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2. 花言葉

エリーゼは窓辺で頬杖をついて空の雲を見ていた。雲は形を変えていくので、見ていてちっとも飽きないわ。ヒツジの形だったのがのびてウサギに、そしてウマになる。雲の形が剣の形に姿を変えたとき、エリーゼはため息を吐いた。

社交界に出向かないエリーゼは毎日暇で暇で仕方がなかった。新しく手に入った小説はもうとっくに読んでしまった。エリーゼはやりかけの刺繍に目をやったが、手を伸ばすことはなく再び青空に顔を向けて、再びため息を吐いた。

あの舞踏会の日からもうひと月以上経っている。あれからエリーゼの元へ来たのは、マリー奥方やその他の親戚からの舞踏会や茶会の招待状だけで、グラン・ラグレーンが訪ねてくることはなかった。

来てくれるって言ったのに。もちろんエリーゼも、彼が貴族の自分と違って、生活のために働いているだろうことはわかっていた。おそらく彼は文字通り一文無しから生活を始めているのだ。元々財を築くことに執着があったようだが、働き口は見つかったのだろうか。何にせよ、復讐して自殺するという考えは今は捨ててくれたのだから、それは喜ぶべきことなのだが。

エリーゼは再び頬杖をついた。忙しいのはわかるけど、一目でも会ってくれたらいいじゃない。

と、その時である。


静かにドアがノックされ、メイドが入ってきた。


「お嬢様、花売りの方がお嬢様にお会いしたいとお見えになっております」


エリーゼは目をぱちくりさせた。


「花売り……?私に何か用なのかしら」


「何か、贈り物をお持ちしたようですが」


エリーゼは首を傾げたが、頷いて言った。


「いいわ、通してちょうだい」




少し経つと、再びノックの音とともにドアが開けられ、そばかすのある少女がきれいな花束を両手に抱えて入ってきた。私より、少し年下くらいかしら。

花売りの少女は、豪華な部屋へ通され、緊張した表情で口を開いた。


「こ、こんにちは!あの、その、あなたが、エ、エリーゼさんですか?」


エリーゼは思いの外大きい彼女の声に目を丸くしたが、相手を安心させるべく、にっこりと微笑んだ。


「ええ、そうよ。かわいい花売りさんが私に何かご用かしら?」


少女は少し赤くなって首を縦に振ると、持っていた大きな花束を目の前に差し出した。


「あ、あの、これ、グランさんという人から、贈り物です!」


エリーゼは目を見開いてまじまじとそれを見た。


「それ、ほんとう……!?」


「は、はい!え、えと、花の中にカードが……」


少女は頷くと、花々の間から一枚の小さなカードを取り出し、エリーゼに渡した。

見るとそこには、ただ"エリーゼへ、グランより"と書かれてあるだけだった。しかし、エリーゼは思いがけない贈り物で喜びに溢れていた。まさかお花を贈ってもらえるなんて!社交界に出向かない彼女は、花をくれるような紳士と知り合うこともなかったので、とても新鮮な気持ちだった。花々は一種類だけでなく様々な種類で集められ、まるで森の花畑をそのまま持ってきたような、美しい花束だった。


「ありがとう!とても嬉しいわ!」


エリーゼが花束を受け取り、満面の笑みを少女に向けると、彼女はまた赤くなって照れた様子だった。

エリーゼはしばらくの間喜んでいたが、ふと疑問が湧いた。


「……でも、なぜ、あなたがわざわざ届けてくれたの?彼は忙しかったのかしら」


少女は肩をすくめた。


「い、いえ、確かに毎日忙しそうにしているのを見かけますが、今日はここのお屋敷の前でずっと立ち往生していました。それで、その、手みやげにと思って花はいかがですかって言ったら……」


「届けてくれないかと頼まれたのね?」


「はい……私にお金とそのメッセージカードを渡すと、どこかへ行ってしまいました」


エリーゼはがっかりしたように肩を落とした。なによ、すぐ目の前まできたんじゃない。

ふてくされたような顔になったエリーゼだったが、突然ふと思いついて少女に言った。


「ねえ!頼みがあるのだけれどいいかしら?」




グラン・ラグレーンは、自身の今の住居ーー豪邸に住んでいた前とは大違いの、掘っ建て小屋のような住まいーーの前まで来て、ため息を吐いた。


彼はあの舞踏会の後、街で仕事を探してまわったが、自分の名前を言った途端、顔をしかめて追い出されるのが関の山だった。最終的にたどり着いたのは、港近くの造船所で、そこでようやく雇ってもらうことができた。肉体労働の毎日で、銀行家だったグランには骨の折れる仕事だったが、給料をもらえたら新しい服を買ってエリーゼの元を訪ねようと思っていた。

