41、コントロールの大失敗
「吹雪くんのほうは、呼吸は正常だな。 脈も乱れておらんし、まあ、つまるところ寝とるだけだろう」
「爺さんのほうは?」
「こっちは完全に死体だ。 別に生き返って悪さをしとるわけじゃない。
電話で聞いたら『手のない人間が、吹雪くんの腕を掴んでおる』と言うから、もっとシュールな状態を想像して大いに期待してやってきたのに」
到着するなり人垣に分け入って、ざっくり両者の診察をした姫神教授が、面白くもなさそうに立ち上がってベレッタ刑事に報告した。
「これはつまり死後硬直で、遺体の脇の部分が絞まっただけのことなんじゃないかね」
「だけのことですむか」刑事は納得しない。
「この状態で死後硬直するってなぁ、一体どういう状況なんだ。 何10時間も遺体と添い寝でもしたってんなら別だが」
「そうですよ教授。 大体、生きてる方は柔らかいんですからね。 こんなにやっても引き剥がせないっておかしいでしょう」
反論するベレッタさんと怜さんを押しのけて、あたしもウィズと遺体の状態を見せてもらった。
ウィズの腕の部分は確かに、両肘から先がない雷太爺ちゃんの左脇の下に入り込んでいる。 そして、彼の手首は爺ちゃんの右脇の下に押さえ込まれた形になっているのだ。
「葬儀屋の言うには、こういう時には湯をかけて遺体を柔らかくするんだそうだが、トカレフが火傷をしたらいかんのでそれができんらしい」と、ベレッタ刑事。
「死後硬直ならそろそろ緩解に入る時間だから、もう少し待ってみたらどうなのかね」と、姫神教授。
「遺体を中心に考えを進めるのはそろそろやめましょう。 問題は、どうしてこんなになってもコロ助が眠りこけてるのかってことでしょう」怜さんが顔をしかめる。
確かにそれが正論だ。
ベレッタ刑事の話では、ウィズは臨終に立ち会ったわけじゃなくて、死後に弔問に行ったという事だった。 ということは、あたしやかよのさんが死にかけた時に助けてくれた、『黄泉がえり』をやってるわけじゃないらしい。
でも、この眠り方は明らかに異常だ。
ウィズは、今、何を見ているのか。
あたしはベレッタさんの手を借りて、うつ伏せになったウィズの体を、顔が見えるところまで動かしてみた。 半年ぶりにやっと会えた、幻じゃない魔術師の顔。
「ウィズ、痩せた!?」
少し尖って険しくなった頬の輪郭。 以前よりくっきりした鎖骨の影。
それでも不健康に見えないのは、前よりも少し日に焼けたせいだろうか。
半年間は長かった。 ウィズのためにと思って我慢していたけど、それはホントに正しい事だったんだろうか。
「それでもね、結構苦労して食事をさせたのよ」
後ろから抑えた口調で声をかけてきたのは、喜和子ママだった。
「3度3度電話をかけて、ご飯ご飯と言い続けていたら、面倒くさがって出歩くようになっちゃって。
男の子は大きくなると、少しも言う事きかないってよく言うけどホントね」
あたしは立ち上がって、喜和子ママに抱きついた。 彼女のきちんと化粧した肌にも、疲労の色が見て取れた。
家族葬ということで、別荘の中にいた人間は10人に満たなかったが、その慌てぶりは集団パニックを見るようだった。
このままでは火葬に間に合わないと言って、走り回ってどこかに電話するやら、やたらと念仏を唱えるやら。
爺ちゃんの生前の能力を知っているだけに、その行動の根底に大きな怖れが横たわっている。 爺ちゃんに触ろうとすると青くなって止めに来る人もいる。
姫神教授は、研究室から持ち出したノートパソコンと例の脳波測定機をウィズの頭に取り付けて、現状分析をしようとしていた。 怜さんと所沢刑事が臨時の助手をやらされている。
あたしは憔悴した様子の喜和子ママをキッチンに引っ張って行って、勝手に冷蔵庫から出したペットボトルのお茶を二人で分けた。
「教えて、ママ。 ウィズはずっと、何か悩んでいたわよね。
あたしと別れちゃう予見のせいだ、って言ったけど、それを回避するのをやめて、自分からあたしと会わないようにしてしまったのは、自分のことで何かひどく悩んでたからでしょう。
あたし、わからないの。 あたしはウィズの近くにいるだけで幸せだったし、ウィズもそうだと思っていたのよ。 そりゃ両親のこともあったけど、それは二人で乗りきるべきだって、ついこの前まではわかってくれてたはずなのよ。
でも、これまでウィズが何かわけのわからないことを始める時は、必ず何か意味があったの。 未来を確認して、それが最良だと思ったことを、前もって入れてくるの。 そういう人でしょう?
