4. 信頼への投資
アンドレの持つ商会はグランの想像とは違った。商会を立ち上げる前にやるべき事が全くなされていない状態だったのだ。在庫はたくさん用意されているが、商品の数の記録はされておらず、ただ買いたいと申し出てくれている貴族のリストがあるだけで、売買も未だ行われていなかった。
アンドレに聞けば、この商会の大まかな取り仕切りは前の経理の担当者に任せていたらしく、アンドレ自身に商いの業が身についているわけでもなかった。そしてその前の担当者は貴族の子息であり、アンドレ同様、商いの経験はなかった。
グランにしてみれば、よくそのような状態で商会を営もうと決断したものだと貴族というものに首を傾げるばかりであったが、とにかくまず項目を上げて商品を数え、数字を出し表にすると、月に一度アンドレに報告するというように、商会の形から作り上げていった。
そんな状態であったため、グランの生活を支えてくれるような収入は当分望めそうにはなかった。そこでグランは暮らしのために、商会が軌道に乗るまで造船所の仕事をかけ持つことにしたのだ。それも、造船所の休みは週に一度と限られているため、事務所に行くのはそのたった一度の休みの日か、造船所の仕事を終えた後であった。
二ヶ月もすると、商会はやっと形が見えてきた。わずかな時間の間にそれができたのは、少なからずグランに経験と才能があったからだろう。
事務所を時折訪れるアンドレとはその度に顔を合わせていたが、エリーゼにはあの日以来会っていなかった。二つの仕事をやりくりするために急激に忙しくなったためだ。また窓辺に頬杖をついて空を眺めているんだろうとなんとなくグランは想像しては申し訳なさを感じていたが、アンドレから「妹と会う暇があるなら商いの利益を上げろ」と言われそうで、屋敷を訪れることはなかった。
「おい、ジャン!船底修理は終わったのかよ?」
造船所の出入り口で、荷物をまとめて帰る支度をしている大柄な男に、似たような風貌をした男が声をかけた。
日も傾き、そろそろ仕事も終わりの時間になりかけている。
呼ばれたジャンはニタニタ笑って答えた。
「いいや、けど新人がやってくれるって言うからさ」
「お前、またラグレーンに押し付けたのか」
呆れたように息を吐く同僚にジャンは肩をすくめる。
「本人がやってくれるって言うんだからいいだろ、それにテディエ、てめえこそ一昨日甲板のタール塗り、やらせてたじゃねえか」
言われてテディエもへらっと笑った。
「まあな。いいんだよ、ああいうやつは慣れるためにいろんな仕事をこなすのが大事なんだからな。しかし、船底修理とは結構……」
とその時だ。
「失礼ですが」
と、二人に柔らかい声がかけられた。振り向くと、後ろに付き添い人を一人連れた美しい装いの令嬢が立っていた。労働者達は目を丸くさせた。
令嬢は上品な様子を崩さずに言った。
「ここの造船所の支配人かどなたかはいらっしゃいますでしょうか。ある方と少しお話できたらと思いまして」
ジャンは美しい令嬢に見とれてぼうっとしたまま固まってしまった。テディエも同じであったが、はっとして答えた。
「え、ええと、支配人は今日はもう帰っちまいました……けど、そろそろ仕事の終わる時間なんで、大抵の人間とは会えますよ。連れてきましょうか」
「まあ、ほんとうに?それじゃあお願いしてもよろしいかしら」
笑顔を浮かべた令嬢に、ジャンもテディエもしまりのない顔になってへらっと笑った。
「お安い御用ですよ。で、誰です?そいつの名前は?」
令嬢の言う名前をきいた途端に、2人は目を点にさせて固まった。
グランは材木を作業場にガラガラッと下ろし、息をつくと汗をぬぐった。
造船所の仕事が休みであった昨日は商会の事務所で座りっぱなしであったが、今日は朝から材木運びばかりだった。
造船所では多くの労働者が働いていたが、みなグランの犯罪歴を新聞で読んでいたため、彼からは遠ざかり、めんどうな仕事を押し付けていた。もちろん、グランはやっと雇ってくれた造船所を辞めるわけには行かないので、不平も言わず、懸命に働いた。
