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7、尾行失敗!

 寺内 まどかの住まいは、3階建のワンルームマンションで、建物はうちよりかなり小ぶりだ。

 でも、今回の郵便受けの惨状は、笑えるくらいうちとそっくりだった。 違っているのは、まどかの部屋は301だったため、郵便受けもてっぺんの端っこなので、他の箱にススが上がらずにすんだということくらいだ。


 「ホントにその、優亜って子がやったのか」

 「ウィズはそう言ってるわ」

 ススだらけになった投函口を睨みながら、まどかと二人で首を傾げた。

 どんなに考えても、塩谷 優亜がまどかの部屋に嫌がらせをする理由は、わからないままだ。

 無理矢理仮説を立てるなら、「ミヤハシ父と優亜が何らかの知り合いで、手を組んでいる」という類の話になるが、そんなことを裏付けるものは何もない。 なにしろ、うちの千里眼サマが、「あの二人は無関係」と言い張るのだから、これから探したって出て来ないだろう。


 まどかと二人で、手がかりを探してマンション周辺を一回りしていた時。

 不意に目の端で、人が激しく動いた。

 「あッ」

 まどかも声を上げて、すぐさま走り出した。

 マンションの先の路地からこっちを伺っていた男が、あわてて角を曲がって逃げて行く。

 「ミヤハシだ!」

 追いかけながらまどかが叫んだ。

 「ほんと?」

 「間違いない。 俺があの映像作る時、何時間写真とにらめっこしてたと思うんだ?」


 まどかは長い足に物を言わせて、ずんずん先に進んで男を追い詰める。 3つ目の角を曲がった瞬間、その先の小道に走り込む男の後ろ姿が、ちらりと目に入った。 追いついたのだ。

 まどかがスピードを上げる。 でもあたしの足は、ここでやけに重くなったように思えた。


 あたしは、中学のあの時以来、宮橋先生に会っていない。

 会いたくなんかなかった。

 当時のあたしみたいな子供に、平気であんな真似をしたこの男に対する気持ちを、あたしは単純に憎悪とか嫌悪という物で処理することが出来ないのだ。

 不気味で仕方ない。

 人間としての正論が、果たして通用するのだろうか。

 罪悪感はあるのか。 恥を恥と感じているのか。

 いったいどこがどう壊れているのか。


 そして、そのミヤハシを前にしたあたしは、一体どんな行動に出るのだろうか。

 怒りで我を忘れたりしないか。

 泣き出して自分を失ったりしないか。

 逃げたり、忘れたふりをしたり、そういう恥ずかしい方向に走らない自分であると、心から信じていられるか。


 

 何度か見失いながらも、追いかけっこは延々と続いた。

 「さっきもここに来たな」

 「うん。 同じ所を周回してるね」

 「目的地が近いのかもな。 でも俺たちが見てるから、近づけないでいる」

 「少し離れる?」

 土地勘のあるまどかが、上まで登れるビルを2か所選び出した。 あたしたちはそれぞれ別のビルに上がって、上からミヤハシの行き先を見届けることにした。 そう、失敗して見失ったって、何も損をする訳じゃないのだ。


 雑居ビルの7階のロビーで見張っていると、まどかから携帯に連絡が入った。

 「今、すぐ下の道を通過して、左に曲がってった。

  俺んとこからはもう見えないけど、そっちはどうだ」

 「あ。 今こっちへ出て来たわ。 なんか、おかしなところに入るわよ。 ひとんちの庭?

  裏口側から敷地に入っただけなのかな。 上がって行くわよ、工場の2階みたいなとこ」


 あたしはすぐに雑居ビルを降り、問題の建物の前まで行って見た。

 ミヤハシ父が入って行った建物は、1階が何かの修理工場のような感じで、鉄くずが飛び散り、赤さびの付いた機械がたくさん置いてあった。 休日なのか廃業したのか、人の気配はない。

 2階に上がる階段は、外に付けてある金属製の物だけのようだ。

 上がった入り口に古い洗濯機があり、表札らしきものがついているところを見ると、2階は居住区で、しかも全体で1軒だけということらしい。


 「表札読めるか? なんて書いてある?」

 まどかの声が携帯から尋ねた。 こっちへ来ようと急いでいる最中なので、彼女の息は弾んでいる。

 「うーん、薄くってこっからじゃ……」

 古い表札の文字が消えかけていて、階段下から伸びたり縮んだりして見ても読み取れない。

 階段をそーっと登って、踊り場からおっかなびっくり首を伸ばして覗く。

 

 “若松”


