戦勝報告(裏)
「なあ、キティー。ノマの奴はついてきてないよな?」
「あの子だったら団長さん達が褒めて煽てて足止めしてくれてるわよ。っていうかあなたそれ何回目よ。」
「いや、あいつがまた妙な事を考えて、勝手についてきてたりしてないかと思ってな。そうでないなら、別にいいんだが……。」
事が大きく動いたとあり、ドーマウス伯への報告を求められたアタシ達は今、この屋敷に拵えられたお貴族様用の応接室に向かっている。
その席にはマッドハット卿も同席するそうで、マリベルは手配の為に姿を消し、ドーマウス伯家から来たメイドさんはアタシ達に部屋の場所だけ教えると、先触れの為にこれまた姿を消してしまった。
他の使用人達もバカ騒ぎしている連中の世話をする為に総出で出払っているようで、おかげで先導も無くうろうろと、このでかいお屋敷の中を歩き回っているというわけである。
アタシ達は金を貰って仕事を請け負っている以上、当然ながら報告は必要だ。だがおそらくその内容は、とてもノマの奴に聞かせられるようなものにはならないだろうことは想像がつく。
あの銀髪の小娘が、気になってついてきちゃいましたとか言ってひょっこり顔を出すんじゃないかと、アタシは何度も振り返っては背後を確認し、そのたびにキティーの奴はアタシに呆れた顔を向けるのだ。
朝の静けさの中、遠くから聞こえる酒宴の音が小さくこちらまで漏れ聞こえ、その中に聞き覚えのある鈴を転がすような甲高い音を聞きつけて、アタシは思わず安堵のため息を漏らした。
あの化け物の使っていた赤い槍を担ぎ上げたノマが戻ってきたのは今朝方の話で、あいつは戻ってくるなり、怪物は倒したものの奴には仲間がいて群れを成しており、空を飛ぶ船とかいう奇怪な代物で移動をしているようだととんでもない事を言いだしたのだ。
それが事実であれば、あの化け物が複数体、それもこの王都中枢に空から直接乗り込んで殺戮を行う事すら可能とあって、一瞬生きた心地がしなかったが、ノマの奴が空飛ぶ船に乗り込んで丸ごとぶっ潰してやろうとしたところ尻尾を巻いて逃げて行ったと聞かされて、思わずへたりと崩れ落ちたもんである。
あー、びっくりした。とても病み上がりで聞かされるような話じゃないだろうこんなもん。あの銀色のちんちくりんが居なければ今頃どうなっていた事か。
目を覚まして起き上がり、近くで見守ってくれていたマリベルから、ノマの奴が一人であの怪物を迎え撃ちに行ったと聞かされた時は勝手な事をと歯噛みして、反面最初からその手を打っておけばよかったと苦い顔をしたものだ。
アタシはノマの化け物っぷりを知っている。なんせあいつは灰になっても死なず滅びず立ち上がり、こちらが倒れるまで執拗に食い下がってくるのだ。あのはぐれの化け物も相当な膂力の持ち主だったが、ノマが逃がしてくれなければ削り合いの末にどちらが倒れることになるかは想像のつく話であった。
傭兵達の中からは、死体も見せずに化け物を屠ったなどとホラを吹いているだけだろうと罵るものもいないでは無かったが、ノマはそんな無意味な嘘を吐く奴では無い事をアタシは知っている。いや正確には、あいつはそんなずる賢く頭を回せる奴では無いと言うべきか。
なんせあいつは馬鹿なのだ。思ったことはそのまま言うし、すぐに目先の物事に飛びついて段取りを碌に考えない。ただしやると言ったことはやってのける。あいつが殺したと言ったのなら本当に殺したのだろうし、群れを退けたというのならそれは事実なのだろう。
はぐれの化け物は倒された。空を飛ぶ船を操るという、その仲間達もノマによって退けられた。しかしまだ一つ、アタシ達が向き合わなければならない問題は残っている。
それら全てを単独で成し遂げたノマという怪物を、王都はその身の内に飼っているという事が明るみになってしまったということだ。
この呼び出しははぐれの撃退について、その顛末を依頼人たるドーマウス伯爵、マッドハット侯爵両名に報告しろというのが主ではあるのだろうが、その裏にはあの銀髪の今後の取り扱いについてを論じるという目的が隠れているはずである。
キティーの奴め、さすがノマちゃんは頼りになるわねえとかのほほんとしているが、こいつはそこのところをわかっているのだろうか。あの銀髪と初めて接触した際、その危険性を指摘して正体を暴こうとしたのはこいつだが、一方でこの悪友は内側に抱え込んだものに対しては甘いのだ。
