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 この日、ジークたちの住む村に初雪が降った。十年ぶりのことだった。貧しく、娯楽のない村の子どもたちにとって、この雪は文字通り降ってわいた娯楽で、朝から晩まで雪だるまを作ったり、雪合戦をしたりして遊んでいた。


 もちろんジークも例にもれず、姉であるエリーゼの言いつけも聞かずに遊んでいた。だから日が落ちる頃には疲れ果ててしまった。


「もうっ! ジークったら服がびしょぬれじゃない」


「ごめん。姉ちゃん」


 頬を膨らませてプリプリと怒るエリーゼに、ジークは頭を下げて謝る。幼い頃に両親を流行り病で亡くして以来、エリーゼは子どもながらにジークを育ててきた。


 ジークが十二で、エリーゼは十七。優しい村の人達の協力があったからと言っても、子どもが子どもを育てることは並大抵のことではない。ジークはずっと姉に迷惑をかけてきたという自覚があった。


 婚礼期にあるエリーゼが、恋人のハイトと結婚しないのも自分が原因であることも分かっていた。


 早く一人前にならないと、姉が安心して嫁にもいけない。しかし、十二歳のジークはまだまだ子どもで、つい目先の楽しみに心奪われてしまうのも無理のないことだった。


「ふぁ……」


「ほら。今寝たら風邪ひいちゃうわ。お風呂を沸かしてあるから、入って着替えてもう寝ちゃいなさい」


「うん」


 エリーゼはまぶたの落ちかけたジークの背を風呂場へと押していく。雪で濡れた服を脱がされる直前で起きられたのは、一人前になりたいジークにとって幸運だった。


「ひ、一人で入れるから!」


「そう?」


 エリーゼを無理矢理追い出して、一人風呂に入る。エリーゼと一緒に風呂に入っていたのは三年前までのこと。今ではもう一人で風呂くらい入れる。


「このまま大きくなって姉ちゃんを嫁に出すんだからな」


 小さい拳を握りしめてジークは、そんな決意を胸に固めていた。



 それからジークはエリーゼが洗濯した乾いた服に着替え、エリーゼが整えたベッドに横になった。そのころにはジークの眠気はピークに達しており、「しっかりと布団を被りなさいね」というエリーゼの言葉も耳に入らない有様だった。


 ジークは布団をかぶせてくれる姉の温もりを感じながら眠りにつく。ほどよい疲れも相まって、眠りに落ちる時ジークは幸せな気分だった。


 この幸せがもう終わってしまうのだとも知らずに。


   *


 焦げ臭い。ジークはおかしな臭いを嗅いで目を覚ました。


「なんだろ。この臭い」


 体を起こして、目をこする。瞼の向こうに明るい光が見えた。


「え?」


 目を開けたジークは窓の外を眺める。そして自分の目を疑った。


「ぎゃぁぁぁ!」


「た、助けてくれぇ!」


「うそ」


 窓の向こうに見えたのは崩壊する村の光景。家に火が放たれ、外へ逃げ出した村人を魔物が襲っていた。


 真っ黒な獣の姿をした魔物たちが村人を食い殺す。その中には当然ジークの知り合いの姿もあった。


 いつも卵をくれる隣に住むカールおじさん。今日雪遊びをした親友のパルミア。憧れのお姉さんだったリーフさん。


 彼らは一様に恐怖を浮かべ、涙を流して逃げまどう。爪で裂かれ、牙を向けられた村人は震える声で慈悲を乞うが、魔物に慈悲などない。


「ぎぃあぁぁぁぁっ!」


 カールおじさんが首を噛みきられて殺される。パルミアが心臓を貫かれて殺される。リーフさんが顔をべちゃりと潰されて殺される。殺されて、死んでいく。


 ジークは息を飲む。外をうろつく魔物の一匹がジークのいる方を向いた。真赤な瞳が家の壁越しにジークを見た、気がした。両手で口を押えて、ジークは窓の下にしゃがみこむ。


 気づかれてない。気づかれてない。気づかれてない。必死に心の中で念じてやり過ごす。魔物はしばらくの間ジークのいる家の方を眺めていたが、やがて興味を失ったように顔を背けた。


