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異世界転移のバツバツさん  作者: カボチャ
30/152

隻腕のゼリグ

「ゼリグ様、旦那様は所用あって外出されておりますので、こちらの部屋にて今しばらくお待ちください。」


「こりゃあご丁寧にどーも。」



 どでかい敷地の、これまたどでかいお屋敷で、アタシが案内された先はやたらごてごてと調度品の置かれた客間だった。どかりと腰を降ろしたふかふかの座椅子は心地よいが、真上の壁から生えた鹿の頭がどうにも気になって落ち着かない。上から生首が降ってきたらどうするんだろうかこれ。


「ただいまお茶をお持ち致します。本日は東方より取り寄せた珍しい茶葉が……。」


「お構いなく。茶は性に合わねえや、酒なら頂きたいところなんだがね。それよりも時間がかかるってんならメイドさんも座ったらどうだい。話しでもしようや。」


「申し訳ございませんが、わたくしは使用人の立場でございます。お客様と同席させて頂くわけには参りません。」


座椅子をぽんぽんと叩いてみれば、眼鏡のメイドは一歩下がって困り顔。なるほど、立場を弁えた殊勝な態度は好ましい。が、お互い知らぬ相手では無いのだ。この人にそんな畏まった対応をされるとおぞ気が走る。



「別にいいじゃねえか。他に見てる連中もいねーし、知らねえ仲でもねえ。っていうかアンタがアタシにかしづくなんざぁ気持ち悪くって溜まらねえんだよ、頼むから座ってくれ。」


投げやりにそう言ってやり、ひらひらと手を振って見せれば、メイドは眼鏡をくいっと上げつつ近づいてきて対面の座椅子にぼすんと腰掛けた。乱雑に投げ出した脚が豪華な装飾の机にがつりと当たり、銀の燭台が小さな音を立てる。



「まあ、それもそうですね。しかしゼリグ、貴方、知らぬ間に上手い事立ち回っているようでは無いですか。このマッドハット侯爵家に顔を繋いでいるとは思いませんでしたよ。」


「アンタこそ、なんでこんなところでメイドなんかやってやがるんだよ。すっかり姿を見なくなったもんだからおっ死んじまったもんだとばかり思ってたぜ、マリベルさんよ。」



思わぬところで、思わぬ旧知に会うものだ。かつて世話になった傭兵仲間との再会に酒杯でも交わしたい気持ちであったが、生憎とグラスの一つもありゃあしない。やっぱり茶くらいは頼んでおくべきだったか。


相手も同じ気持ちであったか、眼鏡のメイド、アタシに王都暮らしのいろはを教えてくれた先輩である「血濡れのマリベル」は脚を組んで身を乗り出すと、手のひらを乾杯の形に握ってくつくつと笑って見せた。




 ノマの奴を競り落としてから七日あまり、金貨千枚の工面はなんとか出来たものの、あの銀髪の指摘するとおりに後が続かないであろうことは目に見えていた。あいつの言う帳簿とやらは学の無いアタシにはよくわからんが、学こそ無いが頭が悪いつもりも無い。食い詰める前にさっさと次の仕事にありつく必要があったのだ。


と言うか実際のところ、二人で金を出し合ったとはいえ半分以上はキティーの出費である。なんとかここで一発稼いで見せねばアタシの立場が弱くなる。まあどっちみち、仕事とくれば二人で事に当たるわけではあるのだが。



で、とりあえずは酒場巡りをして良い仕事のあては無いか、情報収集と相成ったわけだが、これが思いのほか見つからない。日雇い仕事すら奪い合い状態で碌に見つからぬとはどういう事だと暴力酒場のおやっさんに食って掛かれば、なんでも物流が滞り始めているらしい。


木材や石材が入ってこないので肉体労働の需要が減りつつあるとか言われたが、単語の意味はいまいちよくわからんがとりあえず仕事が無い事だけはわかった。なんでもはぐれの化け物が出没していて昼夜問わずに人様を食い散らかしやがるので、危なっかしくて行商人や荷馬車が移動を控えているのだとか。