この一月あまりですっかりノマに対して気を許してきたと見えるこの桃色が、あの娘を危険物として悪し様に言うだろう報告の場で、癇癪を起こして暴れださないかがなんとも不安でしょうがない。
「しかし団長達もよくやるよなあ。あんな化け物みてーな娘のご機嫌取りなんて御免だぜ俺はよぉ。」
「串刺しになっても身体が引き千切れてもすぐにひっ付いて動き出してやがったからなあの娘。五色の神の加護だとか言ってたが、正直俺には化け物そのものにしか見えなかったよ。いっそあのはぐれと相打ちになってくれたら良かったんだがな。」
「はっ!ちげぇねえ。みんなお前と同じ事思ってるだろうよ。」
ふいとすれ違った傭兵二人がノマの奴に暴言を吐いたのを聞きとがめ、思わず振り返ってみれば既にキティーの奴がその胸ぐらを吊るし上げて、眼を飛ばして凄んでいる真っ最中。やっぱり癇癪起こして暴れだしてんじゃねえかお前。勘弁してくれよ。
「……不愉快ね。あの子が居なければ私達は昨日、あの街道沿いの広場で死んでいたはずよ。私達の見積もりの甘さを、あの子は引き受けて盤面をひっくり返してくれたの。それを、あんた達は感謝の言葉の一つも言えないのかしら?」
「あ、ああ。そういえばあの娘はあんたらの連れだったな。悪かった。あんたらの耳に入るような場所でこんな話をするのは無遠慮だったよ。すまん。」
「そういう話をしているのでは無いでしょう?耳が聞こえねぇのかてめぇ!?あぁ!?」
「止めろ、キティー。お前にとっちゃあ実家かもしれないが、ここはお貴族様のお屋敷の中だ。諍いを起こすなんぞとアタシの立場も考えてくれ。」
傭兵達がすぐに引かなかったのを見るにつけ、面倒な事になる前に両者の間に入って無理やりに引き剥がす。アタシよりでかいキティーの身体に腕を差し込み、胸を押しのけて後ろにやれば、桃色の悪友は口先を尖らせてアタシに食ってかかった。
「邪魔しないでよゼリグ!貴方はあんな事言われて黙っていられるわけ!?」
「ノマの事を知らなきゃあ、ああもなるよ。お前だって最初はあいつを危険視して排除しようとしてたじゃねえか。少しは頭を冷やせ。あんたらも、アタシの連れが悪かったな。」
キティーの奴に口をつぐませ、傭兵連中にもこれ以上余計な事を言うんじゃねえぞと言外に凄んで見せる。強引に話を打ち切ってこの厄介事を終わらせたかったのだが、しかしこの連中も存外に胆力があるようで、納得いかなかったか素直には引き下がらない。
「……あの娘がいたおかげで助かったのは確かだがよ、化け物ってえのは俺らが生まれた時からずっと身近に付き纏ってやがる憎い敵だ。そう簡単に割り切れるようなもんじゃあねえんだよ。なあ、あんたらはよ、化け物に身内を殺された事は無いのか?」
「……幸いな事に身内には居ないな。まあ、傭兵になってからは化け物絡みの案件に関わって死んだ知り合いは数知れないが。」
「そいつは羨ましい事だ。俺のお袋はな、足を悪くして畑仕事が出来なくなって、口減らしの為に村の外に捨て置かれたよ。ガキだった俺が翌朝見たもんは、蜘蛛みてえな糸にぐるぐる巻きにされて、喉を食い千切られ、身体の方々を食い漁られたお袋の姿だった。」
「それは……まあ、仕方が無かったな。気の毒だが。」
「仕方が無かった!?仕方が無かっただと!?お前に俺の何がわかる!?お前が!!お前なんぞに!!!俺にはあの娘が化け物にしか見えねえ!そうかもしれねえって考えるだけでお袋のことがチラつきやがるんだ!!この気持ち悪さがお前にわかるか!!?」
傭兵の片割れが唾を飛ばして私に食ってかかり、もう片割れに羽交い絞めにされて押しとどめられる。アタシもアタシでキティーの前に腕を伸ばし、喧嘩を買おうとする桃色の奴の動きを制した。ほんと喧嘩っぱやいなお前は。
「その辺にしておけ、隻腕殿に喧嘩を売ったとあっちゃあ団長にどやされるぞ。悪かったな、まあ酒が入ったうえでの話ってことで、このへんで勘弁して貰っちゃあくれないか。」
「ああ、まあ、そういう事にしといてやるよ。指砕きはアタシが押さえておいてやるから、さっさと行きな。」
まだ言い足りないのか何事かを喚く相方を押さえつけ、羽交い絞めにしたまま引きずって、男達は廊下の向こうに消えていく。キティーの奴がそれに向かってんべっと舌を突き出したのを見て、アタシもかぶりを振りながら腕を降ろした。
