第1章 出会い
異世界に転生して、12年。
トーリントン子爵家に生まれた俺は、トーリと名付けられた。
自分では凡人のつもりだ。ほどほどに体を鍛え、魔法を覚え、この異世界を満喫してきた。
幼い頃から家庭教師を迎え、この世界の常識や剣術、魔術を学んだ。齢6歳からは従者を連れ、近隣のダンジョンを闊歩する日々である。
父には神童だと喜ばれ、母には「どうか危ないことをしないで」と泣かれた。もっとも、母もそのうち泣くのに疲れ、最近では半ば呆れ果てている。
しかし、いつまでも遊んでばかりはいられない。
俺もいよいよ、貴族と優秀な庶民が共に学ぶ学園へ入学する。
そんな折、妙な噂を耳にした。
3つ上の学年に、身分の低い少女がいるらしい。
その少女がどういうわけか、この国の第一王子やそれ以外の男にもやたらと気に入られているというのだ。
嫌な予感がする。
思えば、この世界には妙に現代的な品物が多い。
化学繊維に似た糸を吐くモンスターでもいるのか、ブラジャーやストッキングまで現代日本並みのものが揃っている。生理用品もあるし、化粧品や乳液の素材になるモンスターを狩れば、かなりいい金になる。
女性が過ごしやすくなる日用品だけが、妙に充実しているのだ。
それだけなら、進んだ異世界ということで納得してもよかった。
だが、そこへ王子に気に入られた正体不明のモテモテ庶民少女である。
さてはここ、乙女ゲームか悪役令嬢もの、あるいは聖女追放系の世界では?
漫画やゲームやアニメで見た、女性向け創作あるあるが詰め込まれた世界。その物語の端役として、俺は転生したのではないだろうか。
だとすれば、俺の役割はない。
女性が主人公の物語だ。面倒に巻き込まれないよう、害がこちらへ及ばない範囲でリサーチだけしておこう。
◇
――などと考えてはいたものの、俺に諜報活動などできるはずもなかった。
護衛を務める従者はいても、彼らは父の家臣であって俺の私兵ではない。都合よく何でも調べてくれる密偵など、当然いない。
結局その日も、俺はいつもの秘密基地へ向かっていた。
もはや誰にも使われていない、古い狩猟小屋である。
3年前に発見した時は、屋根も壁も傷んだボロ小屋だった。
だが、そこは転生者の俺だ。
剣を振れば丸太を真っ直ぐ切れるし、板やツーバイフォー材も作れる。刃を鉋のように使えば、表面を滑らかに削ることもできた。
日本には、釘を1本も使わず木材を組み上げる伝統工法があったはずだ。
前世で見た動画の記憶を頼りに、3年かけてコツコツと改修を続けた結果、3か月前には立派なログハウスが完成した。
1LDKである。
床下には土魔法で掘り広げた地下室があり、工作道具や魔導具の試作品を置く工房にしている。現代の物を色々再現しようと奮闘しているが、普通に魔法の方が便利だ。銃とか作る必要がない。筒に入れた弾丸を風魔法で発射したほうが火薬を発明するより簡単だ。まぁ、浪漫で作ったけど。動画で見た覚えのある有名なピストル。
前世の自分の名前や顔はほとんど思い出せないのに、動画で見た知識だけは妙に鮮明に残っている。
人間の記憶とは、不思議なものだ。もしくはこれこそが俺のチートなのか。
水は魔法で出せる。火も魔法で点けられる。
トイレも土魔法で作り、排泄物は密閉した穴へ落とす。一定量が溜まったら外の堆肥穴へ移し、風魔法で乾燥させて、草木や灰と混ぜれば肥料にもなる。
なんと快適な異世界生活であろうか。
俺は口笛を吹きながら、山道を歩いていた。
今日のおやつになるような、ウサギに似た動物でも罠に掛かっていないだろうか。
そんな呑気なことを考えていた、その時だった。
「た、助けて……」
か細い声が聞こえた。
声の方向は、俺が仕掛けた落とし穴だった。
土魔法で2メートル少々掘っただけの、単純な罠である。それでも大抵の小動物は自力で這い上がれない。
穴を覗き込む。
金髪の美女がいた。
「どなた様で?」
とりあえず声掛け完了。息もある。生きている。
いや、待て。
金髪美女は泥だらけだが、身にまとっているのは上等な赤いドレスだ。どう見ても、かなりいい身分の人間である。
そんな人を自分の罠に落としたと知られたら、こちらも貴族とはいえ、ただでは済まないのでは?
