17、幸せな関係
四角く縁どられた縦長の風景は、あまり手入れの整わない庭の片隅であるようだった。
夕暮れが近いのか、空の色は僅かに赤らんでいる。
「おい、コロちゃん起きろ! やったやった!
お前の言ったとおり、大穴ドッカン30倍だ!!」
バンバンと小屋の屋根を叩いて、若い男が叫んでいた。
急いで小屋から這い出すと、ジーンズに薄汚れたフード付きコートを着た、学生みたいな男が、庭中を踊り歩いている。
「いやー凄かった。 まさかの大逆転、ホシノレイノルズさまさまっ!
有り金7万、全部突っ込んどいて正解だったよ。
さーて、ここで算数の問題です。 7×30は、ハイいくつでしょう!?」
「……まだ習ってないよ」
細くて抑揚の控えめな、小さな男の子の声が答えた。
「あっはは、そうか。 まあ、とにかくいっぱい儲かったんだよ。
お前のおかげだぜ、コロ!」
男はコロの頭を脇に抱えると、髪の毛がクシャクシャになるまで撫で回した。 ついでに小さな体を抱き上げ、ぐるぐる回転して振り回す。
薄暗い庭に、男の子の小さな笑い声が振りまかれた。
「うるさいよ、コロ! 水ぶっかけてやろうか!?」
1階のピンクのカーテンが細く開き、太った女のシルエットが大声で怒鳴った。 男とコロが、慌ててシーシーと口を尖らせる。
息を詰めて女の影が消えるのを待つ間、ふたりは肩先で笑いをこらえた。
「よーし、コロちゃん。 祝勝会に出かけよう!」
男はコロの手を引いて庭から連れ出した。 まず、銭湯に行って、汚れた体をきれいに洗い、上から下まで新しい服をあつらえて、すっかり別人のようになる。
体が温まったところで、レストランに入ってたっぷりと食事をした。
コロが暖かい飲み物を飲みたがらないのを知った男は、食後のミルクティーをふうふう吹いて冷ましてくれた。 そんなことをされたことがなかったコロは、よく意味が分からずただ目を丸くしている。
「コロはいい子だ。 俺はお前に会えて、ほんとにラッキーだったよ」
そう言って何度も頭を撫でる。 やせ型で茶色がかった髪を持つその青年の顔は、彫りが深くて鼻筋の通った、いわゆる日本人離れした顔だ。 よくよく瞳の中まで覗き込むと、中心部の色合いは、青みがかかった灰色だった。
彼はコロの手を握って、自分の手のひらで温めてくれた。 コロの手は、しもやけのために真っ赤に膨れて、ところどころ血が滲んでいる。 かわいそうに、と盛んに擦ってくれるのが、飛び上がるほど痛かったが、コロは我慢して笑顔を作っていた。
「俺、今日入った金で、新しいアパートに移るんだ。
お前もそこに来いよ、お前が儲けさせてくれた金なんだから、配当分は使えるようにしてやるからさ」
ポケットから出して握らされた合鍵は、金属とは思えないくらい暖かかった。
コロはびっくりして、鍵を何度も握り直した。
男のアパートには、得体の知れない仲間たちが、入れ替わり立ち代り現れて入り浸っていた。
男は気前よく、彼らに食事や酒を振舞ってやり、夜中に押しかけた者には寝床まで提供してやった。
食えない劇団員、万年バイト、ホスト風のにいちゃん。
何が本業なのか、一日新聞ばかり読む髭面。
ギターばかり弾いている長髪、やたらと着飾って出て行くくせに、家では風呂にも入らないジャージ女。
友達の幅は計り知れぬ広さだが、総じて付き合いが長続きすることはなく、同じ人間が2ヶ月以上通ってくることは少なかった。
男は友人たちのすることに寛容で、ほとんど規制をかけなかった。 ただひとつのことを除いて。
「なんだこの汚えガキは。 邪魔なんだよ、あっち行ってろよ!」
コロを邪険にしたチンピラ風の友人を、男は一喝して追い出し、二度と家に入れなかった。 それを見ていた友人たちは、それ以来コロを受け入れることが、アパート利用の絶対条件と了解したのだった。
夕食のあと、男とコロは競馬新聞を広げて、次のレースの予想をした。
