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非番2日目。
昨日のミネルバとのやり取りと自分の疑問とを重ね合わせて、埴生の賃貸平屋のリビングで、オークが柔軟体操を丹念にしている。
しかし家にこもったままでは結局頭に血がいかないとわかって、チノパンにノースリーブにグラサンをかけたリチャードは、当てを決めずに街を歩くことにした。
今日も暑く晴天だ。リチャードの賃貸平屋から難民キャンプと間違えるようなバラック宅地の坂道を下ると、すぐに市街地に入った。
王国時代にあってもリバルゲンタ北西最大の宿場町だったらしい、今や何のひねりもない『北リバルゲンタ』という名の地方都市は、ラング魔導国の玄関口にもなっている巨大空軍基地――事実上の国際空港とショッピングモール『メルカートス・リバルゲンタ』を擁し、魔界に属する北側諸国への国際流通センターと、放射状に伸びる高規格整備された幹線道路のハブを担っている。
ラング国境と面している首都のハルボーマブゼと比較しても、ここ北リバルゲンタが圧倒的に大きかった。
電気と上下水道を強引に整備した遺跡リノベと鉄コンの混在する通りは、馬車道を潰して拡張した対面2車線のアスファルト舗装に自家用車とトラックと、オートバイと自転車と、ラング人の跨る浮遊箒が入り乱れている。
郊外のバイパスに渋滞を逃がそうとかなりの警察軍が誘導灯を振っているが、解消されるどころかクラクションとパッシングの応酬になっていた。
リチャードの野太い短足が官庁街に達する。
細いばかりの枯れかけの街路樹と、ラングから輸入した腐葉土でどうにか咲いたマリーゴールドばかり彩られる広い歩道を歩いていると、市役所前の広い駐車場に人だかりが出来ているが見えた。
警察軍が出張って警備と群集整理に忙しなく動いているし、程よく手入れされた革鎧から魔導ローブから合成繊維のボディアーマーまで、統一なんてありえない多種多彩な装備をまとっている異様な姿は冒険者だろう。
グラサンを外したリチャードが規制線に群がる野次馬から背伸びして様子を見ると、魔界の歩兵中隊が整列していた。
昨日、喫茶店の新聞に載っていた脱走部隊だろうか。
魔界連邦陸軍現用のアフガンカ戦闘服のボタンを胸元まで留め、様々な帽子のひさしを整えて、やすめの姿勢を崩さずに登壇を待っていた。
お偉方の御高説を賜る必要があるのだろうと、整然の脱走部隊に対し哀れとは思わないが同情をしたリチャードは野次馬を抜けて、再び歩き始める。
たどり着いたそこは、入居募集の倍率が20倍超えでリチャードが抽選を外した、2年前に建設された新築の国営団地だった。
9階建ての城壁のような集合住宅の複数棟に囲まれた大きな公園だ。端にあるコンクリートブロックの簡素なかまどを、魔界から亡命してきただろう人造魔族の男が2人がかりで準備している。
よく見ると、一緒に非番になっているリチャードの僚機ペアだった。
浅黒い顔の照っているグァンユー・チェン大尉と深堀り顔に髭を蓄えたビラール・シャー大尉が、近所の人間とバーベキューの支度をしているようだ。
「あ、ガス少佐。どうですか一緒に」
グラサンをかけたオークを見つけ、すぐにリチャードだとわかったグァンユーが、缶ビールを挙げて集まりに呼んだ。
「市民交流ってやつか?」
「ただの近所の寄り合いですよ」
缶ビールの結露をポロシャツで拭ったグァンユーはもうぬるいことに気がついて、酒ばかり氷水に浸かったビニールプールから500mlの1本を掬ってそのままリチャードに手渡した。
膝を擦りむいて泣いている子どもに治癒魔法をかけている母親を見て、グァンユーは羨ましそうにビールを飲む。
「あっちの世界で生きてた時には考えませんでしたが、結婚しろと親が言うのもわかりますよ。リア充爆散しろってやつです」
グァンユーはおどけて、虚しさに気づくと深いため息をついた。