それに、力仕事はあまり得意ではないので、他の屈強な労働者と比べて作業が遅いことは自覚していた。それゆえ他の労働者と共同の箇所を作業する時は、相手を待たせたり、いらいらさせてしまうこともあったので、今回は残った仕事は自分が引き受けると申し出たのだ。
しかしこの船底の材料は重く頑丈な物ばかりで、仕事がいつも以上に延びそうだから、今夜は事務所に行くのは無理だな。そう思っていたところだった。
「グラン!」
突然、聞き覚えのある高い声で呼ばれ、思わず振り向いて目を丸くさせた。
「……エリーゼ?」
材木だらけの作業場に現れたのは、紛れもない伯爵令嬢エリーゼ・ドゥ・ジレ・ドルセットだった。彼女の後ろには、付き人らしい少し歳上の女性が控え、さらにその後ろには彼女らをここまで案内してきたと思われる工員のジャンとテディエが意外そうにこちらを見ている。
「な、なぜここに……。何しに来た?」
まるで奇怪なものでも見るかのような目つきを向けるグランに、エリーゼは腰に手を当てた。
「もちろん、あなたに会いに来たに決まってるじゃない!ちっともお屋敷に来てくれないんだから」
「……忙しいんだから仕方ないだろう。ここだけじゃなく、商会の仕事だってあるんだから」
エリーゼはそうねと肩をすくめてみせた。
「わかっているわ、お兄様から話は少しきいているの……ねえ、ところで、お仕事は終わった?今夜うちで夕食をご一緒にいかがかしら。お兄様からもぜひって言われてるのよ」
グランは鼻で笑って材木を持ち直した。
「あんたの屋敷で?無理だ。伯爵が許さないだろう」
「あら、お父様は最近ずっと、辺境の領地へ視察に行っているのよ。今あの屋敷の主人はお兄様だから安心して」
あの伯爵家の嫡男を前にして、安心などできるか。グランは心の中で呟いた。商会の営みに携わるようになってから、アンドレは根っからの貴族で上司としては気配りのできる良い男だと思ったが、エリーゼの兄としては依然として腹の読めない恐怖の対象だった。
グランは口元を歪めて、材木を彼女に見せるように掲げた。
「あいにく、仕事が終わらない。明日までにやる事は、ここには山ほどあるんだ」
と、その時だ。エリーゼががっかりしたような顔を浮かべる間もなく、彼女の後ろから空回りしそうなほど明るく野太い声が上がった。
「いやいや!待てよ、ラグレーン!」
ジャンとテディエは、グランに歩み寄ると材木や道具を取り上げた。
「船底修理は俺たちに任せて、お嬢さんの屋敷に行ってこいよ」
「元々俺の仕事だったんだから!かまわねえよ」
「え……?だ、だが……」
今まであまり関わろうとしなかった二人の思いもかけぬ言動にグランは戸惑うばかりであったが、エリーゼはたちまち満面の笑みを浮かべた。
「まあ、よかった!とっても親切な工員さん達ね!」
そう言われたジャンとテディエはしまりのない顔でへへへと笑った。グランは彼らを冷めた目で見ていたが、突然ぐいっとエリーゼに腕を引かれて驚きの声を上げた。
「うわっ」
「さあ帰りましょう、グラン!その木はそこに置いて!素敵な工員さん達、ごきげんよう」
そうして令嬢に引っ張られるようにして去っていく新人と、その後の付き添い人が造船所を去っていくのを見送りながら、ジャンとテディエは、ほうっと息をついた。
「まさか、やつにあんな美人なご令嬢がいたとはな」
テディエの言葉にジャンも頷いた。
「しかも相当な金持ちだぞ。やはり犯罪者でも有名どころは違うぜ……」
「たぶん、あいつはここは長くないだろうな、すぐに出て行くに違いねえ」
二人は材木を下ろして作業に取り掛かり始めた。
造船所から出て、そのまま馬車で伯爵邸に連れて行こうとするエリーゼに、グランは自宅に戻り、身なりを整えてから一人で屋敷へ向かうと言ったが、エリーゼは首を振った。
「そんなの信用できるわけないでしょ。いいわ、あなたの自宅の前で馬車に乗って待っていますから。早く支度をすませるのよ」
結局グランは彼女から逃げることも叶わず、着替え終わるとすぐに彼女の馬車に乗せられ、伯爵邸まで連れて行かれたのだった。