予想と結果は、専用の大学ノートにきちんと記録し、どんな写真、どんなイメージが、コロの予言を引き出し易いかを研究する。 また、配当の内いくらかを必ず「コロ用」と書かれたタッパーに入れておき、コロが好きに使って空腹を満たし、生活をまかなうことができるようにした。
「宿題のわからないところはないか? 困ったときに相談しろよ」
男はそう言って、ぐるぐるとコロの頭を撫でる。
繊細で大きく、暖かい手で。
翌朝、あたしが目を覚ますと、ホテルの窓から見える太陽は、もうすっかり中天に登っていた。
いくら土曜の朝といっても、寝坊のしすぎだ。
ウィズはもう先にベッドを抜け出して、シャワーを浴びて来たらしく、デスクの脇で髪の毛を拭きながら、パソコンのメールを読んでいる。
「やっとわかったわ。 運命の人って、サイモンさんのことなのね」
あたしが確認すると、魔術師はちょっと目を見張った。
「……そうか、美久ちゃん隣で寝たから、おんなじ夢を見ちゃったのか」
「幸せな関係だったのね。 再会して嬉しかった?」
ウィズはちょっと首をかしげ、そのあとうつむいて静かに笑った。 ちょっと複雑な心境といった表現だろうか。
「美久ちゃんにはホントのこと、言おうか」
「なあに?」
「ほんとはあの人が、僕の父親なんじゃないかと思ってるんだ」
あたしは驚いて、ウィズの整いすぎた白い顔を見上げた。
「父親といっても、遺伝学上のね。 あの人は若ぶりに見えるけど、あの当時もう30過ぎてた。
いろんな話の中から見えた映像を総合すると、彼は僕の母親の客だったんじゃないかって思うんだ」
「ウィズのお母さん……」
ウィズのお母さんは14歳で彼を生んだ。 少女買春の犠牲者だ。
「僕が生まれる前の頃、サイモンさんが魔女の館に通ってたのは確かなんだ。
まあ、いくら僕でも、精子卵子のレベルで物が見えるわけじゃないから、複数いた母の客の中の誰が、本当の父親かなんてことは、見当がつかないけど、この際それはもう問題じゃないよね。
とにかく、あの人もあんまりご立派な大人じゃないことだけは、わかってるってわけ」
そう言われれば確かに、サイモンさんの顔は、ほかの誰とも似ていないとこれまで思っていたウィズの顔と、少し似ているかもしれない。
でもウィズの父親であるということは、ウィズの憎む児童虐待の加害者であるということだ。
ウィズがこの世に生を受けた以上、その人物が存在しないわけではないので、せめてその人が単なる極悪人だったほうが、ウィズにとっては気が楽なのかもしれない。
「サイモンさんは知ってるの?」
「僕がコロだってことは、番組の打ち合わせで出会った時に言ったから。
それまで向こうは気づいてなかったみたいなんだけどね。
でもさすがに、父親云々の話はしてないよ」
自分が立派な大人じゃない、ということは、サイモンさんは重々自覚しているんじゃないかという気がした。
「ゆめゆめ信用することなかれ、さ」
少し茶化した口調でそう言った時の彼の様子を、あたしは思い起こした。
土曜日の午後は、魔術師はお仕事で大忙しの時間だ。
ウィズが接客のために、大急ぎで「新ウィザード占い館」に戻って行ったので、あたしは自力で家に帰ろうと、ホテルの前の通りでバスを待っていた。
いきなり肩を叩かれた。 芸のない地味なスーツ姿の女性と、トレーナーにジーンズという軽装でカメラを持った男との二人組だ。
「昨日の特番、見ました。 あれ、ヤラセだったんですよね?」
いきなり失礼な物言いは、逃げられないようにするためか。
「あなた、如月さんといつも一緒にいる方じゃないですか。 それなのにあの『誘拐事件』の設定はおかしかったですよね。 あの番組は、どう考えても如月さんの都合のいいようにいいように作られたと思うんですが、それについてコメントしていただけませんか」
そこまで言うなら、あたしの名前くらい覚えて来なさいって!