 「えっ」

 びっくりして声が出た途端、突然玄関のドアが開いた。

 飛び上がって逃げようとしたが遅かった。 ものすごい力で、手首を握られたのだ。

 ミヤハシじゃない。 あたしの手首を掴んでいるのは、中年の痩せた男で、日焼けのない生白い顔、頭は丸刈りだった。

 「てめえ、なーにをこそこそ……」

 その後の台詞は聞き取れなかった。 あたし自身が上げた悲鳴のためだ。

 男はお構いなしに、何か言いながらあたしの手をぐいぐい引っ張り、玄関に引きずり込む。

 上がり框に突き転がされた。

 

 「美久っ、大丈夫か!」

 まどかの足音が路地から近付いて来る。

 「来ちゃダメ! ウィズ呼んで……」

 そこで携帯を取り上げられた。


 

 バタン、と無情な音を立てて玄関ドアが閉まると、昼間だと言うのに室内はやけに暗かった。

 その暗さはまるで、あたしの人生の終わる瞬間のように感じられた。

 暗がりの中で、丸刈り男が笑っていた。 表情は見えないが、はひゅ、はひゅ、というおかしな息遣いが響いている。 彼は笑いながら扉の鍵を閉め、お座なりについているドアチェーンもしっかりと掛けた。

 そして。


 「やあ、美久ちゃん。 久しぶりだねえ。

  ホント大きくなって、もうすっかり大人だなあ」

 立ち上がろうとしたあたしの肩を、後ろからぐっとつかんだ、生暖かい手。

 振り返る必要はない。 

 声。 体臭。 息遣い。

 何もかもがあたしの体に嫌悪感と共に刻みつけられている。

 悪魔より死神より、もっと会いたくなかった、絶対触られたくなかった天敵、ミヤハシ父が、後ろからあたしを羽交い絞めにしていた。


 (イヤ……)

 体の力がうまく入らなくなった。 力を込めた場所から、ブルブルと震えが始まって勢いが逃げてしまうのだ。

 落着け、落ち着くのよ美久。 ここでいきなり殺されたりはしないと思うからね。

 だって、ミヤハシはあたしが携帯で電話してるの見てるし、あと付けたのがまどかと2人ってばれてるんだから、ここで犯罪に走ったらまずいってこいつだってわかってるはず。

 一生懸命自分に言い聞かせるのだが、震えは止まらない。

 ミヤハシはあたしを歩かせて家の中に連れて入ろうとしたが、こっちは足だってガッタガタに震えてるんだから無理に決まってる。 丸刈り男があたしの足を持ち上げ、ふたりで担ぐようにして畳の上まで連れて行かれた。 ますますヤバイ感じになってしまった。


 「そんなにこわいかねえ」

 ミヤハシが穏やかに笑った。 首をねじって睨みつけると、その笑顔はちょっと老けたけど昔と同じ、いかにも物静かなインテリと言う感じの表情だった。

 「美久ちゃんは怖くても大騒ぎしないいい子だ。 昔からそうだったね。

  あの時も……声一つ上げなかった」


 (ウソつけ!)

 あたしは声を出せないまま、ブルブル首を振ってミヤハシを睨み殺そうとした。

 あたしはあの時いやって言ったもん。 いや、やめて、痛いって、何度も何度も言ったもん。

 この男はそんな声は耳に入ってなかったんだ。 でなけりゃすっかり忘れて都合のいいように覚えてるんだ。

 女の子がそんなことをされたらどんなに傷つくかさえ、きれいに忘れてるやつなんだから。


 「ふうん、センセもずっるいねえ。 要するにさ、最初からそういう、大人しい子ばっかり狙う訳でしょ」

 丸刈り男が畳の上に座りながら、はひゅはひゅと笑う。

 「……だれ?」

 ようやく小さい声が出せた。 ミヤハシがにこにこと説明する。

 「ああ、この人か。 若松 雄介さんと言うんだよ。

  弟の幸助さんには、君たちも会ってるだろう? テレビの取材で」

 「兄弟……」

 「そうそう。 そもそも彼と私は数奇な運命のもとに出会ったんだよ。

  うちの娘の涼子の事は覚えてるだろう? 可哀想に交通事故で死んでしまった。

  その時の車を運転していたのが、この若松さんなんだ。

  最近まで刑に服していたのが、出て来てうちに焼香に来られてね。

  それ以来の付き合いという訳だ」


 あたしはびっくりして、丸刈り男の顔を見直した。

 娘を轢き殺された父親と、轢き殺した犯人とがこんな穏やかな顔で付き合って、しかも犯人の弟が被害者から金を脅し取るって、いったいどんな関係だ!?

 ミヤハシ父と優亜が手を組む話の方が、まだあり得る気がするぞ。

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