「助かった……?」


 ひとまずの危機は逃れた。けれどひとまずでしかない。村には依然として魔物がいるし、いくつかの家には火が放たれている。


 ジークの家は村の端っこ。魔物たちは殺戮を終えて、次の獲物を探して村の中央へ向かっていった。


「ジーク! 無事!?」


 ひとまずの恐怖を逃れ、ほっと息をついたところに扉を開けてエリーゼが入ってきた。


 エリーゼは息を荒げ、髪に雪を乗せていた。


「姉ちゃん」


「良かった」


 エリーゼはジークを見ると涙を流して崩れ落ちた。安心して腰が抜けたらしい。


「用があってハイトの家にいたら村に魔物が来て、それに突然家に火がつくし、ジークが魔物に襲われてたらって思うと怖かった……」


 混乱しているのか、彼女の言葉はまとまっていなかった。ジークが姉に駆け寄ると、部屋にもう一人別の男が入ってきた。


「ジーク君……無事でよかった」


「ハイトさん」


 エリーゼの恋人のハイトだ。ハイトの家はジークの家とさほど離れていない。ジークが眠っている間、エリーゼはハイトの家にいたらしい。


「俺の家でエリーゼと……話をしていたら、突然家に火がついたんだ。それで森にいた魔物が寄って来てしまって、くそっ!」


 村の猟師であるハイトは悔しそうに顏を背ける。ハイトは老いた両親と共に暮らしていた。


 ハイトの両親がどうなってしまったのか。それは語るまでもないだろう。


「それで俺たちはどうにかこうにか魔物の目をかいくぐって、燃えていなかったこの家に来ることができたんだ。そしてジーク君。君に頼みがある」


「頼み?」


 泣き崩れるエリーゼに目を向けて、ハイトが言った。


「俺はこれから魔物を殺しに行く。だからジーク君。君がエリーゼを守ってくれ」


「ハイト!?」


 ハイトの言葉に、エリーゼは思わずといった様子で顔を上げた。エリーゼの顔は泣いたせいで真赤になっている。


「何を言っているの! ここで隠れていましょう! そうすればきっと」


「駄目だ。ここに隠れるのはエリーゼ。それとジーク君だけだ。俺は……」


 ハイトは持った弓をギリギリと握りしめていた。目にも暗い輝きを宿らせている。


「ジーク君。いやジーク。約束してくれ。エリーゼを、君の姉を守ってやってくれ。そこの」


 ハイトはジークがさっきまで眠っていたベッドを指さした。


「外に逃げるのも危険だ。ベッドの下に隠れていれば、魔物が家に入ってきたとしてもばれないと思う。だから、頼む」


「お、俺が」


 ハイトの真摯な願いに、ジークは心が震えた。怖い。でもそれ以上にハイトの頼みを聞き入れたいと、姉を助けたいと思った。


「わ、分かった」


「ジーク!?」


「ありがとう」


 ジークの言葉を聞いて、ハイトはふっと口元を緩めた。彼はそのままエリーゼのところへ歩み寄り、目を見開いた彼女の唇に自分の唇を強く押し当てた。


「ハイ……ト」


「エリーゼ、愛してる。ジーク、エリーゼを頼んだ。俺は行くよ」


 さよならも、また会おうの言葉もなかった。呆然としたエリーゼはハイトが出て行くのを見ているばかり。


「姉ちゃん。急いで」


 そんな姉を、ジークはベッドの下に引き入れた。


   *


 空気のこもった音が耳を通る。その隙間を縫うように聞こえるのは、バチバチと燃える炎の音と村人の悲鳴。


 ベッドの下は姉弟二人が入れるくらいの広さはあったが、余裕があるというほどでもない。暗くて狭い空間は底冷えしていたが、ジークとエリーゼの体温ですぐに熱いくらいになった。