「っち、ムカツク連中ね。ノマちゃんの何を知っているっていうのかしら。」
「だから落ち着けって、お前ほんと身内に入れた奴には甘いな。この世の中、化け物に知り合いを殺された奴なんて掃いて捨てるほどいるんだ。ノマのあの姿を見て嫌悪を示されるのも当たり前っちゃ当たり前なんだよ。むしろアタシらのほうが慣れちまって、どっか麻痺してきちまってるんだ。わかるか?」
「わかってるわよ、そんなこと。わかっているに決まってるじゃない……わかってるわよ。」
キティーはアタシなんぞより余程に学がある。きっと理屈の上ではこいつもわかってはいるはずなのだ。だがまあいかんせんこいつは激情家なもんで、わかっちゃいるけど感情を処理できるかどうかはまた別というものか。
ぎりぎりと歯ぎしりをする桃色を見て思わず一つ息を吐き、傭兵達が消えていった廊下の向こうを眺めれば、そちらからも酒と食い物、そして騒ぎ立てる男達の声が聞こえてくる。最初に私達が居た大広間とは別室で、これまた酒盛りが行われているのだ。
大広間に残った数十名はノマの事を素直に賞賛してくれた連中と、内心はともかくとして、英雄と言えるだけの仕事をしたあの小娘を労ってやろうとしてくれた者達である。
それに同意できなかった者達は、化け物と一緒に酒など飲めないと言った連中は、ああして別室で酒盛りをしているというわけだ。
アタシはノマの保護者として、あの銀髪の友人として、その様をいかにも苦々しく思うものの、その一方であそこにいるのは、ノマと出会う事の無かったアタシ自身であるだろう事もわかるのだ。
きっとアタシが連中の立場であれば、アタシは率先して席を立ち、薄気味の悪い化け物を褒めちぎるなんぞ誰がするかよと悪態をついていたことだろう。
その日暮らしの傭兵連中でさえこうなのだ。いわんや王国を守る立場にあるお貴族様にとってすれば、果たして何を言われる事やら。と、忘れてた。お貴族様を待たせたとあっては何を言われるかわかったもんじゃない。急がねば。
まあこっちにはこの桃色がいるのである。そのお貴族様の身内と一緒なのだから、多少の遅れは勘弁してもらおうか。何か言われたらあんたの妹が暴れたせいですとでも返してやろう。
むーむー唸りながらキリキリと爪を噛む暴力神官の腕を引き、ずるずるとその裾を引っ張り引っ張り引きずって、どうにかこうにかアタシは指定された部屋の前までたどり着き、大きく深呼吸を一つして扉を叩いた。
「話は既に聞いている。入りなさい。」
「では、失礼させて頂きますよ、と。」
こちとらガサツな傭兵だ。大仰な挨拶は省略させてもらおうか。部屋に入ればその正面、長机の上座に座っていたのは先日ぶりにお会いする太った御仁、マッドハット卿のその姿で、屋敷の主人たるドーマウス卿はその横手に腰掛けていた。
その後ろにはマリベルと、ドーマウス家使用人の嬢ちゃんが並んで立っており、他に人の姿は見受けられない。
軽く頭を下げて横にずれ、続いて入ってきたキティーの奴に道を開ける。さっさと進めと言わんばかりにぐりぐりと入ってきた桃色は扉をぱたりと後ろ手に閉めて、正面を向くなり舌を鳴らした。
いや、お前がマッドハット卿のことを嫌ってるのは知ってるけどさ、態度に出すなよ、もうちょっと我慢しろよ。一応あの人、この場で一番の上席なんだから。
「しばらくぶりだね、ゼリグ君。危険な案件だったが愚妹共々壮健そうで何よりだ。構わん、座りたまえ。」
「お久しぶりです、ドーマウス卿。ですがアタシはキティーの友人では無く雇われ者の立場でここにこうして立っているのであるからして、申し訳ありませんが遠慮させて頂きますよ。」
キティーの奴より大分と暗い桃色の髪をした彼女の兄から着席を促されたが、立場の違いを理由に辞退させて頂いた。この優男殿は口下手ではあるが案外にまともな方だと知ってはいるが、なんせ私は農村産まれのガサツ者であるのだ。お貴族様と同席するなど落ち着かない事この上ない。
「じゃあ、私は座らせてもらおうかしらね。構わないでしょう?お兄様。」
「む、いや。それは勿論、構わんが。」
曖昧に笑ってお茶を濁していたところ、アタシの後ろに居た桃色がすたすたと前に出て長机に腰掛けたのを見て思わず眉を動かした。