街道の通行が脅かされていると聞いて、頭に浮かんだのは熊のお頭をはじめとした野盗共、もとい自警団の連中である。あんなんでも右も左もわからぬ時分には世話になった人達だ、上手い事逃げおおせてくれていると良いのだが。



お上から討伐の話は出て無いのか?と聞いてみれば、おやっさんは無言で首を横に振った。常であれば、化け物共にこちらから手を出すなんぞと危なっかしくて割の合わない仕事に手を出す奴がいるとも思えないが、分を弁えずに昼間から活動するはぐれがいるとくれば話は別である。


そんな真似をされようものなら金と物の流れにでかい影響を与えかねないからだ、今まさにそうなっているように。食料に関しては多少備蓄があるらしいのでまだなんとかなっているが、いずれ飯の値段に跳ね返ってきてじりじりと首を絞めつけ始めるのは時間の問題だろう。


この状況を、お偉い方が手をこまねいて見ているだけとも思えなかったが、少なくともアタシやおやっさんのような下々の耳に入るような派手な動きは無いらしい。お上はなんにもしてくれねえやとおやっさんも不満顔だ。


そのおかげか、話を聞くだけ聞いてさっさと退散するはずが酒を一杯手渡され、仕入れが滞って仕方がねえと毒づくおやっさんの愚痴を延々と聞かされる羽目になってしまった。一杯じゃあ割に合わない、くそう。



まったくもって迷惑この上無いが、考えようによっては好機でもある。この状況を苦々しく思い、なんとか打破せんとする動きは必ずあるはずなのだ。そいつに一枚噛む事が出来ればこいつは絶好の稼ぎ処である。


普段であれば、そんな危険に自ら首を突っ込むなどとんだ好き者だと笑ってやる所ではあるのだが、今はとにかく金が必要だ。いざとなればノマの奴を引っ張り出して化け物と殴り合いをさせるという切り札もある。まああいつなら殴り勝てるだろう。たぶん。



そして都合の良い事に、アタシにはその噛みつき先に心当たりがあった。以前に参加したデーモン共との小競り合いで、アタシが挙げた首級を買い取った見栄っ張りの金持ち貴族、マッドハット侯爵家の現ご当主様である。


あそこは金持ちなだけあって商売も手広くやっている。金と物の流れを回復し、化け物討伐の名声を得る事が出来るとくれば、おそらくアタシの話に喰いついてくるであろうと踏んだのだ。


ただの傭兵風情が侯爵様を訪ねたところで門前払いが良いところだろうが、アタシは例の一件でご当主様に顔を繋いで名を売っている。話を通してもらえる目は十分にあった。



まあ、そういうわけで朝も早くからのこのこと出かけて行って、目論見通りに客間まで通してもらえたわけであったが、そこでアタシの案内役として現れたのがこの眼鏡のメイドである。


思わぬ旧知の登場に空いた口が塞がらなかったが、それはあちらも同じであったようで、二人して「え、何してんのお前。」と思わず口に出してしまったものだ。まあメイドの方は、次の瞬間には華麗に無かった事にして道案内を始めやがったわけではあるが。




「なにを呆けているのですかゼリグ、私の顔に何か?」


頬杖をついて久方ぶりに見る恩師の顔を眺めつつ、しばしぼやりとしていたが、メイドの言葉に引き戻された。



「ああ、悪い。ちょっと考え事をな。」


「私の前では構いませんが、旦那様の前ではちゃんと背筋を伸ばすように。わかりましたね?隻腕のゼリグ殿。」


「っち、その呼び名、知ってやがったか。」


思わずがりがりと頭を掻いた。「隻腕のゼリグ」とは、件のデーモンの将と切り結んだ際にアタシが左腕を斬り落とされても食い下がり、見事に勝利を収めた事に由来する二つ名だ。


ぶっちゃけアタシにはキティーの奴がついているので、即死しなけりゃいいやという捨て鉢な戦い方をしていただけなのだ。それで称えられるなど恥ずかしい事この上無い。ちなみに腕はちゃんとあの桃色に治してもらった。


