、既にこの時点で私は十分に失礼を働いてしまった気がするが、すぐに熱くなって思った事を口に出してしまうのは終生治せなかった私の悪癖である。背中につつつと汗が伝うが、一度吐いてしまった言葉は戻せない。
ルミアン少年は私とドーマウス卿の間でオロオロと視線を動かして、シャリイちゃんをはじめ控える少女達はその無表情を崩しておらず、ゼリグは若干口元を引き攣らせ、キティーはもっと言ってお兄様をやり込めてやれと言わんばかりに口角を上げていた。あんたら仲良いのか悪いのかどっちやねん。
「すまない、少々話が飛んでしまったな。さて、ノマ君の質問に真面目に答えさせて頂くならば、オークというのは闘争に対して独特の矜持を持った連中でな。奴らに言わせれば、戦いとは赤の神に捧げる為の神事であるらしい。」
「……神事である以上、神に対して顔向けの出来ないような恥ずべき戦いはしない。よって先手を許したとしてもこちらの陣地を迂回しての奇襲であるとか、王国領内に浸透して村や町で略奪を行われるような心配はしていない、と?」
「そのとおり、やはり君は察しの良い子だ。ついでに言うならば奴らは目的を持ち、その手段としてこの国へ戦いを挑もうとしているわけでは無い。連中の目的は戦いそのものなのだよ。あるいは、既に連中はその準備を終えていて、こちらが陣地を構築して態勢を整えるのを今か今かと待っているのかもしれないな。」
「神にご覧になって頂くべき最高の戦いの為に、ですか。なんというか、すさまじく迷惑な人達ですね。身内同士で格闘大会でもやっててくれれば良いのに。」
「ああ、全くだ。迷惑な連中だよ全く。」
どうやらこの世界におけるオークとは、私の知っているブヒヒな豚さんというわけでは無いらしい。豚さんでは無いようだがぶっちゃけ迷惑度で言えばどっちがマシなのかは微妙なところである。脳筋ってレベルじゃねーぞおい。
「オークに関してはわかりました。しかしこれはゼリグ達から聞いた話であるのですが、デーモンという蛮族の他勢力がこの機に介入をしてくる可能性は無いのですか?たびたび王国とは小競り合いをしているというくらいですし、オークと違ってこの国へ領土的野心を持っているというならば危険視するべきでは無いでしょうか?」
「ドーマウス卿、口を挟ませてもらうがアタシも同感だ。アタシが将を討ち取ってからはあいつら随分と大人しくしているみたいだが、だからこそこの機に乗じて側面をついてくる可能性もある。」
「オークの連中が戦いを神事として捉えているのであれば、デーモンの連中と連携を取っているという事は考えづらいわね。ただゼリグの言う通り、漁夫の利を得ようとして暗躍している連中がいる可能性は捨てがたいわ。」
私が食い下がり、ゼリグとキティーも口々に意見を述べる。ドーマウス卿はといえば一度に喋るなとばかりに一つ手を振って、背後に控えるシャリイちゃんへと発言を促した。
「その通りだ。国境沿いに張り付いている諸侯軍でもそれらしい動きを確認する事は出来ていないらしいが、しかし情報というものは出来るのであれば、信頼できる手駒を用いて自力で集め、吟味するに限る。シャリイ、状況を報告しろ。」
「は!では旦那様、わたくしシャリイ以下、隠密隊十名が現地へ出向いて入手してきました情報をご報告させて頂きます。」
そう言って金髪の少女は一歩前に出て、私達に向かってぺこりと頭を下げてみせた。明らかにメイドさんの身のこなしでは無いと思っていたが、やっぱり彼女の本職はそちらであったらしい。あれ、でも現地へ出向くって、現場は国境沿いのはずじゃあ?