こいつの事だ、今の私はキルエリッヒじゃなくてキティーなのだから、ただの傭兵の私がお兄様と同席するなど可笑しいでしょう?とか言って兄を困らせるものだとばかり思っていた。
いや、アタシだって木の股から生まれてきたわけでも無いのだし、人の心の機微くらいはわかる。
ドーマウス卿は家を出て行ってしまった妹と、口下手ながらもどうにか関係を修復しようとしているのは随所に窺う事が出来るのだが、いかんせんこの桃色は意固地なもので、気づいているのか知らないがそれを一切合切無視していたのだ。
それがここに来て僅かながらも歩み寄りを見せるとは、何事か心境の変化でもあったのだろうかこいつ。
見れば、くすんだ金髪の使用人の嬢ちゃんが嬉しそうに微笑んでみせ、そちらにちらりと視線をやった桃色もニヤリと意味ありげに微笑んだ。どうもあの嬢ちゃんから何事かを吹き込まれたようである。
ドーマウス卿もこの状況は予想していなかったのか、やや動揺を見せながらもその顔は、少しだけ口角を上げて嬉しそうにしていらっしゃった。すまんちょっと笑いそう。
「ん、ごほん。では始めようか。シャリイと、そちらに控えているマリベル君からある程度は既に聞いてはいるが、改めて事の顛末を教えて欲しい。かのはぐれの化け物は既に片付いたと聞いてはいるが、今現在はどのような状況にあるのかね?」
さていよいよ本題か。今しがたまでのやや和やかな空気は消え失せて、声色を固くしたドーマウス卿の言によって場の雰囲気が張り詰めたものになる。視線をやってマリベルの方を窺い見れば、彼女は顎をくいとやって、アタシに発言を促した。
ああ、そういえばなんかバタバタして忘れてたが、一応名目上の頭はアタシという事になってたな。
「では、アタシから報告をさせて頂きます。傭兵団「鷲獅子」及び「火炎獅子」を主体とした約百名は、一昨日の明朝、荷駄獣二十一を伴って王都南門を出立致しました。」
ちなみに半端な一はノマの事である。あいつが聞いたら怒りそうだが。
「同日、道中でコッケントライスと遭遇し若干名の負傷者を出しましたが、死者無し、目立った物的損害も無しでこれを撃破しております。」
「コッケントライスといえば、森の奥に潜む獣とも鳥ともつかぬ存在だと聞くが、そんなものが街道沿いまで降りてきていたのかね?」
「ぶふー。儂も若い頃に相手取った事があるが、ありゃあ罠を駆使した上で巻き狩りを行って狩るような獣だぞ。人員と装備は揃っていたとはいえ、それをよく不意の遭遇で犠牲者無しで切り抜けたもんだわい。さすがは隻腕殿の手並みというところかな?」
道中遭遇した大鳥のくだりにおいて、お貴族様二人が口を挟んだ。ドーマウス卿はいかにも文官らしい感想ではあるが、マッドハット卿は過去にあれとやりあった事があるらしい。
あんなもんは頭の悪いただの鳥。と言いたいところだが、不意の遭遇でやり合うような相手じゃない事は確かである。ノマが居なければアタシだってあそこまで強気には出れなかった事だろう。
「いえ、アタシはただ、槍を握って喚いていたにすぎませんよ。あの獣を容易に下す事が出来たのは、ノマの、お二人もご存知の、例の皇女様のおかげです。」
「ぶひゅー。あの娘か……。たしかに素手で鉄の檻をこじ開けるなぞと人外の怪力を示してはいたが、あの獣は小さな小屋ほどもある怪物じゃぞ。それを娘っ子一人おったからとどうにか出来るとも思えんが、あの娘、何事か神の奇跡でも行使して見せたかの?」
「いえ、殴り飛ばしましたよ。突進するコッケントライスの真正面からぶち当たって、頭部を一発殴り飛ばして爆散させました。」
見たままを言った私の言を受けて、マッドハット卿はごくりと一つ唾を飲み、そのまま押し黙ってしまった。実際にあの獣と相対したことがあるというこの御仁にはよくわかるのだろう、それが如何に非常識な行いであるのかという事が。
ドーマウス卿も腕を組んだまま何も言わない。そのまま口を噤んで少し待ったが、やがて卿から差し出された腕を見て、続きを促されたと見たアタシは再び口を開いた。
「続きを報告させて頂きます。コッケントライスの撃破後もそのまま移動を続け、日没までに夜営予定地に到達、展開し、そこで一夜を明かしました。夜間において、化け物の仕業と思われる攻撃が複数の傭兵から報告されましたが、嫌がらせ程度のものであった為に負傷者は出ておりません。」