「ハイト、ハイトは」


「姉ちゃん。出て行っちゃだめだ。出て行ったら魔物に襲われる」


 時折聞こえる魔物の鳴き声と、重なるように鳴り響く村人の絶叫。聞こえる度にエリーゼはベッドから出ようとしたが、その度にジークは引き留めた。


「ハイトさんの、思いを無駄にしないで」


「ジーク」


 ジークは姉の体を抱きしめた。その体の華奢さに驚く。力を入れればぽっきり折れてしまいそうだ。ジークをたった一人で育てた姉の体は、こんなにも細かったのか。


 守らないと、ジークは強く思う。


「大丈夫。大丈夫だから」


 ジークは何度も言い聞かせる。


「魔物だってさ、勇者が何とかしてくれるよ。姉ちゃんだって知ってるだろ? ――勇者の噂」


「うん。魔物を殺すために異世界から来たって言う話、でしょ」


「村の魔物だって、その勇者が何とかしてくれるよ」


 勇者。ジークはそんな行商人から聞いた他愛のない与太話を持ち出して姉を慰める。エリーゼもジークの必死さを感じて、心を落ち着ける。


「だから大丈夫。魔物がいるんだ。勇者だって来るさ。そうすれば皆」


「危ない!」


 その時、家全体に強い地鳴りが響いた。エリーゼがとっさにジークをきつく抱きしめて、彼の上に覆いかぶさる。突然のことにジークはされるがままだ。


「な……」


 姉の突然の行動に、ジークは声を上げようとした。けれど地鳴りに続いて、彼の視界をまばゆいばかりの光が襲った。


 姉の熱さと抱きしめる力の強さを感じながら、彼は気を失った。


   *


 パチパチと、炎が燃えている。ジークはゆっくりと目を開けた。背中に雪の冷たさを感じる。暗い。ジークの上に冷たい、柔らかいものがのしかかっている。それはずっしりと重かった。


 暗さに目が慣れて、ジークは自分の上に乗っている「もの」を見た。嘘だと言いたかった。でもいくら目をこすっても見えるものは変わらない。彼の瞳が動きを止める。


「ねぇ、ちゃん?」


 そこにあったのは血に濡れた姉だった。姉だった()だった。あれほど感じていた体温をもう、彼女は帯びていなかった。華奢だった体はただの柔らかな物で、いずれ固くなる肉塊でしかない。


 エリーゼはジークに覆いかぶさるように死んでいた。彼女の背中には崩れた家の柱がいくつも突き刺さっていた。黒ずんだ血がこぼれきってジークの体を汚していた。


 エリーゼの顔に苦しみはなく、虚ろに開かれた目はじっとジークに向けられていた。


 ジークを抱きしめる姉の腕は固く、ほどけそうになかった。どれほどエリーゼがジークを守りたかったのかが分かった。


「あぁ」


 ジークはもう何も考えたくなかった。守れなかった。姉が死んだ。守ってほしいと頼まれた姉を守れなかった。守りたいと願った姉を殺してしまった。守られた。


 崩れた家の隙間から冷たい雪が降り積もる。考えることを止めたジークの耳が、人の声を聞き取った。



「いやぁ、勇者様の作戦は今日も上手く行ったっすねぇ」


「そうでしょ? あれだけの魔物を相手にするのは勇者の僕でも()()だ。だから近くにあった村を君が魔法で焼き討ちにして、炎で集まった魔物を僕が一気に殺す。おかげで()に魔物を殺すことができたよ」


 何を、言っている? 面倒? 楽? ジークは崩れ落ちた瓦礫の隙間から、話す男たちを見ていた。数は四人。黒髪の優男と、軽薄そうな男。二人は無残に崩壊した村を前にしてニコニコと笑って話している。