「あのー、すいません。シャリイさん、この短期間で直接現地にまで行って戻ってきたんですか?」
「はい。蛮族領とは言ってもゴブリン商人をはじめとして人と物の動きが無いわけではありませんし、そう言った方々が利用するために開拓された宿場が点在していますから。それらを利用してゴブリン商会からの仲介を受けた旅芸人の一座を装い、蛮族領にまで侵入してきたのです。」
「……ちなみに移動手段は?」
「走ってきました。この脚で。」
そう言って少女は自分の太ももをぱしんと叩く。飛脚かあんたら。スゲーな人体。しかし危険な潜入任務に赴いたにも関わらず無事に戻ってきてくれたとあって、一人の友人として私は思わず胸を撫でおろしたい気分である。でも高速で走り回る旅芸人ってめっちゃ怪しくないですかそれ。
「……もうよいかね?ノマ君。」
「あ、すみませんドーマウス卿。話の腰を折ってしまいました。どうぞ、続きを。」
「では、改めてご報告をさせて頂きます。旦那様からの命を受け王都を出立した私どもは、炎の曜日には無事に北方蛮族領へと侵入を果たし、オークをはじめ敵対蛮族達の調査を開始致しました。」
「うむ、で、首尾はどうだった?」
「はっ!結論と致しまして、私ども十名全員、オークの放っていた斥候に捕まってその陣地へと連れ去られてしまいました!!」
「「何やってんの君達。」」
ハモった。ドーマウス卿と綺麗にハモった。いや待て、連れ去られたって無事だったの!?いや、今こうしてここに居るのだから無事だったのはわかるのだけど、無事だったの!?その、貞操とか!!?
「その後は炎狼の氏族を名乗るオーク達の族長の前に引き立てられまして、果たし状を預かって戻って参りました。」
「「何やってんの君達!?」」
もうハモってるとか気にしている場合じゃない。ドーマウス家の隠密の皆さんガバガバじゃねーか。よく無事に戻ってこれましたねおい。
あんまりと言えばあんまりな内容に、ゼリグもキティーも髪をかき上げて頭を抱え、ルミアン君も状況が上手く飲み込み切れていないのか目を白黒させている。うん、気持ちはわかる、ぶっちゃけ私もこの気持ちを消化しきれない。
「そ、そうか。まずはご苦労だった。無事に戻ってきてくれて何よりだ……。」
「ありがとうございます。身を汚されて情報を引き出されるくらいならばと、一度は仲間たち共々自決を覚悟したのですが、護身用の小さな短剣程度しか持ち合わせていないのを見せて旅芸人である事を主張したところ、市井の者を傷つける事はお天道様の道に反するなどと言われまして……。あ、こちらが預かった果たし状になります。」
めちゃくちゃ紳士ですねオークさん。めっちゃくちゃ紳士ですねオークさん。これで脳筋迷惑バーサーカーじゃなければきっと私達は友人になれた。私は実に残念で仕方が無い。
明後日の方向に白目を向ける私を尻目に、ドーマウス卿は手渡された果たし状を受け取って内容を吟味し始める。その文面については如何にも気になるところではあったものの、顔色を見る限りそう悪い内容は書かれていなかったと見て取れて、卿は若干疲れた様子を見せながらもパサリと手紙を投げ出した。
「待っていてやるからさっさと戦の準備を整えろ、だそうだ。ご丁寧にデーモン共の介入の可能性についても、横やりを入れてこようものならこちらで対処するとまで気を遣ってもらってな。ここまでこちらに都合の良い内容を並べ立てられると、却ってこれはかく乱の為の偽報では無いかと疑いたくなるくらいだよ。」
ごもっとも。私の感性からしてみればこれではまるでスポーツの試合申し込みのようで、連中本気で命のやり取りをする気があるのかと疑いたくなるくらいである。
が、たぶん本気なのだろう。本気でオークと言う連中は、真正面からの正々堂々とした、同じ条件の元での殺し合いを望んでいるのだろう。理解は出来る、だがとても共感は出来ない。
私達が眉根を寄せて考え込むうちにようやくルミアン少年も話しの流れを飲み込めたようで、彼は首を少し竦めて、おずおずと右手を上げながら口を開いた。
「あの、私も、オークという蛮族を直接目にしたことは無いのですが、とても信じられる話ではありません。彼らは本気でそれを言っているのでしょうか?」
「ふむ、実際にその空気を肌で感じて、お前はどう思った?シャリイ。」
「はい。彼らは私の目の前で、赤の神へと戦いの誓いまで立ててみせましたので、この書の内容はまず間違いの無い話であるかと。」
神に誓いを立てると聞いて、私の頭に暫定白の神である邪神の姿と、青の神と思われるパワハラ少女の姿が浮かんで消えた。赤の神とやらがどのような神格を有している存在であるかはわからぬが、いずれにせよ五色の神とやらはこの世界に実在し、またその存在が広く信じられている事は確かである。
ならば、この世界における神への誓いというものは強い拘束力を持つものであろう事は私にも容易に想像することが出来、そしてその事は、オーク達の言が嘘偽りの無い真実であろうという確証を得るに十分であると言えるだろう。
「結構だ。我々の方針は決まったな。デーモンの介入は無し、オーク達は正面からの会戦を望んでいる。不測の事態に備えないというわけでは無いが、以後の行動はこれを前提として考える事が出来るだろう。関係各所にも連携しなければならんな。ルミアン君、マッドハット卿にもこの件を伝えておいてくれたまえよ。」
「はい、お任せください。ドーマウス卿。」
「うむ、よろしく頼むよ。しかし、今日はどちらかといえばお互いの顔見せと、事前の意思統一を図ることが目的の集まりだったのだがね。予想外の情報が入ってしまったものだよ、まったく。」
「ご迷惑でしたでしょうか?旦那様。」
「いいや、結果的にだが素晴らしい成果と言える。良くやった。これは臨時報酬が必要だな。」
彼女達がオークに捕まったと聞かされた時には肝を冷やしたものであるが、結果的には良い方向に転がったようで何よりである。シャリイちゃんもドーマウス卿に褒められて嬉しそうだが、そこに若干ではあるが女の顔を感じないでも無い。ははぁん?
