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6、弱くてしたたかな犯人

 8列×6段。

 真っ黒にススの付いた、もとは銀色の郵便受けたち。

 408、篠山と書かれた部分から黒いススが上へと伸びて広がって行った様子がわかる。 見ただけでぞっとする色合いだ。

 

 ウィズはその正面で、腕組みをして仁王立ちになっていた。

 「ウィズ、そこ邪魔だよ?」

 「ホントに邪魔だな! 集中出来やしない」

 

 放火犯は、ご丁寧に灯油を染ませたティッシュを何枚も郵便受けに入れ、束ねたチラシに火をつけて、その上から放り込んでいた。

 そんなことをしたのがいったい誰なのかを突き止めるために、警察官が管理人に話を聞いたり、鑑識さんがカメラで撮影したり指紋を取ったりしてくれてるわけだけれども、お見通しの魔術師はそんなことをしなくても犯人がわかるのだ。 だから、動き回って仕事をする有難い鑑識さんたちが、『遮蔽物』にしか見えないらしい。


 お巡りさんに白い目で見られてるのを感じたあたしは、ペコペコ頭を下げながら、恋人の腕を引っ張った。

 なにしろマンションのポストルームは、いっぺんに何人もの人が殺到することを想定して作られてはいないのだ。 通路の真ん中に立ってるヤツがいるだけで、作業の邪魔だ。

 引っ張ってもウィズが動かないので、押すことにした。

 ウィズの正面に回り込み、相手のお腹に胸を押し付けてグイグイ押しまくり、無理やり後ろへ下がらせる。

 まったく手のかかる男だ。


 「で、誰だったの? やっぱり宮橋先生?」

 自分ちの玄関に入ったところで、魔術師のご託宣を催促してみた。

 あとで警察が改めて聞き取りに来ると言ったので、とにかく部屋で待とうという事になったのだ。 そうこうするうちに母も戻って来るだろう。

 「宮橋は違うよ」と、ウィズ。

 「火をつけたのはあの子だ。 ええと、ユアちゃん」

 「塩谷 優亜?」あたしは思わず大声を出した。

 それはおかしい。 仮に塩谷があたしを逆恨みして犯行に及んだとしたら、まどかのマンションに放火する理由がない。 最悪もう一軒やるとしたら、ウィズの所だろう。

 

 「でも確かにあの子だよ。 でかいサンバイザー被って、日よけグッズで全身固めたガーデニングスタイルだったから、警察に割り出せるかどうかはわかんないけどね。 最近はマスクしてるのも普通だし、犯罪者には都合がよくなったよね」

 ウィズはあたしが渡した麦茶のコップを受け取って、立ったまま一気飲みをした。 感度を上げると体温も上がるので、喉が渇くらしい。

 「でも、どうしてそんなことをしたのかしら。 

  ねえ、塩谷がウィズの所に相談に行った時の話の内容はどうだったの」

 普段は守秘義務があるとか言って教えて貰えないのだが、この際あえて聞くことにした。

 「赤ちゃんを見つけて欲しいって」

 「赤ちゃん? 誰の!」

 「階段の下に空洞があって、そこに赤ちゃんが隠してあるんだそうだ。

  そう言う夢を繰り返し見るので、探してほしいと言って来た」


 「だって、夢の中の事でしょ? 探せるわけないじゃない」

 「そうだけど、もしかしたら夢の中じゃなくて、小さい頃の記憶とかかも知れないからって」

 「で、わかったの?」

 ウィズは静かに首を横に振った。

 「こっちも彼女の記憶それ自体しか、読む物が無いんだからね。

  現実の記憶バンクにそのシーンが無かったら、夢だと言うしかないよ」

 「そう、で、それきり相談は終わったのね」

 そのあと、現実の赤ん坊がお腹の中に出現したわけか。

 

 「ところで、あのね。 もう一つ聞きたいんだけど」

  あたしは遠慮がちに咳払いした。

 「今度の質問は現在の事よ」

 「うん」

 「どうして今、服を脱がせるの?」 

 あたしたちは居間のソファに座り、ふたり寄り添って座っていた。

 話しているうちに段々、あたしの頭を撫でてくれていたウィズの手が肩に回り、それが腰を経由して胸に届くと、いつの間にやらボタンやらファスナーやらが、ポロポロと根性なく服を切り離してしまっている。

 「どうしてって。 まあ、流れで……」

 魔術師がくすんと笑った。

 「何の流れよ」

 「それはね、美久ちゃんがここに居て、すごくいい匂いがして、思わずちょっと触っちゃったら柔らかくて、しかも他に誰もいないっていう、そういう流れ」

 「あ、あのね。 すぐ母さんが帰って来るわよ?」

 「じゃあ、お母さんがエレベーターに乗ったら教えるから、それまでね」

 「そこまで秒読みなわけ?」

 ウィズのくすくす笑いが、あたしにちょっとだけ伝染する。

 


 ウィズの腕の中で、あたしは塩谷 優亜の顔を思い浮かべようとした。

 あまり細部までの印象は残ってなかった。 いつも押し黙って、人のやることをじっと見ているだけのような子だった。 同じ学部の知り合いが紹介してこなかったら、そもそも名前も知らなかっただろう。