「でも村の人達には悪いことをしちゃったな」


「全てを救うことはできませんから。大のために小を切り捨てる。残酷ですが、それがこの世界の理というものですよ。勇者様」


 優男のそばに立つ巫女服姿の女が言った。


「そうだね。少しでも楽に魔物を殺すためだ。こんなところで消耗してちゃ魔物を滅ぼすことなんてできない」


「そうです。この村の方々も勇者様のためになれて幸せでしょう」


「――ふざけるな」


 ジークの声はかすれて、ろくに出なかった。だから、彼の声は彼らまで届かない。


 少しでも楽に魔物を殺すため? 勇者のためになれて幸せ? ジークは彼らの言っていることが全く理解できなかった。


 ジークを襲った光。あれは多分勇者の力だ。村を簡単に滅ぼしてしまうほど大きな力。そんな力を持ちながら、勇者は楽をしたいがために村を犠牲にした。そしてそれを必要な犠牲と切り捨てる。


 許せるはずがなかった。ジークは今すぐ立ち上がって勇者たちに殴りかかりたかった。殺してやりたかった。


 だがエリーゼが庇ったとはいえ、勇者の攻撃を受けたダメージは大きかった。姉の亡骸を振りほどき、瓦礫を除けられるだけの力はジークにはもう残っていなかった。


「さ、魔物を殺したことっすし、早く帰りましょうよ。俺っちもう女を抱きたくて、抱きたくて……」


「ははっ! お前はいつもそれだな。でも王都の空気が恋しい頃だ。皆帰ろうか」


 勇者は朗らかに言って村から立ち去った。ジークは遠のく意識の中、その背中を見送ることしかできない。


 魔法使いと巫女が勇者に続く中、壮年の騎士だけが村を振り返って小さく「すまない」と呟いた。


 ジークの意識は暗闇に呑まれる。彼が最後に感じたのは冷え切った物の感覚と、しんしんと降る雪の感覚だった。



   ***   ***



   ***   ***



「相変わらずひどいことしやがる」


「……」


 義賊〈アンイロアス〉の頭目であるセイブと戦士アベルがその村を訪れたのは、雪の降る夜が明けた次の日の朝のことだった。


 彼らの目の前には燃え尽き、崩壊した村が広がっている。勇者が一帯の魔物を根こそぎにするためにやったことだ。これで死んだ魔物の数は百十二体。巻き込まれて死んだ村人の数は二百一人。


 平和な王都などに住む人間は、村の犠牲を聞いてもなお勇者がまた魔物を殺したと彼を讃えるのだろう。


「反吐が出るな」


 セイブは顔にしかめっ面を作って吐き捨てた。魔物は一匹いれば十人は人を殺す。計算で言えば、勇者のしたことは善行なのだろう。


 だがそれは無残に破壊された村を知らない人間の理屈だ。


「くそっ。もう少し俺たちが早けりゃな」


 セイブとアベルは散らばる瓦礫から村人の亡骸を拾い上げて、綺麗に並べていく。死んでしまった人間は蘇らない。ならばせめて弔ってやりたかった。


「……セイブ」


 全身を漆黒の甲冑で覆ったアベルが、セイブに呼びかける。セイブは胡乱な顏で振り返った。


「どうした? 何か見つけたか?」


「生き残りを、見つけた」


「何だと!」


 ならもっと驚いた素振りを見せろ。セイブは慌ててアベルの元へ駆け寄る。瓦礫の隙間からわずかな吐息を聞き取り、セイブは慌てて瓦礫を払った。


「こいつは」


「……」


 セイブが見つけたもの。それは死んだ女に抱きしめられて気を失った、少年だった。


「ねえ、ちゃん」


 気を失っているはずの少年は、うわごとのように言った。彼の目から雪のような涙がこぼれた。

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