「十個」の「方法」その①
都立劉美高校2年空手部部長・空手チーム「威風堂々」主将。
この肩書を聞いただけで全国の空手部員は一瞬息を呑み立つことで精一杯になる。そして名を聞いた瞬間理解する。「あぁ今日が命日か」と。彼の名前は「陸海 空」一見すれば冗談のような名前だ。陸と海と空。どこかスケールだけが無駄に大きい。だがその名を笑った者は例外なく後悔する。中学生時代三年間空手と柔道で全国大会優勝。高校進学後は一番得意だった空手にシフトし高校一年無傷でインターハイ制覇。そして現在公式戦無敗。ただの無敗ではない。「全試合一本勝ちしかしない」のだ。「アイツと当たったら終わり」それが全国の空手部での共通認識だった。試合開始から数秒。それが陸海 空の平均試合時間。構えた瞬間にはもう勝負は決まっている。ここで棄権する選手も多い。踏み込み、打突、極め。無駄がなく迷いもない。まるで最初から「そこに当てる」と決まっていたかのように相手は崩れる。だが本当に恐れられているのはそこではない。「……まだやるか?」倒れた相手にそう静かに問いかける。怒りも嘲りもない。ただ事実だけを突きつける声。その一言で何十何百時間の練習で積み重ねてきた自尊心が完璧に折れる。観客席で見ていた者がこう言った。「技じゃない。あれは心と身体を折ってるんだよ。本当に化け物だぜ」そして今。その男は道場の中央に立っていた。「次」短い一言。それだけで部員たちの背筋が一斉に伸びる。威風堂々。その名の通り彼の前では誰もが姿勢を正し誠心誠意己と向き合う。だがそんな絶対的な存在である陸海 空のもとに。「……部長、ちょっといいですか」一人の部員が珍しく戸惑った声で近づいてきた。「なんだ」「……最近、変な噂があって」空はわずかに目を細めた。「空手とは関係ない……らしいんですけど」「関係ない話を、俺に持ってくるな」そう言いかけて部員の次の一言で、動きが止まる。「今度の大会前に部長へ危害を加える計画があるらしくて」一瞬の沈黙。空はゆっくりと息を吐いた。「……くだらない」そう言うと道場には途轍もない緊張感が走った。部員のほんのわずかにその目の奥が揺れた。「だが」道着の袖を軽く整える。「伝えてくれてありがとう。俺も気を引き締めておくとしよう。他の者も!俺たちは常に全国から恨まれる立場にある!常に謙虚さを忘れず!己の弱さに目をそらすな!いいな!」「押忍!」その返事は、まるで一つの生き物のように揃っていた。その統率は恐怖だけで成り立っているわけではない。陸海 空が恐れられているのは事実だ。だが同時に誰よりも「慕われてもいる」練習後誰よりも遅くまで残るのは空だ。倒れた部員がいれば無言で肩を貸し、技に詰まる後輩がいれば言葉少なに的確な指摘を与える。決して多くは語らない。だが、その一言一言が確実に相手を強くする。「……もう一回やれ」その言葉に誰も反論しない。できないのではない。「応えたい」と思ってしまうのだ。一度でも指導を受けた者は理解する。この男は決して自分の強さを誇示するために立っているのではない。「チームを勝たせるために立っている」のだと。だからこそ部員たちはついていく。恐怖ではなく信頼で。「部長」先ほどの部員が少しだけ表情を緩めた。「……ありがとうございます」「礼を言うな。事実を伝えただけだ」そっけない返答。だがその言葉にどこか安心したように部員は頭を下げた。「それと」空はふと、視線を外に向ける。「妙な噂は、広げるな不安は伝染する。弱さもな」道場の空気が、さらに引き締まる。「試合前に必要なのは余計な情報じゃない」ゆっくりと振り返る。「『勝つ準備』だけだ」「押忍!!」その日の練習もい気高い押忍で締め括られた。夜、部員たちが帰った後の道場で空は一人中央に立っていた。静まり返った空間。足音一つ響かない。「……」ゆっくりと拳を握る。その動きにほんのわずかな違和感。「……危害、か」昼間の言葉が、脳裏に残る。普通なら一蹴する話だ。その時わずかな音が扉付近で鳴った。空の視線が扉へ向く。誰もいないはずの入口。「……誰だ」返事はない。しかし空気がわずかに歪んでいた。(……気のせいか?)一歩、踏み出す。その瞬間背筋を撫でるような感覚が本能にわずかに警鐘を鳴らす。空はゆっくりと構えた。「……」静寂。数秒後。何も起こらなかった。「……くだらないな…今日は休むか」構えを解き息を吐く。しかし気づいていなかった。彼の背後。ほんの一瞬だけ何かが立っていたことに。「陸海空…お前だけは!」大会当日、会場は異様な熱気に包まれていた。「今年も来たぜ……」「陸海 空……無理ゲーだろ」威風堂々が会場に着くと誰もが自然と道を開けてしまう。その圧倒的存在感にざわめきは広がるがどこか諦めにも似ている。どうせ勝つ誰もがそう思っている。「次の試合、選手入場!」アナウンスと同時に空はゆっくりと歩き出す。無駄のない足取り。視線はまっすぐ前だけを見ている。(……違うな)ふと空は感じた。昨日と同じ違和感。空気の奥に何かが混じっている。「……」だが足は止めない。畳へ上がり構える。「始め!」審判の天を貫くような声が響いた瞬間、観客席の一角が爆ぜた。悲鳴と煙が焦げた匂いに混ざり会場全体を包み込む。「な、なんだ!?」「爆発!?」炎の中から、一人の男がゆっくりと姿を現す。