面倒ごとが始まる予感しかしない。
「……エレノア」
「エレノア様。あー、とりあえず、こちらを掴んでください。今、引き上げます」
「ありがとう」
近くの蔦を垂らして掴ませ、華奢な手を取る。身体強化も使って、エレノアを穴から引っ張り上げた。
地上に戻った彼女は、少し不満そうな顔で、ドレスについた土を払った。
エレノアは、ひと目で気品を感じさせる美しい女性だった。
背も高い。170センチ近くあるのではないだろうか。長い金色の髪は背中の中ほどまで流れ、瞳は澄んだ青色。白い肌に、繊細でありながら気の強さを感じさせる顔立ち。
ただし、その指先はわずかに震えていた。
疲労困憊。それでも気丈に振る舞っている、というところか。
「失礼ですが、あなたは貴族の方ですよね?」
「な、何を言っている!? 違う!」
立ち振る舞いは貴族。ドレスは絹。
そのうえ、俺が「エレノア様」と呼んでも訂正しなかった。
貴族やん。
しかも俺より家格が1つ、下手をすれば2つは上だ。勘だけど。
じっと半眼で見つめていると、エレノアは目に見えて狼狽し始めた。
「こ、こんなところに罠があるのがいけない」
「ここはトーリントン家の裏山です。狩猟用の罠や落とし穴があるのは当然でしょう。この辺りの住人なら、許可なく立ち入ることもありません」
「トーリントン家の? 私は、そんなところまで……」
俺の家名を知っているのに、その裏山で迷子になっている。
普通に街道を歩いてきたわけではなさそうだ。
山中を彷徨ってきたか、あるいは転移魔法か。
座標を正確に指定する転移は、この世界でも超高等魔法だ。使える者など、まずいない。
ただし、ぶっ飛びカードのように行き先を指定しないランダム転移なら、十分な魔力さえあれば発動できる。
もっとも、転移先が岩の中ということもある。
いわゆる「石の中にいる」状態だ。そんな危険があるので、まともな人間は滅多なことでは使わない。
エレノアの足元を見る。
靴は履いていない。代わりに、赤い布切れを足へ巻きつけていた。おそらくドレスの裾を破ったのだろう。
ヒールでは山道を歩けず、途中で捨てたか。
……お帰り願うこともできそうにない。
面倒ごとだ。
一番確実に平穏を取り戻す方法は、この女を殺して山へ埋めることだろう。
だが、俺にはできない。
面倒だからという理由だけで、憎んでもいない人間を殺せるほど、俺は人でなしではなかった。
ため息を1つ吐く。
「エレノア様。ここに長くいるのは危険です。すぐ近くに私の狩猟小屋があります。ひとまず、そこへ行きましょう」
「近くに狩猟小屋が……あなたは猟師なのか?」
「いえ。トーリントン家の三男坊です」
「三男!? パーティーで見かけたことがないぞ!?」
この人、身分を隠す気がまったくないな。
狼狽するエレノアを横目に、俺は土魔法で足場を整え、木魔法を使って背もたれ付きの背負子を作った。
近くの木から丈夫な蔦を伸ばし、3重に編んで帯にする。それを背負子へ取りつければ、人を運ぶための背負子椅子が完成した。
これで彼女を担いでいく。
「私は放蕩癖がありまして。父は好きにさせてくれていますが、母にはいつも泣かれています。さあ、こちらへお座りください」
「あ、ああ。わかった」
他人を疑うことに慣れていないのか、エレノアは素直に椅子へ腰を下ろした。
肩と腰を帯で固定していく。
胸元を避けて通したつもりなのに、ドレスと体形のせいで、妙に目のやり場に困る形になった。
これは人命救助であります、皆様。
「な、何だ、この格好は!?」
「大人しくしてください。途中で落ちたら危ないので」
手際よく固定したため、彼女が慌て始めた頃にはもう遅い。
哀れな貴族令嬢は、12歳の少年に担がれ、山奥の小屋へ連れ去られてしまうのです。
それにしても、見た目より軽い。
「わっ、あわわ、すごいっ!」
「行きますよー。出発! 進行ー!」
「何だ、その掛け声は!? 嘘っ、走れるのか、君!? この山道を!? わっ、わっ、わああああっ!」
氣を全身へ張り巡らせ、身体を強化する。
魔力による身体強化より、こちらの方が強化率は段違いに高い。
ただし、女性を背負った状態で上下に揺らせば、途中で吐かれる可能性がある。
体幹と背負子を固定し、衝撃を脚だけで吸収しながら山道を駆け下りる。
人力サスペンションである。普通なら、腰と膝が死ぬ。
人力サスペンションで山を駆け下りること数分。目的地のログハウスが見えてきた。
「着きましたよ、エレノア様。降ろしますね」
返事がない。首だけ捻って背中を確認すると、金髪美女は白目を剥いて口から魂が出かかっていた。走行中の悲鳴が途中でぱたりと止んだのは、酔ったからではなく気絶していたかららしい。
人を担いで山を全力疾走するもんじゃないな。反省。次からは徒歩にしよう。次があるかは知らんが。
ハーネスを解いてやると、エレノアはぐらりと傾いだ。慌てて土魔法でクッションを作って受け止める。柔らかくしすぎて彼女は沈み込み、しばらくもがいていた。
