63、まだないけれどここにある家
「ほんとにできるかどうか、まだわからないですけど」
結局、ミギワのお母さんは、申込用紙を受け取り、仮書類に記名して帰って行った。
「できなかったらやめたっていいんです。 失敗しても誰も叱ったり笑ったりしませんよ。
でもね、小城さん。 断言しますが、完璧に成功してる親子関係なんて、人類史上どこにもないんです。 破いちゃあ糊で貼ったり繕ったりしてるひとばかりだ。 それが普通ですよ」
怜さんのかけたこの言葉が、最終的に彼女の背中をひと押ししたのだと、あたしは思う。
ミギワも、明日は学校があるということで、早めに退席した。
足の悪いシスター小池の手を取って帰って行くミギワの背中は、来た時よりももっともっと大きくて誇らしげになっていた。
彼らは前を向いて歩くだろう。 それをサポートするのは大変だろうけど、ウィズもあたしも楽しんでやるだろう。 同じ家とは言えなくても、同じ敷地の中で暮らせるなら、家族だ。
「美久ちゃん、おいで」
説明会が終り、所沢刑事と喜和子ママが、手分けしてお客様たちを送って行ったあとだった。 ウィズは、立ち上がってあたしを手招いた。
その日の来客は4家族、人数にしたら付き添いなども入れて17名の人に、アパートの説明をした。 お互いに顔を合わせたくない事情の人が居ることを考慮して、ひと家族ずつバラバラにだ。
さすがに疲れた。 時計を見ると、夕方の6時だった。
「ちょっと外に出よう。 建物を案内するから」
ウィズは案外疲労してない様子で、子供のように瞳を輝かせてあたしを呼んだのだ。
「え? 建物ったって、まだ骨組みだけでしょう?」
あたしが聞くと、魔術師は仔細ありげに、自分のこめかみのあたりを指さして見せた。
「ここにある。 見たいだろ?」
「見る!」
未来映像だ! あたしは飛び上がって喜んだ。
「なんだなんだ、また2人で怪しげにさ」
怜さんが、出て行きかけるあたしたちに抗議の視線を飛ばした。
「如月さんの頭から、建物のヴィジョンが見れるらしいよ」
まどかが説明すると、そりゃあ自分たちも連れて行って欲しいと、怜さんは不満そうにした。
「みんなここのスタッフになるんだ、全員に見せるのが筋じゃないか?」
「いいよ。 これと同じことしても殴らないんならね」
ウィズはにやりと笑うと、これ見よがしにあたしの両目に、極めて濃厚なキスをして見せた。
「……撲殺するぞ」
怜さん、お手上げの仕草とともに天を仰ぐ。 まどかが笑って手を振った。
「ゆっくりデートしてきなよ。 怜さんと、後片付けやっとくよ」
「まどか、ありがと!」
「こちらこそ」
まどかの最後の一言は、耳元で小声で囁かれた。 まどかだって怜さんと2人きりになるのだ。
うんうん、この頃まどかもずいぶん素直になった。
モデルハウスを出ると、外にはもう宵闇が垂れ込めていた。
ウィズの腕を取って歩き出す。 行く手に見たこともないような、モダンなデザインのベージュと白の5階建てビルが、銀幕の映像のように突然姿を現した。
ほんとはないものが、あたしたちの目には見えている。 未来に完成する、夢の建物だ。
「きれい!」
「気を付けてね。 実際にはまだ塀があるから、うっかりするとぶつかっちゃうよ」
マンションの手前でウィズは、あたしにはほとんど見えなくなってしまった工事用フェンスに歩み寄った。 大きな錠前がついているのを、一瞬で開けてしまう。
芝生の蒼が美しい幻の庭内に、夢心地で足を踏み入れた。
建物の1階は、すべて公共スペースだった。 エントランスを通り抜けたところに、ホテル並みに大きなソファとサイドテーブルが並んだ居間がある。 大型のテレビが置かれた後ろ側に、小さなテーブルが2つ並んでいて、片方に小さい本棚、もう片方にパソコンが置いてあった。
その奥の部屋は大食堂だった。
なるべくたくさんの人が、顔を見て一緒に食事ができることを考えてテーブルセットされている。 キッチンは多人数で調理ができる様に、コンロも洗い場も複数並んでいた。
虐待防止のために、あたしたちが親に要求するのは、3つのことだった。
1、子供と密室にこもらない事。
2、交友関係を広げる事。
3、虐待をした時に隠さない事。
その3つができるように、考えて作られた住宅なのだ。
多分、ここに来る人は、他人との交流が得意じゃない人が多い。 彼らに家に閉じ篭らないように指導する一方、鬱陶しい時は、いつでも自宅でプライベートタイムを過ごす自由も提示したい。
ウィズはこの住宅にいろいろな虐待防止のためのシステムを取り付けるつもりでいる。
例えば、各家庭につけるキッチンや内風呂は、なるべく省略化されたものにして、共同スペースを充実させる。
共同リビングや食堂、共同浴場を広く取って、そこで使う光熱費や食費は無料、ということにしたのだ。 もちろん、協賛してくれた企業の寄付や、ウィズの副収入で賄うわけだから、上限ってものもあるんだけど、うまくすれば住人は、月々の家賃以外にほとんど支出を負担しなくていいことになる。
そのかわり、食堂を使うなら、きまった調理時間に料理に参加したり、お買い物に協力したり、掃除をしたり、といった、ご町内のボランティアみたいな活動を、親子でやらなければならなくなる。