全身を揺らめく炎が覆っている。目だけが異様に光っていた。「……陸海 空」低く歪んだ声。「お前だけは……!」次の瞬間。ボォォッ!!炎が腕に集中し一直線に空へと叩きつけられる。「危ない!!」部員達の叫びと共に炎が突き進む。しかし空は動かない。空は炎を回し蹴りでかき消してしまった。「なに!?」空は男を睨み付けると部員の方に目をやった「お前達!他の選手を連れて避難しろ!ここは俺に任せろ」「でも!」「俺は陸海空!この世の全てを統べ!己の力とする者だ!そこの男!降りてこい!」炎の男は顔を歪めるとコートへと降り立ち2人は相対する。会場はざわつきと静寂が入り混じり混乱状態だった。共通するのは「祈り」自らの人生を「陸海空」に賭けた。空は構えを直し炎の男の目を見る「おい俺を覚えてるか!俺はお前に負けた!そして全てを失った!高校の空手部もすっかり腐っちまった!」「それは俺に負けたせいではない!お前が負けたからだ!己の弱さに負け強くなることに目を背けたからだ!」「うるせぇ!!!」炎の男は空へ炎を纏った蹴りを食らわせた。誰もがやられたと思った。しかし空は倒れない。空はがっしりと足を掴む。「なんだと!燃えてるんだぞ!」「燃えてるからなんだ!俺は炎をも燃やす!」そのまま投げの体勢に入り炎の男は大いに焦る。陸海空は高校進学後得意だと感じた空手にシフトしたと思われていたがそれは違う。実は空手は苦手分野だったのだ。苦手な物を鍛え上げたいという思いで空手を選んだのだ。炎の男は空の鋼のような手を何度も殴りつけるが全く離れない。それどころか更に強度を増していく。「おおおおおおお!!!!!!!!」空は鮮やかで気高く芸術のような美しさを誇る背負い投げを繰り出し、勢いよく打ち付けられた炎の男は気迫に圧倒され気絶した。会場からは大歓声が沸き起こった。炎の男は目を覚ますと空へ悔しさを語った「俺はどうすればいいんだよ!部員も少なくなっちまって!俺はどうすればよかったんだよ!」その言葉に空は淡々と話す「お前自身が強くなれ、そして弱った者に寄り添え、そして共に強くなれ。もし迷って動けないのなら己を磨き暗闇を搔き分けながら光へ突き進め」その言葉を聞き炎の男は涙を流しながら天井を見上げた「俺も…あんたみたいに強くなりたかった…」「もう一度上がってこい!その熱き炎で!」その後炎の男は現場に到着した警察官に連行されそのまま大会は延期になってしまった。空は手に重度の火傷を負ったものの奇跡的に回復し今は何事もなく練習をしている。そんな話が1年前にあった。3年生になった空は自らのこれからを考えていた。あれから一年、都立劉美高校 空手道場「押忍ッ!!」乾いた音が何度も響く。「腰が浮いてる。もう一回」「押忍!」変わらない光景だが確実に変わったことがある。「ナイスです先輩!」「今の入り、めっちゃ速かったです!」道場には、以前よりも声が増えていた。一年生。二年生。そして「……部長」かつてよりも少しだけ柔らかくなった声で呼ばれる。三年生になった陸海 空はゆっくりと振り返った。「なんだ」「今日のメニューなんですけど……この前言ってた組み手の応用お願いしてもいいですか?」「よしわかった」短い返答。だがその一言で、場の空気が明るくなる。あの日炎の男が残した言葉。「俺はどうすればよかったんだよ」あの問いは空の中にも残っていた。(強いだけじゃ、足りない)拳を軽く握る。(残す力が必要だ)「全員、集合」「押忍!!」円になる部員たち。その中心に、空は立つ。「今日からメニューを変える」ざわりと空気が動く。「試合で勝つための練習だけじゃない」一人一人の顔を見る。「勝った後も続けるための練習をやる」部員たちが息を呑む。「強くなって終わりじゃない」静かに、だが確実に言葉を落とす。「強くなり続けろ」「押忍ッ!!」その声は、以前よりも力強かった。放課後「部長ー!購買行きません?」「……行かない」「えぇ!?今日パンの日っすよ!?」「知らん」「絶対後悔しますって!」「しない」そんなやり取りに周囲の部員たちが笑う。かつての「絶対的存在」今もそれは変わらない。だが「……じゃあ牛乳だけ買ってこい」「え、いいんすか!?」「ついでだ」ほんの少しだけ距離は近くなっていた。帰り道夕焼けが街を染める。「部長、進路どうするんですか?」隣を歩く後輩がふと聞いた。「……さあな」珍しく、曖昧な返事。「大学とか!それこそ実業団とか!ましてや五輪とか絶対いけますよ」「……どうだろうな」空は空を見上げる。かつては勝つことしか見ていなかった。だが今は違う。(何を残すか、か)道場。仲間。積み上げたもの。そして(あの炎の男みたいな奴をもう出さないこと)小さく息を吐く。「……まあ」前を向く。「やることは変わらない」「え?」「強くなる」それだけだった。翌日。「部長!一年が見学来てます!」「入れろ」道場の扉が開く。緊張した顔の新入生たち。その前に立つ陸海 空。「……空手やりたいか?」静かな問い。だがその目はどこか優しかった。「だったら――」一歩前に出る。「最後までやりきる覚悟を見せろ」その言葉に新入生たちは強く頷いた。「押忍!!」夕焼けの中また一つ声が増えた。「陸海空」最強であり続けそして誰かを強くし続ける者がこの国に生まれたのだった。




