一 救世主になった日
上村はある日、救世主となるために転送させられた。
記憶が混濁している。昨日まで……そうだ、自動車教習所に通っていて……。
「こんにちは!」
上村は突然の声に驚き、立ち上がろうとするも、尻もちをついてしまった。
そして、地面を見て更に驚いた。何の変哲もない木の床に、自分をすっぽり取り囲む黄色い魔方陣が回っていたからだ。しかも、少し生暖かい。
髪を真っ赤に染めた、見るからに危なそうな女性が手を差し伸べてきた。
「立てますか?」
「あ、はい……」
よろけながらも立ち上がると、すぐさま女性に大きな杖を半ば強引に渡された。上の部分がくるくるっとして、大きな宝石がほのかに光る、いかにもな杖であった。
「カミムラ様! あなたは、人の救世主です!」
「ひ、ひとの? 救世主?」
なぜ、目の前の女性は私の名前を知っているのだろうか。
疑問の絶えない顔を上村がしていると、それに応えるように、女性は語り始めた。
「すみません。私の名前はリチュームです。私はあなたをここへ転送させました」
「俺を? どうやって?」
「魔法です」
上村は状況が全く呑み込めていなかった。しかし、ここ数日の記憶が全くないことといい、まだ後ろでくるくる回る魔方陣といい、手の込んだ誘拐であることは確実に思われた。
いったん、話を進めるほかない。
「救世主って、どういうことですか?」
リチュームはいきなり涙ぐみ始めた。意外と演技派である。
「今、この世界では、人々は悪魔と戦っています。そして、多くの人が死にます。なぜなら、悪魔は多くの人を殺す、破滅の魔法を持っているからです」
そして、上村に押し付けた杖を握って叫んだ。
「しかし、今、あなたも同じな破滅の魔法が使えるのです」
上村は再度杖を眺めた。いかにも出来すぎている。
ここは警察に……。
そこでズボンのポケットに手を当てて、気が付いた。
携帯がない。
この茶番に付き合っていかないと、ここから解放されないのだろう。上村は自らの行く末を案じた。
「そうだ、うん。俺は破滅の魔法が使える救世主だ!」
杖を掲げる。
特に何も起きない。だが、杖の宝石がほんのり光ったような気もする。
「そうです! 勇者様!」
意外と杖は重い。突くと、ゴトン、と鈍い音がした。
「これから、どうすればいいんだ」
「まずは、町の人々にあなたのことを知らせましょう」
「お披露目会ってこと?」
「まあ……そうです!」
少し頼り気がない。思えば、日本語ネイティブではなさそうだ。
「町の人たちと話すの?」
「ああ、はい!」
馬車に乗せられたことは初めてだ。外の様子が分かると思ったが、馬車の客車が布で覆われているため、どこに向かっているかも分からない。
外からは、ざわざわと声が聞こえる。
密室だと、少し気まずい。何とか話を繋げる。
「今、どこに向かっているの」
「城の前の大きな広場です」
し、城!?
そんなにも大きな建物があれば、どこにいるかの目星は立てられそうなものだが……。
「王様がいるってことなのか」
「はい! そちらには、いないのですか」
「まあ……似たような人ならいます」
「そうですよね!」
思ったよりも、こちらに対して敵意は無い。勝手に拉致してきて、恐ろしいばかりだ。
「あと、どれくらいですか」
「あと少しだと思います」
その言葉の通り、だんだんと雑踏も大きくなり始めた。大勢の人が居そうである。
「何をすれば」
「自信を持って、話してください! さあ、行きますよ!」
リチュームは馬車の扉を一気に開くと、出るように促した。
本当に、大きな城が建っている。遊園地にあるものよりも、さらに大きく、さらに優雅だ。まさにヨーロッパの城と素人目には見える。
城と対面するように、大勢の観衆が待機していた。物珍し気に興奮冷めやらぬ様子だ。
目の前にお立ち台が見えた。
「あそこで話すの?」
「はい」
え、えーっ?
こんなに大勢、誘拐なら有り得ない。しかも、全員が中世らしい服装だ。変な夢を疑い始めた。
リチュームに引っ張られて、上村は台に立たされる。
{ジート!}(君たち!)
{リチューム!}
人々が呼応して盛り上がり始めた。怖い。
リチュームは何語か分からない言葉で話を続ける。
{ポネンアルトマラボクパルソーメン。カミムラ、レンテス!}(異世界から彼を召喚した、その名はカミムラ!)
{カミムラー!!!}
まずい、上村の部分だけ分かる。俺の話だ。
{ソーメテストプレプンコノーポル。ラボクバゴドュンテス!}(彼は神から世界を滅ぼす魔法を与えられた!)
リチュームから目配せを受ける。え、何か喋らなければいけなさそうだ。
意を決して、前に一歩進む。途端に、いきなり静かになった。リチュームが耳元で喋ってくる。
「良いですか? ラボク、カノッケン。小さな声で言ってください」
「ら、らぼーく、かのっけん」
「さあ、大声で、言ってください」
{ら、ラボーク、カノッケン!}(俺は世界を救う!)
一瞬だけ、シーンとした。
{オー! カミムラー! カミムラー!}
「ど、どういう意味なんだ?」
「世界を救う、という意味です」
人々が喜んでいるからいいものの、俺にそんな力があるのだろうか? 世界を、救う?
杖は、まだ何も答えてくれない。歓声は、日の暮れるまで続いた。