食堂に入ると、主人席にはエリーゼの兄アンドレが腰を下ろしていた。エリーゼとグランが入ってくると笑顔で立ち上がった。
「やあラグレーン殿、ようこそ。エリーゼ、お帰り。よく彼を連れて帰ってきてくれたね」
「こんばんは。お招きいただいて光栄です……」
グランは小さく会釈をした。
「ただいま、お兄様。あら、あなたたちは私ほど久しぶりではないのでしょ」
エリーゼはツンとすましたように言い、上着や荷物を後ろで控えていた召使いに預けると席についた。
アンドレは軽く笑った。
「まあそうだね、でも仕事なのだから、あたりまえじゃないか……ああ、ラグレーン殿、ぜひそこへ座ってください、上着は彼に」
グランが振り返ると召使いが上着と鞄を受け取ってくれた。
グランはその動作に一抹の懐かしさを覚える。ああ、昔は自分もこういう生活をしていたのだった。崩れかけた家の扉を開けて、上着をその辺に放り出し、テーブルに置いてある古くなって固くなったパンをかじるのではなかったのだ。
席についてお祈りをすませると、ご馳走が次々と運ばれてきた。豪華さを増していくテーブルを見ながら、グランはスープを口に運びながらぼうっとしていたが、アンドレに話しかけられていることに気づいてはっとした。
「……だから、長年商業に携わっていた男は他とは違うと実感しましたよ。やはりあなたに頼んでよかった」
どうやら仕事の話をしていたようだ。兄の言葉に、エリーゼはサラダをつつきながら不服そうに言った。
「お兄様は意地悪よ、ちっとも動いてなかった商会をグランに押し付けるなんて。彼は生きていくために働いているのよ。お兄様みたいに気まぐれを起こしている暇なんかないわ」
「おやおや、そうなのですか?」
アンドレはおどけたようにグランにきいた。
グランは答えた。
「正直に申しますと、私は、今の造船所での稼ぎで、やっと生活できる状態です。商会の仕事はその合間にやる程度でしかお力になれず、申し訳ない限りです」
「えっ?」
アンドレは柔和な雰囲気を崩して心底驚いたように目を見開いた。
「ほんとうにそうだったのですか?まだ造船所に?」
「お兄様ったら!じゃあ私が今日グランを迎えにどこへ行ったのか知らなかったというの?」
エリーゼは呆れたように言って無意識に頬杖をつこうとしたが、はっと気づいて手を膝に移した。
グランは言った。
「ほぼ毎日造船所へ通っています。事務所に行くことができるのは仕事が終わった後と、休日だけです」
商会に携われるのはほんとうに限られた時間だ。生活していくためにはどうしようもなかった。
アンドレはずっと驚いた表情のままで、グランを見つめていたが、突然すっと頭を下げた。
「申し訳ありませんでした。あなたのご事情をしっかり把握できておりませんでした。しかしそんなわずかな時間で……」
何やら口先で呟いた後に、決意したような顔になって確認するように尋ねた。
「造船所で働くのは衣食住のためとおっしゃいましたね?それ以外に理由はないと?」
「え、ええ」
「でしたら、ここから北にそう遠くないところに、私の所有する家がありますから、そこで生活してださい。ほんの小さな住まいですが、コックと召使い、メイドをつけてありますから食事その他は安心なさって結構です」
「な、なんですって?まさか……」
「造船所を辞職して、こちらの商会に専念していただけませんか。生活はこの私が保障します」
伯爵子息がまたもや思いもかけない提案してきたことに、グランは頭を抱えそうになった。彼は、ほんとうに一体何を考えているんだ?グランは少しの間黙っていたが、顔をしかめて言った。
「……商会はまだ利益を出していない。見返りを受け取るほどの功労も立てていない。なにより私はーー施しは受けません」
アンドレは首を振った。
「施しではありません、私はあなたに投資しているのです」
「……投資?」