ふと横を向いてみれば桃色の奴も彼女の秘めたる思いに気づいたのか、実に邪悪なかんばせをなさっておいでになり、歪んだその口元を手のひらで覆い隠していた。色恋沙汰大好きな辺りは実に女性らしいと言えるだろうが、いかんせん顔つきが残念すぎる。でもお気持ちはわかります。
「ドーマウス卿。話がひと段落したところで、アタシにも発言をさせて欲しいんだが。」
「隻腕殿か、構わん。意思の統一は重要な事だ、言いたい事があるのなら今のうちに遠慮なく言っておくといい。」
「では、お言葉に甘えさせて頂きますよ、と。なあ、ルミアン様。なんでまた、急に戦場に出たいだなんて言い出したんだ?お前が荒事に向いていない事くらい、自分でも良くわかるだろう?」
ニヤニヤと頬を緩めていたところ、急に始まったデリケートな話題に思わず片眉を動かして顔つきを引き締める。思うところはキティーの奴も同じであったようで、いつの間にやらすっかり真面目な顔つきに戻った彼女はコクコクと頷いて、ゼリグの発言に追随してみせた。
「これまでの分じゃあ飽き足らず、もっと名声が欲しくなったか?アタシが手柄首を売り渡しちまった事がお前を調子づかせてしまったのなら、その責任をとってこの場でお前を張り倒して教育してやるところなんだがな。」
「同感ね。事の次第によっては私も手伝うわよ?ゼリグ。」
そういって、二人は牙を剥いて笑ってみせる。突然の展開にシャリイちゃんはぎょっとした様子でドーマウス卿へと視線をやるが、そのお兄さんはといえば頼むから揉め事は勘弁してくれといった顔をしつつ、そっと胃を押さえていた。この話題が終わったら胃薬飲めますからもうちょっと耐えてください。
そして主を馬鹿にされたと受け取ったらしき黒猫ちゃん達が目を細め、爪を伸ばすキリリという音が静かに響き、私もごくりと唾を飲み込んだその瞬間。以外にも当の本人であるルミアン少年は一つかぶりを振ってみせると、しっかりと前を見ながら落ち着いた様子で話し始めた。
「いえ、だからこそです。ゼリグさん。父は私の事を思ってくれていたのでしょうが、私は自分の与り知らぬところで身の丈に合わぬ名声ばかりが増えていく事をずっと不満に思っていました。ですから、自らの脚で戦地に立ち、私はこの栄誉に相応しい男になりたいのです。」
「そうかい、お前の家の連中はお前の事を甘やかすだろうからな、アタシが言ってやる。迷惑だ。お前が戦場に出てきて何が出来る?お前に指揮なんざ取れるのか?」
「……用兵については学びましたが、私には経験が足りていません。父からは私は後方に陣取って周囲の鼓舞に努め、鷲獅子の団長さんやマリベルさんの言うことをよく聞くように言い含められています。」
「お前みたいなお坊ちゃんを守る為に余計な人員を割かなきゃあならなくなる事を考えてみろ、最初からマリベルの奴に全部任せちまった方がずっと話が早い。」
うーむ、私としてはルミアン少年の責任感の強さは好ましいところであるし、立派な男になりたいという上昇志向も応援してあげたいところではある。とはいえ彼が戦地に出てくることで余計な手間が発生するであろう事もまた理解できるというわけで、なんとも悩ましいところではあるのだが……。まあ……最終的には…………。
「隻腕殿、そのくらいで勘弁してやってくれないか。誰しも必ず、初陣というものは経験するものだ。それに確かに事の初めは彼が従軍を志願した事だったのだが、最終的には私にもマッドハット卿にも、彼を参陣させねばならぬ理由が出来てしまった。」
「お兄様、その理由ってのは、現地で身体を張る私達が納得できる代物なんでしょうね?」
「……まあ、そう言われると苦しいのだが……いかんせんな、偉くなるというものは何かと面倒なものでな、立場に縛られて早々自由には物事を決められなくなるものなのだよ。お前にも経験があるだろう?キルエリッヒ。」
…………最終的には、お偉いさん同士の力関係、かなあ……?
