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49、逆転の仕掛け

 瞬間、目の前が真っ暗になった。

 てっきり飛んで来たデスクに潰されて死んだのかと思ったが、そうじゃなかった。 この時部屋の電気が消えたのだ。

 研究室は真っ暗になっていた。 ブラインドを半分下ろした広い窓から、街の灯りがしめやかに入ってくるので、真の闇になることは免れている。 物の形がかすかに見える程度の明るさの中で、あたしは目を凝らした。


 そういえば同じことがあった。 前に何度も。

 ウィズの感情が爆発する時、いつも電気系統がおかしくなる。


 デスクは落ちてもぶつかっても来なかった。

 それは不自然な形で空中にあった。 あたしにまっすぐ向かって来ていたのが途中で動きを止め、その場で停止したらしい。 床から僅かに浮き上がったような状態で、それは静止していた。

 更に目を凝らすと、デスクの後ろの暗がりから、月の光のように白い顔があたしに向けられていた。 ウィズだ。

 魔術師は肩で息をしていた。 荒い息遣いが、無音の室内の空気を唯一かき混ぜている。 

 そしてその目は、静止したままのデスクを食い入るように睨みつけていた。

 「ウィズ」

 その目を見たとたん、名前が口をついて出た。 なんの根拠もないけど、目の前にいるのが「くだん」ではなく、ウィズなんだという気がしたのだ。

 ズガンと短い轟音を立てて、デスクが目の前の床に落下した。 反射的に飛び退いたけれど、危険はなかった。 落下距離は精々数センチというところだった。


 「ウィズ! 大丈夫?」

 あたしは彼に駆け寄ろうとした。 魔術師の体が沈むように床に座り込み、そのまま小さく丸まって行くのが見えたからだ。 彼は頭を抱え、床に突っ伏してしまった。 それは夢の中のお菓子の家で、敷物に包まって震えていた時にそっくりだった。

 駆け寄ろうとしたあたしの腕を、誰かがそっと捕まえた。

 「怜さ……」

 スーツ姿の青年を目にしてそう言いかけたが急いで口を閉じた。 その人は自分の口元に人差し指を当てて沈黙を示唆していた。 そしてその仕草が、間違いなく男性のものではないとわかったのだ。


 レイミせんせは、静かにあたしの後ろに立っていた。 そしてその後ろから、やはり足音を殺して、白衣の集団がぞろぞろと部屋に入って来た。

 だいぶ暗闇に慣れて来たあたしの目には、各人の動きがよく見えた。 

 先頭で頭に包帯をした相沢教授が無言で指揮を取って、室内に人員を振り分けている。 2人の学生に筆記とビデオ撮影をさせ、自分はパイプチェアをセットして座ると、膝の上でノートパソコンを構える。 その隣に姫神教授の巨体が並んだのだが、この変人教授は何故かものすごく嬉しそうな顔で、左手に水の入った大きなフラスコ、右手に大型のシャーレを持って息を荒くしていた。

 ビデオカメラに付けられたライトのために、部屋は格段に明るくなった。 


 「吹雪クン、静かに聞いてください」

 顔を伏せたままのウィズに、レイミせんせが穏やかに話しかけた。 

 ウィズは無反応だ。

 「体の力を抜いて、楽にして聞いてください。 キミが今戦っているのがわかります。 

  今、頭が痛いでしょう?」

 うずくまったウィズの体が、少しだけ揺れた。 頷いたようだ。

 「右手を水に浸しましょうか。 オニバサリの水から抽出した鎮静剤なので頭痛が治まると思います。 そのままでいいわ、手を出して」

 姫神教授がフラスコの中身をシャーレに移し、ウィズの手を浸してから床に置いた。


 「どう、少しずつ楽になっていくでしょう?」

 穏やかな声で話しかけるレイミせんせの言葉に、ウィズが低い声で、はい、と返事をした。

 「では少しの間そのままで聞いてね。 その姿勢つらかったら、横になってもいいわよ。 大丈夫?……そう。 じゃ、話すわね。 

  吹雪クンね、さっき目が覚めた時は『くだん』に支配されていたのに、今、自分がどうして意識の表に戻って来ることができたのかわかってるかしら。

  あまりわかってないのね? 教えてあげる、あたしたち、隣の部屋でモニターを見てたから。

  吹雪クンはね、パニックを起こした『くだん』の攻撃から美久ちゃんを守ろうとして、瞬間的に表に出たのよ。 閉じ込められているようでも、外の様子がわかっていたのね。  

  種明かししちゃうと、これ姫神教授の作戦なのよ。 わざと『くだん』と美久ちゃんを2人きりにした上に『くだんの言う事をなんでも聞け』なんて言って、美久ちゃんにすごいプレッシャーをかけたでしょう。 究極状態になると人はキレやすくなるわ。 美久ちゃん、絶対に我慢できないってわかってたの。 そして、キレてしまった美久ちゃんを、人間関係を育んだ経験のない『くだん』が扱えないこともわかってた。

  そう。 美久ちゃんには申し訳なかったけど、教授たちは美久ちゃんを囮にして、吹雪クンを表に出そうと考えたのよ」

   

 ウィズが、床に突っ伏していた状態から、ゆっくりと顔を上げた。 見張ったその眼の中に、驚きの表情がある。

 「そう、これは夢じゃないわ。 あなたは現実に戻っているのよ。 そして望み通り、美久ちゃんのことを守ったの」

 ウィズの目が、暗がりの中で動いて、今度はあたしに向けられた。

 「……僕は勝ったんですか」

 かすれた声で、魔術師が尋ねる。

 「今はね。 『くだん』の正体について解釈は色々だけど、あたしたちは精神科医だから、これを『怨霊』と捉えることはしない。 いわゆる『人格の1つ』だと考えています。 つまり、以前のあなたの中に『あやめちゃん』がいたように、今のあなたの中にはもうひとりの人格がいる、それだけのこと。 だから、機会があればまた逆転してしまうかもしれないわね」