だからあたし、会いたくても我慢してた。 そうすることで、確かに自分のためにもなったし、いつか結果が出たら、ウィズが自分から会ってくれるって、そう信じてたからよ。 喜和子ママもそう思ってたでしょう」
「そうね。 所沢刑事も他の常連さんたちも、みんなそう思って応援してくれたわね」
「その間、ウィズは何をどうしようとしてたの?」
あたしの問いに、喜和子ママの表情が緊張を帯びた。
「ウィズは前向きだった。 何かをしようとしてた。 でも、それが何かを、あたしには話そうとしなかったの。 その結果がこれって、あたしは納得できないわ。
今の状態が、何かの失敗の結果だってことはわかるのよ。 だって、ウィズがさっき、わざわざあたしのとこに、思念作って謝りに来たんだもの。
ねえ、喜和子ママは何か聞いてるんじゃない?
教えて。 彼はあたしを遠ざけて、その間に何を変えようとしてたの?」
喜和子ママはしばらく目を伏せて、胸の中で言葉を集めていた様子だった。
その唇から深い溜息と同時に、静かな声が流れて来たのは、2杯目のお茶をコップに注いでからだった。
「よくわからない、なんて返事では、あまりに申し訳ないわね。 あなたのいない間もずっと、あの子のことを見ていたのはわたしですものね」
「喜和子ママにもわからないの?」
「この半年であの子がやっていたことや、その目的はわからないわ。 でも、悩んでいることは知ってた。
その悩みは、最近じゃなくて、もっとずっと昔からのものだったの。 主人とあの子と、このマンションで3人暮らし始めてからすぐに、そのことはわかったわ」
「ウィズが打ち明けたの?」
「いいえ。 見たのよ」
小さなウィズが如月夫妻に引き取られて、3週間目のある夜、その現象は起こったのだそうだ。
喜和子ママが夜中に目を覚ますと、部屋の中には真っ黒な煙が充満し、燃え盛る炎に炙られて、強烈な熱風がベッドに吹き付けていた。 慌てて夫を起こし、二人でウィズの部屋へ駆けつけると、こちらは更に激しい炎が上がっていてベッドに近づけない。
「吹雪さん! 吹雪さん!」
夫婦の叫びを聞いて目を覚ましたウィズが、ベッドの上に体を起こすと、炎は嘘のように消え失せた。
水が攻めてきたこともあった。
あたしが以前、車の中で水浸しにされたあのパニックを、喜和子ママも体験していたのだ。
何か得体の知れない生物が部屋中を走り回ったこともあったし、1つ目の巨人がサーベルを振り回して暴れたこともあった。
それらの映像は実害はなく、言うなればただの幻で、現れるのは必ずウィズが眠っている時だった。
つまり、彼は寝ている間の思念を、周囲に放送してしまっていたのだ。
「気を抜くと暴走するのね。 寝ている間のことをどうこう叱っても仕方ないわ」
そう言って気にせず眠ろうとするのだが、あまりにリアルなので必ず目が覚めてしまう。 保護者2人は寝不足でげっそりしているのに、毎晩眠りこけているウィズだけは元気だ。
ついに体力の限界を感じた義父の如月氏が、小さなウィズに話をした。
「お前のせいじゃないのはわかっている。 でも、これでは私たちだけじゃなく、他の誰とだって一緒に暮らしていけないだろう? もう一人ぼっちで住んでるわけじゃないんだから、なんとか自分で調節できるようになりなさい」
ウィズから、はい、という返事があるまでに、かなりの間が空いたそうだ。
その間に彼の顔に浮かんだ悲しみの表情を、喜和子ママは今でも忘れられないと言った。
「考えてみればわかることだったわ。 あの幻が、寝ていて油断するたびに見えるものなら、シスター松岡からも何か注意があったはずよ。 でも、たぶん彼女はそれを見たことがなかった。 施設では1度も起こらなかったんだわ。 ここに来てから、しかも少し暮らし慣れてから、現れた現象なの」
あたしはうなずいた。 施設でバイトをはじめて、そういう事例をたくさん見てきたのだ。
「ウィズは、こここそが自分の家だと信じられるようになったから、どこまでも安心して眠ったのね。 そして、ある意味で、ママたちがどこまで自分を受け入れてくれるかを、無意識に試してた」
その後、何度も話し合いをして、ウィズの気持ちが落ち着いてからも、彼の能力は安定しなかった。 「今度は外国の夢を見て、楽しませてね」などと、如月夫婦は色々な言葉で、ウィズの能力を否定しないようにしながら、なんとかコントロールさせようとした。
「それがね。 美久ちゃんがここに来るようになってから、全然起きなくなったのよ」
「あたし?」
「最初に美久ちゃんを連れてこようと言ったのは、吹雪さんだったから、最初は自分をコントロールする人材として、ここに呼んだんだと思っていたの」
「あ、あたしと一緒の時だって、充分不安定だと思うけどなあ」
「そんな細かいレベルじゃないのよ、もっと誤発進が多くなるの。 だからね、今回、美久ちゃんとの結婚を考えるにあたって、吹雪さんなりに自立しようとしたんじゃないかって、わたしは考えていたの」
「あたしがいなくてもコントロールできるようにって?」
聞き返しながら、俄かにメガトン級の疲労が頭上から襲いかかってくるのを感じた。
その結果がこれ? 現在、どこに向かって妄想を発信中なの?
しかもあからさま過ぎないか。 これまでどれだけ効きまくってたんだ、あたしというストッパーは!