「見つけりゃいいじゃねえか。いくら実情があれでも、お前みたいな優秀な戦士なら引く手数多だろう」
「オーク基準で言わんでください。俺は同胞から見れば地味な顔なんです」
「あ、そう」
顔で選ばれる理由がリチャードにはわからないが、そういうものなのだろう。
「人造魔族は魔力はないし子どもを作れませんからね。戦災孤児を養うってのも流行っちゃいますが、なんにしても俺にはまだ無理です」
太い指でどうにかプルタブを引っ掛けたリチャードの横で、ビラールが水の入ったペットボトルを僅かな握力で握りつぶしながら、朗らかな雰囲気に目を細めている。
「おや、オークかい」
エールの瓶をコップに注ぐ剣傷だらけの老人が、リチャードを見て少しだけ眉をひそめる。
「俺の上司です。見かけたので呼び込みました」
グァンユーはあくまで笑んでいる。
老人は気がついて、リチャードを見る目を明確に自分の羞恥にかえた。
「リチャードといいます。アタラクトの北にいるゴラグ氏族の出身です」
リチャードは堂々の態度をもって友好を示し、牙つきの豚口をせいぜい人間よりに笑ませる。
オークとは元来から蛮勇を尊ぶ、他者が見れば醜い亜人であって、害を及ぼす限りモンスター扱いになるのはリチャード自身がよく知っているし、老人もかつては冒険者で討伐ぐらいはやっているだろうと察した。
このままでは老人が黙りきってしまうので、リチャードから話を振った。
「その剣傷、熟練の冒険者だったとお見受けします。私が頭ばかりで武具ひとつとっても不器用でしたので、ガキの頃はあなたのような冒険者に妬みと憧れを抱いたものです」
「ゴールド級として、『鉄撃のベンカント』なんて名乗って馳せたものだが……やはり齢だ。弟みたいな才能もなかったわけで……だいたいそういう時代でないことは、このリバルゲンタに流れ着いてからよくわかった」
リチャードとベンカント老人がしんみりしている横で、オーラ人の女の子がビラールに焼けた分の紙皿を運んでいた。
「ビラおじちゃん、焼けたよ」
リチャードが横目する。……美味しそうに焼けたウィンナーだ。うちの普段より高級なやつ。
だがビラールは差し出した少女と芳ばしく肉汁が滴る豚の腸詰めを交互に見てから、丁重に断った。
「ごめんなリリちゃん。おじさん豚肉にアレルギーがあってね、頂けるのはとても嬉しいけど食べたら倒れてしまうんだ」
酸素マスクの装着に支障がない程度に蓄えたビラールの口髭が、心の底から申し訳なさそうに萎れた。
リチャードは視線をベンカント老人に戻し、年功を頼って尋ねることにした。
「お前さんらが、銀龍に敬礼する理由?」
ベンカント老人は目を丸くして、素っ頓狂に聞き返す。
「税金の無駄使いだっていうのはよしてください」
そう冗談めいて老人に断るリチャードも、耳に入ってしまったグァンユーとビラールも顔がひきつっている。
――これが原因でスキャンダルになり、市民の理解を得られず議会の言及と喚問とで、万一予算を減らされたら……。
魔界とか他ではエリートとして珍重されているはずの、重責激務なにより薄給を課せられるリバルゲンタ軍航空勤務3人の暗黒を見たベンカント老人は、「それよりラングから袖の下通されている代議士連中や無能な大統領の給料をだな」と逸してブチギレた。
「わしの弟、まあ50年近く会ってはおらんのだが……聖王教国の神殿で今は枢機卿の立場にあるそうだが、最後に言っておったな。『何気のないひとつを信じるからこそ、そこに神が降臨されると』」
「神が、降臨される……」
豚口に親指を添えて、リチャードはどういう意味かと考える。
昔気質のオークが古い武具を大切に受け継いで蛮勇を尊ぶ様子と、似たところなのだろうか……。
「それ、うちのボスが言ってた。『信心もイワシの頭から』ってやつ。で、崇め奉られた今の聖王がとんでもねーアホだったんでもー」
酩酊して愚痴の止まらないオーラ人の警察軍大尉が、若奥さんと何もわかっていない娘のリリに引っ張られて、団地のエレベーターに押し込まれていった。