「そうです。あなたはわずか二ヶ月、それも造船所の仕事の合間という限られた時間で、商会の欠落を満たし、正確な運営に導いた。あなたはやはり商いの人間です。あなたがこの商会を大きく繁栄させてくださることにどうか投資させてください。もちろん商会が軌道に乗ってあなたの収入が安定すれば、家は出ていってもらってかまいません」
熱心に言うアンドレに、グランは苦虫を噛み潰したような顔になった。
もちろん商いはグランには慣れたものだった。造船所で木材を運ぶよりも数字を割り出す方がずっと得意であった。
しかし、グランはこの貴族気質のアンドレがどうしても信じられないのだ。自分は牢獄から出てきた身だ。たとえこの商会が成功しても、自分の名を社交界に明かせば損失を招いてもおかしくはない。何も得るものがないはずなのに、こうまでして自分に入れ込むのはなぜなのだろう。何か裏があるにちがいないのだが、それが全くわからなかった。
黙っているグランに、アンドレは再び意地悪そうな笑みを浮かべた。
「まあ、私の話を受けないという選択肢はないことはご存知かと思いますが」
グランは目を細めた。
「あなたは……恐ろしい人ですね」
アンドレはにっこり笑った。
「よく言われます。実際はそうではないつもりなのですがね。まあでもこの話はあなたにとっても、悪くないでしょう?」
「あらグラン、私は大賛成よ!だってあなたの忙しさが少し減って、会える機会が増えるんですもの!」
と、突然エリーゼが嬉しそうに口を挟んだ。
アンドレはそんな妹に優しげな微笑みを向けている。それは兄が妹を慈しむものにちがいなかった。
グランは肩をすくめた。
「……わかりました。ではご厚意に甘えることと致します。商会に全力を尽くさせていただきます」
「よかった!それでは早速明日から引っ越しの準備をお願いします。ああ、これで心置きなく夕食を味わえる」
アンドレはにこやかにメインの肉にナイフの刃をあてた。
夕食を終えるとアンドレはすぐにやる事があると食堂を去っていった。グランも席を立って出口に向かい、エリーゼも玄関まで見送りに食堂を出た。
「グラン」
エリーゼは玄関のところで立ち止まって言った。
「ほんとうのところ、どうなのか教えてくださらない?さっきは私ああ言ったけど、もしもあなたが造船所をやめたくなかったのなら……」
グランは目を丸くしたが、小さく笑った。
「いいや、造船所は元々俺には向いていなかったし、ほんとうに食べるために勤めていただけだ」
グランはまっすぐ見つめてくるエリーゼに目を合わせて正直に言った。
「やっぱり俺は木材より数字をいじっている方が好きなんだ。正式に経済界に復帰できるとは思っていないが、その機会を与えてくれた君の兄上には感謝している。ただ……」
顔を曇らせて目を逸らしたグランに、エリーゼは引き継いだ。
「お兄様の意図がわからなくて、不安なのね?」
グランは眉をしかめて頷いた。
「考えないわけがないだろう……何か罠があるんじゃないかとしか思えない。こんな犯罪者の俺を嵌めたって何の得にもならないことはわかっているんだが……」
エリーゼは両手ですっとグランの片手を握った。
「実はね、少し前にお兄様にきいてみたのよ、『なぜグランに商会の仕事を任せたの』って。そうしたら答えは何だったと思う?」
グランは肩をすくめた。
「人手不足とか?」
エリーゼは笑って首を振った。
「いいえ、私もそう考えていたんだけど、違ったの。お兄様はこう答えたのよ、『そうすれば彼はお前に理由もなしに会えるだろう』って」
グランはぽかんとした。
「あんたと俺を会わせるためだって言うのか?俺が雇われた理由が?」
「ええ、どこまで本気なのかわからないけど」
グランは全く本気にできなかった。冗談だろう、あの伯爵の嫡男がただそれだけの理由で動いているとは思えなかった。グランが納得いかないような顔をしていると、エリーゼは言った。
「お兄様が私の心を第一に考えてくれているのは確かよ。お兄様は私を政略の駒になんて全く考えていないもの。もしそうであるなら、二十一歳でまだ結婚せずに家にいるなんてことはできないわ」
「……あんた、二十一だったのか」