「……ここは」
「私の秘密基地です。どうぞ中へ」
扉を開けると、エレノアの表情が変わった。ボロ小屋を想像していたんだろうが、中は釘1本使わない伝統工法のログハウス、1LDK。土魔法で作った暖炉、木魔法で削り出したテーブルと椅子、そこそこ快適な空間である。
「猟師の小屋、ではないのか……」
「三男坊の道楽です。座ってください。今、お茶を」
水魔法で水を出し、火魔法で沸かす。乾かして保存しておいた薬草を放り込めば、それっぽいハーブティーの完成だ。木のカップに注いで差し出すと、エレノアはしばらくそれをじっと見つめていた。毒を疑ってるな。
「毒なら山道を担いで運んだりしません。埋めた方が早いので」
「そういう言い方をするな!」
まあ飲む気になったらしく、彼女は両手でカップを包んで一口すすった。強張っていた肩が、ほんの少しだけ落ちる。
さて。この人をどう帰すか、が問題である。
「エレノア様。差し支えなければ、なぜあんな山奥に? しかも靴も履かず、ドレスは絹。どう見てもお忍びの散歩ではないでしょう」
「……」
「言いたくないなら結構です。ただ、事情がわからないと、私もあなたを送り届けようがない」
エレノアはカップの水面に目を落としたまま、しばらく黙っていた。それから、諦めたように口を開いた。
「……ルクレール公爵家を、知っているか」
「存じ上げております。四大公爵の筆頭でしょう」
げ、と内心で顔をしかめる。公爵家。俺の家より3段も4段も上だ。
「私はそこの長女だ。……いや、長女だった、と言うべきか」
「だった、とは」
彼女は自嘲めいた笑みを浮かべた。気品のある顔に浮かぶ影が、やたらと様になっている。
「3日前、王家主催の夜会でな。私の婚約者――この国の第一王子が、大勢の前で私に告げたのだ。『お前との婚約を破棄する』と。理由は、私が身分の低い令嬢を執拗にいじめていた、と」
「いじめていた、というのは」
「知らん。会ったこともない女だ。だが王子はその女を庇い、私を断罪した。侯爵家の令息も、宰相の息子も、揃って女の味方をした。証言も、証拠も、すべて用意されていた。……気づいた時には、私は公爵家からも縁を切られ、身一つで王都を追われていた」
あー。
あー、これ。これですわ。
庶民の女、王子、宰相の息子、騎士。全部揃ってる。俺が入学前に耳にした「妙な庶民の女がモテモテ」って噂の、答え合わせだ。乙女ゲームだか悪役令嬢物だかの、断罪・追放イベント。それが今、目の前で起きた"後"のようだ。
しかもエレノアは俺より3つ上。学園でいえば上級生。噂の女と同じ学年ってわけか。時系列が読めてきた。
つまり俺は、物語が一番きな臭くなったタイミングで、その一番の被害者を落とし穴に落として担いで帰ってきたことになる。
最悪だ。関わりたくないランキング堂々1位に、自分から突撃していったようなものである。
「……なるほど。ご愁傷様です、としか」
「同情はいらん。ただ――」
エレノアは顔を上げた。青い瞳に、疲労の底からわずかに火が戻っている。
「私は、やっていない。いじめも、何も。あの断罪は、初めから仕組まれていた。誰かが、私を蹴落とすために描いた筋書きだ。……それだけは、信じてくれとは言わん。だが、事実だ」
こういう時、都合よく「わかりました、俺が真実を暴いてあげます」なんて言えるヒーローだったら人生楽なんだろうな。あいにく俺はモブで、三男坊で、面倒ごとが嫌いな性分だ。公爵家の陰謀に首を突っ込んで得することなんて1つもない。
1番賢いのは、適当に食事を持たせて、街道まで送って、あとは知らんぷりを決め込むこと。
……なんだけど。
「エレノア様。ひとつ、こちらから提案が」
「なんだ」
「今夜はここで休んでください。追われている身なら、街道に出るのはかえって危ない。捜索の手が緩むまで、数日この小屋に隠れていた方がいい」
言ってから、自分でため息が出た。何を言ってるんだ俺は。平穏を守りたいなら真逆の選択だろうに。
「……なぜ、そこまでする。私は君にとって、ただの厄介事のはずだ」
「厄介事です。心の底から。ただ、まあ」
俺は肩をすくめた。
「憎んでもいない人間を、山に放り出せるほど、傲慢にはなれないもので」
それに、と胸の内だけで付け加える。断罪の筋書きだの陰謀だの、そういう話が本当なら――俺が避けようとしていた「物語」は、もう始まってしまっている。知らんぷりで逃げ切れる保証は、どこにもない。
だったら、せめて情報だけは握っておきたい。害がこちらに及ぶ前に。
エレノアはしばらく俺を見つめ、それから、初めて肩の力を抜いたように、ふっと息を吐いた。
「……トーリ、と言ったな」
「はい」
「妙な少年だ。まったく、妙な」
「よく言われます」
カップを置いたエレノアの手の震えは、もう止まっていた。
――こうして俺は、避けようとしていた面倒ごとを、自分の秘密基地に招き入れてしまったのである。
モブの平穏はどこへやら。物語は、勝手に俺を巻き込んで動き出す。
初投稿です。