「人造魔族は、教国連中を『レコンキスタ』と呼んでいる。それは我らがかつて生きていた世界の歴史において、大陸の東へなだれ込んだ狂信者の名だ」
水を呷って、ビラールは静かにそう語る。
「盲信に至る信仰より、父祖より続く頑なの教えより。何もないのを認める今の境地は、……ある意味では気楽だ。本当に何も持っていないのであれば、確かにそうだ。だけれど私は、以前の神を捨てられぬ。この姿を認められぬのはわかっているのにな」
ビラールの吐露に、リリがその場に置いた熱いウィンナーをほふほふ頬張るグァンユーは、缶ビールのぬるい中身に口をつけるだけだった。
開けた缶ビールを舌を濡らす程度に啜るリチャードには、魔界の魔族として2度目の生を受けてしまった僚機ペアの心境というのを、完全には理解できないが。
「なあビラール。今さらそこまで考えることか?」
静まりに、短パンポケットから左手を出したグァンユーが、渋い顔でリチャードとベンカント老人にも視線を回す。
「少佐もそうです。ベンカントさんの弟の答えは正しいし、さっきのシャオグー(若い兄ちゃん)も『イワシの頭』って言ってたでしょう。俺達はどうあっても、どんなにハテナマークが頭についたって、こんな空っぽリバルゲンタに唯一存在する透明な何かを信じるしかない。幸い、機体整備は万全で燃料も潤沢にあって、俺らが挫けない限り、飛べないということは絶対にないんですから」
グァンユーはアルミの空き缶を握してわずかに潰す。
「そうそう。俺の生まれって『イワシの頭』が多いんですよ。もちろん、昔の皇帝とか幸福の神とか治世を担った遺臣だったりを一番に礼拝しますけど。今ある国を形作った大陸の政治家だったり、支配民族の警察官だったり、そんなのも土地を救う意志を自分らが認めるなら祠をつくるぐらいです。もっとも、神っていったって、こっちで言うとこの精霊みたいなもんですけどね。思うところはあるけれど、それを信じて豊かになれるなら、それがとりあえずいいでしょう」
大通りから歓声が湧いている。
市役所で整列していた魔界からの脱走中隊が、市民の歓待を受けながら行進しているようだ。
落ち着いたバーベキューをその場に置いて、リチャード達もベンカント老人も、大通りのガードレールまで身を乗り出した。
路側帯に等間隔で並ぶ雑踏警備の警察軍がホイッスルに応じて道路を向くと、古びたAR-18突撃銃や真新しいAC-556突撃銃を捧げてから再び回ってリチャード達に向き一斉に銃剣を外す。
それぞれが携える雑多な突撃銃を、アスファルトに小突いて立て銃したのだった。
「部隊、進め!」
ドラムメジャーは改葬の時にも演奏していた、施設管理部に内勤しているヤポン系人造魔族の若い軍曹だった。
デッキブラシを材料にして自作したリバルゲンタ紋章の真白い指揮杖を高く掲げる。
音楽学校の在学中にこの世界に誘われてしまった彼が、往来を停めた4車線の大通りを、同好とは思えない練度で演奏する戦闘服姿のデコボコ軍楽隊を率いて、マーチングドラムを巧妙に鳴らしながら先導していく。
「シャーガム・マルシュ!」
中隊長の魔界陸軍歩兵大尉が、人造魔族特有の青白い肌に、彼自身の筋の通った鷲鼻とタレ目にも力を込めて号令する。
先導する軍楽隊と少し距離をとり、大尉の率いる小隊ごと4列縦隊が、中隊旗を掲げ、ガチョウの揃うような魔界軍の足取りをもって、リバルゲンタのアスファルト舗装を鳴らしていく。
ドラムのファンファーレから行進曲に移り変わる。
『ボフダン・フメリニツキ』と名付けられた人造魔族由来の行進曲は、謂れを知らないオークのリチャードにとっても、彼らの栄光を後世まで伝えようとする気概にある曲目だとわかった。
歩道には眉をひそめる市民がいくらかいる。脱走中隊の中にも、本当にこれで良いのかと葛藤する目が見受けられる。
しかし、良くも悪くもこれがリバルゲンタなのだと、リチャードはひとつ得心したのだった。