箱入りで育てられたからか、少々あどけなさの残るエリーゼをグランはしげしげと眺めた。
エリーゼは少し赤くなった。
「そ、そうよ!だから親戚からは舞踏会の誘いが多いの」
「だが縁談の話が来ないわけがないだろう。そもそも王の覚えもめでたい伯爵家なんだから、条件の良い話もあったはずだ」
エリーゼは口を尖らせた。
「だってどうしても嫌だったんですもの。お兄様に泣きついたら全部断ってくれたわ」
「それは……」
完全なシスコンではないだろうか。グランは言葉を飲み込んで、言い直した。
「とにかくあんたの気に入るものは手に入れて、それ以外は排除してきたということだな」
エリーゼは笑顔で頷いた。
「ええ、そうね。私はずいぶんわがままに育ってきたわ。でも私のわがままで潰れちゃうような家でもないし、むしろこれ以上権力を持ったって仕方がないと思うのよ。そんなもの捨てるほどあるんだから」
「……その権力を持つために祖先がどれほど奮闘してきたのか考えないのか?」
グランはエリーゼの言葉に驚き、死んでしまった彼らに少々同情した。グラン自身もかつては権力を手に入れるために血の滲むような努力をしてきたのだ。
エリーゼは肩をすくめた。
「私は貴族としての誇りはあるけど、権力を頼りにして生きるなんて、無意味な人生だと思うわ。いずれは自分の手から離れるものに固執するなんてばかみたい。そんなものがなくても人の上に立つべき人は、いつか必ず上に立つものよ」
グランは鼻で笑った。
「人の支配下に生まれてみろ、誰だって上に立ちたいと思うさ。名高い貴族の家の娘だからそう言えるんだ。権力ありきの貴族の誇りだろう」
エリーゼは、違うわと笑って首を振った。
「貴族としての誇りは権力から生まれるものじゃないわ。人から得る信頼よ。信頼こそ何よりの誇りだわ。貴族に限った話じゃない、国王だって、銀行家だって、商人だって、医者だって、肉屋さんだって、人から信頼を得ているから生きていられるの。だから、みんなそれぞれ誇りを持って仕事ができるのよ」
エリーゼは玄関のロビーにかけられた先祖の肖像画に目を移した。
「……私は一族が努力して王や民達との間で信頼を培ってきたことを誇りに思っているわ。私自身もそれを大切に受け継ごうと思ってる」
グランも肖像画を見ながら、エリーゼの言うことにも一理あると少し感心していたが、口を歪めた。
「信頼なんてものは偽善だ。俺は経験上そう思う」
エリーゼはその言葉に目をぱちくりさせたが、急に笑い声をあげた。
「何言ってるのよ、あのお兄様からもうすでに信頼されているじゃない!だから経理を任されたんでしょう、偽善なんかじゃないわ」
「あれは信頼されているとは……」
「グラン」
エリーゼは大真面目な目をして言った。
「まずはあなたがお兄様を信じてあげて。それができないなら、私を信じて。私はあなたを陥れたりなんかしないわ、誓ってね」
グランはエリーゼの真剣な表情を見つめた。初めてエリーゼと会ったあの日も、彼女は同じような顔をしていた。
短剣を持って暗殺を企んでいた自分を、役人に突き出すこともせず、ただ説得しようとしていた。自分が周りの人間に非難されることなど気にもかけずに、全力で復讐を止めてきたのだ。グランは、目を逸らして小さい声で言った。
「あんたのことは……信じてるよ」
その言葉に、エリーゼはみるみるうちに満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう!とにかく、今はがんばってみて。事務所にはときどき私も行ってもいいでしょう?」
「あいかわらず暇だな、茶会に行けよ。貴族の娘ならそういうのは大事だろう」
グランが呆れたように笑うと、エリーゼは肩をすくめた。
「まあ、それは……気が向いたらね。むしろ事務所でお茶を淹れてあげるわ、私、とっても上手に淹れるんだから!」
グランはわかったわかったと小さく笑いながら伯爵邸を去っていった。エリーゼはその後ろ姿を見つめながら小さくつぶやいた。
「がんばって、グラン……」