その首はマッドハット侯爵家に売り渡し、大将首の名声は初陣として戦場に出ていたらしい嫡男殿の手柄となったものの、現場を見ていた連中にとっては実際に首級を挙げた者が誰であるのかは丸わかりである。その筋の間で瞬く間に流れた噂はすっかり定着し、気が付いた時には「隻腕のゼリグ」は知る人ぞ知る影の英雄になっていた。頼むからやめて欲しい。



「アタシの事は別にいいだろう。っていうかマリベルの方こそ、なんでまた傭兵辞めて使用人なんかやってんだ?お前の好きな返り血だって見れないだろ、こんな職場じゃあ。」


「ゼリグ、人を殺人鬼のように言うものではありません。それはともかく、まあ私の美貌の為すところとでもいいますか、ここの旦那様に見初められてしまいましてね、いつまでも切ったはったで食べていくわけにも行きませんし、これ幸いと飛びつかせて頂いたわけですよ。」


「はーん。人殺しの熊みたいな戦い方してたアンタがお貴族様の使用人ねえ?なんか昔に比べて喋り方も妙に畏まっちまってるけど、まともに勤まってんのかい?」


「私は元々貧乏男爵家の妾腹の生まれです。どちらかと言えばこのようなお屋敷勤めが本業であって、戦場で命のやり取りをしてたほうがおかしいのですよ。」


「実家は?」


「蛮族共との小競り合いで、手柄を挙げようと張り切り過ぎたご当主様が打ち取られて滅びました。」



そう言って、眼鏡のメイドは手を叩いてくつくつと笑った。いやいやいや笑い事じゃないだろう。どこに笑う要素があった。この人そんなに実家が嫌いだったのだろうか。気にはなったが、首を突っ込んだところでどうせ陰鬱な話しか出てこないだろう。ここは流すに限る。



「それにしても、貴方がこのような場に顔を見せるとは思いませんでした。察するに、どうせ血生臭い用向きなのでしょう?」


幸いにして、マリベルのほうから話の流れを変えてくれたようだ。助かった。



「ちっとばかし派手に散財しちまってな、手っ取り早く稼げる先を探してたんだよ。それで……。」


「例のはぐれの化け物ですか。うちの厨房担当の連中もぼやいていやがりましたよ、食材の仕入れが滞りがちで困るとね。」


眼鏡をくいっと上げながら、そう言ってメイドはニっと笑う。話が早いのは楽でいい。情報は己の身を助けるのだ。戦場を離れても、どうやらその習慣は抜けていないようである。ただし口調は既に怪しい。



「大方、うちの若様の手柄にどうかと売り込みに来たというところでしょうが、勝算はあるのですか?話を聞く限りでは、やっこさん相当に厄介な化け物であるらしいですよ。」


「うちでもとびっきりの化け物を飼っててな?金貨千枚もはたかされたんだ、存分に働いて貰うとするさ。」


金貨千枚と聞いた途端、目の前のメイドは眉根を寄せて顔を歪めて見せた。あ、要らん事言ったかも。



「金貨千枚って……何をやっているのですか貴方は。もう山猿みたいな子供では無いのです、貴方ももう少し、将来に備えて蓄えというものをですね……。」


ぐ、余計な事を言ってしまった。今頃キティーの家で銭勘定をしているだろううちの化け物と似たような説教を始めやがる。だがノマと違って目の前の相手は駆け出し時代に傭兵のいろはを教えてくれた先輩の一人、大人しく首を垂れて拝聴せざるをえない。


虚ろな目で「はい。はい。」と返事をしながら右から左に聞き流していると、不意に呼び鈴の音がして、それを合図に眼鏡のメイドは席を立った。ご当主様が戻ってきたのだろうか。いつの間にやら随分と話し込んでいてしまったようで、燭台に灯された蝋燭の火は既に尽きかけていた。