まあ実際に報告を受けたのはマリベルであったわけだが。アタシも寝床でぐったりしてる間に情報を共有してもらったばかりである。っていうかマリベルに報告が行くなら最初からあいつが仕切れば良かったんだよめんどくせえ。アタシに頭なんて押し付けやがって、覚えてろよノマめ。
「明朝、四方に騎兵を放ってはぐれのおびき出しを開始しました。奴が引っかかるまで夜営地を変えながら転々とする予定でおりましたが、騎兵を放ってから一刻程で遭遇を確認。騎兵四名の犠牲を出しながらも、野営地まで誘導することに成功しました。」
「四、か。痛いな。いや、正体不明の化け物と強引に接触させたというに、その程度で済んだのは僥倖というものだろうか。」
ドーマウス卿が思わず呻く。そりゃあ痛いだろう。自分の手駒の中で数少ない乗馬技術を持った者を失ったこともあるが、何より貴重なのは軍馬そのものである。
馬の訓練には放牧地が必要だが、人族が生きていくだけでも狭い土地でぎゅうぎゅう詰めに生きているのに広大な放牧地などそうそう確保できるものでは無い。必然、調教された馬というものは数を揃えることが出来ず、城壁周辺で紐にでも繋いで放し飼いにしておけばいい山羊などとは比べ物にならぬほど貴重な家畜であるのだ。
まあそこらへんの野生馬を捕まえてきて根性で乗りこなそうという剛の者もいないでもない。かくいうアタシも、もっとガキの時分には物語の中の騎兵の姿に憧れて、野生馬を乗りこなそうとして蹴り殺されそうになったのは良い思い出である。っていうかキティーに会えなかったら多分死んでた。
「ぶふー。で、接触後はどうなったのかね?昨晩に君たちが負傷者を抱えてドーマウス家の別館に入ったとの一報を受け、儂も慌ててこちらの屋敷に移ったのだが、失敗をしたにしては死臭もせんし傭兵共も調子よく騒いでおる。どの程度の損害を被ったのだ?」
マッドハット卿の到着がいやに早いなとは思っていたが、この御仁は昨晩の時点で既に報告を聞くためにこちらの館に移っていたらしい。
自分が金と人を出した案件の顛末が気になったか、それとも昔の話とはいえ鉄火場を知る者として居ても立ってもいられなくなったか。まあ働かされる身の上としては、責任者がこうして気にかけてくれるというのはありがたいものだ。
「はい。お察しのとおり、アタシ達の捕り物は失敗に終わりました。件のはぐれの化け物を以降、白ガエルと呼称させて頂きますが、白ガエルはその膂力でもってアタシ達の張った陣を強引に粉砕。そのまま北へ向かって逃走しました。相当数の負傷者を出しましたが、件の皇女殿が正面から組み付いて奴の動きを制限してくれたおかげか、幸いにもこの攻防において死者は出ておりません。」
「……結構だ。儂がこの館で見た状況とも一致する。隻腕殿自身も手痛くやられたと聞いておるが、身体の方はもう大丈夫なのかね。」
「ありがとうございます。おかげ様で、相棒の治療の甲斐あってこうして元気でやらせて頂いておりますよ。」
まあ実際のところは本気で死にかけていたらしいのだが、あの銀髪の奴が私の身体にまた何かをしたらしく、かえって前より調子が良いくらいなのが不気味なところである。今度お礼がてらとっちめてやろう。
「ゼリグ君、そこまではわかった。だがその後が不明瞭だ。その白ガエルとやらは既に討伐されたと報告を受けているが、昨晩から今朝までのこの僅かな間に一体何があったのかね?」
「一言で申し上げますと、皇女殿が単身で外壁の外まで赴いて、白ガエルと交戦。単独で……これを誅殺したと聞いております。」
ドーマウス卿から促され、アタシもノマの奴から聞いたままの話を返す。正直このあたりは今のところあの銀髪の証言のみで裏の確認など取れてはいないが、おそらくは事実だろう。あいつがアタシ達を騙すような理由も無い。
「……殺したのかね?化け物を。撃退したのではなく?」
「殺したと、聞いています。場所は森の中とあって本人からの証言も不明確でしたが、相当に荒らしまわったので見ればすぐにわかるだろうと。また、白ガエルの死体もそこに埋めたと。」
……しばし、沈黙が部屋を支配した。化け物を殺し切ったという事は、王国にとって、いや人族にとって大きな意味を持つのだ。それぐらいアタシにだってわかる。
奴らと本格的に事を構えてもそれに対抗でき、その勢力を削ることが出来るのであるならば、小さな領土の中で喘ぎ暮らす王国の民にとってまたとない開拓の好機となるだろう。
