野良猫と家猫
「おやびん!ギンちゃんが!う~~~、ギンちゃんがぁ!!」
「んがっ?んに~~~、なんだよぅ、シロゲ~。」
ゆさりゆさりと揺さぶられて目を覚ました。ころりと寝返りをうって見上げれば、白い髪の女の子、アタイの仲間の一人であるシロゲが、暗闇の中で目を光らせながらアタイの肩を握っている。
何事かあったのだろう。シロゲはアタイの事を、親分親分と持ち上げて慕ってくれている、それはもう怖いほどに。そんなこいつが、アタイの眠りを妨げるなどよっぽどの事だ。でも、もうちょっと気安く付き合って欲しい。ちょっぴりさみしい。
身を起こして見回すと、茶色い髪のチャトラは不安げに視線を彷徨わせ、黒髪に一房の白が混じったトビは目の端に涙を溜めている。あの新入り、銀色の髪のギンの姿は無い。
「……何があった?ギンはどうした?」
「わ、わかんないよぉ……起きたら……ギンちゃん……居なくて……う、うぇっ……。」
「ギンちゃん、すごく可愛かったから……あたし達と違って、すごく綺麗だったから……きっと、きっと連れていかれちゃったんだ……。」
「ぐす……おやびん……どうしよう……わたし達、どうしたらいいの……?」
シロゲ達三人は今にも泣きだしそうだ。かつて、アタイが食い物を手に入れてくると言い残して姿を消した時、それで、どうなったのかを思い出したのだろう。アタイが何をされたのかを。
三人ともに、すがる様な目でこちらを見ていた。アタイの言うことを、親分であるアタイの指示を待っているのだ。アタイにだって何が起こったのかなどわからないが、だからといって取り乱す姿は見せられない。シロゲ達を不安がらせる事になる。
いつだって、アタイは自信たっぷりでいなければいけないのだ。だってアタイは、こいつらの親分なんだから。
「シロゲ、チャトラ、トビ、落ち着け。そんで、アタイの目を見ろ。」
シロゲが涙のにじんだ目で、それでもまっすぐにアタイを見た。チャトラが少し遅れてそれに続き、トビは俯いたまま嗚咽を漏らしていたが、背中をさすってやると唇を噛んで顔を上げた。
「ギンの着ていた服な、綺麗なもんだっただろう?あいつは大事に扱われて、何不自由なく生きてきた家猫様だ。汚れた野良猫のアタイ達と違って高く売れる。殺されたりなんかしないさ。」
「でも、おやびん……生きて帰ってこれたって……あの時のおやびんみたいに…………。」
「言うなシロゲ。ともかく、今は待て。絶対にギンはここに帰ってくる。このアタイの、親分様の言うことを信じろってんだ。」
三人はこくりと頷き、それきり静かになった。沈黙で満ちた部屋の中に、声を殺してすすり泣く声がよく響く。
ふん、なにが、親分様の言う事だ。偉そうに。本当はアタイだって泣きたいのだ。あの小さな身体の妹分が、今頃連中に何をされているのか、心配で心配でたまらない。
ぎゅうと拳を握りしめ、爪の先端が少しだけ、手のひらに食い込んで血が滲んだ。
ギンは新入りの癖に、なんとも生意気な奴だった。アタイ達より頭一つ小さい癖にいつでも余裕ぶっていて、それこそ、なんでも知っていますよと言わんばかりの澄まし顔が気に入らない。いかにも世間知らずで育ちの良さそうな家猫様だ。
その癖、あいつはアタイ達が知らぬ間に人攫い共と何やら交渉をしていて、食事に焼き菓子をつけさせてみせたのだ。菓子を前に得意げな顔をしたあのチビの、小生意気な事といったらない。
よくやったと撫でてやり、そのついでに、銀色の綺麗な毛並みをわちゃわちゃとかき乱してやろうかと思ったが、シロゲ達の手前止めておいた。
ギンはいかにも抜け目が無さそうで、アタイなんかよりずっと頭も回るんだろうが、それでも見た目は年下のチビなのだ。生意気な新入りをあまり厚遇してやるのも、シロゲ達の嫉妬を買うかもしれないと怖気づいてしまった。本当は褒めてやりたかったのに。
だが今でして思えば、余計な気の回しようだったかもしれない。シロゲ達とギンは無事に打ち解けられるだろうかとアタイは気を揉んでいたのだが、当のシロゲ達は出会ってすぐに、あの銀色の事をいたく気に入ったようであったのだから。