「旦那様に客人の来訪を伝えてきます。会って頂けなくても腐るのではありませんよ?」


「わかってるさ、まあ、上手い事とりなしてくれよ。」



そう言って、アタシに背を向け扉を開けようとした彼女は、不意にぴたりと立ち止まった。まだなにかあるのだろうか。


「私の知ってる限りの情報ですが、あのはぐれの化け物、別にお偉い方だって何もしてなかったわけでは無いのですよ。とっくに国軍の百人隊が出張っています。」


「なんだい、じゃあアタシは空振りかい?」


国軍と言ってもその実態は国王の私兵集団と言ったところだが、それでも半農半兵が大半の領主お抱えの私兵達と違って普段から訓練を積んでる連中だ。腕は立つ。思わず肩を竦めてみせたものの、未だ自体が収束していないという事は……。



「貴方には悪いけれど、空振りであってくれたなら話は済んでいたのですがね。残念ながら失敗です。一度はやっこさんとの交戦に至ったものの、散々に蹴散らされて帰ってきたそうですよ。」


「酒場じゃあそんな話聞かなかったけどな、お偉いさんは何もしてくれねえってみんな愚痴ってたぜ?」


「王の威信が関わる話です。手を出したけど負けましたなんて事を吹聴するよりも、あえて静観している事にしたほうがまだマシという事でしょうね。」


「はーん、そんなもんかね?で、負けたって話だけど、百人出して、何人帰ってきた?」



ノマの力添えが期待できるとは言え、少々見積もりが甘かったかもしれない。こいつは思ったよりも危険なヤマに首を突っ込んじまったようだ。眼鏡のメイドはそこでようやく、ぐるりと首を回してアタシの方を見た。


「とりあえず、生きているのが半分だそうですよ。傭兵の基本は己の安全の確保、金に目が眩んで危険な事には首を突っ込まぬよう、教えたつもりだったのですがね。」



去り際にぴしゃりと叱られてしまった。いざとなればノマを頼れば良いという楽観が目を曇らせて、迂闊な真似をし過ぎたようだ。少々後悔してきたが、もう遅いか。ぐむぅ。







「ぶふー、急な客人だと聞いたので誰かと思えば、隻腕殿では無いかね。壮健そうで何よりだ。」


「ご無沙汰しております、マッドハット卿。先日は世話になりました。」



 マリベルが部屋を出て、さらに待つことしばし。ようやく通されたは応接間。待ち構えていたのは久方ぶりに見る太った御仁、マッドハット卿である。卿の後ろにはマリベルが控えており、私の姿を認めるなり、ぱちりと片目を瞑って見せた。


どうやら彼女は上手い事口を利いてくれたようである。しかしまあ、少なくともこうして会ってもらえる事についてまでは元々勝算はあったのだ。なにせ卿と私は初対面というわけでも無く、ましてやどうにも気に入られてしまっている様であったのだから。



ご子息の手柄として敵将の首級を売り渡した際、やはりこの応接間でこの御仁と面通しをし、酒の肴にと始まった世間話や思い出話にずいぶんと付き合わされる事になった。しかしそのおかげと言うべきか、なんとなくこのお貴族様の人となりを察することも出来たのだ。


マッドハット卿は今でこそぶくぶくと太って見る影も無いが、若かりし頃は治安維持の為に方々を駆け回る騎士であり、その頃に使っていた武具の類は今でも後生大事に取ってあるのだという。


その為であるかは知らないが、アタシ達を傭兵風情と見下しがちなお偉方の中で、この御仁は現場で切ったはったをするアタシのような者に対してずいぶんと好意的であった。まあかの御仁の好色ぶりは有名なところであるので、アタシの容姿も無関係であったとは言えなくもない。


アタシが実際に目で見、肌で感じた国境沿いの雰囲気や、街道の治安などを語って欲しいとせがまれて、酒を片手に話してみせれば卿は思いのほか真剣に話を聞いてくれたものだ。と同時に、鉄火場の話になれば目を輝かせて、儂ももう少し、体が自由に動けばなどとのたまうのだ。それならもう少し痩せれば良いのにと思う。



そんなマッドハット卿だが男児には恵まれず、一人だけ儲ける事の出来た嫡男を事のほか可愛がっているそうで、今年十三になるその若様に己の騎士爵を譲り渡し、騎士としての華々しい名声を得て欲しいと語っていた。