広い共同風呂、かわいらしいプレイルーム、ウィズの頭の中にある公共スペースは素晴らしかった。
あたしは、ウィズと結婚してここの住人になったら、できる限りの時間をこの共同空間で過ごそう、と思った。 住人の人たちの話を聞いたり、悩みや不便をぶちまけてもらったり、用事があるときは子供を預かったりして過ごすんだ。
ご飯もみんなとここで食べよう。 ウィズも大人数で食事をしてれば、お酒の量も減るんじゃないかな。
1階の1番奥の部屋は、スタッフルームと書かれて関係者専用となっていた。
部屋に入ると、事務机ではないけど、引き出しのついたデスクが8個ばかり並んでいて、壁には一面に、赤と緑のランプが付いた通信機器が入っている。 ひとつだけ壁に向かって置かれたデスクには、マイクスタンドが設置されていた。
「ここは何?」
「会議室を兼ねた、警報管理室だよ。 一般の住宅には絶対ついてないシステムだから、許可を取るのに苦労した。
私生活を監視するのは犯罪だからね。
だから、モニターはつけてないけど、警報が鳴るとその家庭の玄関にあるテレビ電話がONになる」
「じゃ、24時間体制ね。 守衛さんを置くの?」
「それをどうするかだよねえ。 なるべく僕が詰めていたいけど、そうもいかないし。 かと言って、全然素人の警備員に対応してもらうのも」
「まだまだ決めなくちゃいけないことが山積みなのねえ」
実物でないビルの壁からは、外の星空が微かに透けて見える。不思議な光景だった。
センサーを付けることを提案したのは、怜さんだ。
「虐待というのはね、一種の薬物依存性だ、と言われてるんだ」
怜さんはあたしとウィズに、そう説明した。 ウィズがマンション経営を決意したばかりの頃だった。
「児童虐待に限らず、学校でのいじめとか、家庭内暴力とか、そういったもの全般が習慣化する要因として、依存性が考えられている。
支配的行為によって、脳内に快楽物質が分泌されて、すかっとする。 この際に分泌されたドーパミンには、習慣性があるんだ。 アルコール依存症なんかもこのドーパミンによって起こる。
だから、虐待者は相手に対して『顔を見ているとイライラする』という理由で殴ったりするだろう?
これ、実は相手に対するイライラじゃなくて、『快楽物質が品切れした』ことに対するイライラなんだね。 一種の禁断症状なんだよ」
「知らなかった」
あたしを執拗にいじめた時の、ミヤハシのぎらぎらした両目を、唐突に思い出した。
「あれって依存症なんだ。 禁断症状のせいで、止められなくなるんだ……」
「そう思うと哀れだね」
怜さんも、たぶん自分を殴ったお父さんの顔を思い出していたんだろう。
「さて、依存症を治すにはまず何をするか、わかるよね。
アルコール依存症を治すにはまずどうする?」
「アルコールを飲ませない」
あたしとウィズが声を揃えた。
「そう。 だから、虐待を治す場合も、まず虐待をさせない、という、ちょっと矛盾した治療が必要になる。 というわけで、まずセンサーをつけないか?」
「センサー?」
「壁や家具に、暴力によって衝撃が生じたら、管理室にランプがつく様な仕掛けを作るんだ。
そういう時は、例え深夜でも職員が家庭訪問する、ということを入居時の契約書に書いておくんだ」
「センサーなんかつけなくても、僕がわかるよ」
ウィズが唇を尖らせた。 怜さんはその頭を、加減しつつ叩く。
「24時間365日、休みなく働けるか? 第一、お前はこの住宅よりも長生きするつもりかよ?
お前が死んでも、虐待から立ち直りたい人は現れ続けるんだぞ」
「それもそうか」
「それに、お前が見張るって言ったら、のぞき行為になっちまう。
センサーだったら、入居時に説明して了解してもらったら大手を振って設置できる。
そうしたらな、もし仮にセンサーが作動しないような静かな虐待が行われていたとしても、お前がヤバイと察知した時に『センサーが作動した』と言って家庭訪問ができるだろう?」
あたしとウィズは、口をぽかんと開けて怜さんの顔を見た。
「な?」
悪知恵はこの人にかなわない。
「最近じゃ、こういうご近所づきあいがなくなりつつあるから、それがまた虐待を助長するんだ。 おせっかいな近所のおばちゃんに料理を覚えさせられるとか、洗濯物の干し方を講釈されるとかがあってもいいんじゃないかな」と、怜さんは言う。
「胡散臭い神経科医に忠告をされたり?」と、ウィズがまぜっかえすと、
「正体不明の占い師に訳のわからんことを言われたりな」怜さんも切り返した。
あたしは笑ってそれを見ていた。 この2人の、友情とも愛情とも判別できない親しさのオーラが、周りの人に感染していけばいいなと、心から思った。
一通りビル内を見回り終えて、あたしとウィズは現実の映像に戻って来た。
足場の組まれた工事現場を2人で歩いていると、不意にウィズの全身が緊張したのがわかった。
「来た」
ウィズはあたしの手を振りほどき、いきなり駆け出した。
「来た! 美久ちゃん、実現するんだ! 日めくりの日は、やっぱり今日だったよ!」
フェンスの扉を開けて外に走り出ると、暗い通りの向こうから、1つの人影が近付いてくるところだった。