「あの、ドーマウス卿、一つ教えて頂きたい事があるのですが。」
「なんだね?ノマ君。」
「キティーさんから聞いたのですが、今回の一件、国王陛下と王太子殿下はその統率力を発揮するのに慎重な姿勢を示しておられたそうですね?」
「君は本当に口の回る子だな……まあ、そうとも言えるな。」
「その一方で、王女殿下は手勢を配して王家の影響力を示そうとしていると伺っています。その上でお聞きしたいのですが、ドーマウス卿とマッドハット卿は王城においてどちらの派閥に属しておられるのでしょうか?」
ドーマウス卿が唇を噛んで閉口し、ゼリグは何を妙な事を言い出してるんだこいつと言わんばかりに私へと胡乱な目を向ける。ルミアン少年は申し訳なさそうに目を伏せて、そしてキティーは合点がいったとばかりに一つ舌打ちをしてみせた。
「……ああ、そういう事ね。ったく本当に面倒くさいわね権力ってやつは、さっさと市井に降りて良かったわ。」
「キティーにも察しがつきましたか。でも正直言って、貴方は今でもこうしてご実家と繋がりを持っているのですから、美味しい所取りのかなり恵まれた立場にいると思いますよ。もうちょっとお兄さんの事を労わってあげても良いんじゃないですかね。」
「あら、ノマちゃんも言うようになったわね?」
「おーい、話が見えねえ。アタシを置いてけぼりにするんじゃねえって。」
わいわいと話を始める私達を前に、ドーマウス卿は咳払いを一つして、それを合図に言葉を引っ込めた私達は苦々しい顔をする卿の言葉を静かに待った。
「そうだな……どう話したものか……。まずノマ君の質問についてだが、我がドーマウス伯爵家も、そしてマッドハット侯爵家も王太子派に属している。ましてマッドハット卿は派閥の筆頭でね、その嫡男であるルミアン君が参陣するという事は、王城の中では大きな意味合いを持ってくるのだよ。」
「ではやはり、王女殿下の動きが直接の原因にあたるのですか?」
「その通りだ。王女殿下は王家の私兵である国軍とは別に、殿下個人の私兵とも言える連中を多く雇い入れていてな。今回の派兵に際してもその中から血薔薇騎士団が参陣する事になっている。」
血薔薇ときたか。えらく血生臭い名前だが、血液をモチーフにしているあたりなんとなく親近感を覚えないでも無い。私も何かカッコいい通り名でも考えてみるべきだろうか。血薔薇のノマちゃんとか。
「はあ、なんとも物騒な名称をつけたものですね。」
「まあ王女殿下のご趣味であろうからな、誰も口は出せんさ。で、問題はその血薔薇騎士団を率いているのが、王女派筆頭にあたるマーチヘアー侯爵家の嫡出子でな。察しの良い君の事だ。あとはわかるだろう?」
「この有事にあたり、王女殿下の派閥は大物を送り込んでその存在感を内外に示して見せた。なれば王太子派も弱腰のそしりを避ける為、それなりの立場の人物を送り込まざるを得なかった、と?」
「ご名答だ。どうだねノマ君、傭兵の真似事なんて辞めてうちで官僚になる為の勉強をしてみないかね?」
「ちょっとお兄様。ノマちゃんはうちの子なのだから、勝手に引き抜こうとしないで頂けますか。」
言い終わる前にキティーの奴めに引っ張り込まれ、ぽすんと膝の上に乗せられる。子ども扱いはまあ慣れたものだが今は黒猫ちゃん達の目もある故に、いささかばかり恥ずかしい。ぬーん。
「お偉いさんの都合、ねえ。なんとも面倒くさい話だけど、とりあえずアタシがここで吠えたってどうしようもないって事はよくわかったよ。悪かったな、ルミアン様。せっかくやる気を出してくれてたってのによ。」