自身が治安維持という、重要ではあるが地味な仕事に終始していたが故の裏返しではあるのだろうが、少しだけお目通しを賜った若様はどう見ても文官向きの線の細い子供であった。とても武官には向いていそうにない。


まあ、よそ様の話だ。それは良い。つまるところ、私が付け入る隙はこの御仁が嫡男殿の為、さらなる名声を求めているという点である。



「ぶふー。まあ、遠慮せずに君もかけたまえ。さて、君がこうして出向いてきた用向きはある程度聞いておる。例のはぐれの化け物の一件だね?」


促されてふかふかの座椅子に着座すれば、卿のほうから話を振ってくれた。さてお偉いさんに失礼に無いよう、どう話を切り出したものかと頭を捻ったところであったので、これ幸いと乗らせて頂く事にする。


「はい。国軍の百人隊を打ち破ったかの化け物、見事打ち取って見せればマッドハット侯爵家の、ひいてはご子息様の名声はさらに高まるものかと。」


「ぶほほほほ。なるほど、隻腕殿も耳が早い。国軍が敗れた件については伏せてあったはずなのだが、我が家の使用人が口でも滑らしたかね?」



そう言って、卿はちらりと後ろに目を向ける。視線の先にいる眼鏡のメイドはといえば、動じることなくその視線を受け流すとくつくつと笑みを浮かべてみせた。


「旦那様、人の口に戸は立てられぬもの。いくら不名誉を隠そうとしてもいずれは漏れだす事でしょう。隻腕殿の耳に入るが早いか遅いかの違いでしかありませぬ。」


「ふん、まあ良い。どのみち我が家の不始末では無いのだからな。」


言っていることはまあその通りかもしれないが、認めたうえで自分の雇い主に向かって開き直るのもどうかと思う。しかしまあいつものやり取りであるのか、卿も若干うんざりした様子ではあったがそれ以上は追及もせず、肩を竦めて私に向き直った。



「ところでのぉ隻腕殿。君には面通しをしたかと思うが、我が息子は齢十三になる。初陣こそ済ませているものの、この年で敵将を打ち取っただの、王国を脅かす化け物を打ち倒しただのと信じる輩がどれほどいると思うかね?」


思わず眉をぴくりとあげた。これは試されているのだろうか。ここでこの御仁の好む答えを返せなければ、おそらくこの取引はご破算になるのだろうが、さて……。



「アタシは一介の傭兵風情でありますので、侯爵様のお望みになるような答えが返せるかはわかりかねますが。」


「構わんさ、言ってみたまえ。」


そう言って、マッドハット卿はぶほほと腹を揺らしてみせる。ふむ、では遠慮なく、思った通りに言わせて頂こうか。


「末端の兵士や平民にとっては、マッドハット侯爵家のご子息という情報が伝わるのみで、その年や容姿などは早々に漏れ伝わるものでは無いでしょう。よって彼らの口の端に上るのは、なにやら侯爵家に希代の若獅子が居るという実像の伴わぬ噂話になるかと。」


「では、その実情を知る者は?」


「ご子息様を知るものにとってすれば、マッドハット侯爵家、ひいてはマッドハット卿に、ご子息にそれだけの花道を用意する事のできる手腕と財力があるという事が示されるだけかと。その上で、ご子息様は金で手柄を買っただけと軽んじるものが出るのであれば、そのような察しの悪い愚か者は放っておけば良いのではないでしょうか。」



言い切ると、卿は口の端を歪め、上機嫌に笑って見せた。どうやら私の返答はお気に召したようだ。まあ、半分以上は本心である。実際のところは他人の心象など、若様自身の振る舞いによっていかようにも左右されるものであろうからして、どのように転ぶかなどと知ったものでは無いのだが。