元々義理堅いとは言えないグランは、約束を守ろうとは思っていなかった。しかし彼女の屋敷の前を通る時、隙間からエリーゼがよく窓辺で頬杖をついているのを目にしていた。彼女からはちょうど死角になっていて見えないため、気づかれることはなかった。窓から身を乗り出して頬杖をつくなんて、貴族令嬢にあるまじき行為だな。グランは笑いが込み上げてきたが、寂しそうな彼女の顔を見ていると、もしや自分を待っているのではないかと思うようになり、あと何日で給料日かと数えるようになった。

しかし、いざ給料を受け取り、新しい服を買って彼女の屋敷の前まで来ると、屋敷の荘厳さに圧倒されてしまった。

グランは自分の服を見直した。良い服を買ったつもりだが、昔の自分のきらびやかな服に比べたら随分と地味だった。

昔は銀行家として社交界に名を馳せていたが、今は造船所の下っ端だし、ましてや牢獄から出てきた身だ。対してエリーゼはドルセット伯爵の娘である。ドルセット伯爵家といえば、国王からも信頼の厚い指折りの権力者なのだ。遊びに来てと彼女は言ったが、そんな屋敷にこの自分が入れるわけがないじゃないか。

そう思って、屋敷の前から立ち去ろうとしたとき、ふいに声をかけられた。


「手みやげにお花はいかがですか?女性ならお花は喜ばれますよ」

いつもこの通りを歩いている花売りの少女だった。グランは反射的に断ろうとしたが、たくさんの種類の花々を見て、ふと思いついたように言った。


「その花全部、もらおう」


少女は目をぱちくりさせた。


「え、全部ですか!ありがとうございま……」


「ただしひとつ頼み事がある。その値段より余分に払うから、ここの屋敷のエリーゼという令嬢までその花束を届けてほしい」


「え……私がですか?!そ、そんな無理です、こんな屋敷の前にいるだけで足が竦みます!ご自分で行って来てくださいよ、そんなに綺麗な服を着ているのに」


花売りの少女の言葉を聞きながら、グランは上着の内ポケットから紙とペンを取り出してさらさらと宛名を書くと花束の中に入れ、今度は財布を取り出して金を出し少女に渡す。


「頼む、俺は……入れない。エリーゼという女性に渡すんだ」


少女は差し出された金を受け取ったが、不安そうな困ったような顔でグランを見た。


「ほんとうに私が行くんですか……!もし追い出されても責任負えませんよ」


「ああ、大丈夫だ、俺よりましさ」


グランはもうその場から立ち去ろうとしていた。


少女は慌てて言った。


「ちょ、ちょっと!あなたのお名前は?!」


彼は振り向いて言った。


「グラン、だ」






今頃エリーゼは花束を見てくれているだろうか。喜んでくれたか。もしかしたら、俺の事など忘れてしまっただろうか。

少し不安になったグランは、自分の家の前に来たにもかかわらず、回れ右をして再び通りを歩き始めた。屋敷から出てきた花売りの少女に会えたらと思っていた。

しばらく歩いていると、ほんとうに彼女が前から歩いてくるのが見えた。手には新たな花束を持っている。しかし、今度は紫一色の花だった。


「ちゃんと渡してきましたよ、エリーゼさんに。とても美しい方でびっくりですよ」


少女はどっと疲れたような顔をしていた。


「ありがとう、感謝している……。それで彼女は喜んでくれたか?」


グランが恐る恐る問うと、彼女は持っていた紫色の花束を突き出した。


「何も言わずにこれを渡してほしいって頼まれました」


「彼女がこの花を……?」


グランは花束を受け取ると、不思議そうにそれを見つめた。一体どういうことだろうか。先ほどの花束は気に入らなかったのだろうか。

彼の訝しげな顔を少女は少し黙って見ていたが、大きく息を吐いて、腰に手を当てて言った。


「エリーゼさんには言うなと言われたけど、花売りとして教えてあげます。それは、アネモネという花です。アネモネは色によっていろいろな意味に分かれます」


「なんだ、それは」


グランは眉を潜めた。


「花言葉ですよ。花にはそれぞれ意味があって、色や大きさによっても違ってくるんです。赤いチューリップは"永遠の愛"、白バラは"尊敬"、ポピーは"忍耐"、黄色いカーネーションは"軽蔑"。黄色いバラは"嫉妬"を意味します」


女が好きそうな類いである。グランは小馬鹿にした様子できいていたが、ふとエリーゼから贈られたこの紫色のアネモネはなんだろう、と不安になった。


「それで、この花の意味は……?」


恐る恐る彼が尋ねると、少女はにっこり笑った。


「"あなたを信じて待つ"ですよ」


グランは息が止まった。

少女は花束を指した。


「中にカードが入っています」


言われて花束の中を覗くと、自分が入れたものよりもしっかりしたカードが入っていた。

取り出して見ると、グランは自分の気持ちが高揚するのを感じた。

カードには"今すぐここに来なさい。 エリーゼ" とだけ書かれてあった。


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