ギンは態度こそ生意気だが、その口調は驚くほど腰が低い。その癖、胸ぐらを掴んで凄んでやっても動じない胆力もある。ちゃんと親分であるアタイを立てて、その癖に肝の太い新入りに、シロゲ達は一目置いたのだろう。ギンちゃんギンちゃんと渾名を呼び、尻尾をふりふり挨拶をしていた。まあ、妹分が出来た事が嬉しかっただけかもしれない。
ギンは新入りの癖に、なんとも生意気な奴だ。銀色の綺麗な髪に、真っ赤な目と真っ白な肌、見るからに高そうな服を着て、アタイ達とは違う世界で生きてきた家猫様だ。なんでも知っていますよと言わんばかりの、あの澄まし顔が気に入らない。だが、気に入った。
あいつはアタイ達を見下さない。さも、自分と同じ家猫同士であるかのように扱うのだ。それが気に入った。ああいう綺麗な服を着た奴は、大抵がアタイ達を汚いゴミを見るような目で見るのだから。
そんなギンが居なくなった。心配だ。くたびれてよれたアタイ達と違って、綺麗な綺麗なギンは、さぞ汚しがいがあるだろう。
いつの間にか、シロゲ達のすすり泣きも聞こえなくなっている。見上げれば、日が昇り始めたのか、頭上に開いた明かり取りの穴からはわずかに光が差し込んでいた。
「ほーらノマちゃん、おうちに帰ってきたぜ~。お勤めご苦労様。明日も宜しくな~~。」
突然聞こえた、若い男の声に飛び起きた。いつの間に近づいてきたのだろうか、足音もしなかったのに。疑問を浮かべる暇も無く、格子扉がガチャリと開き、分厚い寝具に包まれたギンがぽんと部屋の中に放り込まれた。
どさりと、床に落ちた拍子に丸まった寝具がほどけ、その上でギンが仰向けに転がる。よほど辛い思いをしたのか、ギンの顔は苦痛に歪み、「帳簿が……帳簿の山が……。」と呻き声をあげていた。
シロゲ達三人が飛び起きて傍に駆け寄り、続けて男を睨みつけて毛を逆立てる。今にも飛び掛かりそうな三人を、立ち上がって片手で制した。今ここで、シロゲ達を爆発させるわけにはいかないのだ。
落ち着け。飛び掛かりたいのはアタイだって同じだが、そんな事をすればアタイ達だって何をされるかわかったもんじゃない。この親分に任せておけ。
視線に言葉を込めてやり、言外にそう言ってやったのが伝わったか、シロゲ達はこくりと頷くと、ギンを囲んで守るように立ち塞がって、フシャーと男を睨みつけた。
一歩踏み出し、目の前の男と視線を合わせる。見ない顔だ。若いが、下っ端では無いだろう。飛び掛かる隙が無い。
「あ?なんだお前ら、揃いも揃って気に食わねえツラしやがって。蹴り飛ばすぞコラ。」
「うっせーよ!おいてめえ!ギンに何しやがった!!」
「……ギン?ああ、ノマちゃんの事か。なーに、ちょっとね、夜のお勤めをして貰っていたのさ。いや~、おかげで捗ったぜ。」
閉口した。悪い予感が当たってしまったのだ。ギンは一晩中この男に、いや、この屋敷にいる男達に嬲り者にされていたのだろう。
可能性として考えてはいたが、しかし望みはあったのだ。昨晩にギンが人攫い共から引き出した情報によれば、アタイ達は後日、競りにかけられるという。ギンのような美しい娘の商品価値を下げるような馬鹿な真似など、まさかするまいと思っていた。
それが、これだ。穢れを知らない小さな身体を汚す事に、それほど抗い難い魅力があったのか、それともこの連中が、アタイが思っていた以上に馬鹿なチンピラ共であったのか、まあ、両方だろう。いずれにせよ、ギンがこいつらに甚振られた事には変わりがない。殺してやりたい。
「くくく、まあそう怖い顔すんなって、しょうがねえだろう?お前らにゃあ出来ねえお仕事なんだからよ。んじゃなノマちゃん、また今夜迎えにくっから。ま、聞こえてねえだろうけどな。」
アタイ達の殺気を気にも留めずに、男が地下牢から去っていく。その背中を刺し殺してやらんとばかりに睨みつけたが、それでどうにかなるものでもなく、すぐに男は視界から消えてしまった。