だが問題は、ノマの奴がそれを了承するかどうかである。マリベルからの話を聞く限り、あいつは全面的に人族の味方というわけでも無く、吸血鬼とかいう己の出自もあってか妙に化け物連中に対して肩入れしようとするらしい。
アタシ個人の意見としては、ノマを思うように操って化け物共にぶつけようなどというのは反対したい。化け物を駆逐して王国民の生活圏を拡大する事に対して異論は無いが、それがあの銀髪の不興を買って、万が一にもアタシ達と敵対するような存在に化けようものなら目も当てられないからだ。
「最後に一つ、ご報告が。彼女の証言では白ガエルは群れを成しており、空に浮かぶ船に乗っていたというその連中は仲間を失った事に恐れをなしたか、月に開いた黒い穴の中に消えていったとかで……。」
「もう結構だ、ゼリグ君。空飛ぶ船だのという荒唐無稽な話については皇女殿の証言に過ぎず、その確認をする術も無い。今はその件については置いておこう。白ガエルとやらと争ったという現場については、すぐに人を手配する。死体を埋めたというならば掘り起こせば済む話だからな。」
「……わかりました。アタシの認識としてはこれで此度の化け物騒ぎは解決を見たと判断していますが、この後はどのように?」
「ふむ……そうだな…………。まずは様子見が必要だろう。その白ガエルに仲間がいるというのであれば、一匹潰したところで同様の惨事が繰り返される可能性がある。その結果が出るまでは、君らにはこの館に詰めてもらうことにしようか。ここに居てくれれば私への情報共有も容易いからな。それと……。」
腕を振りアタシの話を遮って、ドーマウス卿は矢継ぎ早に物事を決めていく。白ガエルの死体が確認されるまでアタシ達はこの別館にて待機となり、そして今日から七曜が一回りするまでの間、白ガエルの手によるものと思われる被害が報告されなければ、晴れて此度の仕事は達成されたものとすると決められた。
正直に言ってほとんどノマにおんぶにだっこであった為に少々気が引けるものはあるのだが、まあそもそもにして、金回りの悪さからこの一件に首を突っ込むはめになったのはあの銀髪のせいなのだ。あいつが自身をアタシ達から買い戻すという名目で、ノマの取り分は遠慮なく使わさせて頂くとしましょうか。
「さて、白ガエルの一件についてはこんなものだろう。経過の観察は必要だが、結論を出せるような材料は今のところ無いからな。そしてそれよりも、いま我々が決めなければならないのは、件の皇女殿の処遇についてだ。」
長机を指で叩きながら気難しい顔をするドーマウス卿の言を聞き、頭の中の銭勘定に緩んでいた口元が引き結ばれる。やはりこの話題は避けて通れぬものらしい。さて、どう切り出してくるものだろうか。
「まずゼリグ君、それにキルエリッヒ、君達に聞いておきたい。あの銀髪の娘の事を、君達は御しきれているのかね?」
「御す、だとか大仰な事は言いませんが、今のところあの子はアタシ達を頼りにしている事は確かです。無理強いをしなければお願い事も聞いてくれるでしょうが、本人の望まない事であれば断られるでしょう。」
「私もゼリグと同意見ね。ふらふらと流されやすいように見えて、あれであの子けっこう頑固なのよ。私達が何か言ったからって自分が納得できない事であれば首を縦には振らないでしょうね。」
別に嘘も言っていないし誇張もしていない。アタシ達から見たノマ、そのまんまである。あいつはアタシ達に依存しているようにも見えるがあれでけっこう我が強いのだ。飯が不味いと文句をつけたせいで殴り合いの喧嘩になったこともある。五回くらい。
「ふむ…………そうか。あの少女の事については、シャリイとマリベル君からも別途報告を受けている。その上で私から見た評価だが、彼女は有用な存在ではあるが、それだけにこの国から出て行かれて他国に抱え込まれようものならそれは恐るべき脅威となるだろう。」
考え事をしている時の癖なのか、ドーマウス卿はトントンと天板を指で叩き続ける。そして目を閉じ、開いて、再びアタシ達に質問を投げかけた。
「……これは私と言う個人では無く、王国の国益を守るべき立場にある貴族、ドーマウス伯爵の発言として受け取ってもらいたい。もしもあの、正体不明の皇女殿がこの国にとって危険な存在となった時、あの娘を暗殺する事は可能かね?」
