水族館
周囲のざわつきが多い。
ガラス張りの部屋。ガラスの向こうには優美に泳ぐ魚たち。
目を閉じれば涼しい。空調の管理も十分に行き届いているのだろう。
目を開ければ手すりにつかまりながら魚を眺める仲原さん。
「もう体調は大丈夫?」
「大丈夫です、もうピンピンしてますよ!」
そう言って笑ってくれる仲原さん。元気が取り柄の彼女らしい。
涼子が去った後、ほどなくして仲原さんが起きた。
最初は戸惑っていたけれど、寝不足だったんじゃないかという結論に至ったらしい。
そして数日後の今日は、誘われていた水族館に来ている。
いるのは親子連れやカップルばかり。そんな中、中途半端な距離を開けて歩く僕らはなんという関係なのだろう。
「あ、久住先輩、ペンギンがいます、わー、いいなぁ。触ってみたい。お腹のとことか、フワフワなのかな」
「ざらざらしてたり」
「う、それはイヤかもです」
こうやってなんでもない時間を過ごす。これはいたって当たり前のことで、誰にでも許される幸せ。
楽しいのだろう。普通なら。でも、僕の胸には違う思いが巣食っていた。
死者を見つけ、その人に言わないといけない。貴方は死んでいるのだと、そしてその死を納得してもらわないといけない。
ズンと心に重石でもついたかのようだ。気が滅入る。
死者に死を言う。
そうしないと、目の前で笑っている仲原さんも、そして僕も、死ぬかもしれない。
どちらがいいのだろう。
このまま僕らが死に引きずられるか、それともあいつ一人を死に還すのか。
「先輩、どうかしました? 疲れました?」
呆けたままの僕を見て手を振る仲原さん。
そんな彼女に笑顔を返す。うまく笑えているのだろうか。
「いや、なんでもないよ」
「あ、そこで休憩できるみたいです。行きましょう」
人ごみの中、仲原さんは僕の腕をつかんでひっぱった。彼女はとても素晴らしい女性だと思う。
明るいし、面倒見もいい、僕の写真を好きだと言ってくれることも、僕にとっては幸せなことだ。
だから僕は今、幸せなんだ。
幸せなのに――
手を伸ばした先でガラスに阻まれる魚との距離。この分厚いガラスの先に優美に泳ぐ魚たちはいる。
こんな風に、目に見える形で線引きされていたならよかったのに。
あいつと――
「ここ、座れますよ」
休憩所は自動販売機と、少しの人がいた。
仲原さんは財布を出して自動販売機の前に立つ。
「あたしはポカリにしますけど、先輩はミルクティーとかですか?」
「適当でいいよ」
「はーい」
二人で遊びに来ているはずなのに、別のことを考えている。
これはとても失礼な行為だけれど、どうしても考えてしまう。
ジュースを買い終えた仲原さんがミルクティーを手渡してくれる。
「ねぇ、仲原さん。仲原さんは死者が生きてたら嬉しい?」
「え?」
驚きで振り返る仲原さん。当然の反応だろう。彼女は首をかしげる。
「部長も久住先輩も変なこと聞きますね、死者について興味あるんですか?」
「部長が?」
「はい。この前言われたんです、部長に。自分はもう死んでいるのかもしれないって、あの地震で」
返事を返す代わりに、僕はペットボトルを少し握った。ペコっと情けない音がする。
仲原さんは僕の隣に座って微笑む。
「でもあたし言いましたよ。部長は生きてますって。だってあたしの目の前にいるし、触れるしって」
「そうだね」
死者も、僕らの目の前にいて、触れて、声を出して、笑っているんだ。
あいつは、いつも通りなのに、もう死んだ人なんだ。
そう思うとどうしても気が落ちてしまう。
「カメラ、持ってくればよかったですね。だったら記念に撮れるのに」
「インスタントカメラなら売店で売ってるみたいだよ?」
「あたし、買ってきますね!」
売店でインスタントカメラを購入し、適当に場所を決めると仲原さんが微笑みながらポーズをとる。
それをカメラに収めて、僕は静かに思った。
どうして知り合いが死んでいる事実を突きつけられないといけないのだろうかと。
パシャリとカメラの音が響く。
なぜ僕らなのだろうかと。
パシャリ。
音が響く。
これは悪い夢なんじゃないか。
音が――
だって、あまりも普通だ。
仲原さんが笑っている。僕は写真を撮っている。
あいつも今頃はどこかで笑っている。それは生きている人と同じように。
でも、きっとこの時を永遠に延ばすことは無理なのだろう。
この状況を長く保つことはできない。
死者を死に還せ。その言葉は呪いのように僕の脳裏に張りついて離れない。
親しい人と永遠の別離を、たとえそれがどれだけ悲しいことでも、やり遂げなければいけない。
言わないといけないのだろう、貴方はもう死んでいるのだと。