いつか、殺してやる。だが、今はそれよりもギンの事だ。振り返れば、ギンを取り囲んだシロゲ達が彼女の手を握りしめ、目に涙を溜めておろおろと取り乱していた。
「おやびん!どうしよう!どうしよう!?ギンちゃん、すごく冷たいの!!」
「死んじゃう!このままじゃギンちゃん死んじゃうよぉ!!」
「どうしよう……どうしよう……どうしよう……!!」
ギンの腕を取ってみると、凍えるように冷たい。こんなに衰弱して弱り果てるまで、嬲られたのか。くそが。
思い返してみれば、ギンの身体は最初から冷たかった。耳を触られた時も、その冷たさに驚いて飛び上がり、みっともない真似をしたと思わず赤面してしまったものだ。きっとこの牢に放り込まれる前から、捕まったその時から、ギンはその身を辱められていたのだろう。
なのにこいつは、そんなことは臆面にも出さず、アタイ達を心配させまいと気丈に振舞っていたのだ。くそ、生意気な奴だ、本当に、生意気な妹分だ。
「シロゲ、チャトラ、トビ。このままだとまずい、しがみついて身体をあっためてやるんだ。」
先日までの路上暮らしを思い出す。食い扶持を確保する事が出来なかった連中は、痩せ細り、こうやって凍えるように冷たい身体になって死んでいった。あの若い男は、まだギンの身体を使うつもりであるようなので、このまま見殺しにするとも思えなかったが、温めてやるのに越したことは無いだろう。
四人でギンの身体にしがみつき、頭やお腹を撫でてやる。冷たくて冷たくて、こちらまで冷えてしまいそうだったが、ギンと一緒に放り込まれた寝具はとても大きなふかふかの上等品で、五人で一緒に包まることでアタイ達を凍えから守ってくれた。
あの男なりの、せめてもの気遣いなのだろう。気に入った、あいつを殺すのは最後にしてやる。
「うあー…………あれ……おやぶんさん……?子分ちゃん達も……なんですかぁ?」
冷たい肌を舐めてやっていると、ギンがしょぼしょぼと目を開けた。よかった。冷たくなって目を閉じて、そのまま二度と起きる事の無かった連中をごまんと見てきたのだ。ひとまずは安心できた。
「ギン、アタイがわかるか?」
「…………ふぁい。」
「もう、大丈夫だ。みんないる。みんな、お前の傍にいるから、安心しろ。」
「………………ふぁい。」
「ここにはもう、お前を傷つける奴はいないから、だから、今はゆっくり寝て、身体を休めるんだ。わかったな?」
「……………………ふぁい。ねまひゅ。ぐぅ……。」
握りしめたギンの手から、かくりと力が抜けた。再び、眠りについたようだ。あとはゆっくり身体を休めて、たくさん食べさせて、体力を戻さなければいけない。後でアタイの食い物を分けてやろう。
「おやびん、ギンちゃん、大丈夫かな?」
「大丈夫だよね?ギンちゃん、死んじゃったりしないよね?」
「ギンちゃん……ぐすん。」
シロゲ達はギンに抱きついたまま離れない。意識を取り戻したとはいえ、ギンの身体は未だ冷たいままなのだ。繋いだ手をぎゅっと握りしめる。アタイも、まだこの手を離そうだなんて気にはなれなかった。
五人で抱き合ったまま、いつのまにか眠ってしまったようだ。次に目を開けた時には、いつも食事を持ってくる中年男が目の前にいて、台車に載せられた寸胴の中でスープが湯気を立てていた。
「おう、起きたかガキ共。ったく人が真面目に仕事してるってのに日が高くなるまでぐーすか寝こけやがって。むかつくぜ。」
中年男が何か言っているが無視だ、無視。昨日に菓子をつけてくれた事には多少見直したものだったが、どうせこいつも昨夜はギンの身体を弄んだ口なのだろう。視界に入れたくも無い。
台車の上に目を向けると、なんとまあ、ずいぶんと食事が豪勢になっていた。スープの中には大きな肉や野菜の破片がごろごろと浮かび、パンは固くて酸っぱい黒パンから柔らかい白パンになり、お芋は半欠けだったのが一本になって焼き菓子まで三枚に増えている。こんなに食べられるだろうか。
遅れて起きだしたシロゲ達も食事の異変に気付いたようで、顔を見合わせて困惑している。なんだろうかこれは。アタイ達を太らせて食べるつもりか。