「ぶほほほほ。結構だよ、気に入った。教育こそ受けておらぬかもしれぬが、やはり君は頭が回る。どうだね、根無し草の傭兵など辞めて、儂の子飼いにならんかね?」



卿の視線が私の身体を舐め回す。まあ、子飼いの部下にというくらいだ、そういう意味合いも含んでいるのだろう。マリベルはこの問いに対して是と返したのだろうか。


「ふふふ、ご冗談を。しかしアタシとてその日暮らしの流れ者。有事の際はぜひお言葉に甘えて、侯爵様に後ろ盾になって頂きたいと思っております。」


「ぶははは、儂を上手く使おうとするか。良いぞ、豪胆な女は嫌いでは無い。いずれ君を手に入れる好機を待たせて頂くとしようか。」


なるべく、やんわりと断らせて頂いた。アタシはこの御仁の事を気に入ってはいるが、こうも好色さを隠そうとしないところは玉に瑕である。なんせキティーの奴などは、この御仁のこういうところを殊の外嫌っているのだから。


まあアタシにしてみれば、この程度気にもならない。ちゃんと言葉を尽くせば無理強いもせず素直に引っ込んでくれるあたり、力づくでねじ伏せようとしてくる荒くれ連中に比べれば数段マシだ。



「では、先ほどの話の続きだがね。儂としても、かの化け物が無秩序に暴れている事による流通の滞りについては頭を痛めておる。今朝ほども、ドーマウスの若造と協力して私兵を出そうと話して来たところだ。」


ドーマウス、確かキティーの奴の実家だったか。現党首は中々のやり手で、伯爵家の中でも中堅どころであったドーマウスの家を盛り立てていると聞く。


「では、アタシもその中に?」


「うむ、さすがに兵どもを君の指揮下に置くような指示は出せんが、同行できるよう手配しよう。かの隻腕殿が力添えをしてくれるのなら心強い。まあ、君が来ると言うことは、一緒にくっ付いているらしいドーマウスの娘も出張ってくるであろうから、あの若造は苦い顔をするだろうがね。」


「キティーの兄、いえ、ドーマウスのご当主様がですか。勘当した身とはいえ、やはり肉親の身は心配なのでしょうかね。」


「ぶはははは、心配どころかありゃあ病気だ。なんとかして可愛い妹を自分の手の中に取り戻そうと躍起になっておるぞ。横で見ていて可笑しいったらありゃせんわい。」


キティーの奴は兄との関係は良好だと言っていたが、言葉に反してその口調は苦々し気なものを感じさせるものだった。が、どうやらすれ違いであったようだ。知ってしまった以上は仲を取り持ってやりたいと思わんでも無いが、生憎と現ドーマウス卿との間に面識は無い。それ以前に、妙に意固地なあの桃色が聴く耳を持つかどうかが微妙であるが。



「では、マッドハット卿。不肖「隻腕のゼリグ」、卿の討伐隊に同行させて頂きます。人数なのですが、私とキティーに加えてもう一人お願いしたいのですがよろしいでしょうか?」


「ふむ、君の傭兵仲間かね?それとも、かの得体の知れぬ皇女様かな?」



思わず腰を浮かせかけ、身じろぎ一つでどうにか耐えた。どうやってか、卿はノマについての情報を得ているらしい。もしや上位貴族の間にはあの子の情報が既に出回っているのだろうか。


「ぶほほ、そう怖い顔をするものでは無い。あの娘の扱いについても、ドーマウスとの議題の一つであったのだよ。ったくあの蠍の小僧めが、ろくに考えもせずに気安く亡国の皇女などとぶち上げおってからに。あの娘を担ぎ上げて妙な考えを起こすものが現れたらどうするつもりじゃい。」


「マッドハット卿は、あの銀髪の娘について何かご存知であるのですか?」


ノマとは、普段付き合いの上ではすっかり打ち解けているつもりではあるが、実際のところあの娘の出自については相変わらず正体不明であるのだ。偉い人なら何か情報を掴んでいるのでは無いかと期待したいところである。



「残念ながら儂のほうが聞きたいくらいよ、少なくとも、あの娘が世に出たのはあの競りの会場が初めての事だろうて。かつての北方帝国の血筋を思わせる銀髪紅目に、鉄を素手で引き千切るあの特異な能力だ。そうで無ければとうに名が知られている事だろうよ。」