「…………無理ね。シャリイちゃん達から話が上がっているのならもう知ってるかと思うけど、あの子が本当に脅威なのは怪力じゃなくその不死身っぷりよ。切っても突いても、なんなら灰になったってまったく苦にせず起き上がってくるの。癇癪でも起こされて暴れられようものなら溜まったもんじゃ無いわ。」
思わずぴくりと眉を動かして、次いで目の前に座る桃色へと視線を落とす。こいつが激昂して兄に食って掛かるのでは無いかとヒヤリとしたが、卿が事前に己の立ち位置を念入りに説明してくれたおかげか思いのほか冷静に受け取ってくれたようで、彼女はやや不愉快そうに顔を歪めながらも淡々と答えてみせた。
「ドーマウス卿、すみませんがアタシも、不可能だと言わせて頂きますよ。一度あいつとは本気でやり合うはめになった事がありますが、正直生きた心地がしなかった。もしあいつの不興を買ってこの国と敵対しようもんなら、即刻荷物を纏めて衆国にでも逃げさせてもらいたいところですね。」
肩を竦めて手をあげて、冗談めかしておどけてみせたがアタシは本気だ。実際のところ仮に本気でノマの奴と敵対したとしても、おそらくあいつは手心を加えてくれるはずである。
ただし、それはあいつが平静を保っていればの話だ。アタシ達が定期的に血を飲ませてやることであの銀髪は今のところ大人しくしているが、下手に敵視し、刺激をすることであの凶暴性が再び顔を出してこないとも限らない。
本気で暴れ狂うノマの奴と事を構えるなどと二度と御免であるからして、きっとその時アタシは脱兎の如く逃げ出すことだろう。
「そうか……と、なれば上手く飼い慣らさざるを得ないという事になるな。マッドハット卿、卿はどう思われますかな?」
「ぶひゅー。そうだのお、儂としてはあの時に無理をしてでもあの娘を買い取って手元に置いておくべきだったと思わんでも無いが、扱いを間違えれば内側から食い破られかねんからなあ。結果としては良かったと言うべきかの。」
「それはあの娘の利用価値についてですかな?それともまさか、卿のご趣味の話ではありますまいな?」
「ぶほほほほ、まあそう怖い顔をするでないわ。儂もやはり似たような結論には至ったのだがな、現状であの娘が隻腕殿に懐いているというのであれば、丸ごと儂らの手駒として抱え込んで給金を出す事でその動きを監視しつつ行動を制限する、と。そのへんが落としどころでは無いかのぉ。」
マッドハット卿がぼよんぼよんと腹を揺らして意地悪く笑い、アタシはと言えば不意に出てきた自分の名前に思わず目を瞬かせた。
「それはつまり、アタシとキティーがあの子の保護者としてついたまま、アタシ達丸ごとを侯爵家のお抱えとして雇い入れると、そういう理解でよろしいのでしょうか?」
「正確にはドーマウスの坊主との連名になるだろうがの。話で聞く限り、あの娘の倫理観はいささか理解出来ぬところもあるが、隣人として身を置くに不可能という程でもない。ならばあの娘の不興を買うような無理強いは避け、適当な仕事を与えてやって恩を売り、時間をかけて飼い慣らすのが無難と言うものじゃろう。」
……悪い提案では無い。アタシからしてみれば、これまでだってキティーを通じてドーマウス卿から定期的に仕事を貰い、その金で飯を食っていたのであるからして、この話はほとんど現状維持に等しいものがある。
アタシ達は安定した収入を得ることができ、ノマの奴にも上役が出来る事で、あいつに王国に対する帰属心のようなものを抱かせるきっかけにもなるかもしれない。
まあアタシだって国への帰属心とやらがあるのかと聞かれれば首を捻るところではあるのだが、とりあえず重視すべきはノマの奴がアタシ達に敵対しようという気を起こさせない事なのだ。あいつの倫理から外れた事を要求しない限り、ノマはアタシ達の求めに対して首を縦に振ってくれる事だろう。
「ではマッドハット卿の見解も伺ったところで、方針を決める事としようか。傭兵ゼリグ、傭兵キティー、少女ノマの三名は、本日をもってマッドハット侯爵家ならびにドーマウス伯爵家の食客として迎え入れる。これは国防を担う王国貴族としての決定であるからして、諸君に拒否する権利は無い事を言っておこう。良いかね?」
聞きたい事は済んだのか、ドーマウス卿はパシリと一つ手を叩くとアタシ達に対して今後の指示を出し始める。いや、良いかねとか聞かれても、拒否権は無いとか思いっきり言われたんだけども。