 ウィズが激しく頭を振った。

 「あやめちゃんとは違う。 こいつは僕の人格じゃない」

 「そうね、持っている記憶は別人のものだわ。 でも、とてもたくさんの共通点がある。 

  例えば一般の人にない強い力があって、そのため他人と相互理解ができないこと。 

  家庭や家族を知らないこと。 そしてそれらが怒りやコンプレックスの元になっているわね。

  つまり、他人から見たらなんでもできる神様のような人なのに、自己評価は最低。 それがあなたたちだと思うわ。 ほんとによく似ている。 だからシンクロしてるんだわ」

 「シンクロ?」

 「吹雪クンは、もともと念動力のようなものは使わないでしょう。 でも、あのデスクが止められたじゃない。 単に『くだん』を抑えて入れ替わっただけなら、投げられたデスクは慣性で飛び続けたと思うわ。 でも、あれは空中で止まってた」

 「僕が止めたんです」

 「どうやって?」

 問われるとウィズは黙った。 自分でもよくわからないらしい。


 「あなたがあれを止められたのは、『くだん』の能力を使うことができたからよ。 第一、人格交代中なのに、『くだん』の見ているものを見ていることが出来たんでしょう。 ね?」

 「それがシンクロですか。 だとしたら」

 ウィズの目が、さっき落下して横倒しになっているデスクに向けられた。 

 息を呑む気配とともに、室内に不自然な沈黙が落ちた。 ウィズが何をしようとしているのか察した教授連が瞬時に観察体制を強化したのだ。


 最初は何も起こらなかった。 ウィズはデスクを睨みつけたまま、長い間微動だにしなかった。

 しばらくして、金属の底板がほんの小さな音で、ドウ、と響いた。 重心の位置が変わって、デスクが軋んだようだ。 変化はわずかそれだけだった。 もとより暗すぎて、細かいところは見えないのだ。

 息を詰めていた教授連が、がっかりしたように体の緊張を解き、元の姿勢に戻ろうとした時。 

 瞬間、デスクは突然轟音を立てて跳ね上がり、足から天井に突き刺さった。 

 粉砕された蛍光灯が雨のように室内に降り注ぎ、全員が悲鳴とともに頭を庇う。


 「す、すいませ……」

 やった本人が一番びっくりしている。 

 おまけに一旦天井に突き刺さったデスクは、重みですぐにずり落ち始めた。

 またしても大きな音と共に、デスクが落下。 少し遅れてその上に、吊り下げ式の蛍光灯が傘ごと落てきて、もうもうと埃を舞い上げた。

 全員が部屋の隅まで飛び下がっていたので怪我人は出なかったが、室内の惨状たるや廃虚の如しだ。

 「その……弁償します」

 「馬鹿、空気読め」

 呆然と発したウィズの台詞があまりにも場違いで、姫神教授がついに低い声で笑いだした。

  

   

 

 ガラスと埃で惨憺たる有様になった室内を、みんなでざっくり片付け終わる頃に、電気が回復した。

 同時にウィズもいつもの調子を取り戻していた。 これまで内面でずっと「くだん」を押さえ込み続けていたのだ。

 彼はその力をそろりそろりと解いてゆき、抜いたとたん即「くだん」に逆転される、というわけではないらしいとわかって初めて、本気で現実に目を向けることができたらしかった。


 「人格交代には、タイミングがあるんだ。 君がものすごく混乱して自らステージを降りたがったり、内心で『くだん』を頼ろうとしたり、強いショックで意識を空にしたりしない限り、容易に交代はしないと思うよ」

 相沢教授が解説してくれた。

 「逆に言えば、さっきは『くだん』の方が錯乱状態だった。 ああならないように、吹雪くんは自分に自信を持ってしっかりキープしていてくれよな」

 「頑張りますが、それはいつまでですか。 一生ずっと動揺するなは無理ですよ」

 「今から2時間くらいで、こっちの治療が終わるから、最低限それくらい」

 「こっちの治療って……」


 相沢教授はにやりと笑って、別の部屋に一同を移動させた。

 そこは研究室の広さから見ると半分くらいしかない狭い部屋で、セラピス用に患者が横になれる長椅子のような診察台が置かれている。 あたしたちはスペースを奪い合いながらその部屋にぎゅう詰めに立ち、診察役の相沢教授と、パソコンを膝に乗せた姫神教授が回転椅子に、体力不足でフラフラしているウィズはパイプチェアを貰って診察台の横に座った。

 そして、その診察台に、最後に入って来たレイミ先生が横になったではないか。

 

   

 「では目を閉じて、自分の呼吸を意識してください。

  これからゆっくり10数えます。 だんだん体が重くなっていきます。 

  1……2……3……4……5……」

 

 何が始まっているのかわからなかった。

 相沢教授がレイミせんせを催眠にかけている。 そしてそれは、あらかじめ教授たちの中で打ち合わせがしてあったように見える。

 なんだろう。 なんだか知らないけど、内密にプログラムが作ってあった事のような気がするのだ。

 これは仕掛け。 たぶん、レイミせんせが統合の治療を受ける前に、相沢教授と話し合って作った仕掛けだ。 

 そしてその打ち合わせは、レイミ先生とほかの教授の間だけで交わされていて、怜さんは知らなかったのではないか。 だから、怜さんは自分をモルモットだと感じていた。 疎外感を肌で感じ取っていたのだ。

 あたしの心臓はせわしなく音を刻み始めた。

  

 

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