「……お詳しいのですね。もしや侯爵様もあの競りの会場に?」


「さて、なんの事かわからぬな?儂は手の者を紛れ込ませておったまでの事。ドーマウスにとっての君たちのようなね。」


どうやら、アタシ達がドーマウス卿の依頼であの場に紛れていた事については筒抜けであるようだ。まあ、マッドハット卿とは別に敵対しているわけでも無いし、どちらかといえばドーマウス卿を通じてアタシ達の側に立っている人物ではあるのだが。


「ぶほほ、君がこうして訪ねてきたのも、元をただせばあの銀髪の娘を買った金の補填であろう事は察しがつくよ。ドーマウスの娘がついていたとはいえ、一介の傭兵の身でよくもまあ金貨千枚も捻出出来たものだと感心したよ。儂だって金貨七百五十で諦めたのにのぉ。」


やっぱりアンタ、あの場に居たんじゃねーか。語るに落ちてるぞおい。



「先ほどキルエリッヒ嬢ともドーマウスの本邸で会ったが、おそらくあの娘も金の無心に来ていたのだろうよ。まあ、自尊心の高いあの娘の事だ。ただ金をくれとは言わずに仕事を寄越せと言う事だろうが、ドーマウスの若造にとってみれば今振れる火急の案件といえばかの化け物の一件だ。あの小僧が大事な妹にそんな危険な仕事を振るとは思えんがね。」


出掛けに、キティーの奴も心当たりを当たってみるとは言ってはいたが、その行き先はどうやら自分の実家であったらしい。まあこの分では空振りに終わりそうであるが。



「しかして、その気遣いはアタシがこうしてマッドハット卿から仕事を受けたことで無駄になったわけですね。」


「まあそうなるな。ドーマウスの若造に知られたらぎゃんぎゃんとうるさそうだわい。まあ、いずれ誰かがやらねばならぬ事だ。一度は若くして白の神の高位神官にまで上り詰めたキルエリッヒ嬢の力、遊ばせておくには勿体ない。そこは儂が上手い事丸め込んでおいてやるわい。」


「そうして頂けると助かります。兄妹喧嘩に巻き込まれてはたまったものではありませんので。」


いや、本当に助かる。へそを曲げたキティーの奴の相手をするのは大変なのだ。アタシみたいな下っ端が巻き込まれる前に、偉い人同士で話をつけてくれるに越したことは無い。



「では、隻腕殿。たしか君はキルエリッヒ嬢の自宅に滞在しているのだったね。近いうちに使いの者を送る故、詳しい事はその者から聞くと良い。」


「そいつはどうも。それにしても卿はなんでもお見通しなようですが、女の身辺を探るとは良い趣味ではありませんな?」


「ぶはは、君なら骨身に染みているだろう?情報は己の身を助くる武器になるのだ。集めれるものは集めておくに越したことは無い。」



ちくりと嫌味を返してやったつもりだったが、軽く受け流されてしまったようだ。まあ、そうして意識を裂いてくれるだけ、アタシの価値を買ってくれていると思う事にしようか。


話が終わったとみて、控えていた眼鏡のメイド、マリベルがするりと歩み出て応接室の扉を開けた。そちらを見れば、扉の外に控えていたのは揃いのお仕着せを来た四人の少女。いずれも猫の耳と尻尾を生やした獣人の少女達である。



「ぶふー。隻腕殿は今朝から待たれておったのだろう?儂は次の予定がある故同席出来ぬが、軽食でも用意させよう。ゆっくりされていくといい。」


「ありがとうございます、お言葉に甘えさせて頂きましょう。しかしマッドハット卿、この娘達には見覚えがありますね?」


四人いずれも、先日の競りの場で見た娘達である。たしか獣人国の元貴族だとかいう売り文句だったか。キティーの奴が興奮して入札しようとするのを張り倒してやったのでよく覚えている。しかしマッドハット卿に買われていようとは、マリベルの事といい妙な縁があるものだ。