「おう、おめーらの言いたい事はわかってるよ。お頭の指示でな、そこの銀髪のガキにたらふく食わせてやれだとよ。くっそ、俺らより良いもの喰いやがって、腹立つぜこのガキ共。」
「…………アタイ達もか?」
「おめーらの分は銀髪のおこぼれだ。ほれ、ありがたく食いな。」
…………惨めだ。アタイは親分なのに、ギンの事を守ってやらないといけないのに、それが果たせないばかりか、ギンの頑張りのおこぼれに、こうしてあずかろうとしているのだ。情けない。
だが、食事が増えたのは素直にありがたい。これだけ食べることが出来るなら、ギンもアタイ達と一緒に、生きてここから出ることが出来るだろう。
アタイの分のスープから、匙で大きな肉の破片を一掬いして、ギンのお椀にポチャリと移した。シロゲ達もアタイに続いて、ポチャリポチャリと、ギンの椀にお肉を移していく。
ギンのお椀はお肉の山で溢れんばかりだ。みんな自分も食べたくて仕方が無いだろうに、ギンの為に自分の食い物を分けてくれたのだ。思わず肩が震えて、シロゲ達に見えないよう、少しだけ俯いてしまった。
「ギン、ほら、起きろ。食い物がきたぞ。アタイや、みんなの分も分けてやるから、しっかり食って体力をつけるんだ。わかったな?」
眠り続けるギンの肩に、手をあててゆさゆさと揺さぶる。しばらく揺すってやると、ギンはいかにも辛そうに、少しだけ目を開けてアタイを見た。まだ体が痛むのだろうか。
「くぁ~~……ん~~……親分さん~~~。わらひまだ眠いんでぇ、わらひの分も食べちゃっていいれひゅよぉ…………ぐぅ。」
なに、遠慮してんだこいつは。いま一番食べないといけないのは、お前じゃないか。
アタイの目配せに頷いて、シロゲ達がギンの脇の下に手を入れて抱き起こし、そのまま羽交い絞めにする。アタイはギンのお椀を手に取って、熱々のそれを一匙掬うと、こくりこくりと舟をこぐギンの口の中に肉の破片をねじ込んでやった。
「熱っつ!!うわ!熱っつぅいいい!?なに!?なんですかぁ!!?」
「うるせえ!いいから黙って食え!!本当に死んじまうぞおまえ!!!」
あの若い男は、今夜もギンを連れに来ると言っていた。なんとしてでも、ギンに食事を摂らせて十分に休ませなければいけない。
「わかった!わかりましたから!!無理やり口にねじ込まないでってきっつ!!朝っぱらからなんですかこの脂っこい肉!!うわきっつ!!きっつぅい!!!」
四人がかりでギンを押さえつけ、遠慮して食べようとしない銀色の少女の口の中にどんどん食事をねじ込んでいく。ギンは諦めたのか、リスみたいに頬を膨らませながら口の中のものを飲み込むと、目を回して倒れてしまった。これでよし。あとは夕の食事の時まで、このまま寝かせておけばいい。
「うへぇ。ガキ同士のリンチなんて見るもんじゃねえな。怖えったらありゃしねえぜ。」
人攫いの中年男が何か言ったが、無視だ、無視。何がリンチだ、こいつは何もわかってない。今は無理やりにでも食べさせなければならない時なのだ。そうでなければ死んでしまう。食べられなかった奴から死んでいくことを、アタイ達は知っているのだ。
最後の仕上げに、うんうんと唸りながらぶくぶくと泡を吹くギンの口に、焼き菓子を三枚突っ込んでやった。
夕の食事が終わると、再びあの若い男がやってきて、嫌がるギンを無理やりに連れて行った。男の前に立ち塞がって、「連れていくならアタイを連れていけ!ギンを休ませてやってくれ!!」と懇願してみたが、鼻で笑われただけだった。
シロゲ達と四人、唸り声をあげて睨みつけてやったのだが、剣を突きつけられてはどうにもならない。アタイに出来ることといえば、震えあがり、抱き合ってしまったシロゲ達を背中に隠してやる事だけだ。
「親分さん……。お気持ちは嬉しいのですが、残念ながらこれは私にしか出来ない事なのです。朝には戻りますので、どうか心配なさらないで下さい……。」
そう言いながら、男に担ぎ上げられたギンの小さな背中が消えていく。結局、今日もギンを守ってやることは出来なかった。何が親分だ、情けない。くそ!くそ!くそ!!