「いえ、私が力不足であろうことは、自分自身でも良くわかっている事です。私はこれまで、ただ父から与えられるものを甘んじて受け入れるばかりで、自分では何一つ成そうとはしてきませんでした。ですから今回の事を機にゼリグさんをはじめとした方々から多くの事を学び、この勝利をもってこれまでの自分に決別して、私は己を成長させたいのです。」
「っは!言うじゃねーか!お前がお偉いさんの息子だからってアタシは手加減なんかしてやらねーからな!!」
……眩しい。少年よ、私には君が眩しすぎる。あ、浄化されそう。あっあっあっ。
いいなー、若いっていいなー。私も身体だけは若いのだが、いかんせん心の若さまでは真似できない。人によっては世間知らずの馬鹿であると評価をするかもしれないが、闇雲にでも物事に挑戦しようとするその直向きさは、きっと私が遥か昔に失ってしまったものである。眩しすぎる。
如何に無知であろうとも、例え凡庸であろうとも、人の話をちゃんと聞いて素直に教えを乞う事の出来る者は、周囲の人に目を掛けられて可愛がって貰えるものなのである。そしてそれが理解出来ていようとも、それは実に難しい事なのだ。年を経る毎に、難しくなっていってしまうのだ。
ゼリグの奴は若い彼にその少年マインドを刺激されたのか一緒になって熱くなっておるし、キティーは何かを言おうとしかけたようだが、これだから男って奴はと言わんばかりに肩を竦めて引っ込んでしまった。いや、ゼリグは女ですけども、そこらへんの男より男っぽい気はするけども。
そしてドーマウス卿はとりあえずこの場が丸く収まった事に胸を撫でおろし、シャリイちゃんはそんな伯爵様へとそっとお薬を差し入れる。胃薬追加入ります。
そしてルミアン少年と黒猫ちゃん達は…………。
「はっはい!よろしくお願いします!ゼリグさん!!その、私は良い男になりたいのです!良い男になってお家をもっと盛り立てて、お金ももっと稼げるようになって、それでクロネコ達を囲うのにふさわしい男になって!もっと美味しいものを食べさせてあげたいんです!!」
…………ん?
聞き捨てならない言葉が聞こえて思わずそちらへと目をやって、猫耳を生やした四人の獣人少女と目が合った。
そして彼女達はニヤ~っと笑いながら猫のように目を細め、ルミアン少年に近づくと身体を摺り寄せてゴロゴロと甘えて見せたのである。
お、おう。クロネコちゃん達、すっかり悪女になっちまって。まあ今でして思えば彼女達の生き汚さは十分その下地ではあったのだろうが……っていうかルミアン少年、その年で女に溺れちゃってませんか君。
とはいえ、英雄色を好むともいう。幸いにもルミアン君の恋慕は彼にとって良い方向に影響を与えているようであるからして、私としては少年の淡い思いというものにぜひとも応援をさせて頂きたいところである。何よりせっかく生まれかわったというに、馬に蹴られて死んでしまうというのも御免こうむりたい。
しかしなー、教育上悪いというかなんというか。出来ればこのまま真っ直ぐ育ち、彼の言うところの良い男になって頂きたいものである。現状では女の子が少女を侍らせて囲っているようにしか見えんけども。
そんな事を考えつつも、すっかり中身の冷めてしまった茶器をひょいと持ち上げて、私は黒猫ちゃんに耳たぶを噛まれて真っ赤になったルミアン君の姿を肴に、ずず~~っと音を立ててお茶を飲み干すのでありました。
う~~ん。甘いなー、すごく甘いなー。このお茶砂糖入ってないんだけどなー。ずずず~~、げふ。
ノマと黒猫達の会話も入れたかったのですが、タイミングが掴めなかったので先送りになりました。
しかし部屋の中に大人数を詰め込み過ぎた気がします(´・ω・)