「ぶほほ。彼女らは南方から逃げ出してきた貴族の息女達でね、その身の不幸を不憫に思い、こうして我が家でお勤めをして頂いているのだよ。」


なるほど、そういう設定で来たか。まあなんのお勤めだろうかとはあえて聞くまい。卿もお年の割には元気な事だ。



四人の代表格だろうか、黒い髪を腰まで伸ばした黒猫を思わせる少女がアタシの前まで歩み出て、ぺこりと頭を下げてみせた。


「お客様、アタイ……じゃなかった。わたくしはクロネコと申します。わたくしとそちらの三人が、これよりお客様をご案内させて頂きますので。」


「ああ、よろしく頼む。」



そう返し、なるべく少女達の目を見ないよう視線を外す。扉を開けたまま待機しているマリベルの方へ目を向ければ、彼女もまた冷ややかな視線を送っていた。マッドハット卿が気づいているかはわからないが、さすがにマリベルにはわかるらしい。


気づかぬ連中にとっては魅力的な愛らしい少女達に見えるのだろうが、揃いも揃って良くない目をしてやがる。死臭の中でのたうち回って生きてきた餓鬼の目だ。


こういう目をした連中は大抵すぐにおっ死んで居なくなるものだが、稀に頭の回る、小賢しく立ち回って生き延びる奴がいる。こいつらは四人はその手合いだろう。


キティーの奴がこいつらに入札しようとしたのを止めた際、余計な出費をさせてたまるかというものもありはしたが、それ以上にこんな危なっかしい目をした連中を腹の中に抱え込むなど冗談では無いという部分が大きかった。


いつ寝首を搔かれて喰いつかれるかわからないのだ。自分の拠点で気を抜いて眠れもしないなど御免である。



「お客様?わたくし達が何か?」


「いや、獣人なんて珍しいなと思っただけさ。それより案内を頼む、上手い飯を頼むぜ。」


今のところ、こいつらは何ら行動を起こさず大人しくしているようだが、妙な気を起こさぬうちに叩きのめして上下関係を教え込んでやる必要があるだろう。まあこの家には幸いにしてマリベルがいる。他家から奉公に出てきたような若い娘では分が悪いだろうが、アイツなら後れを取るような事も無いだろう。



「では、マッドハット卿、アタシはこれにて失礼させて頂きます。」


「ああ、次に会う時には、良い結果を知らせてくれることを祈っておるよ。」


頭を下げて踵を返し、応接室を後にする。去り際に、マリベルがニっと笑って親指を立てて見せたのは激励のつもりだろうか。案外、私の正面で尻尾をゆらゆらとさせながら歩いている、この獣人のガキ共の対処についてかもしれないが。


そういえばノマの奴、人攫いに捕まっている最中に友人が出来たと言っていたが、もしやこいつらじゃああるまいな。まあニコニコとえらく上機嫌に話してはいたのだが、もしそうであるならあの馬鹿にもう少し人の見分け方というものを教えてやる必要があるだろう。



さて、目論見通りに事は進んだ。あとはあの銀髪の小娘を上手い事おだてて連れ出す必要があるが、あいつはアタシ達に大出費をさせた事を必要以上に気に病んでいる節がある。そこに付け込んでやれば嫌とは言わぬだろう。


件の化け物がどのような輩であるのかも気になるところだが、百人隊の生き残りが居ると言うのなら情報を持ち帰っているはずである。集められるだけ集めてみようか。上手い事ノマの奴をぶつけてやればこちらの負けは無いだろうが、乱戦になった場合は巻き込まれて死にかねない。対処の仕方を考えておくに越したことは無いだろう。


正直言えば、アタシはノマが恐ろしい。灰になろうと何事も無かったかのように起き上がってくるあの銀髪の、ぞっとするような紅い目が忘れられないのだ。同じ化け物同士とは言え、あいつが後れを取るような姿は想像が出来なかった。



とはいえ、まあ今やれる事は済んだのだ。とりあえずは食事を楽しませてもらうとしましょうか。最近は出費を抑える為に固いパンと塩のスープ、あとノマが作ったなんだかよくわからんしょっぱい飯ばかりであったので、どんな代物が出てくるか楽しみである。


そう思い直したアタシは、これから出てくるであろう豪華な食事を想像し、思わず舌なめずりをしたのであった。


良い人も悪い人もおらず、人の良し悪しはそれを見る人の主観によって変わります。つまるところみんな節穴です。

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