「くぁー……それにしても眠いですね……。コーヒーとか無いんですか、蠍の旦那ぁ。」
「なんだそりゃ?眠気覚ましに効くっつー香り茶なら用意してやってるから、それで我慢しとけ。」
「お、気が利きますね旦那~。女をハーブティーでもてなすなんざぁ、さぞおモテになられるんでしょうねえ。ふへっ。」
「お前さ、黙ってれば、見たことも無ぇくらいの美少女なのにな。」
「うっせぇです。それより子供相手に刃物なんか抜かないで下さいよ。まったく大人げない。」
ギンと、彼女を担いだ若い男がなにやら会話を交わしているようだが、声が遠くてよく聞こえない。頼む、無事に帰ってきてくれよ、ギン…………。
次の日も、その次の日も、同じ事が繰り返された。夕の食事が終わると、ギンはあの若い男に連れていかれ、明け方になると死んだ魚みたいな目をして戻ってきて、アタイ達とろくに言葉も交わさずに寝具に飛び込んで寝息をたてはじめるのだ。
代われるものなら代わってやりたいが、あの男は、アタイ達には出来ない仕事だと言っていた。野良猫みたいなアタイ達とは、身体の価値が違うのだろう。ギンの為にしてやれる事といえば、毎日、無理やりにでも食事を摂らせて、ゆっくり寝かせてやる事だけだ。
惨めだった、悲しかった。親分なんて名ばかりだ。アタイに、ギンを守ってやることなんて出来やしない。
シロゲ達三人もそれは同じ思いだったようで、妹分を守ってやれない悔しさと悲しさからか、徐々に口数が少なくなっていった。
毎晩、ギンの居ない部屋の中で、四人で身を寄せ合い、寝具を涙で濡らしながら眠った。
ギンと出会って四日が経った。人攫い共の言うことが本当であれば、明日、アタイ達は競りにかけられて売り飛ばされるのだ。ギンともシロゲ達とも、一緒に過ごせるのはこれが最後になるかもしれない。
この日の晩、ギンは連れていかれなかった。あの連中、さすがにギンの身体に飽きたのだろうか。
「いやー。実は昨日の夜にやーっと全部の帳簿を処理し終えましてね、これで肩の荷が降りたってもんですよ。最後に蠍の旦那と出納担当の連中の顔面にパチキをかましてやったんですけど、気分爽快でしたねぇ。うひひひひ。」
ギンは頭がいい。アタイ達には理解できない言葉をよく使うのだ。ギンの言葉はよくわからなかったが、その口調と態度から、ようやく彼女が解放されたであろうことを察することは出来た。
「そっか……よかったな、ギン。ごめんな、アタイ、親分なのに、お前を守ってやれなくて。」
「なんかよくわからないけど、気にしないで下さい、親分さん。仕事が滞ってるところに中途半端に首を突っ込んだ私がいけなかったんです。あと、ぶっちゃけ親分さん達に、ご飯を口にねじ込まれる事のほうが辛かったです。地味に。」
じとりとギンに睨まれたが、あれはお前のためだったんだ、まあ、許してほしい。愛想笑いを浮かべていると、シロゲ達三人が寄ってきた。明日、引き離される前に、最後の挨拶を交わそうというのだろう。
「おやびん、いよいよ、明日ですね。ギンちゃんとも、最後の夜くらいこうしていっしょに居られて良かったです。」
「おやびん、みんな、今まで、ありがとうございました。みんなが居たから、あたしみたいな弱虫でも、今日まで生きてこれました。」
「ギンちゃん……ギンちゃんとも、もっとお話ししたかったな。」
シロゲが、チャトラが、トビが、口々に言って別れを惜しむ。アタイもこくりと頷いて、口を開こうとした、その瞬間。