まあアタシとしては不満があるわけでも無いので別に構わない。ノマの奴も以前には仕事を探して街をうろうろとしていたくらいなのだ。手に職を持てるとくれば悪い顔はしないだろう。
「……まあ、確かにそんなところかしらね。正直に言ってお兄様に良いように扱われるのは癪でしょうがないのだけれど、ノマちゃんの出自については私達だって未だに掴めていないくらいなの。あの子の異常性がこうして人目に触れてしまった以上、変に排斥して刺激してしまうよりは目の届くところに置いておくほうがマシという判断は理解できるわ。」
どうやらキティーも異論は無いらしい。いや、爪を噛んで唸っているあたり、兄に首根っこを掴まれたのが本当は嫌で嫌でしょうが無いのだろうが、王国貴族であるドーマウス卿の立場とノマの潜在的な危険性を考えればこの決定も已む無しといったところか。
「うむ、結構だ。その様子ではゼリグ君も異論は無いようだね。契約に関しては追って沙汰を出す、君たちは今頃酒に酔って暴れているだろうあの厄介な皇女様のご機嫌でもとって、この件について上手い事丸め込んでおいてくれたまえ。シャリィ、ここは良いから彼女達を案内して差し上げろ。」
「かしこまりました、旦那様。ではキルエリッヒお嬢様、ゼリグ様、このシャリィめが先導致します故、どうぞこちらへ。」
これで話は終わったとばかりに退出を促され、アタシは黙って踵を返した。キティーの奴も一瞬兄へと目をやって、それでも黙って後をついてくる。大方アタシと同じで、この件をあの銀髪に何と言って話そうかと考え込んでいるのだろう。
ドーマウス卿もマッドハット卿も、一介の傭兵であるアタシなんぞが口出しを出来る立場のお人では無いが、かといってまったく知らぬ間柄と言うわけでも無い。キティーやマリベルを通じて、ノマの奴にあまり無茶な注文をつけぬよう多少はアタシの意見を表明することも出来るはずだ。
要は都合よく操ろうとして、ノマの望まぬ事を強引に押し付けなければ良いのである。それに政治の話なんぞはよくわからんが、キティーによればあのお二方は王国貴族の中でも保守的な穏健派の立場をとっているそうであるからして、領土拡大の為にと妙な事を言い出す事は考えづらい。
だがいずれあの銀髪の名が通るようになれば、いつまでもこのままというわけにもいかないだろう。
例えば、それこそ王族が出てくるような事態にでもなって強権をかざされれば、ドーマウス卿もマッドハット卿も否とは言えなくなるはずである。その時アタシは、ノマに対して何をしてやれるのだろうか。そんな状況で、アタシなんかが力になってやれることはあるのだろうか。
前を歩く金髪の少女の後に続きながらかぶりを一つ振ってみたが、けれどもやはり、悪い想像しか頭に浮かばず、アタシはただただ押し黙る事しか出来なかった。
酒を飲む気分にもなれず、与えられた客間で頭を抱えたままに迎えた翌朝、私の見たものはおっさんの山の上でひっくり返り、イビキをかく銀髪の姿であった。
思わず真顔になって眺めていれば、目を覚ましたノマの奴は猫のように一つ伸びをして、ぼてんと山から落ちてこちらへゴロゴロと転がってくる。
ゴロゴロゴロゴロと転がって、そいつは私の足にボスンとぶつかり動きを止めた。
……いや、なんかもういいや。こいつの為にあんなに思い悩んでやったとかアホらしくなってきた。どこかの誰かも言っていたでは無いか、明日は明日の風が吹くと。どうせ悩んだところで結論など出ないのだ、ならば事が起こった後で考えればいい。うん、そうしよう。
仰向けになってアタシを見上げ、目をぱちくりとさせるノマの顔を覗きこんで、蹴り飛ばしてやりたい気持ちを必死で抑え込みながら、アタシはこう言ってやったのである。
この馬鹿、と。
これにてはぐれの化け物編は終了になります。次回は少し閑話を挟んでから、次のエピソードへ行きたいと考えております。
小説を書くと言うのは初めての事でしたが、本作も定期的に感想を頂けるようになり大変うれしく読ませて頂いております。言葉足らずであった部分や、作者側で想定していなかった受け取られ方など第三者の目線で見て頂いて初めて気づく事も多い為、ご感想、ご指摘など今後も頂ければ幸いであります。
あと感想欄を眺めてムフーッてしたいです( ゜Д゜)<重要