 「なんで、あんな大人しい子がウィズにちょっかい出そうと思ったのかなあ」

 つぶやいたあたしの鼻の頭で、ウィズのキスが小さく弾けた。 魔術師が動きを止めてあたしを見ている。


 「そう言えば、怜が言ってたな。 放火ってのは、弱者の犯罪なんだってさ」

 「弱者?」

 「そう。 放火で捕まるやつって、大人しくて自分の言いたいことが言えない奴が多いんだって」

 「気の弱い人向きの犯罪ってこと?」

 「社会とか個人とかから、プレッシャー受けてる人で、自分で跳ね返せずに鬱屈しちゃうタイプが多いらしいよ。 まあ放火なら、ナイフ持って襲い掛かるのと違って、被害者と顔合わせずに出来るから」

 「火さえ点けたら、ずーっと現場にいなくても済むしね」

 「そう。 だから僕がやるやつとは違うんだよ。 あれは立派な直接攻撃」

 あたしは先日の研究室で、怜さんがウィズにした事を思い出して、ちょっと苦笑した。

 だけど、ウィズがあの「オーバーヒート」攻撃を身に着けることになった幼少期には、彼だって無力で、どちらかと言うと大人しい子供だったのだ。

  

 「威張っちゃだめよ、あれもいけない事なんだから」

 「これもいけないこと」

 「……ばか」

 魔術師のキスが、あたしの胸の上まで降りて来る。

 あたしは思わず奥歯を嚙み締めて、漏れてくる声を押し殺そうとした。


 その時、いきなり居間の扉が空いた。

 駆け込んで来たのは、汗だくになった母だ。

 「なにやってるのあんたたち! 人がこんな苦労して戻って来てみれば!」

 悲鳴さえ上げそびれた。 ウィズに至ってはものすごく間抜けな反応だった。

 「……あれ?」

 「あれ、じゃありませんよ!」

 「だって、エレベーター……」

 「中も調べるとか言って、警察の人が止めちゃったから、階段で上がって来たわよ!」

 「ああ」

 「ああ、じゃないでしょ!!」

 最後の台詞は母とあたしがハモった。 



 その晩、6時。

 あたしとウィズは、市内のレストランに塩谷 優亜を呼び出した。

 地味な麻のブラウスと、ゆったりしたプリーツのスカート姿で現れた塩谷は、妊婦どころか高校生でも通りそうに幼く見えた。 あたしもいい加減童顔だと思うけど、この子の幼さは、顔立ちよりも内面から醸し出される雰囲気のせいのように感じられた。

 

 「まず、どうして僕が赤ちゃんの父親なのか言ってくれる?」

 ウィズが怒気を抑えた口調で切り出した。

 「そう言う事実はないよね? 現実に君と僕が会ったのは、占いに来た1度きりだけ。

  仮に君が主張したように、僕と夢の中でデートしたとしても、それで妊娠するには現実で誰かとシてないと」

 「ウィズ! 表現気をつけてよね」あたし、思わず口を出す。

 塩谷 優亜は答えない。 黙ったまま唇を噛んで、視線はひたすらテーブルの上だ。

 

 長い沈黙は、破られることもなく延々と続いた。

 ウィズは首を一つ振って、質問を変えた。

 「じゃあ、どうして郵便受けに火を点けたりしたの?」

 塩谷の視線が一瞬上がり、すぐに元のようにテーブルに戻された。

 「僕はまだこの事は警察に言ってないけど、君がやったことはわかってるんだよ。

  でも理由がわからないんだ。 妊娠させられた恨みって言うなら、僕のとこに来るべきだし、恋敵の美久ちゃんを標的にしたいなら、寺内まどかちゃんの家は関係ないはずだ」

 「塩谷さん。 あたしたち、責めるのが目的じゃなくて理由が知りたいのよ。

  本当のことを教えて」


 塩谷は黙っていた。 頑なに閉じた口からは、ひとかけの言葉も発されなかった。

 理由はおろか、やったのかそうでないのかについても、しつこく質問したが返事らしきものは返らない。

 伏せた顔は今にも泣き出しそうで、同級生を相手にしていると言う感覚自体、失われそうで不安になった。

 そのうちあたしとウィズは、小さい子をひたすらいじめているような罪悪感を感じずにはいられなくなり、あきらめて彼女に食事を勧めたのだった。


 食事中も塩谷は一言もしゃべらず、沈黙が作り出す不快な空気の重圧に全員が耐えなければならなかった。

 なんだろう、この子。

 何考えてるんだろう。

 気が弱いの? ううん、違う。 ホントに気が弱い子は、もっと相手に媚びるんじゃないかな。


 この時、あたしの女としてのセンサーは、彼女の無力さの裏に、微かなしたたかさを感じ取っていた。

 嵐の過ぎるのを待っている、舌なめずりした女の表情を。


 それはウィズの能力とは全く違う、あたしの直感だった。

 後々惜しまれるのは、その自分の直感を、あたし自身がさほど信じてなかったという事だ。


 どう描いても、暑い季節の話になってしまうのは、やっぱり我が家が暑すぎるからなんでしょうか。 暑中お見舞い申し上げます。

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