「あ、親分さん、言い忘れてたんですけど、親分さん達四人は明日の競りではまとめ売りですよ。家を傾けて獣人国から逃げ出した、元男爵令嬢とお付きの者達って設定で、ちょっとお高めに売ってもらえるように人攫いのお頭さんに頼んであります。」
いきなりギンがぶっこんできた。半端に開いた口で息を飲み、むせかえって咳き込んでしまう。アタイもシロゲ達も、なにを言っていいのかわからなくて、ギンの言葉の続きを待った。
「毎晩、タダでこき使われてたわけじゃありませんよ。交換条件として、親分さん達が引き離されてしまわないように要求を通してきたんです。まあ、実際にはちょっと因果が逆なんですけどね。」
驚いた。ギンは抜け目の無い、頭の良い奴だと知ってはいたが、まさかあの苦境の中でこんな成果を上げてくるとは思わなかったのだ。さすがに我慢出来ず、頭を抱きしめてわちゃわちゃと撫でまわしてやる。
シロゲとチャトラも嬉しそうにそれに交じったが、トビだけは浮かない顔をして立ち尽くし、やがて意を決したように口を開いた。
「ギンちゃん、いま、四人って、言った?」
…………言われて気が付いた。ギンは、四人をまとめ売りをすると言ったのだ。アタイ達は五人。おそらく、その中に入っていないのは、ギンである。
「ギン……なんで…………。」
「すみません、親分さん。申し訳ありませんが、親分さん達とご一緒することは出来ません。」
「ん……そっか…………。元気でな、ギン。」
なんで、と聞くまでもなかった。考えてみたら当然か。最初からアタイにはわかっていたじゃあないか。ギンとは生きる世界が違うのだと。
「おやびん!?なんで、そんなにあっさり納得しちゃうんですか!?なんで、なんでギンちゃんが!!」
「えええ!?ギンちゃん一緒じゃないの!?なんで!?なんで!!?」
「おやびんは……なんでか……わかるの?」
シロゲ達が取り乱し、アタイに詰め寄って騒ぎ立てる。あ、やばい。みんな泣きそうだ。
「シロゲ、チャトラ、トビ。アタイ達はな、裏通りでゴミを漁って生きてきた野良猫だ。でも、ギンは違う。こいつはな、汚れた野良猫と違って高く売れるんだよ。なあ?」
そう言って、ギンに向かって拳を突き出した。ギンもわかってくれたのか、ゆるゆると拳を作ると、アタイの拳にこつんとぶつけてみせる。
「何から何まで、ありがとうな。ギン。シロゲ達にも言った事だが、二度と会えないって決まったわけじゃねえんだ。生きてればそのうち、またどっかで会えるさ。な?」
「はい……そうですね、親分さん。また、いつか、どこかでお会いしましょう。」
アタイとギンに続けて、シロゲとチャトラが拳を差し出して四つの拳が打ち合わされ、感極まったトビが身体ごと突っ込んできて、五人まとめてもみくちゃになってぶっ倒れた。
それから、眠くなるまでくだらない話をして、五人で身を寄せ合って、あの大きなふかふかの寝具に包まって眠った。
楽しかった。明日もこんな日になれば、どんなに良かったことか。人攫いに捕まって、ここに放り込まれた事は我が身の不幸であったかもしれない。だが、そのおかげでギンに会うことが出来た。
アタイの不幸だらけの人生の中で、それでもシロゲ達と出会い、ギンに出会えた事だけは、それだけは嬉しい事だった。幸せな事だった。
ちなみに今回の話の裏側で、ノマちゃんは帳簿を相手に奇声を上げたり、奇声を上げながら飛び上がって天井にぶっ刺さったりしていました。それでも昼間にぐっすり眠れるだけ、働き詰めの蠍の旦那より幾分かマシです(´・ω・)




